2013年4月21日「神の統治に用いられる者」詩篇47:1〜10

序−この詩は、ダビデが悪い敵を打ち破り、エルサレムに凱旋しながら、全世界を真理で治めておられる神様を褒め称えています。ダビデが悪い国を打ち破ることができたのは、神様が彼を強くして、力を与えられ、用いられたからです。私たちも、神様に用いられる者となりますように。

T−神様の統治のやり方−1〜2
 ダビデの軍隊が勝利して凱旋する時に、人々が歓喜して出迎え、手をたたいている様子が記されています。1〜2節。しかし、人々は、凱旋するダビデ王やその軍隊を万歳しているのではなく、神様をほめたたえています。「喜びの声をあげて神に叫べ」と言っています。神様の御手がなければ、その勝利はあり得なかったということです。神様が敵の国を破られたということをあらわしています。エレミヤ51:20。神様は、「全地の大いなる王」と言われています。一部の国だけでなく、すべての国々に影響を与える強大な王だということです。私たちの信仰は、この神様の統治、世の支配ということを重視しています。私たち自身の人生も神様が統治されているということをわきまえて生きるのです。これが、救われた者に与えられた新しい人生観です。
 ここでイスラエルの民が、戦いの勝利を通して神様を褒め称えているのは、イスラエルの国は神様に用いられているということをあらわしています。神様が世を統治されるのに、イスラエルの王と民を通して行われているということです。ですから、戦いも神様の助けと力で行い、その勝利の栄誉も神様に帰さなければならないのです。Uコリント1:20。今は、神の民である私たちを通して、神様は世を治めようとされています。私たちは、私たちがなすことができたすべての栄誉を神様に帰さなければなりません。神様の栄光に帰するというのが、私たちの原動力となります。
 ですから、イスラエルの戦いと他の国の戦いは、その性格がまったく違います。他の国が戦うのは、他の国の富を奪いたいからです。宝物を略奪し、人々を拉致するために侵略します。ところが、神様に用いられる王は、苦しめられている人々を解放し、悪い王たちを追い出すために戦いをしたのです。ですから、ダビデの軍隊が進軍して行く先々で、それまで苦しめられていた人々が手をたたいて、ダビデの軍隊を熱烈に歓迎したのです。そして、それを派遣してくれた神様を褒め称えているのです。先に救われた私たちも、罪と戦い、人々を救い出すために用いられます。神様の統治のために用いられる者だという自覚を持たなければなりません。

U−用いられる者の敬虔−3〜4
 これまで、イスラエルは弱い国で、自分を守ることで精一杯、他国の問題に介入することはありませんでした。しかし、神様の御旨に合った王がイスラエルの王となったので、イスラエルは他国に影響を持つ国になりました。神様は、他の国をイスラエルに従わせるようにされました。3節。これは、私たちの信仰の変化と同じです。世に影響力のあるクリスチャンとして用いられるのです。
 私たちは、自分の信仰を消極的に考え易いでしょう。世の中でクリスチャンとして生きることで精一杯、自分自身の信仰を守ることだけを考えてしまいます。しかし、それは信仰の一つの過程にすぎません。罪に巻き込まれないためにそうしなければならない時もありますが、信仰が整えられて行くならば、神様は私たちを 世に送られます。そして、世を良くして、人々を救うようにされるのです。
 イスラエルの働きを見ても、そうです。アブラハムなどの族長の時代は、極力悪い町との関わりを避け、遊牧の生活をしていました。信仰を守るためでした。しかし、カナンに入ってからは違います。その地の占領を命じられ、御言葉の支配する健全な社会を築くように命じられました。さらに、ダビデ王が登場すると、もっと周りの悪い王たちと戦い、その地を占領するようにさせたのです。神様の御旨とぴったり合ったダビデがあらわれたので、彼に御力を注ぎ、彼を通して世を整えることをされたのです。そのように神様の道具として用いられる時には、神様と周波数を一致させることが重要です。私たちの信仰の訓練も、ここに焦点を合わせています。神様の御旨に私たちの信仰の姿勢を合わせて行くのです。そうして、神様の御力と祝福を受けるようになるのです。
 ですから、私たちの信仰の敬虔には、二つあります。一つは、消極的なものです。罪から離れ、世から自分の信仰を守ることで精一杯です。もしその時、世の罪に迎合してしまえば、御言葉に純粋に生きることができません。しかし、もう一つは、積極的なものです。世の罪や悪に打ち勝って、神様の御心をなすために、積極的に世に入っていくことです。その時には、全地の大いなる王である神様が私たちに世での立場や地位を与えます。私たちは、神様からその場に遣わされているという認識を持って、そこで熱心に誠実に主の働きをするのです。Uコリント5:20。
 イエス様は、私たちに「世の塩・世の光」となりなさいと言われました。マタイ5:13〜16。この二つは、神の民の社会的役割をあらわしています。塩の腐敗を防ぐ働きは、世の罪の腐敗から守るという面を示しています。しかし、神様はさらに私たちを通して光の役割をさせます。そのために、この世に寄与できる役割と職分を与えます。私たちがその立場で信仰をもって最善を尽くすなら、神様が素晴しい役割を果たさせてくださいます。
 神様は以前から全地の王として世を治め、秩序と正義を維持しておられましたが、ダビデが登場してからは、あえてダビデと神の民を用いられた。そのために神様は、神の民に約束の地を与えられたのです。4節。神様が治めて、裁かれたと言っても、悪い王が病気や年を取って死ぬのであり、悪い国も災害や外敵の侵入で滅びるので、神様を知ることはできませんでした。しかし、神様が選ばれた王を通して、悪い王を滅ぼし、苦しむ人々を救い、慰めるようにさせました。こうして、人々は神様の救いと裁きを見ることができるようになりました。
 このようにして神様が世に教えようとされるのは、全世界を治めておられるのは神様であって、絶対的な存在である神様を人々が恐れ敬うようにさせるためです。神様を恐れることが、罪を犯さない最も良い方法です。私たちは神様を恐れているでしょうか。そして、神の民の信仰の麗しさを通して人々を神様に招くために、ダビデとその民を用いられました。それを見て、保護を求める国民もあらわれました。これが伝道の始まりです。
 神様のしもべが人々に認められようとあれこれ肉の思いや動きをするなら、それはみずから滅びようとする愚かなことです。ただ神様の訓練を受けて神様の御心に合わせるならば、用いられ、人々を招くことができるようになります。Tコリント 3:5〜9。

