2013年8月25日「御言葉による成長」Tペテロ2:1〜3

序−私たちは新しく生まれた者です。私たちは、イエス様を信じて生まれ変わったのに、モーセやエリヤのように力ある人生を生きることはできないのでしょうか。新しく生まれた者は、成長しなければ、霊的な子どものままです。どうしたら成長できるのでしょうか。単純明快に教えています。

T−御言葉を食べることができない時出て来る現象−1
 今日、多くの教会において御言葉の養育がありません。聖徒たちは、たましいに必要な糧を供給されないでいます。その信仰生活は、霊的成長がなく、不健康な状態にならざるを得ません。1節。人は、食事を取らないと、体に偏重を来たし、病気が生じて来ます。イエス様を信じて生まれ変わったにもかかわらず、神様の生ける御言葉を食べないと、とても健康な生活ができません。心に喜びがなく、恨みや不満が多くなります。
 どんな現象が出て来るのでしょう。「悪意、ごまかし、偽善やねたみ、悪口」が生じて来ます。残念ながら、私たちにもしばしば生じるものです。私たちは、自分の中にそれらが生じているのを、主の前にそのままにしておくわけにはいきません。「捨てよ」と命じられています。ヤコブ1:21。
 イエス様を信じた私たちは、主の幼子です。幼子は、そのままでは成長できません。ですから、イエス様を信じた人は、私たちは、年を取っているとしても、霊的な幼子であることを認めなければなりません。しばしば肉的な考えが入って来て、人に対して恨みや不満が生じる時、御言葉を食べていないことを知る必要があります。人は誰でも、お腹がすけば、つまらないことで怒り、戦うようになるのと同じです。
 クリスチャンの困難は、神様の御言葉を心に聞くことができない場合があることです。聞いても、世のことで流されてしまう心配があります。大抵の問題は、神様の豊かな御言葉を聞くだけでも、解決へ向かって行くものですが、御言葉が心になく、霊的状態が良くないと、不安や否定的思いにとらわれます。攻撃的になり易いです。私たちが御霊に満たされていなければ、人の欠点が目に付き、不満を覚えるようになります。御霊に満たされるならば、欠点も気にならず、理解するようになります。
 イエス様がシェバの女王を絶賛していますが、それは、女王が問題をもって遠い南の地からソロモン王を尋ねて来て、神様の御言葉を聞いたからです。ルカ11:31。イエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と言われました。マタイ4:4。私たちは、これを信じなければなりません。マグダラのマリヤは、七つの悪霊につかれていた人でしたが、イエス様の御言葉で悪霊を追い出していただいた後では、誰よりも純粋で美しい心を持つようになりました。
 私たちが生まれ変わったのは、イエス様の十字架による救いという福音の御言葉です。Tペテロ1:23。私たちが神様の御言葉を食べて生きる者であるなら、御言葉があれば、絶対に飢えて死ぬことはありません。反対に、御言葉を食べなければ、私たちは衰えて、病んで死んでしまいます。

U−純粋な、みことばの乳−2 
 赤ちゃんが世に生まれ出て来た時、必ず必要なものは、良いミルクを飲んで、育つことです。新しく生まれた私たちも、同じです。2節。ですから、生まれ変わった者に必要なことは、純粋な御言葉の乳です。御言葉の乳ということは、他のものではなく、これがなければ生きていけないということです。私たちが本当に生まれ変わった者であるなら、私たちにとって無くてはならない本当に必要なものは、御言葉だということです。
 「純粋な」ということは、他の不純物が混じっていないということです。もし、乳に別なものが混じっていたら、赤ちゃんは病気になってしまいます。特に初乳と言われる母乳は、栄養価が高く、病原菌に打ち勝つ成分が入っているそうです。ですから、できるだけ早い時期に純粋な御言葉で養育される必要があります。なぜなら、御言葉を聞いて食べることがなければ、罪に打ち勝つことができず、霊的に成長することができないからです。
 私たちは、健康に気遣い、様々な健康に良いという物を食べたり、飲んだりしています。なぜ、たましいのために栄養価の高い、なくてはならない御言葉の乳を飲まないでのでしょう。今日、私たちはいつでもどこでも多くの御言葉を飲むことができます。聞き流しているのであれば、薄めたミルクを飲むようなものです。御言葉をしっかりつかんで、心に入れて、従って行く時、血となり肉となります。内側から健康になります。
 では、どうして御言葉に不純物が入って行くのでしょうか。大きな理由は、欲心です。御言葉に別な味をつけて、世のものを混ぜて食べようとするのです。そうすると、食べることは食べるのですが、一向に成長しないのです。世の価値観や肉の思いが混ぜられ、曲げられ、御言葉は力のないものといなり、神様の生ける御言葉でなくなるのです。Uコリント4:2。初代教会の時代、キリスト教をおいしく見せようとギリシャ哲学を混ぜて、教えました。しかし、不純物を食べていた人々は、多くの試練を打ち勝つことができませんでした。現代の自由主義神学も、それと同じです。
 信仰においては、基礎や土台が丈夫であることが重要です。イエス様は御言葉を行う者は、岩の上に家を建てるようだと言われました。マタイ7:24。世が急速に変化し、流れて行く今日、もっと信仰の基礎をしっかりしなければなりません。日本の教会の成長がないのは、どこにあるのでしょうか。御言葉の基礎に建てないで、砂の上に建てているからです。新しく生まれた私たちが止めることは、「悪意、ごまかし、偽善やねたみ、悪口」で、始めるべきことは、純粋な御言葉を食べて生きることです。
 「御言葉の乳」と訳されている言葉は、原文的には「論理的、合理的な御言葉」という意味です。理解できないことではなく、吸収できるということです。宗教改革者がまずしたことは、ラテン語しかなかった聖書を自国語に翻訳して、人々が読んで理解できるようにしたことです。御言葉を理解できなければ、どんなに聞いたとしてもしようがありません。何よりも、御言葉は自分自身に適用して理解できるようになります。
 誰かに対する言葉として聞くならば、どんな聞いても吸収されません。御言葉は、理解して、発見して、従ってみて、たましいの糧となり、人を成長させます。成長しなければ、霊的病いに陥ります。ヤコブ2:17。人が新しく生まれ変わったことをどうして知ることができるのでしょうか。本当に新生した者は、必ず御言葉を「慕い求める」ようになります。

