2014年2月23日「まず自分が、そして共に」士師記1:1-21

序−士師記は、イスラエル民族がカナンの地を占領して行く過程が記されています。士師時代は、今日の私たちの環境ととても似ています。戦争や占領ということは別にして、士師記を通して、私たちの信仰生活に関する具体的な導きを学んで行きます。

T−まず自分が、−1〜7
 士師記の時代は、モーセの後継者、「ヨシュアの死後」から始まっています。1節。偉大な指導者はいなくなったのに、約束の地カナンに入ったばかりで、ほとんど征服されておらず、周りには別の民族がいるという混乱の最中にありました。そこで、士師といわれる人々が登場しました。彼らは、英雄でもなければ、普通の人々であり、中には問題のある欠けや弱さを持った人々が士師となって用いられました。
 私たちも、世というカナンで神様を知らない人々に囲まれながら生きています。この世がクリスチャンの活躍で、福音によって征服されて行くことが士師記で教えている今日への適用です。教会はイエス様を信じて救われた者の集められたところです。欠けや弱さもある人々が御言葉によって養われ、造り変えられるところです。そういうクリスチャンがどう用いられて行くのか、士師記を通して学びます。
 ヨシュアの死後、これからこの地を征服して新しい自分たちの国を立てなければなりません。教会も同じです。神様から宣教の地が与えられ、救われるべき人々が備えられています。私たちが整えられ、用いられることによって神の国が立てられて行くのです。すでに、イエス様が十字架にかかられることによって、救いの福音が用意されています。この福音という武器を用いて世を征服して行くのです。
 1節。まず問題となったことは、どの部族が「最初に上って行って、カナン人と戦」うかということです。未知の世界、経験のないこと、困難が予想されること、自信のないことに関しては、誰でも最初に乗り出すのを躊躇します。私たちも経験することでしょう。各部族は、互いの顔色を伺いながら、留まっていたようです。それで、神様の導きを求めました。神様の導きは、「ユダが上って行かなければならない」ということでした。ヨシュアの時代に、もう彼らの割り立て地は決められていました。ヨシュア記14~19章。各部族それぞれ自分の割り当て地に向かって行けば、それでよかったはずです。しかし、誰も経験したことのないことであり、戦いの自信もありませんでした。誰か率先する者が必要でした。
 神様は、ユダが率先するようにと言われました。雪が多く降った道は、誰かがまず長靴で歩いて足跡を残し、その後を人々が歩き、細い道ができるようになります。誰も経験のないこと、誰しも嫌がることを、まず誰かが率先垂範して見せなければなりません。私たちも、そのような立場に立たされることがある時、どうしますか。
 12部族の中で信仰上長男的な立場にいたのが、ユダ部族でした。部族の始祖の中で信仰の祝福を継承したのもユダであり、勢力も多い有力な部族でした。創世記49:8。神様の決められたもの当然です。力や賜物がないわけではありません。でも。「わたしは、その地を彼の手に渡した」という神様の後ろ盾があって、率先して行くことができます。
 家庭や職場や学校において率先垂範しなければならない時、私たちにも、主は「わたしはともにいる」と言い、「あなたの手に渡した」と言ってくださいます。率先垂範の手本は、イエス様のところに来た百人隊長の信仰に見ることができます。マタイ8:8〜9。御言葉に素直に聞き従って行く姿です。「ただ、おことばを下さい。そのとおりにいたします」という信仰です。

U−そして共に−3〜11,16〜21
 神様が命じたということは、これがただ自分の居住地を得るためではなくて、神様から与えられた使命だということです。ですから、先駆けの使命を受けたユダ部族は、シメオン族も一緒に行こうと声をかけました。3節。シメオン族の割り当て地は、ユダ部族の中にありますから、一緒に戦うのは、効率的です。
 しかし、それだけではありません。ユダ部族は、イスラエルの中でも大きな有力な部族ですが、シメオン部族は小さな弱い部族です。シメオン部族だけでは割り当て地を占領することは、はなはだ困難が予想されます。ユダ部族の助けが必要です。だからと言って、ユダ部族は、助けてあげましょうか、と言っていません。それだけだったら、負担に感じるかもしれません。これまで躊躇していたユダ部族も、シメオン族がいっしょに行けば、心強いでしょう。そこで、「私といっしょに上ってください。カナン人と戦うのです。私もあなたといっしょに行きます」と提案しています。これが、「共同の働き」の原理です。伝道者の書4:9,12。
 信仰の世界は、力や数ばかりで進むものではありません。「いっしょに、ともに、共同して」という原理が大きな原動力となります。イエス様によって救われた者が召し集められ、一つの家族、イエス様の一つの体とされたのが、教会です。一つの体のたとえが、この原理の重要さを教えています。Tコリント12:22~27。「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないもの、神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださった」と言っています。私一人がやっていると高慢になったり、私なんか必要ないと身を引いたりすることは、どちらも聖書的ではありません。そう思うことはないですか。
 餅つきも、材料や道具の準備をする人、餅をこねて搗く人、ちぎって材料を付ける人がいて、おいしく楽しく食べることができます。シメオン族も、躊躇なく同行しました。もう準備ができていたということです。神様は、何か事を行わせる時、信仰的に備えられた人と出会わせます。この後の戦いを見ますと、予想もできなかった勝利が続いています。ばらばらに戦ったら、このような勝利はなかったでしょう。共同の働きに対して、神様が勝利を「彼らの手に渡された」のです。
 対照的な姿が、捕らえられた傲慢な王、アドニ・ベゼクの姿です。5〜7節。ユダ・シメオン連合軍は、ベゼクで大勝利を収めました。捕まった王が逃げたので、再び武器を取って反抗したりしないように、手足の親指を取られてしました。この王は、かつて自分が従えた王たちをそのようにするだけでなく、捕虜の王たちを犬のように扱っていました。どれほど、傲慢な王だったのでしょうか。
 自分がそのような目に会って、傲慢な王は悟って「神は私がしたとおりのことを、私に報いられた」と言いました。結局、人は自分がしたように自分に返って来るようになっているのです。私たちが、他の人に尊敬と愛をもって対するならば、私たちも尊敬と愛を受けるようになります。私たちが、他の人に対する言動で間違うなら、いつかはそのような取り扱いを受けるようになるのです。詩篇109:17。ユダ族の謙遜で愛の配慮のある姿が際立ちます。共同の原理で生きる信仰が、そうさせています。「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」というのが、クリスチャンの共同体としての集まりです。Tコリント12:26。