V−神様の統治方法−5〜10
 イスラエルの民は、勝利を与えてくださった神様を褒め称えると、神様が天に昇って行かれたと言っています。5節。それは、イエス様がその王座を離れて世に来られて、十字架の死からよみがえられ、人々の罪を解決された後、高い王座に上られることを意味しているとも言われます。 ピリピ2:7〜11。世はイエス様の統治を受けなければなりません。イエス様は、どのように世を治められるのですか。私たち福音を信じた者たちを通してです。イエス様を救い主と信じた者を通して人々を助け、その信仰の証しを通して救いに招かれるのです。私たちは、この世でイエス様の主権を回復しなければなりません。私たちも神様の栄光の器として用いられるのです。
 神様は、そのようにして神の民を勝利のために用いられるのでしょうか。まず、霊的な知恵です。7節。「巧みな歌」とは、知恵や技術の詩という意味です。神様がその民に信仰の知恵を注いでくださったので、彼らの口から知恵が歌のように出てくるというのです。神の御心に周波数を合わせられるようになると、御言葉の価値観に変わり、神様の知恵が与えられるようになり、霊的判断ができるようにされます。しかし、罪に駆られて肉の知恵に頼むならば、争いや妬み、高慢や怒りと言った愚かさを見せるようになります。神様の知恵が私たちの口から歌のように流れる、なんと素晴らしいことでしょうか。私たちは、預言者のようにされているのです。
 次に、多くの国々を支配されて神の民が勝利するようにされます。8節。この世には、神様の統治を拒むサタンの勢力があります。しかし、神様はそのような勢力を抑制されて、サタンの思うままにはさせません。それが、国々を統べ治めるということです。世を真に治めているのは、イエス様です。ヘブル 3:6。そうして、私たちが信仰者として働けるようにしておられるのです。
 そして、救われた人々を「アブラハムの神の民として集められ」ます。9節。神様は、多くの人々が神の民となって、神様の統治を受けることを願っておられます。それで、イエス様の十字架による御業によって、イスラエル人だけでなく、すべての異邦人が神様を信じて、救われるようにされました。神様は、ご自分の統治のもとにあるすべての人々を用いて守ってくださいます。
 世を治めるために私たちに御力と恵みを注いで用いてくださる全地の主をほめたたえ、ますます用いられる者になりましょう。詩篇103:22。



詩篇47 指揮者のために。コラの子たちの賛歌
47:1 すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。
47:2 まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。
47:3 国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。
47:4 主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。セラ
47:5 神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。
47:6 神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。
47:7 まことに神は全地を王。巧みな歌でほめ歌を歌え。
47:8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。
47:9 国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。
47:10 まことに、地の盾は神のもの。神は大いにあがめられる方。


Uコリント1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰すのです。

エレミヤ51:20 「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。

詩篇103:22 主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

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