2013年6月2日「どちらが成功者で、勇者なのか」詩篇52:1〜9

序−自分が関わることにみな自分の責任を覚える人、権謀術数を駆使し要領よく立ち回り出世をする人、そのどちらが成功者と言うのでしょうか。祭司たちの悲劇を自分のせいだと言うダビデ、その悲劇を画策してキャリヤを築こうとするドエグ、どちらが成功者であり、勇士なのでしょうか。

T−どちらが成功者で、勇者なのか−表題〜1 
 詩篇52篇は、表題のように、エドム人ドエグとダビデが関係した事件が背景となっています。ドエグは、サウル王に仕えていた勇士です。Tサムエル21:7。ダビデもサウル王の勇士でしたが、サウル王に妬まれ追われていました。Tサムエル16:18。ダビデが逃げていた時、ノブの祭司アヒメレクに助けてもらいました。それをドエグが見ていて、サウル王に告げ口したために、祭司たち及びノブの町のものすべてが、サウル王の命令によって惨殺されるという事件が起こりました。Tサムエル22:9〜19。ドエグは、サウル王に認めてもらうためには、人助けをした祭司を犠牲にし、誰も手をくださない祭司殺しまで平気でする人でした。とても勇士だとは言えません。
 この詩では、ドエグのような者を一般的な悪者、ダビデような者を神様に従う正しい者と言って、その生き方、価値観を対比しています。まず、悪者に対する警告です。1節。「勇士よ」と言うのは、知恵も力もある有能な者という意味です。ドエグのような陰謀と中傷をもって権力を得、平気で残虐なことをする者が、本当の勇士、知恵ある者はどういう人なのか、と問いかけているのです。人は、知恵と力を悪用して、人を妬み、落とし入れ、富と権力を得ようとします。正しい者を害することをして、気分を良くするのです。後ろでサタンが操縦されているのです。
 その時、ドエグがサウル王に認められ、出世し、一方ダビデは、頼る人たちがいなくなり、ますます苦しい逃亡生活ということになりました。そんなダビデを見て、ドエグは誇ったのでしょう。肉と欲の原理で生きる者が、人を騙し、陥れ、陰謀と中傷をもって出世し、富を得ることは多くあります。一方、正しく生きる者が被害を受け、損をし、不利な状況に置かれ、認められないことも多いです。社会では、そのようなことをあまりにも多く見ることができます。
 それでも、神様の慈しみはいつも神様に従う正しい者とともにある、と言っています。絶望状態でも、その後には神様の慈しみがもっと大きくあらわれるようになるのです。なぜ、そう言えるのでしょうか。神様は、ご自分の民を守り、祝福してくださるからです。詩篇94:14。イエス様によって罪と滅びから救われた者は、神様が味方だからです。ローマ8:31。主の民は、一時的な状況で右往左往しません。
 ダビデは、ドエグの告げ口で祭司たちとノブの町がひどい目にあったことを自分の責任だ、と言っています。Tサムエル22:22。ノブの町の祭司は、ダビデを助けたために惨殺されました。ダビデは、それをドエグが見ていたのを知っていて、ドエグはサウル王に告げ口するだろうと思っていたのです。ただ、まさかあのような残酷なことまでするとは予想しなかったから、そのままにしておいたのです。それで、ダビデは、祭司たちが惨殺されたのは自分の責任だと言ったのです。
 祭司たちの悲劇は、命じたサウル王と手を下したドエグの責任です。肉と欲の原理で生きる人は、自分の責任のことでも人のせいにして、人の成果でもあたかも自分がしたように主張するものです。ダビデのように、間接的に関係があるだけなのに、その事件は自分のせいだと言うのは中々できません。これは、勇気のいることです。そんな立場に立たされるかもしれないし、ひどい目に会う恐れもあります。

