2013年5月26日「きよい心を造り、新しくしてください」詩篇51:10〜20

序−何かを感謝する時、うまくいったことを感謝するだけでなく、赦されたこと、回復されたことを感謝することも大事です。悔い改めの詩篇の後半は、霊的造り変えと聖霊の恵みの回復を願い、神様への感謝にあふれています。教会設立記念に際して、よくここまで導かれた、神様が忍耐してくださった、勝手に歩みや背を向けていたこともあったのに、あわれんで赦してくださった、と振り返ります。私たちが神様の赦しと守りの恵みを覚えてすることは、何でしょう。ダビデの祈りが教えてくれます。

T−きよい心を造り、新しくしてください、霊的造り変え−10〜12
 悔い改めの祈りをささげ、罪の赦し求めた後、ダビデは心を新しく創造してくださいと求めています。10節。罪赦され、見捨てられなかった、良かった、と喜び感謝するだけだと、また罪と自分勝手を繰り返し、無限ループを陥ることになるでしょう。それで、元の心が回復されるという程度でなく、新しい心の創造が必要です。教会の設立記念に際して、守られて感謝だけだと、一時期的な思いで終わり、変化や成長にはつながりません。新しい心、霊的造り変えが必要です。
 彼が罪を犯して、隠していた間、彼の心は、ひどく汚れ、荒廃していました。そのために、新しい心を造ってください、と懇願したのです。悔い改めたなら、新しい心、新しい信仰の成長がなければなりません。イエス様を信じて救われた者には、新しい命が与えられます。Uコリント5:17。それは、再び創造されるようです。ガラテヤ6:15。私たちの心は、新しく造られているでしょうか。私たちは、悔い改めて、御言葉による霊的造り変えを求めていかなければなりません。
 一つ一つの心の傷を神様の御前に持って行って、口で告白する時、心の傷の治療が始まります。私たちは、時々神様の御前に出なければなりません。大丈夫だと思っていても、治療の必要な心を知るようになります。過去の出来事でできた傷が残っているのです。これが私の心です、と神様に告白しなければなりません。このダビデように、自分のひどい心を治療してください、と祈る姿は他にあまり見られません。現代も人々は、ひどい状態になった心の癒しを受けなければならないことを考えません。心の病は、人が自分の力で治すことができません。私たちも、「きよい心を造り、新しくしてください」と懇願しなければなりません。
 そうすれば、聖霊が豊かに働いてくれるようになります。11〜12節。イエス様を信じた者には、聖霊が内住してくださっていますが、罪を犯したために、聖霊は、あたかも無くなってしまったかのようになるのです。そうして、獣のようになってしまうのです。神様の御力が注がれなくなり、心から喜びや平安がなくなってしまうので、心の病にもなってしまいます。悔い改めて、罪を悔い改めると、すでにイエス様を信じた時に注がれた御霊によって洗い聖められるようになります。テトス3:3〜6。御霊に満たされて歩む喜びと感激は、言葉にあらわせないものです。
 悔い改める時御霊が臨みます。使徒2:38。私たちの生活の中に悔い改めがないと、罪が力を持つためです。罪と死の原理が私たちを支配するからです。ローマ8:6〜7。御霊に満たされるようになる秘訣は、御言葉に聴く事です。御霊に満たされたいと願うなら、主の臨在を覚えて礼拝をささげ、御言葉に心の耳を傾けることです。サウル王が神様に聞き従わなくなった時、神様の霊が臨まなくなり、心の病に陥り、人々を疑いの眼で見るようになりました。神様の御前に悔い改めて、赦しを受けると、聖霊が臨み、喜びが回復します。
 私たちは、守りとあわれみを感謝するだけでなく、私たち自身が霊的に新しくされることが必要です。私たちが、心からの真実な悔い改めの祈りをささげる時、聖霊が臨むようになります。きよめられて、新しく造り変えられる時、聖霊の満たしを受けるようになります。その時出て来るものは、喜びと恵みだけでなく、きよめられ、心新しくされた者は、神様によく仕えるようになります。喜んで仕えるようになります。

