2013年12月8日「思い煩いを神にゆだねなさい」Tペテロ5:7〜14

序−13節にローマの教会の聖徒たちのことを「バビロンにいる」と言っていますが、まさに教会は捕囚の地で生きているようだと言っているのです。手紙の終わりにおいて、苦難の中にある聖徒たちに、信仰の勝利があることを確信させています。

T−人生の思い荷物を委ねさい−7
 苦労して天下を手にした徳川家康は「人の一生は、重荷を背負って遠き道を行くがごとし」と言いましたが、確かに、私たちは重い荷物背負って人生を生きて行きます。学生の頃は勉強や友達、進路について悩み、成長して家庭や仕事の責任を負い、人生について思い惑います。それは、あたかも重い荷物のようになって行きます。私たちは、あれこれの過去の重い荷物を背負っています。惨めな失敗した不幸な記憶を背負っており、心の傷となって、心痛めながら生きているのです。
 そういう過去に経験したことを一つ残らず心の中に積み上げていますが、加えて、心配という未来への重い荷物も背負って生きていきます。だれも背負う荷が重くない人はいないでしょう。御言葉は「思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」というのです。7節。原語では、「思い煩い」は「心配で心が分かれる」という意味であり、「ゆだねる」は「投げてしまう」という意味です。投げてしまったのだからくずくず考え込まないということです。背負っていた重い荷を投げ下ろしてしまうなら、どれほど肩が軽くなることでしょうか。聖書は、重い荷を降ろすことができると言っているのです。詩篇55:22。
 最も重要なことは、自分の罪の重荷をおろすことができるということです。イエス様の十字架におろすことができます。自分の罪の赦しと救いのためにイエス様が十字架にかかってくださったと信じるなら、罪の自分が十字架に釘付けされたことになり、古い自分が死んだ以上もう罪の重荷はないのです。ガラテヤ220,5:24。しかし、私たちは過去の傷を受けているため、痛んだ感情の重荷があります。過去の恥ずかしい罪の記憶があります。イエス様を信じているなら、それらすべてをイエス様の前に降ろしてしまうことです。神様の御前で悔い改めて、告白するなら、重い荷はすべておろされます。そして、傷ついた過去の感情が少しずつ癒されていくのです。
 未来の心配は、神様にゆだねなければなりません。マタイ6:25-34。私たちが神様を信頼して行くなら、神様が責任を取ってくださると言っています。私たちの思い煩いを神様にゆだねるなら、どうなるでしょう。「あなたがたのことを心配してくださる」と約束されています。「心配して」とは、「関心をもって、気にかけて」くださるという意味です。感謝なことです。
 また、私たちは人々の期待に応えようと、認められようと、自分に過度の重荷を背負わせるようになります。なし得る範囲だけ負えばいいのです。神様は、私たちの人生を導いてくださるお方です。途中では、なぜ自分はこのことをしなければならないのか、どうしてここにいるのか分からないのですが、あとで分かるようになります。自分の人生の設計図を思い描くならば、神様の導きを求めて描き、祈って、ゆだねることです。ゆだねるというのは、荷を投げるように任せることです。Tペテロ4:19。
 神様が私たちに願うことは、私たち自身を神様に任せることです。苦難が来る時、できないことは早く認めさせるようになります。神様にゆだねたことはお任せして、自分にできることは最善を尽くし、あれこれ逡巡しないことです。もし私たちがすべての思い煩いを神様にゆだねることができないなら、自分の人生を自分ですべて責任を負わなければなりません。大変なことです。困難の時危険なことは、神様を疑ったり恨んだりすることです。恨みや不平を言わないで、神様に感謝しようではありませんか。