V−霊的成長−2b〜3
 純粋な御言葉の乳を飲むならば、「成長して救いを得る」と教えていますか。2節後半。人はずっと乳を飲んでいるわけではなく、ある程度育てば、普通の食物を食べられるようになります。私たちの信仰の成長も段階があるようです。人は、幼子、少年、青年、成人、と成長していきます。信仰にも、成長段階があります。Tヨハネ2:12~14。まず、信仰の幼子は、とにかく御言葉食べて育つことが本業です。ところが、多くの人が御言葉を食べずに、ずっと幼子のままということがあります。しばしば、悪意やごまかし、妬みや悪口が生じるようになります。御言葉の養育が必要です。
 信仰の少年は、ビジョンがあります。御言葉によって夢を見ます。救われて、罪赦されたことを確信します。この時期神様に対する熱心があらわれ、御言葉の訓練が与えられることが必要です。この時期固い御言葉もしっかり食べて成長しなければ、信仰が変質してしまうでしょう。
 信仰の青年は、対決と働きの時期です。成長した若い時は、サタンの攻撃、誘惑と対決して、打ち勝つことができる時期です。様々な試練による訓練も受け、さらに成長します。主のために働くことができるようになります。そして、壮年、老年になれば、信仰は成熟して、学び体験したことを若い世代に教え、伝えて、次の世代に役立つことをして行く時期です。
 それぞれの段階もクリスチャンとして美しいものです。私たちは、自分がどの時期に該当するか、考えてみましょう。必要なことが分かって来ます。私たちが新しく生まれたならば、とにかく御言葉を食べて、成長することが主眼です。しかし、成長して行くならば、他の人のためにすべてのことをするようになります。以前学んだヨハネの手紙は、老年のヨハネが若い人々にイエス様の愛に生きるように教えていました。
 そうして、私たちが御言葉を食べて行くなら、神様の慈愛を味わうようになります。3節。私たちがすでに神様の慈愛を十分に味わっていると言っています。詩篇107:1。幼子の時、食べさせて、服を着させて、体を洗ってもらって、母の愛を体験します。親の愛は、成人となるまで中断することはありません。同様に、神様は私たちがイエス様を信じた時から、私たちをご自分の子どもとしてくださり、見捨てることはしません。むしろ幼子の母以上に、私たちを世話し、守ってくださるお方です。
 そうであるなら、私たちは神の御前でどのように生きなければなりませんか。徹底して神様を信頼して、御言葉を食べて生きることです。中には、御言葉だけ食べていて、世の中で生きて行けるかと不安になる人がいます。逆です。私たち新しく生まれた者が御言葉を食べなければ、病気になり、成長できません。御言葉で成長してこそ、神の栄光をあらわし、世で活躍することができます。「すでに主の慈しみを味わっている」のだから、心配するなということです。イエス様の「慈しみ」は、ご自分の命を十字架にかけてまで私たちを愛して下さったほどのものです。Uペテロ3:18。



Tペテロ
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。


ヤコブ1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

マタイ7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

Uコリント4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

詩篇107:1 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

Uペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

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