2014年4月27日「感謝と賛美の歌」士師記5:1〜31

序−誰でも、うれしい時、気分が良い時よく歌を歌うでしょう。歴史事象を詩であらわしたものを叙事詩と言います。キション川の戦いを歌であらわしたものが、今日の「デボラの歌」です。歌い継がれた歌には、大事なメッセージが込められています。私たちもそれを受け止めます。

T−神様を賛美する理由−1〜5 
 まず、デボラは神様を賛美する理由について記しています。1〜2節。この戦いは、イスラエルにとって、到底勝つことのできない絶望的なものでしたが、ただ神様の御言葉を信じて戦った時、驚くべき勝利を得ることができました。イスラエルの民は、戦いの後考えてみました。どうして自分たちに勝ち目がなく、圧倒的な軍事力の差があるのに勝てたのか。どんなに考えても、理解できないことでした。その時、デボラは、勝利した自分たちをほめて自分たちの栄光にするのではなく、まったく神様だけを賛美して、栄光を神様に帰するようにすべきだと考えたのでした。これが、デボラが歌を歌った理由でした。私たちもそのために賛美します。
 私たちは、あまりにも神様に対する感謝を忘れてしまうようです。事がうまく行ったり、予想外の成果になったりする時、自分の努力の結果だとか、運が良いとかくらいに考えるのです。しかし、イエス様を信じる者にとって、神様のあわれみ、神様の助けや守りは忘れてはならないことです。感謝して、神様に賛美をささげなければなりません。
 次に、デボラたちは、「民が進んで身をささげた」ので、神様をほめたたえています。2節。敵のように強制的に徴兵されてわけではなく、みな自ら進んで戦いに加わりました。奉仕もささげる事も「強いられてでもなく、自ら進んで」することが大切です。Uコリント9:7,8:3。神の民が問題にぶつかる時、世の何かを用いることができないで憂うつになり、神様だけに拠り頼むということに不安になったりします。でも、イエス様は、主に拠り頼みながら不安になっている者に、「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われました。マルコ5:36。イエス様を信じたのですから、信じるのです。
 デボラも、出エジプトの例をあげながら、賛美しています。4節。先祖たちがエジプトを出た後、荒野を旅する間、神様は雨を降らせて、守ってくださいました。デボラも神様を賛美せざるを得なかったのは、戦いの時に「大雨」が降ったからでした。敵将シスラの戦車九百両と戦うことは不可能です。それを恐れてタボル山から降りて行くことができませんでした。その時、驚くべきことに「天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた」のです。そして、キション川が氾濫し、シセラの戦車は押し流され、ぬかるみの中で動けなくなったのです。21節。
 これを通して、デボラたちは神様の臨在を覚えました。デボラは、神様が自分の祈りを聞いてくださることを体験できました。デボラの目にも涙があふれたことでしょう。私たちも、人生において到底自分の力ではどうすることもできないことに出会うでしょう。しかし、神様は、拠り頼む者を予想もしない方法で助けてくださいます。患難の中で、なぜ、どうしてと思うのですが、やがて何よりも私が神様に従順になることだ、と思うようになります。罪を悔い改め、純粋に神様に拠り頼むようになります。私たちも神様の臨在を体験します。神様を賛美しましょう。

U−無気力で、沈滞していた所から立ち上がる−6〜18
 6節以下では、それまでイスラエルの民がどれほど悲惨な状況下で無気力であったかを告白しています。6〜7節。士師シャムガルが死んでからヤエルとデボラによって勝利するまでは、隊商や旅人が街道を通ることができず、イスラエルの人々は互いに行き来できなかった、というのです。街道の要所にはシセラの軍がいて、民のものを奪っていたからでした。「農民は絶えた」というは、農地がすべて占領され、人々が逃げてしまったためです。どれほど苦しい過酷な状態であったかと思われます。
 その時、デボラがイスラエルの母として立てられたのです。デボラがイスラエルを神様の御言葉で教えはじめた時、イスラエルが最も沈滞していた時でした。悲惨な状況の中で、民は神様の御言葉に関心がなく、その信仰は眠っていました。デボラも、「目ざめよ、目ざめよ」と自分に向かって叫んでいます。12節。それまでイスラエルの状態は絶望的で、自分も諦めて、逃げたい思いだったけれども、もう諦めや絶望するのをやめようという決意の賛美でした。私たちも、デボラのように自分に叫ばなければなりません。イザヤ50:4。御言葉で自分を励まし、人を励ますのです。
 情けなく、不憫なことに、敵が目の前に迫っていた時、民は偶像に拠り頼んでおり、武器もありませんでした。8節。支配されていた民は、無気力で不信仰でした。落胆していたデボラを奮い立たせたのは、何でしょう。9節。御言葉です。自分が立ち上がり、デボラから御言葉を聞いた指導者も、立ち上がって献身する者が起こり始めました。その数は少数であったでしょうが、デボラは、望みを持ったのです。一緒に祈り、一緒に御言葉を聞きました。ぐだぐだ不信仰を言う者より、御言葉に献身する者に心を向けましょう。それらの指導者の姿は、次第に民全体に広がって行くようになります。10〜11節。私たちの献身も広がります。
 デボラは、まず戦いで一緒だったものたちに感謝しています。14〜15節。彼らは進んで戦いに参加した者たちでした。ところが、ルベン族は集まって来ても、動きません。16節。御言葉を聞いて戦うより、自分の羊の方が、自分の利益が大事だと考えたからです。ギルアデの部族は遠くて無関心、自分だけの平安にとどまる部族もいました。17節。ですから、私たちに困難が来た時、反応することが大切です。自分のできる範囲でいいのです。そうする者には、神様からの祝福があります。18節。