U−クリスチャンとは−9
 クリスチャンには、人とは違うところがあります。イエス様を信じるということは、それまでの人生観とまったく違った価値観で生きるようになります。罪と欲の導くままに生きるのではなく、造り主神様に信頼して、御言葉に聞き従って生きるのです。神様を喜び、栄光をあらわすことが生きる目的となった者です。神様を知らないならば、人生をさまよい、迷信にしばられます。深刻なことは、サタンの手に捕らえて、罪の価値観で生きてしまいます。ですから、私たちは、一緒に集まって礼拝をささげ、サタンに打ち勝つ力と知恵を得なければなりません。9節。そうしないで、自分の肉の思いだけで進んでいくなら、実際はサタン支配され、引き回される人生となります。エペソ2:1〜3。
 では、どのようにして立ち向かうのでしょう。今私たちは、クリスチャンとしての恵みを受けようと集まっています。こうして集まって礼拝をささげること自体、サタンは敗北しているのです。集まって、賛美をささげ、祈り、御言葉を聞く時、すでに私たちのうちに神様の御力が臨んでいるからです。私たちが神様を固く握っている間は、サタンは何もすることができません。そこで、サタンは私たちが集まることができないようにしようとします。ヘブル10:25。
 本当の幸いは、神様から来るものです。私たちが信仰によって苦難に打ち勝ち、サタンの手から逃れて幸いに生きられるなら、その恵みを受けて、人々に分けてあげなければなりません。私たち人間に最も必要な恵みは、神様の赦しです。多くの人々が、人が自分にしたことを赦せないで、一生涯心傷を抱えており、心の病気にさえなります。迫害にあった人々もそうなる危険もあったでしょう。しかし、神様はイエス様の十字架を通して、本当の赦しを与えてくださいました。神様からの赦しを与えられることで、他の人の咎も赦すようにされるのです。
 私たちが世に生きていることの大切なことは、本当の自分の価値を取り戻すことです。人が世の価値観の中で生きて行くなら、自分の価値観を見失うようになります。マタイ16:26。たましいを生き返らせる御言葉が私たちに委ねられています。「同じ苦しみを通って来た」聖徒の証しが、励ましとなります。使徒ペテロ自身、感情的になる自分の弱さに働くサタンに手に落ちた経験があります。でも、イエス様に救われ、赦されたペテロは、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われたとおり、こうして苦難の中にある聖徒たちを励ましているのです。ルカ22:31〜32。イエス様の励ましを体験したペテロが他の聖徒たちを励ましたように、救われた私たちも、他の人々を励ますのに用いられようになります。
 イエス様を信じる人々にも弱いところがあります。私たちも罪を犯してしまう者ですが、罪は神様の御力を遮断してしまいます。私たちが神様を礼拝することで、私たちと神様との間に何の障害物もないようにしなければなりません。罪を悔い改めて神様に告白してしまうことです。

V−勝利した人生−8,10
 結局私たちが勝利するためには、サタンの手練手管に落ちてはいけないということです。戦いに勝つためには、敵の策略をよく知っていることです。私たちの敵が見えない敵なので、霊的まなこを開いていなければなりません。8節。私たちを食い尽くそうと歩き回る猛獣は、私たちのうちにある激しい欲望や自己中心、そして人に対する妬みと恨みの燃え盛る感情です。サタンは、そのような心に付け入り、罪をそそのかせるのです。
 サタンは、私たちの弱い部分を攻撃します。私たちには、弱点があります。お金に弱い人、人の声に弱い人、欲に弱い人、感情に弱い人もいます。疑いが多い人は、疑うようにそそのかされます。サタンは、私たちが神様を信頼しないように、疑うようにそそのかします。神様に従ったら、世で損をし、成功しないぞ、苦難に会うだけだと騙すのです。サタンは、私たちが人を憎み、怒らせるようにします。心傷つけられた人には、人を憎むようにそそのかします。憎んで当然だ、怒れとあおります。怒りを増幅させ、互いにかみつき、戦い、滅ぶようにさせるのです。そうしたい衝動に乗らないことがサタンに打ち勝つことになります。
 今日も、サタンはそれぞれに策略を変えてそそのかして来ます。たとえば、世を愛するようにさせます。世のことで思い煩わせ、茨の生えた心とさせて、御言葉を聞いても育つことができないようにさせるのです。このようなサタンの策略を倒すことのできる最も強力な方法は、神様の御言葉の宣言です。聖徒たちが御言葉を中心に集まるなら、神様の御力が守ってくださるので、サタンは勝つことができません。私たちが祈るなら、神様が聞いてくださり、守ってくださいます。
 確かに私たちの人生には、試練があります。けれども、それがすべてではありません。10節。神様は「しばらくの苦しみのあとで」私たちを「完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださ」るのです。私たちは苦難の渦中にあっては、長く続くように思うのですが、「しばらくの苦しみ」なのです。そして、苦しんだ者を「永遠の栄光の中に招き入れてくださ」います。神様の約束に信頼し、確信を持つのです。クリスチャンにあって試練は、むしろもっと強く堅固になる機会です。苦難は、私たちが栄光に入っていく門であり、私たちを「永遠の栄光に招き入れてくださる」過程です。Uコリント4:17。ただ、私たちは私たちの救い主イエス様を信じて救われた確信をにぎっていれば、良いのです。苦難を通して神様の愛と祝福を受ける聖徒となることを願います。アーメン!



Tペテロ
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
5:12 私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。
5:13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。
5:14 愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。



ガラテヤ5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

マタイ6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。

詩篇55:22 あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

ルカ22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

Uコリント4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

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