2013年4月7日「神様に立てられた人として」詩篇45:1-17

序−この詩篇は、王の結婚式で読まれた詩のようです。王の栄華を称賛した後、王妃や侍女、子孫たちの話が出て来ます。神の民を治める王が、どのような人であるかは、重要なことでした。それは、私たちが責任や働きを担ってどう生きて行くについて、大切なことを教えています。

T−神に立てられた者−1〜2
 神様が立てられた王のために詩を作ることがうれしくて、王を賛美する言葉があふれています。1〜2節。元来、イスラエルの王は神様であり、人の王でも神様の臣下に過ぎません。それだからこそ、神様の恵みと力が注がれます。それなのに、自分でその座についているかのように思い、自分の思いのままになれば、その支配はひどいものとなります。
 主のしもべが祝福を作り出すことはできません。主のしもべが神様の栄光の前に膝をかがめて、主のしもべとしての役割を果たす時、限りない祝福が注がれるようになります。神様は、人々を治めさせるために、権威や栄光を世の指導者に与えておられます。すべて、上に立つ権威はそういうものです。ローマ13:1。ですから、人の権威はずっと永遠にということではありません。神様が一時的に貸してくださっただけです。局長も社長も、その地位から退くならば、普通の人に戻るほかありません。
 王や大統領がその地位にいる時には、その言葉一つ一つに権威が伴います。治めることができるように神様が与えておられるのです。私たちが社会で何らかの立場にある時、親として家庭を治めて行く時、このことをわきまえて働かなければなりません。それを忘れて、あたかも自分の力でやっているかのように思う時、混乱が生じ、足元をすくわれるのです。
 とりわけ神の民の王は、神様の栄光と知恵を注がれたものです。ダビデやソロモンを見れば、分ります。神様は、ご自分が立てられたしもべに力と恵みを注いでくださるのです。それは、神様がその民を祝福されるためです。ですから、神様のしもべが御言葉に従って、献身するならば、神様が比べようも無い力を注いでくださいます。
 王様のように、神様が立てられたしもべが褒め称えられる理由があります。その一つは、彼がすることが正しいものであるからです。大抵の人々は、地位が高くなり、権力を握ると傲慢になり、威張るようになります。しかし、神様が立てた人には、そのようなことがありません。不正をすることなく、すべてのことを正しく行います。神様に栄光を帰するようにするからです。私たちも高慢には気をつけなければなりません。
 また、神の民は、つまらない戦いに巻き込まれません。神様がくださる高貴というか、崇高な思いがあるからです。些細な感情に振り回されないで、落ち着いて高所から眺めるように対処するのです。物事の本質を見極めるために、へつらいや嘘は通じないのです。人々が頭をたれるようになり、従うようになります。
 さらには、王のような指導者一人を通して、神様の祝福が供給されて、すべてのことが満たされるようになります。神様が立てられた指導者は、神様の祝福の通路だからです。通路は神様とよくつながっていれば、人々も祝福を受けられるのです。物質的な祝福も教授するようになるのです。王が高慢になったり、罪を犯したりしなければ、祝福がなくなることはありません。私たちも、このような特徴を見習いたいのです。

U−弱さに働く神の力−3〜8
 神が立てられた王は、信仰的だけれども軍事的には弱いと思われがちですが、戦いにも力がありました。3〜5節。神の民も、柔和で、謙遜なので、弱い印象をもたれがちです。4節でも、「柔和」と表現されています。柔和とは、軟弱ということではありません。人が荒々しいのは、憎しみや敵対心の表れであり、自分の防御のために攻撃的になるのです。
 クリスチャンは、信仰による「真理と柔和と義のために」という正しい目的を持っているために、つまらないことで戦うことはしません。人々が戦うのは肉のプライドからですが、神の民は本当に価値あることのために献身します。いつも暴力的で怒鳴るような人が強いように見えますが、献身する柔和な聖徒に勝つことはできません。柔和な優しいイエス様がどれほど苦難を忍耐されたことでしょう。その苦難のゆえに、死や罪に勝利して、私たちの救ってくださいました。ヨハネ16:33。
 神様が立てられた王は、戦いに力を発揮します。信仰をもって戦うので、神様の助けを受けるからです。王の「右の手」は神様の力の象徴ですから、王も自分に右の手に驚く、つまり神様の下さる力に驚くのです。
 私たちには、不安なことがあります。それは、自分は弱い、欠けがある、助けがなければ苦難に勝つことができない、ということです。しかし、神様に信頼する信仰者は、弱いからこそ強いのです。Uコリント12:10。神様が私たちに弱さを残されたのは、私たちをいつも助けてくださるためです。私たちに足りない部分があるのは、私たちが神様により頼むようになるためです。弱い所をなくそうとするのでなく、弱いからこそ主により頼み、助けられるのです。使徒パウロは、肉体の弱さのゆえに、謙遜になり、神様により頼んだ「強い」人でした。Uコリント12:7〜9。
 「敵が矢に倒れる」というのは、敵が近づく前に神様が敵を退けてくださることです。事実、そういうことがありました。ですから、私たちが正しい信仰で生きることが、どれほど困難の中で助けとなることでしょうか。予想外の助けや展開があるのです。信仰で生きていなければ、そのような期待はできません。正しい信仰で生きること自体が力です。
 また、このように神の王を称える理由は、イエス様の代理者だということにあります。6〜7節。ここで、「神よ」と言っているのは、御子イエス様のことです。ヘブル1:8〜9。真のイスラエルの王は、神であり、主キリストです。神様の立てられた指導者は、神様の恵みの通路です。もし、彼が神様に忠実であり、人を恐れないで、罪に陥らないで、高慢にならないなら、神様は彼を通して神の民にあふれるばかりの祝福をくださいます。
 私たちが神様に立てられた自覚をもって働き、責任を担って行くなら、神様は私たちを喜び、豊かに恵みを注いでくださいます。神様は、人々を祝福するために、ご自分の御心に合うしもべを立てられ、恵みを注ぐ通路とされます。ですから、神様の御心に一致することがどれほど幸いであるか分りません。でも、通路である私たちが信仰的でないならば、どれほど人々に悪いものが流れるか省みなければなりません。信仰的に仕えるならば、キリストの香りを放ち、賛美の声を聞くようになります。8節。