V−神様の奇跡−19〜31
 戦いの場は、他のカナンの王たちも参戦し、存亡をかけた関が原のような所でした。19節。集った軍馬の音を聞き、戦車を見、どれほど恐ろしく、不安におののいたことでしょう。22節。まず、民は自分と戦わなければなりませんでした。自分の中にある不信仰と絶望感と戦わなければなりません。絶望が死に至る病であり、神様に信頼し、希望を持つ者には、神様の御力が働きます。予想もしない方法で勝利することができました。20〜21節。天の時、地の利、人の和を用いて、勝利させてくださいます。
 デボラは、メロズの人々について残念な思いを吐露しています。23節。メロズの人々は、助けることができなかったのではなく、勇士であったのに、助けてくれませんでした。労苦することを嫌い、自分の利益だけ考える者を神様に喜ばれません。イエス様は、人々を愛し、仕えるために世に来られました。その極致が十字架でした。イエス様は、私たちも人々を愛し、仕えるように望まれました。マルコ10:45。私たちが賜物を用いて、互いに仕え合うことを喜んでくださいます。Tペテロ4:10。
 メロズの勇士と対照的に、自分にできることをしてこの戦いの勝利を手にした一人の女性の働きが称賛されています。24〜27節。ヤエルという女性は、イスラエル人ではありませんでした。モーセの親戚の子孫で遊牧民ケニ人の一族でした。彼らはカナンの地まで、イスラエルの信仰の恵みを受けて一緒に来た部族でした。この女性に、最高の勝利の栄誉が与えられました。現代は、女性が信仰で大いに活躍できる時代です。
 イスラエルの将軍バラクは、御言葉に拠り頼まず、デボラを頼りとしていました。御言葉だけ拠り頼んで、戦っていたなら、勝利の栄誉は、彼に与えられたでしょう。神の国では、最後まで御言葉を握って行く人が賞を得ることができます。イエス様も、イスラエル人より謙遜で熱心な異邦人女性の信仰に応えて、癒しを与えられました。マルコ7:28。ヤエルがシセラをどのように倒したのか、詳しく記されているのは、それだけこの女性の信仰による行いが称賛されていることです。
 シセラが水を求めたのにミルクを与えて、高価な鉢で豆腐状のチーズ、カードを勧めているのは、シセラに疑いを持たせないためです。沈着冷静に事を行っています。鉄のくいでもってシセラを倒したのも、天幕生活をするヤエルには最も使いやすい道具でした。この時、シセラを倒さなければならない機会でした。メロズの人々は、イスラエルの痛みを見ながら、助けませんでしたが、ヤエルは見過ごすことができず、一人で自分にできることをして、勝利の栄誉を手にし、称賛されました。
 27節では、「倒れた、倒れた」と繰り替えされ、この女性の働きが称賛されています。ヤエルは、もうイスラエルの片隅に居候する異邦人でなく、落ちたパンを食べる子犬ではなく、イスラエルを救った士師です。特別なものを持たない私たちも、力のない女性も、信仰で立って、自分のできることを用いて行くなら、神様の御力が働き、偉大な働きができるのです。
 デボラの歌の結論は、31節です。デボラの信仰告白であり、聖書の約束です。神の民を侮り、危害を与える者は、神様に敵対する者であり、シセラのようになると言っています。シセラの母のように虚しい姿となります。28〜30節。デボラの歌は、私たちにとっても重要です。ここに記されていることは、今の私たちの問題です。うまく行かず、無気力で停滞することもあるでしょう。ある時にはどん底に落ちるようなことも。でも、落胆してはなりません。絶望してはなりません。賛美を通して、霊的眠りから目を覚ますのです。信仰復興の火を燃え上がらせましょう。詩篇95:1〜6。