U−あなたの道を教えましょう、証しの務め−13
 悔い改めて、再び神様の恵みを回復した後、その人のすべきことは、似たようなところにいる人々に、そこから救い出される道を教えてあげることです。私たちの教会の設立ビジョンも、教会を通して地域の人々の救われることであり、そのための私たちの霊的造り変えでした。13節。ダビデが気づいたことは、赦しの恵みを受けたことが自分だけのことで終わりではいけないということでした。ダビデは、自分が悔い改めて新しい人生を生きることができるなら、まして他の人できると知っていました。恐ろしい罪の縄目から助けだされるすべを知らないで苦しんでいる人、自暴自棄に陥っている人がいるのに、知らせないのは、薄情というだけでなく、するべきことをしない、責任を放棄している罪だと言われています。
 サタンは、人がその罪のまま変われない、悪の性質を持ったまま生きるしかない、滅び行く空しい人生を歩むしかないと思わせて、縛り付けているのです。私たちは、このようなサタンの騙しに倒されている人々をキリストの下に導かなければなりません。徹底的に神様の御前に悔い改めるならば、滅ぶしかないような罪を犯した自分を赦して、新しい命に生きるようにしてくださった神様の慈愛を経験したダビデは、それを知らない人々に証ししないではいられないかったのです。私たちはどうでしょう。
 どんな人が、良い治療者、助け手となることができるでしょうか。一度痛みを経験した人です。失敗から立ち上がった人、罪と滅びから救い出された人、空しさから解放された人が、証しを通して主の救いと癒しに導くことができます。心の痛みを経験した人がカウンセリングの勉強をする、という例がけっこう多いそうです。そういう人は、良い相談者になることができます。仕事の辛さから立ち上がることができた人が、そこを通っている人を励ますことができ、子育ての悩みを味わった人が、同じように悩んでいる人を助けることができます。
 主の救いと癒しを体験した私たちを必要としている人々が周りにいます。私たちでなければ、届かないたましいがあります。この教会をこの地に建てられました。主は、赦しと恵みを味わった私たちを人々に遣わしておられます。私たちは、キリスト使節、神の代理者です。Uコリント5:20。

V−罪の赦しへの感謝と賛美、真実な礼拝−
 そして、赦しと恵みを覚えてすることは、感謝と賛美です。14〜15節。大きな罪を重ねたダビデは、一度霊的には死んだような者です。放蕩息子が帰って来た時、父親は「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」と言って、喜んで、宴会をします。ルカ15:24。私たちも、イエス様の救いに与って、滅びから免れ、罪の赦しをと新しい命を与えられたことは、第二の人生を与えられたようなものです。どれほど感謝なことでしょうか。それで、ダビデは声高く神様を褒め、称え、賛美しているのです。私たちも、その思いで礼拝します。
 神様の恵みを受けた者が到底赦されない罪を犯してしまいました。ダビデは罪を隠して滅びに向かっていたのに、神様はナタンを送って穴から引き出して、悔い改めさせ、生きるようにさせてくださいました。詩篇40:2。再び神様に仕える尊い職分に就かせました。ですから、ダビデは、残りの人生をかけて神様に忠実に仕えるほかありませんでした。私たちも、「うしろのものを忘れ、ひたむきに前に進み、神の栄冠を目指して一心に走る」ほかありません。ピリピ3:13〜14。神様はダビデを再び生かしてくださったように、私たちをも新しく生かしてくださいます。
 神様が喜んでくださるいけにえとは何でしょう。形だけのいけにえではなく、「砕かれた霊、砕かれた、悔いた心」です。16〜17節。私たちは、心をささげる礼拝をしなければならないということです。自分のもっとも病んで部分、自分の最も弱い部分、自分の最も傷んでいる部分を取り出してささげるならば、癒されます。まるで診察を受けるような礼拝です。病院で診察を受ける時、どのようにするでしょうか。最も痛い部分、最も傷ついた部分から診てもらうのではないでしょうか。
 礼拝をささげる時、自分の最も不足して欠けた部分を取り出し、自分の最もひどい罪咎を取り出すならば、治療を受け、整えられるでしょう。18〜19節。これは、このような霊的癒しを継続してください、という意味です。神様の臨在するシオンとは、人の罪を癒すところです。王であるダビデが罪を犯したために、エルサレムは霊的に病んで、機能停止状態でした。今再び人々の信仰が養われ、生きるところとしてくださいと祈っているのです。病院が紛争中であれば、患者たちは治療を受けることはできません。不安なところに自分を委ねることができるでしょうか。
 私たち自身が、悔い改めて罪の赦しを得てこそ、イエス様の救いと癒しを求めて来る人々を導き、迎えることができます。教会が霊的に混乱していたら、たましいの治療の機能が停止してしまいます。たましいの癒しを求めることができません。まず、私たち自身が主の前に悔い改め、私たち自身の心が聖められ、新しく造り変えられなければなりません。何よりも、神の御子イエス様が私たちのために「義のいけにえ」となられて、ご自身をささげられたのです。私たちは、この恵みに応えて生きて行きます。ヘブル9:26, 13:15。



詩篇51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
51:14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
51:16 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。
51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
51:18 どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
51:19 そのとき、あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう。そのとき、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。



ガラテヤ6:15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

テトス3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、
3:5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

Uコリント5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

ルカ15:24 「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」そして彼らは祝宴を始めた。

ピリピ3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

ヘブル9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

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