V−御言葉で装う人の生き方−9〜17
 神の民の王が神的である一方で、王妃は人間的です。9節。これは、私たちクリスチャンが持っている弱さをあらわしたものです。しかし、その王妃が徹底して王を支えるなら、イスラエルは栄光を受け、キリストの統治が豊かになされます。王が神様の祝福の通路だとすれば、その通路を支える助け手ということができます。創世記2:18。それで、王の「右に立つ」と言われています。教会は、キリストの花嫁と言われる尊い存在です。それで、神様は、教会を恵みで飾り、美しく整えてくださいます。
 王の新婦として、王妃が覚えておかなければならないことが二つあると言っています。10節。一つは、王妃はいつも王の言うことを聞いて、考えて、耳を傾けなければならないということです。王妃が勝手なことを多く言えば、害が生じます。王の言葉に影響を与えるからです。王の言うことをよく聞いて助けてあげればいいのですが、信仰的でないことを吹き込めば、災いが国全体に及ぶからです。歴史が証明しています。
 もう一つは、父の家のことを忘れなさい、ということです。王とともに神の民の国を立てなければならないからです。罪の習慣や信仰的でないことを持ち込んだりしては、王宮に害を及ぼすばかりです。私たちも覚えなければなりません。私たちも、世の虚栄、罪の性質を忘れなければなりません。主のものとなりました。主の家の価値観で生きるのです。
 王妃が御言葉でもって装われるならば、王も民も王妃を慕うようになります。11〜12節。王なるキリストが喜ばれるのは、どんな人ですか。御言葉で整えられたクリスチャンです。私たちが御言葉で装い、整えられるなら、主の恵みと栄光を享受することができます。13〜15節。ですから、王妃一人だけでなく、侍女や子どもたちも栄華を享受することができました。私たちも、世のことで満たすのでなくて、信仰の証しを飾りとするなら、周りの人々も救いの恵みを享受するようになります。
 そして、王の息子たちも神様に献身する者となり、王権を受け継ぐ者になって行くのです。16〜17節。神様の国は、一つの世代で終わることではありません。信仰の王統は継承されました。T歴代28:9。イエス様の救いがある所は、その人一人で終わりません。家族に次の世代に信仰が受け継がれて行きます。救いを伝える者が重要です。一時期栄えた家門や国も、その後良くない指導者が立つならば、その栄光も一瞬のうちに失ってしまいます。ですから、神の民が栄えて行くためには、信仰が継承されて行かなければなりません。私たちは、次の世代のために良い信仰の模範を残さなければなりません。イエス様の救いを受けた私たちには、神様の恵みと御力が注がれます。そして、神様から立てられた者として、学校や職場、家庭において、神様に栄光を帰するように生きるのです。



詩篇 45  指揮者のために。「ゆりの花」の調べに合わせて。コラの子たちのマスキール。愛の歌
45:1 私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう。私の舌は巧みな書記の筆。
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。
45:3 雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。
45:4 あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。
45:5 あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ、王の敵は気を失う。
45:6 神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。
45:7 あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。
45:8 あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、象牙のやかたから聞こえる緒琴はあなたを喜ばせた。
45:9 王たちの娘があなたの愛する女たちの中にいる。王妃はオフィルの金を身に着けて、あなたの右に立つ。
45:10 娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。
45:11 そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ。
45:12 ツロの娘は贈り物を携えて来、民のうちの富んだ者はあなたの好意を求めよう。
45:13 王の娘は奥にいて栄華を窮め、その衣には黄金が織り合わされている。
45:14 彼女は綾織物を着て、王の前に導かれ、彼女に付き添うおとめらもあなたのもとに連れて来られよう。
45:15 喜びと楽しみをもって彼らは導かれ、王の宮殿に入って行く。
45:16 あなたの息子らがあなたの父祖に代わろう。あなたは彼らを全地の君主に任じよう。
45:17 わたしはあなたの名を代々にわたって覚えさせよう。それゆえ、国々の民は世々限りなく、あなたをほめたたえよう。



Uコリント12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

ヘブル1:8 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
1:9 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」

Uコリント11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

ローマ13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

T歴代28:9 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。【主】はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。

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