V−カレブの信仰と家族の協力−11〜15,20
 共同の働きは、家族の協力にとりわけ見ることができます。カレブとその家族の個人名が登場しています。11〜15,20節。キルヤテ・セフェルという戦略上重要な町を攻めるとき、その町を攻め取る者に、娘のアクサを妻とすると約束しました。自分の婿になる者に、そうすることを期待していたのです。結婚することになっていたと思われる、甥のオテニエルが攻め取りました。つまり、一族で要衝の地を攻め取ったということです。その時、アクサは泉を求めています。泉を得るということは、その一帯の土地を占領したことと同じです。
 カレブという人は、40年前出エジプトの時、この地を偵察して、信仰をもって、「その良い地を必ず占領できるから」と進言した人でした。神様の約束を与えることを信じ続けたので、約束の地に入ることが許され、彼が踏んで来たその地をその子孫に与えるという神様の約束を受けました。民数記13:30, 14:24。他の人々の神様に対する疑心のために、その後荒野をさまようことになりましたが、彼はいつか神様の約束は実現されると信じて、備えていました。この時カレブは85歳でしたが、壮健でした。
 「わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通した」と言われるほど、カレブは神様の約束を信じ続ける純粋な忠実な信仰の持ち主でした。彼のその神様に対する情熱的信仰は、家族や一族に広がりました。そして、神様から約束された地を得なければならないというビジョンを家族や一族も共有し、今そのビジョンを共同して実現したということです。結局、このカレブの情熱的信仰の遺産は、オテニエルに継承され、彼が最初の士師となります。士師3:9。
 私たちあきる台BCも、「この地の救いのためにまず私たちが御言葉によって整えられて」というビジョンを掲げて歩んで来ました。少しずつ実現していることを感謝します。私たちも、御言葉の約束を信じ続けることで家族に救いが広がり、この地に福音が広がります。率先と共同の信仰をもって歩みたいと願います。



士師記
1:1 さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は【主】に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」
1:2 すると、【主】は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」
1:3 そこで、ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私に割り当てられた地に私といっしょに上ってください。カナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地にあなたといっしょに行きます。」そこでシメオンは彼といっしょに行った。
1:4 ユダが上って行ったとき、【主】はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を打った。
1:5 彼らはベゼクでアドニ・ベゼクに出会ったとき、彼と戦ってカナン人とペリジ人を打った。
1:6 ところが、アドニ・ベゼクが逃げたので、彼らはあとを追って彼を捕らえ、その手足の親指を切り取った。
1:7 すると、アドニ・ベゼクは言った。「私の食卓の下で、手足の親指を切り取られた七十人の王たちが、パンくずを集めていたものだ。神は私がしたとおりのことを、私に報いられた。」それから、彼らはアドニ・ベゼクをエルサレムに連れて行ったが、彼はそこで死んだ。
1:8 また、ユダ族はエルサレムを攻めて、これを取り、剣の刃でこれを打ち破り、町に火をつけた。
1:9 その後、ユダ族は山地やネゲブや低地に住んでいるカナン人と戦うために下って行った。
1:10 ユダはヘブロンに住んでいるカナン人を攻めた。ヘブロンの名は以前はキルヤテ・アルバであった。彼らはシェシャイとアヒマンとタルマイを打ち破った。
1:11 ユダはそこから進んでデビルの住民を攻めた。デビルの名は以前はキルヤテ・セフェルであった。
1:12 そのときカレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」
1:13 ケナズの子で、カレブの弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。
1:14 彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか」と尋ねた。
1:15 アクサは彼に言った。「どうか私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこでカレブは、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。
1:16 モーセの義兄弟であるケニ人の子孫は、ユダ族といっしょに、なつめやしの町からアラデの南にあるユダの荒野に上って行って、民とともに住んだ。
1:17 ユダは兄弟シメオンといっしょに行って、ツェファテに住んでいたカナン人を打ち、それを聖絶し、その町にホルマという名をつけた。
1:18 ついで、ユダはガザとその地域、アシュケロンとその地域、エクロンとその地域を攻め取った。
1:19 【主】がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった。
1:20 彼らはモーセが約束したとおり、ヘブロンをカレブに与えたので、カレブはその所からアナクの三人の息子を追い払った。
1:21 ベニヤミン族はエルサレムに住んでいたエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族といっしょにエルサレムに住んでいる。



マタイ8:8 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」

伝道者の4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

Tコリント12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

詩篇109:17 彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。

民数記13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。

申命記 1:36 ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は【主】に従い通したからだ。

戻る