2013年6月23日「嘆き、うめきを聞いてくださる神」詩篇55:1-23

序−この詩は、アブシャロムの反乱が背景になっているようです。Uサムエル15〜18章。信じていた息子や家来たちが陰謀をめぐらし、こぞってダビデに反逆した事件でした。ダビデの人生おいてもっとも衝撃を与えたものでした。詩人のようにそれまで考えたことも経験したこともない未曾有の出来事に接したなら、その時私たちの心はどうなってしまうのでしょうか。

T−心情の激白 襲撃での苦しみと逃避願望−1〜8 
 ダビデ王は、生涯幾多の戦争や事件を経験した人でした。しかし、家族や家臣たちの暴動や背信というのはありませんでした。ダビデは、同僚たちを信頼し、家来たちを信じていました。その忠実な働きがあって、王国が築かれ、繁栄することができました。息子と家来たちによる謀反は、ダビデにとってどれほど衝撃だったことでしょうか。学校や職場、家族等親しい者がこぞって敵対して来る、そんな衝撃的な事件です。
 もう苦しくて辛くて、悲しくてどうしようもなく、神様に訴えています。1〜3節。「私の祈りに耳を傾け、私の切なる願いにすぐに答えてください。」と苦しい心で懇願しています。今まで、経験したことも、考えたこともないことに出会ったら、どうでしょう。突然大きな事件や病い、困難に出会ったら、私たちも「苦しんで、心にうめき、泣きわめ」くでしょう
 これまでは、彼らは、ダビデの良い家来、友人たちでした。ところが、ある日彼らは、こぞって敵になり、狂ったように暴れまわり、エルサレムを暴動騒乱の渦にしました。外部からの敵ならば、城の門を固く閉ざして、防備を固め、持ちこたえるでしょう。ところが、信じていた息子や家来たち内部の者が反乱を起こしたので、エルサレムを守ることができませんでした。誰が敵か味方か分からない騒乱状態となりました。
 暴動は、人の心にある狂気のあらわれだと言われます。人は、罪ばかりでなく神様から与えられた品性もありますから、それによって互いに礼儀を保ち、正しく生きることができます。偉大な美しい生き方をする人も出て来ます。ところが、罪が中心となり、サタンに囚われるようになると、人は狂うようになります。ローマ8:5〜6。理由もなく、流されて暴動や騒ぎに加わるようになります。昨今のニュースでも見聞きすることです。
 ダビデにとっては、反乱軍に加わり、暴動を起こしている者たちが、信じていた家来たち、友人たち、そして息子だったから、大きな衝撃です。4〜5節。彼の心情は、恐れおののき、死の恐怖におそわれました。なぜ、それほどまでになったのでしょうか。人々の狂気を見たからです。部下や友人たちの自尊心や分別など微塵も見られなかったからです。
 人が時として何かのこと、大声で文句を言い、恫喝し、騒ぎたてることがあります。突然目の前にあらわれ、狂ったように責めたて、悪口雑言を浴びせる知人や友人を見たら、衝撃を受けます。罪の姿丸出しの姿、人がこれほどになるのかという姿を見て、ただ恐ろしくて、悲しくて、辛くなります。それが、一人や二人でなく、こぞって責めたてて来る状況となったら、私たちの心情はどうなるでしょうか。
 ダビデは、一刻も早くこの狂乱の渦の中から抜け出したいと願いました。6~8節。責任を追及され、一方的な攻撃を受け、友人や同僚からこぞって責められ、その場にいるのも辛い。人は、そんな時、すぐにでもそこから逃げ出したい、どこかへ飛び去りたいという心境になります。命の危険もありました。親族間での争い、職場の紛争、友人間での仲たがいを見たら、あまりに落胆して、もうそこには居たたまれなくなるでしょう。そんな渦中にあって、責め苛まれたら、遠くへ飛んで行きたくなるでしょう。知り合いや近所の人から謂れの無いことで責められられたなら、どんなに人生が苦しくなることでしょうか。主に知っていただくことです。ピリピ4:6~7。

