2014年4月13日「天の時、地の利、人の和」士師記4:11〜24

序−現代社会は女性の活躍する時代です。教会にあっては、女性の重要性はなおさらです。ただし、それにもかかわらず、クリスチャン女性自身がその重要性に気付いていないようです。イスラエルの運命を決める重要な戦いにおいて敵将を倒したのは、イスラエル人でない一人の女性でした。

T−御言葉を慕う異邦人を−11
 その人は、モーセの親戚の子孫、ケニ人でした。11節。ホバブとは、モーセの舅の子義理の兄弟です。荒野に詳しいその親戚が、出エジプトの時イスラエル人を助けるために同行してくれました。民数記10:29~32。旅の間に、ホバブの子孫たちは御言葉を聞くことになり、やがて同じ神様の信じるようになりました。そして、神様も彼らを愛してくださり、イスラエルの困難な時、その一族ケニ人が用いられます。
 私たちは、困難に際し自分の力だけで解決しようとするでしょう。しかし、神様は往々にして私たちが考えもしない協力者を通して助けてくださいます。ですから、日ごろ人々と良い関係を築いておくことが大切です。神様が人々に働いて好感を持たせ、私たちを助けるために用いるかもしれないからです。私たちにも「親切なサマリヤ人」がいます。ルカ10:30〜37。
 イエス様が来られた時、イスラエルは、御言葉を知っていながらも、パリサイ人のような有様でしたが、サマリヤ人の方が御言葉を求めて生きていました。神様は、どれほど御言葉を知っているかではなく、どれほど御言葉を求めているかを喜ばれます。私たちは御言葉に飢え渇いて、ますます求めているでしょうか。「心の貧しい者は幸いです」マタイ5:3。
 重要なのは、イエス様に出会った時のあの飢え渇いた状態でいることです。本当に恵みを受けた者は、もっと恵みを求めるものです。ケニ人たちは、そういう信仰をずっと持っていたということです。遊牧民であった彼らは、富にとらわれ易い都市生活を避けたのでしょうか。おりしも彼らは、この地域に移動して天幕を張っていました。神様は、そのような信仰のケニ人を天下分け目の戦いで用いるために、そこに置かれました。

U−主がされる戦い−12~16
 広い平原でのドラマチックな戦闘シーンが展開します。12〜14節。参謀デボラ、指揮官バラクの下にイスラエル兵1万人は、タボル山に陣取りました。方や、敵将シセラ率いるカナン王の軍は、鉄の戦車九百両を伴い、キション川の流れるイズレエルの平原に集結しました。戦車隊を見せつけ、動き回るために広いイズレエル平原に陣取りました。それを一望できるタボル山のイスラエルの恐れはいかばかりでしょう。
 しかし、「主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれる」という御言葉に、イスラエルは奮い立ちました。戦いに向かうことは決して簡単なことではありません。どうやって鉄の戦車を相手に広い平原で戦えるのでしょう。「さあ、やりなさい。」と訳された原語は、「さあ、立ち上がりなさい」という意味です。タボル山で鉄の戦車九百両を眼下にして、人々は「無理だ、不可能だ」とたじろいでことでしょう。大事なことは、御言葉を信じて、信仰で「立ち上がる」ことです。
 私たちは、不可能なことに出会ったら、立ち上がらず、否定的な理由を考えるでしょう。しかし、神様の前に出て、叫びながら祈るのです。神様の御前に困難な現実や重苦しい心や痛みを祈りで吐き出すのです。そうすれば、心に少しずつ信仰が生じて来て、私たちの「願うところ、思うところのすべてを越えて」働かれる神様を信頼して、立ち上がるようになります。エペソ3:20。御言葉に励まされ、立ち上がります。イザヤ41:10。
 私たちは、家庭や仕事や健康などの問題において、たじろいで、絶望して、行き止まりになる時があります。到底信仰で生きることができないと思ってしまうでしょう。でも、私たちが勝利して生きる道は、信仰によるほかありません。ヨハネ16:33。イエス様の尊い十字架の犠牲でもって私たちを救ってくださった神様が、絶望的な状況で私たちを決して見捨てることはなさらないからです。ローマ8:32。導いてくださらないはずはないのです。この世で私たちを生かすのは、神様です。
 今日クリスチャンが抱く質問は、「果たしてこの困難な世において、信仰で御言葉だけにぎって生きていけるのだろうか」ということです。これに対する答えが、今日のキション川での戦いです。人は、「御言葉はそう言うけど」というのですが、神様は人のように言うだけではありません。神様は、神様に信頼し、御言葉に聞き従って立ち上がる者に対しては、環境をも整えてくださいます。Uコリント9:10。これが神様の導きです。
 戦いに際して「天の時、地の利、人の和」(公孫丑下)ということが必要です。タボル山に陣取ることは、神様の御言葉に従ってのことでした。6節。その山にいる限り、どれほど戦車隊が強くでも、登って来られません。これが地の利です。さらに広いキション川流域に陣取るシセラの戦車隊、その重さのゆえに、一旦大雨が降り洪水ともなれば、ぬかるみにはまってしまいます。実際に雨が降り、一体はぬかるみとなり、戦車は動かなくなります。天の時です。「シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げ」るしかありませでした。15節。
 5章には、デボラの歌が記録されています。戦いの時の様子が記されています。5:20〜21。にわかに雨が降り出し、川は増水して来ました。そこへ、夜タボル山が降りて来たイスラエル軍が押し寄せます。突然の夜襲、ぬかるみの中で戦車は動かず、シセラの軍は恐れの中で大混乱に陥りました。戦車はまったく力を発揮できません。「主がシセラとその戦車と、陣営をかき乱した」のです。これが、神様の作戦でした。
 私たちにも、様々な戦いがあります。その戦いに勝つには、祈りです。神様に信頼し、御言葉を聞いて立ち上がる者には、神様の実際的な導きがあります。キション川の戦いのように、「地の利、天の時、人の和」の備えがあります。神様の導きには、環境の整えもあり、協力者や助け手もあります。困難が近づいて来た時、それまで握っているもので戦うことになります。ただ御言葉を握って、神様を信頼して進むなら、神様の戦いとなります。
 モーセは、紅海を前に民に言いました。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」出エジプト14:13。私たちも、神様の行われることを見なければなりません。