U−欺く者の欺きの舌、破壊的な舌−2〜4
 祭司たちの惨殺を引き起こしたのは、ドエグの告げ口、讒言です。それで、ドエグの舌が強調されています。2~4節。人々の悪い計略は、その舌を通して出て来るものです。マタイ15:18~19。悪者の言葉は、人の心を刺します。それは、鋭い刃物、剃刀のようだと描写されています。悪者の舌は、直接間接に、聖徒たちを攻撃します。
 まず、直接攻撃をします。神の民の間違いを細かく覚えておいて、それをすべて悪く取って攻撃するというやり方をするものです。それも、弁明したりする機会を与えないで、自分が悪いと思わせ、自分を責めるようにさせるのです。これは、サタンが聖徒たちを打ち倒す時によく使う手段です。言葉で主の民に直接致命傷を与えるのです。現代はインターネットがそのために使われます。インターネットを通して辛らつな悪口、中傷を浴びせたりします。サタンは情報を通して働くのです。
 ドエグの場合は、恐ろしい間接的方法を取っています。王を動かして、ダビデを攻撃したのです。サウル王は、ダビデに妬みを覚え、嫌い憎んでいる、そのダビデを助けた祭司の行動を知れば、サウル王は怒り、攻撃するに違いない、そうしたら、もう誰もダビデを助ける者もいなくなり、逃げる所もなくなり、ダビデも責任を覚え、落ち込むに違いないと考えたわけです。陰謀をはかり、ダビデを助けた祭司の行為を告げ口したのです。
 ドエグもまた、同じサウル王に仕えた勇士として、ダビデに妬みを持っていたのでしょう。しかし、この時、悪賢いドエグは自分の舌で直接ダビデを攻撃したりはしません。ダビデへの嫉妬でおかしくなっているサウル王の嫉妬心に火をつけようと、サウル王に密告することで、サウル王の権力を用いて、ダビデを窮地に陥れようとしたのです。社会の権力争いでは、このような権謀術数がよく行われています。
 神の民を攻撃する者は、権力者の力を借りてきて、神の民を倒そうとするのです。直接的な中傷や悪口を浴びせることよりはるかに、破滅を図ることができるのです。まさに、悪者の舌は、鋭い刃物に変わって、多くの神の民を倒すようになるのです。サウル王は、ダビデに対する猜疑心のために、精神的な病気になっていました。そこに祭司がダビデを助けたと密告するのは、まるで火に油を注ぐようなものだったのです。妬みや猜疑心は、サタンにつけいれられます。私たちも気をつけなければなりません。
 この事件は、何からの立場に立ち力を持っている人は、私的な訴えを簡単に受け入れてはならなということを教えています。力があり、責任がある者こそ、正しい原理に立たなければなりません。私たちは、自分の肉の思いで判断するのでなく、御言葉の原理、主の御心に判断の基をおいて、人の言葉を聞かなければなりません。バプテスマのヨハネが殺されたのも、ヘロデ王の権力が王妃ヘロデヤの陰謀によって使われたからです。
 とにかく、悪知恵の働くドエグのような者の舌は、「欺きの舌」であり、「ごまかしのことば」を使っています。ドエグの陰謀によって祭司たちを死なせてしまったサウル王は、ますます状態が悪くなりました。サウル王のためにも祭司たちは働き、彼のためにもいけにえをささげ、罪の赦しのとりなしをし、治癒のための祈りをしていた人々でした。その人々がいなくなって、ますます、王は罪に翻弄され、妬みと疑心に振り回され、悪政を行い、結局ペリシテ人に敗北するしかないようになりました。Tサムエル31:1〜6。人は、富や権力のために、人々との争いのために「欺きの舌、ごまかしのことば」を用います。陰謀術数によって一時的な世での成功を手にします。

V−根こそぎにされる者と生い茂る者−5〜9
 このエドグのような者は、まさにサタンの手下です。サタンの使いである蛇が人類の祖先を罪に落したように、ドエグは蛇のような舌を使って陰謀のめぐらし、サウル王の権力を用いて祭司たちを惨殺し、ダビデを窮地に陥れたのです。しかし、神様は、人類を罪に陥れた蛇に「女の子孫が蛇の頭を砕く」言われました。この女の子孫とは、イエス様のことです。イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかり、舌禍から私たちを守り、悪をなす者を退けられます。
 悪賢いドエグの成功も、あっという間に崩れてしまいます。5,7節。ドエグのような人の特徴は、神に頼らないで富により頼み、自分の悪知恵に頼りました。結果、サウルの王権がなくなれば、サウルの権力を使っていたエドグも力が振るえなくなります。一時期は成功したかのように見えて、結局は砕かれ、根こぎにされるのです。罪と肉の原理に立って、神様に背を向けているなら、権謀術数を駆使して、一時期成功したかのように見えても、その罪のゆえに倒れてしまうのです。ローマ8:6〜7。
 一方、イエス様を信じる者は、神様の恵みに拠り頼みます。8〜9節。一時的な状況に揺さぶられることなく、世々限りなく、ずっと拠り頼み続けます。私たちは、状況の変化で右往左往したり、神様への信頼が薄れたりしたら、祝福と平安は得られません。本当に世で成功しようとするなら、神様の祝福をいただかなければなりません。神様を自分の味方にするには、御言葉に生きるほかありません。御霊の原理で生きることです。ローマ8:2。
 当初は、悪者が勝っているように見えます。しかし、悪者が戦う相手は、神様です。「神が私たちの味方である」ので、愛と守りを受けます。ローマ8:31。イエス様を信じる者は、福音の恵みで生きることができます。その人生は、まるで地に深く根をおろしたオリーブの木のようです。生ける神の御言葉に潤され、生かされます。一時的な損な不利な状況に振り回されず、神様から力と祝福を待ち望みながら歩みます。ホセア12:6。



詩篇< 52 > 指揮者のために。ダビデのマスキール。エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た」と言ったときに
52:1 なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは、いつも、あるのだ。
52:2 欺く者よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。
52:3 おまえは、善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している。 セラ
52:4 欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。
52:5 それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、おまえを幕屋から引き抜かれる。こうして、生ける者の地から、おまえを根こぎにされる。 セラ
52:6 正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。
52:7 「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
52:8 しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。
52:9 私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。



Tサムエル22:9 すると、サウルの家来のそばに立っていたエドム人ドエグが答えて言った。「私は、エッサイの子が、ノブのアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。
22:17〜19 ・・・しかし王の家来たちは、【主】の祭司たちに手を出して撃ちかかろうとはしなかった。・・・そこでエドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかった。・・・

Tサムエル22:22 ダビデはエブヤタルに言った。「私はあの日、エドム人ドエグがあそこにいたので、あれがきっとサウルに知らせると思っていた。私が、あなたの父の家の者全部の死を引き起こしたのだ。

詩篇94:14 まことに、【主】は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

マタイ15:18 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
15:19 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。

創世記3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

ホセア12:6 あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

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