士師
5:1 その日、デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。
5:2 「イスラエルで髪の毛を乱すとき、民が進んで身をささげるとき、【主】をほめたたえよ。
5:3 聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。私は【主】に向かって歌う。イスラエルの神、【主】にほめ歌を歌う。
5:4 【主】よ。あなたがセイルを出て、エドムの野を進み行かれたとき、大地は揺れ、天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた。
5:5 山々は【主】の前に揺れ動いた。シナイもまた、イスラエルの神、【主】の前に。
5:6 アナテの子シャムガルのとき、またヤエルのときに、隊商は絶え、旅人はわき道を通った。
5:7 農民は絶えた。イスラエルに絶えた。私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。
5:8 新しい神々が選ばれたとき、城門で戦いがあった。イスラエルの四万人のうちに、盾と槍が見られたであろうか。
5:9 私の心はイスラエルの指導者たちに、民のうちの進んで身をささげる者たちに向かう。【主】をほめたたえよ。
5:10 黄かっ色のろばに乗る者、さばきの座に座する者、道を歩く者よ。よく聞け。
5:11 水汲み場での、水を汲む者たちの声に。そこで彼らは【主】の正しいみわざと、イスラエルの主の農民の正しいわざを唱えている。そのとき、【主】の民は城門におりて来た。
5:12 目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ、目ざめよ。歌声をあげよ。起きよ。バラク。とりこを捕らえて行け。アビノアムの子よ。
5:13 そのとき、生き残った者は貴人のようにおりて来た。【主】の民は私のために勇士のようにおりて来た。
5:14 その根がアマレクにある者もエフライムからおりて来た。ベニヤミンはあなたのあとに続いて、あなたの民のうちにいる。指導者たちはマキ

ルからおりて来た。指揮をとる者たちもゼブルンから。
5:15 イッサカルのつかさたちはデボラとともにいた。イッサカルはバラクと同じく歩兵とともに谷の中を突進した。ルベンの支族の間では、心の定めは大きかった。
5:16 なぜ、あなたは二つの鞍袋の間にすわって、羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。ルベンの支族の間では、心の秘密は大きかった。
5:17 ギルアデはヨルダン川のかなたに住んでいた。なぜダンは舟にとどまったのか。アシェルは海辺にすわり、その波止場のそばに住んでいた。
5:18 ゼブルンは、いのちをも賭して死ぬ民。野の高い所にいるナフタリも、そうである。
5:19 王たちはやって来て、戦った。そのとき、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦って、銀の分捕り品を得なかった。
5:20 天からは、星が下って戦った。その軌道を離れて、シセラと戦った。
5:21 キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キションの川。私のたましいよ。力強く進め。
5:22 そのとき、馬のひづめは地を踏み鳴らし、その荒馬はけりまくる。
5:23 【主】の使いは言った。『メロズをのろえ、その住民を激しくのろえ。彼らは【主】の手助けに来ず、勇士として【主】の手助けに来なかったからだ。』
5:24 女の中で最も祝福されたのはヤエル、ケニ人ヘベルの妻。天幕に住む女の中で最も祝福されている。
5:25 シセラが水を求めると、ヤエルは乳を与え、高価な鉢で凝乳を勧めた。
5:26 ヤエルは鉄のくいを手にし、右手に職人の槌をかざし、シセラを打って、その頭に打ち込み、こめかみを砕いて刺し通した。
5:27 ヤエルの足もとに彼はひざをつき、倒れて、横たわった。その足もとにひざをつき、倒れた。ひざをついた所で、打ち殺された。
5:28 シセラの母は窓越しに、格子窓越しに外を見おろして嘆いた。『なぜ、あれの車の来るのがおそいのか。なぜ、あれの車の歩みが遅れているのか。』
5:29 知恵のある姫君たちは彼女に答え、彼女も同じことばをくり返した。
5:30 『彼らは分捕り物を見つけ出し、それを分けているのではありませ

んか。めいめいひとりの勇士にひとりかふたりの娘を。シセラには染めた織物の分捕り物を。染めた織物の分捕り物、色とりどりに刺繍した織物。分捕り物として、首には二枚の刺繍した織物を。』
5:31 【主】よ。あなたの敵はみな滅び、主を愛する者は、力強く日がさし出るようにしてください。」こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。



Uコリント9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
Uコリント8:3 私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

マルコ5:36 イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

マルコ10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

イザヤ50:4 神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。

Tペテロ4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

マルコ7:28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。

詩篇95:1 さあ、【主】に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。

95:2 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
95:3 【主】は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
95:4 地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
95:5 海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。
95:6 来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、【主】の御前に、ひざまずこう。

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