V−主に用いられる女性−17〜22
 「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と教えています。つまり、事にあたってどれほど天の時や地の利があろうとも、人の和がなければ勝利できないということです。このキション川の戦いでも、「人の和」が、勝利を決定します。戦車は、将軍シセラの誇りであり、自信の元でした。シセラの握っていたものは、戦車でした。九百両の戦車を信じたシセラは、ぬかるみで戦車が使えなくなった時絶望し、いち早く戦線から逃げてしまい、将を失った彼の軍は全滅してしまいます。15~16節。彼らに天の時や地の利よりも何よりも、「人の和」がありませんでした。人を大事にしない、傲慢で卑怯な将軍は、兵士たちを見捨ててしまったのです。20節の「ここにだれかいないか」とは、「ここに男はいないか」という意味です。確かにそこには勇敢な男は「いない」と言うのは、皮肉です。
 シセラが逃げ帰れば、また勢力を盛り返し、攻めて来るでしょう。ここに一人の女性が登場します。17節。南部のユダ部族の中に住んでいたケニ人の一家族が、北方のこの地に天幕を張っていました。1:16。これも、神様の備えなのでしょう。「親しかった」というのは、平和の関係という意味ですが、敵ともみなされていなかったのです。傲慢なシセラには、遊牧民などと軽んじており、警戒することがありませんでした。
 ヤエルは、逃げ込んで来たシセラを落ち着いてもてなしました。18〜20節。ヤエルの歓待に、シスラは警戒しないどころか、深い眠りに落ちてしまいました。一人の主婦という弱い器であったゆえに、できたことでした。そうして、天幕作りに用いる鉄の杭をもってシセラを刺し殺しました。21節。遊牧民の彼女にとって、天幕作りは専門家であり、鉄の杭で打つのは自然のことでした。ヤエルにできることで、ヤエルにしかできないことで、敵将を倒したのです。弱い欠けだらけの自分も、何かできます。
 なぜ一主婦がここまでしたのでしょう。ケニ人は、イスラエルの中で世話になり、助けられていた関係でした。同じ神様を信じて、その恵みを体験していました。そのイスラエルを苦しめる敵にはがまんがならなかったはずです。シセラが逃げてしまえば、イスラエルの苦しみは続きます。その思いが、ヤエルを動かしました。同じ信仰の民を思う心、「人の和」が、勝利に結びつきました。こうして、敵将を倒すという光栄を得ました。9節。御言葉を信じて立つ女性は、用いられます。
 ヤエルは、ただの主婦であり、軽んじられて遊牧民、天幕生活でしたが、従順な信仰、御言葉に聞き従う信仰が光っていました。たとえ良い家も農地もなくても、御言葉を聞いただけで立ち上がり、自分のできることでして、神様に用いられました。どんなに多くの御言葉を聞いても、感謝しない、感激しないのであれば、信仰は沈滞します。私たちが、このようなメッセージを通して、信仰の初めの愛を回復して、熱い信仰で立ち上がることを願います。Tコリント1:27〜28。



士師
4:11 ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。
4:12 一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、
4:13 シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。
4:14 そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、【主】があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。
4:15 【主】がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。
4:16 バラクは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。
4:17 しかし、シセラは徒歩でケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げて来た。ハツォルの王ヤビンとケニ人ヘベルの家とは親しかったからである。
4:18 ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください、ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕に入ったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。
4:19 シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。
4:20 シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか』とあなたに尋ねたら、『いない』と言ってください。」
4:21 だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に

刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。
4:22 ちょうどその時、バラクがシセラを追って来たので、ヤエルは彼を迎えに出て、言った。「さあ、あなたの捜している人をお見せしましょう。」彼がヤエルのところに来ると、そこに、シセラは倒れて死んでおり、そのこめかみには鉄のくいが刺さっていた。
4:23 こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。
4:24 それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。



マタイ5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

イザヤ41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

Uコリント9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

士師5:20 天からは、星が下って戦った。その軌道を離れて、シセラと戦った。
5:21 キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キションの川。私のたましいよ。力強く進め。

出エジプト14:13 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。

Tコリント1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

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