2013年7月21日「生ける望みを持つようにして」Tペテロ1:3〜5

序−この手紙を受け取った人々は、イエス様を信じて新しい望みを持った人たちでしたが、苦難が続いて、霊的沈滞に陥ろうとしていました。絶望が長く続くと、笑いを忘れ、病気になってしまいます。原因は、苦難ではありませんでした。自分たちの姿を見失っていたからです。手紙を書いたペテロは、それを見させようとします。

T−生ける望みを持つように−3
 ペテロは、落胆している小アジヤ地方の聖徒たちに対して、神様を賛美することから始めています。3節。えっ?落胆している人の前でどのように賛美することができるのでしょうか。困難の中にある人の前で一緒に嘆いたほうが慰めを与えられるのでは、と思います。そういう心情の分からないペテロなのでしょうか。
 ペテロだって、自分たちの望みであったイエス様が捕まり、十字架につけられたという悲惨や絶望を体験しています。イエス様が処刑された時は、すべての望みがついえたからです。「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白していたペテロですが、イエス様が捕まった時、ペテロは、イエス様を三度も「知らない」と否定していまいました。イエス様に望みをおいていた自分の人生は、徹底的に踏みにじられました。私たちも、問題に出会ったり、体の弱さを覚えたり、思うように事が進まないと、霊的沈滞に陥り、落胆し、憂鬱になります。
 しかし、ペテロたちに喜びが回復することになります。神様は、「イエス様を死者の中からよみがえらせることによって、生ける望みを持つようにさせてくださいました。」望みが一度は徹底的に砕かれてしまったけれども、イエス様を死からよみがえらせて、栄光の望みを与えてくだったのです。そして、聖霊を受けた主の弟子として、ペテロは、以前とは比べようも無い信仰の人となりました。
 なぜ、イエス様は苦難を受けなければならなかったのでしょう。なぜ、イエス様は十字架刑にかけらたのでしょう。それは、私たちの罪と滅びののためでした。イエス様の悲惨な身代わりの死によって、私たちは救われたのです。私たちが神様を賛美しなければならない理由がここにあります。イエス様の救いのゆえに、もう滅びや絶望の中にいるのではなく、神様の素晴しい祝福の中にいるからです。私たちは今苦難に喘いでいるとしても、神様のもの素晴しい祝福の中にいます。苦難にあっていても、世の人々が望みなく苦しみもがいているのとは、根本的に違うのです。私たちがイエス様の救いを受けてから、私たちがどういう状態であろうと、私たちの存在自体が祝福であり、奇跡であることを知らなければなりません。
 ペテロは今手紙を通して、苦難と憂鬱で喜びと笑いが失われてしまった人々の前で賛美しながら、「皆さん、私は皆さんよりもっとひどい挫折を味わい、落胆しました。しかし、イエス様のよみがえりによって、素晴しい神様の祝福と御力を受けたのです」と、証ししているのです。人が挫折を経験する理由は、自分の存在の意味が分からなくなるからです。しかし、私たちははっきりしています。神様の愛される子どもとして、救われたイエス様の弟子として、主の栄光をあらわして生きることができるのです。
 クリスチャンが挫折する理由は何でしょう。信仰を持っているのに、世の人よりうまく生きることができないためです。神様は私たちに必要なことは与えることがおできるのに、私たちの方が信仰でそれを受けていないのです。私たちは、イエス様の十字架の救いによって「新しく生まれ変わった者」です。滅びを免れ、神様の栄光を受ける者となっているのです。私たちが沈滞する理由は、この自分の貴い身分を忘れてしまうからです。尊い存在である私たちは、悲惨な状況の中にあっても、神様の子どもとしの品性を失うことはできません。これが、私たちの力、祝福です。