U−状況の訴え 暴動と友の背信−9〜16 
 詩人は、苦しみ泣き叫ぶしかないようになったその状況について、神様に訴え、知らせています。9〜11節。暴動は火のように広がり、エルサレム中が狂乱の渦の中にありました。「暴虐と争い、罪悪と害毒、虐待と詐欺、破滅」に満ちていたというのです。どんなにひどい状況だったことでしょうか。エルサレムでは、暴徒たちは城壁の上をうろつきながら、報復する者たちを捜し出して、捕まえ、殺していたようです。今日の暴動や内乱状態にある地域、国々からも、そのような惨状が知らされています。
 どうしてエルサレムがあっという間に、このような惨状になってしまったのでしょうか。しかし、このようなことが一瞬になることではないと知らされます。エルサレムの罪悪が、すでにある水準を超えていたからです。ただ、ダビデ王や指導者たちが、それを看破できなかっただけです。エルサレムが外部の敵から攻められる時は、王も家来も住民も一致団結して悔い改め、祈り、神様の大きな救いに与って来ました。しかし、久しく外敵はなく、エルサレムの内には罪が蔓延していたのです。無限ループの沈滞期、「〜間穏やかであった。すると民は悪を行った」とうように、なっていたのです。士師記3:11〜12。サタンが暗躍します。
 王国が確立し、外敵もなくなり、繁栄して行った時、ダビデ自身も罪を犯し、その家庭にも罪が横行し、ひどい状態となりました。神の民の都が、罪と悪と戦うことのないただの都市になっていたのです。ダビデが霊的指導者としての責を果たしていなかったことも原因でした。ダビデが罪悪の処理をしっかりしていなかったために、家族も家来も、霊的水準が落ち、御言葉のたがが外れていたのです。その影響をまともに受けたのが、ダビデの息子で、謀反の中心人物となったアブシャロムでした。
 ですから、私たちは、うまく行っている時、問題があまりからと油断してはなりません。得てして、信仰は形骸化し、自分勝手なものとなり、サタンの付け入るところとなってしまいます。御言葉に聞き従い、御霊の原理で生きるのでなければ、私たちは罪と肉の原理に生きる者となります。教会は、聖徒たちは御言葉の真理で一つとなることができます。
 ダビデの心を最も痛めつけたのは、この反乱の中心が、すべて彼の親しい者、友人たちであったということです。12~15節。仲良く語り合っていた「私の同輩、私の友、私の親友」とうような人々が、どうしてダビデを裏切るようになったのでしょうか。ダビデに仕えていた時から考えが違っていたが、活躍している間は、一応従うほか無かったかもしれません。あるいは、時が経つに連れて、考え方が違って来たのかもしれません。どちらにしても、ダビデが霊的に沈滞して来て、優秀な息子が反発をし始めると、その息子を新しい王に担ぎ上げて、反乱を起こしたのです。
 おそらく、家来たちが人間的考えで政治を行おうとしたが、間違いは犯すもの神様に従って国を治めて行こうとするダビデとの間に食い違いが出て来たということでしょう。クリスチャンの間でも、人の思い人の分別を神様の御旨や聖書の原理より優先して、信仰生活をしようとする人がいます。工事中ながらも御言葉中心に生きようとする人々と食い違いが生じるようになります。神の民の成功の元は、世の成功とは違い、御言葉にあります。ダビデは、自分が悔い改めるだけでなく、もっと明らかに神様の原理を人々に教えなければなりませんでした。

V−聞いてくださる神様−16〜23
 未曾有の苦しみ、悲しみの中から、呻き、泣き叫んで訴えるダビデに対して、神様は平安と確信を与えてくださいます。16〜17節。この詩人の姿、反乱渦中で祈るダビデの姿に注目しましょう。日々一日中「私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」という確信が得られました。ショックで苦しくて悲しい時の祈りは、ただ呻き、嘆くばかりです。でも、神様の御声を求めて嘆きうめくなら、神様は耳を傾けてくださり、絶望の泥沼から引き上げてくださいます。詩篇40:1〜3。
 心は絶望状態から引き上げられ、希望が見えて来ます。18〜21節。敵対する勢力は、今まで自分を支えてくれた優秀な部下たちで、知恵も力もある者たちでした。形成が反乱軍有利となれば、そちらに組する者は増えます。とりわけ、参謀のような議官アヒトフエルが、アブシャロム側に加わると、急増しました。Uサムエル15:12,16:23。ダビデにとって大打撃でした。しかし、嘆いてわめいて祈る内に、「敵の挑戦から贖い出してくださる」と宣言するようになりました。私たちは、イエス様の十字架によって救われ、滅びから贖い出された者です。ローマ8:30〜31。
 さらに事件の解決を確信し、神様に信頼して歩む信仰告白へと進みます。22〜23節。問題の解決の鍵は神様です。反乱軍がどんなに羽振りを利かせても、神様を恐れない彼らは、神様に反乱した者です。その栄華もつかの間です。アブシャロムは馬に乗ってダビデ追撃中、木に引っかかって死にます。Uサムエル18:9。一方、どんなに絶望状態だとしても、神様に信頼し祈る者は、滅びの穴から引き上げられます。ピリピ4:6~7。
 22節は、すべて苦難の中で神様により頼む者を励ましています。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」心配は空しいだけです。私たちの思い煩いをいっさい神に委ねましょう。Tペテロ5:7。イエス様の救いに与りましょう。マタイ11:28。「委ねる」とは、「投げる」という意味です。思い煩いや心配を投げ出すことは、神様の摂理と約束を信頼し続けることです。それが、私たちを神の御翼の中に運び、恐れや不安から引き離し、問題で揺るがなくさせるのです。Uコリント4:8〜9。



詩篇< 55 > 指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール
55:1 神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。
55:2 私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
55:3 それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
55:4 私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。
55:5 恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。
55:6 そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。
55:7 ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。 セラ
55:8 あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」
55:9 主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。私はこの町の中に暴虐と争いを見ています。
55:10 彼らは昼も夜も、町の城壁の上を歩き回り、町の真ん中には、罪悪と害毒があります。
55:11 破滅は町の真ん中にあり、虐待と詐欺とは、その市場から離れません。
55:12 まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
55:13 そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
55:14 私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。
55:15 死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。
55:16 私が、神に呼ばわると、【主】は私を救ってくださる。
55:17 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。
55:18 主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに贖い出してくださる。私と争う者が多いから。
55:19 神は聞き、彼らを悩まされる。昔から王座に着いている者をも。 セラ彼らは改めず、彼らは神を恐れない。
55:20 彼は、自分の親しい者にまで手を伸ばし、自分の誓約を破った。
55:21 彼の口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。彼のことばは、油よりも柔らかいが、それは抜き身の剣である。
55:22 あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
55:23 しかし、神よ。あなたは彼らを、滅びの穴に落とされましょう。血を流す者と欺く者どもは、おのれの日数の半ばも生きながらえないでしょう。けれども、私は、あなたに拠り頼みます。



ローマ8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。


ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

詩篇40:1 私は切なる思いで【主】を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、【主】に信頼しよう。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

Tペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

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