U−恵みを受け継ぐ−4
 救われて神様の子どもとされた私たちは、イエス様を信じたと同時に、神様から身分だけでなく、消えることのない資産をいただきました。4節。まず、私たちの新しくされた命、たましいです。私たちのたましいは、世のどんな宝や学識や権力で買うことのできない貴重で高価なものです。イエス様が世に来られたのは、私たちの死んだたましいが生きるようになるためでした。たましいが死んでいるなら、自分が誰か分からないでしょう。しかし、私たちに御霊が注がれたならば、私たちは自分が誰か分かるようになりました。高価で尊い、神様の子どもです。イザヤ43:4。
 私たちは、誰ですか。救われる以前はサタンの奴隷でしたが、救われた今は神様の愛する息子、娘とされました。私たちは、神様から無尽蔵の祝福を受けるようになりました。私たちの体も宝となりました。私たちの体は、過去に欲と罪の奴隷、サタンのしもべでした。そんな体が神様を賛美するのに用いられるなんて奇跡です。人を悪く言った口で人を祝福するなんて奇跡です。御霊の宿るこの体に、そのような福音の力があらわれるようになるのです。エペソ1:18〜19。私たちは、この宝を自分の体という土の器に入れているのです。Uコリント4:7〜9。
 私たちは弱くてもいいのです。落胆する必要はありません。私たちが信仰で苦難に打ち勝つのは、神様からその力が出ているのです。私たちは、多くの苦難と逆境の中でも、信仰でもって人生を生きて行けるのです。大過なく平安な時より、苦難の時の方が神様に祈りで繋がり、聖霊に満たされて、数段素晴しく生きることができます。労苦や涙にも報いがあります。
 イエス様に救われているということは、なくならない資産を与えられていることです。コロサイ1:5。不安や恐れを考えなくてよいのです。人が世で楽しんで頼りにしているものは、一時的でなくなるものです。しかし、私たちが信仰で生きるなら、枯れることのない多くの祝福を受けます。エペソ1:11〜12,18〜19。救われた私たちが、救ってくださった神様をほめたたえると、私たちの霊の目がはっきり見えるようになって、救いによって与えられている望みがどれほどのものか、相続している栄光がどれほどのものか、知るようになるのです。

V−クリスチャンの守り−5
 人は、これから先のことについて心配や憂いを持ちます。今のことがどうなるか不安になり、心配します。クリスチャンでも、しばしば状況が厳しくなると、この先もっと困難で悲惨になって、到底生きることができなくなるのではないかと悲観するのです。しかし、神様は私たちを終わりまで守ってくださって、保護してくださると約束されています。5節。
 この世で生きるということは、荒野を旅するようなものです。どんなに知恵や力があっても、進む先のことは分かりません。いつ地震が起こるか、いつ災害が襲って来るか、いつ問題が生じるか分かりません。でも、イエス様にある救いは、世の終わりに完成するまで続いています。ピリピ1:6。イエス様の救いを受けたということは、その奇跡は今も続いています。私たちのすべてのことは、イエス様が責任をとってくださいます。自分を取り巻く状況がどんなであっても、神様が選び、救ってくださった者は、終わりまで守られます。
 自分で頑張っていたペテロ、イエス様が捕まえられた晩、小麦を篩うように、ペテロのたましいをサタンが篩いました。イエス様のことを三度否定させ、ペテロを倒そうとしました。しかし、イエス様は、ペテロのために祈ったと言われました。ルカ22:32。私たちは、自分自身を信じることができなくても、主は私たちを決して手放しません。今も、イエス様は今も天の御座において、私たちのために祈っておられます。ヘブル7:25。
 ですから、この世のどんな苦難も迫害も、私たちを主イエス様の愛から引き離すことはできません。ローマ8:35,39。苦難を経験した聖徒はすでに違います。苦難を通してもっとイエス様につながって行ったペテロは変えられました。パウロも弱さのうちに主の力が働くことを体験しました。救いは私たちの努力にかかっているのではなく、神様の愛とあわれみにかかっています。自分の力で生きようとすればするほど、不安や恐れは増大します。苦難に耐えることはできません。私たちは弱い者であり、力のない者です。でも、神様の力が私たちを守ってくださるのです。エペソ1:19。
 私たちには、驚くべき望みがあります。天国へ召されるまで、主とともに生き、主に似た者と造り変えられ、主に用いられて、主の栄光をあらわして生きることです。イエス様に救われていること自体が奇跡です。その奇跡は、私たちを新しい命に生きて素晴しく生きるように導いています。私たちには、苦難の中でも、弱さの中でも救われた恵みで生きていける望みがあります。神様は引き続き私たちに祝福を注いでくださいます。神様は、私たちを滅びから救い、栄光の中に生きるようにしてくださいました。
 −宗教改革のルターは、欝的な体質を持った人でした。ある時落ち込みが激しく、部屋の隅で頭をかかえて座り込んでいました。妻のカテリーナが喪服を着てあらわれました。「誰か亡くなったのか」とルターが聞くと、「あなたの一番大切な方、キリストが亡くなられたのでもなければ、あなたがそんなにふさぎ込むことはないでしょう」と、妻は答えました。彼女の言葉にルターは、落ち込みから解放され、我に返りました。−「イエス様のよみがえりによって、私たちに生ける望みが与えられました」私たちも我に返り、イエス様の救いにある望みを取り戻します。ピリピ1:6。



Tペテロ
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
1:4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。
1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。



マタイ16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

コロサイ1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

エペソ1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

ルカ22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

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