2014年5月11日「小さい従順を用いてくださる神様」士師記6:16〜27

序−私たちが用いられる時、すぐに大きなことを考えるかもしれません。しかし、神様が私たちを用いてくださる時、はじめから大きなものを与えません。まず小さな信仰で従う者ができること、小さなことを忠実に行うことを期待されます。神様が弱いギデオンに求められたのは何でしょう。私たちが働きや仕事をする時、信仰でどのようにするのでしょうか。

T−弱い者、小さい者を召される神様−14〜
 神様は、ギデオンにイスラエルをミデアン人から救うために、戦うために呼ばれました。16節。人は誰でも自分が用いられることを願います。それは、人々から認められ、有名になるためです。しかし、神様の召しは、世で有名になることではなく、悲惨な状態にある人々を救ったり、霊的に沈滞した神の民を助けたりすることです。ところが、人はこのような神様の召しを無視してしまうのです。私たちも、「私には何もない、そんなこと私にはできない」と言いがちです。失敗していたら、なおさらです。
 ミデアン人を恐れて隠れて麦を打っているギデオンは、まさにそのような人です。それなのに、神様はギデオンに対して、「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え」と言われました。14節。弱虫、臆病者と言われるギデオン、誰が見ても、不可能です。こんな弱虫がどうしてできるのでしょうか。それなのに、他の人を頼らないで、「あなた自身の力で行け」というのです。これは、ギデオンに自分の考えや勝手な期待を捨てさせるためです。私たちが困難な状況に際する時、漠然と「誰か助けてくれないかな、誰か他の人がするだろう」と期待するものです。しかし、神様は、「あなたの力で、あなたがしなければならない」と言われるのです。
 ギデオンの反応はどうでしたか。15節。召しを逃れようと悪あがきをしていると見ることもできます。しかし、ギデオンは弱いままの姿で、主の御前に告白したのです。「主よ。私は欠けだらけの弱い者です。民の中でも最も小さい者です」と言うのです。多くの人は、自分の弱点を自分で見ることができません。それでいて、仕事や問題について、恐れや不安を抱くのです。しかし、ギデオンは、自分の弱さをよく知っていました。ギデオンは、自分の弱さを見て、主の御前にそれをさらけ出しました。神様は、そのような彼をいやし、その弱さを用いてくださいます。
 イエス様が最も嫌われた人々は、自分の外側を飾ることにやっきになっていたパリサイ人でした。主の前に自分の欠けや弱さを隠す必要はありません。イエス様に出会った者たちは、どのように癒され、変えられたでしょうか。自分の弱さを持って、イエス様の御前に進み出たからです。私たちも、ありのままの姿で、主のもとに進み出ましょう。弱さが多く、足りないことは、私たちにイエス様が必要であるということを意味します。イエス様が私たちをいやして、用いてくださいます。弱さのために、信仰の友に祈ってもらうのです。自分のために十字架にかかってくださった救い主のもとに出て、自分の弱さを告白すればいいのです。Uコリント13:4。イエス様は、私たちの弱さを担って十字架にかかられました。

U−小さい献身に応えてくださる主−17〜
 ギデオンの弱さを知っておられる神様は、「わたしはあなたといっしょにいる」と言って、彼を励ましてくださいました。16節。神様が一緒なら、多くのミデアン人も一人を倒すようにできると言われました。大勢相手にしなければならないと思えば、負担は重くなりますが、多くは神様が相手してくださると思えば、気が楽になります。「主が自分と一緒」というのは、主が自分の横にいてくださるというのはなく、神様が自分の内におられて、私の手と口を用いてくださるということです。神様の召しに従って行くなら、神様の御力と知恵が供給されるからです。私たちは、しばしば自分の力だけで事をなさなければという愚を犯しがちです。
 しかし、弱いギデオンは、「いっしょにいる」と言われても、主の使いを通して話される方が主であることを疑いました。17〜18節。弱いということは、不安も多く、疑いも多く起こります。とにかく、本当に神様からの使いならば何かしなければと考え、家に帰って、料理を持って来ました。19節。ギデオンが持って来た分量は、多すぎるものです。自分の持っているすべてをささげて、もてなそうとしたのです。少年がイエス様に五つのパンと二匹の魚を持って来たことを連想させます。
 主の使いは、ギデオンが持って来たものを神様にささげさせました。20~21節。ギデオンは、よくは分からないままに、使者の言われるままに岩の上にそれらを供えました。主の使いが杖の先を伸ばして、供え物に触れると、たちまち火が燃え上がって、焼き尽くしてしまいました。
 ギデオンがしるしを求めたのは、不信仰ではないかと見えるかもしれません。しかし、このように神様が彼の求めを退けずに、しるしを見せてくださったということは、彼の小さな従順、小さい献身にも応えてくださったということです。弱い者が、御言葉を聞いても、恐れや不安で一歩が踏み出せない時、踏み出す確信を与えてくださるように祈ることです。そうすれば、神様は確信を与えてくださいます。確信を与えてくれるしるしも見せてくださいます。
 本当に主の使いであることが分かると、ギデオンはそれを恐れました。恐れるギデオンに対して、神様は、「安心しなさい。恐れるな」と言われました。22〜23節。弱い、小さな献身のギデオンには、最も力づけられることばでした。主は神の民と共にいてくださり、平安を与えてくださる方だと分かりました。ですから、祭壇を築き、その名を「アドナイ・シャロム」すなわち、「主は平安」と名づけました。24節。「アドナイ・シャロム」は、ギデオンにとって、新しい信仰の発見、主に出会った体験となりました。復活されたイエス様が、恐れと失望の中にあった弟子たちに言われたのも、「平安があなたがたにあるように」でした。ヨハネ20:19,21。救われた私たちにとっても、主は平安です。

V−まず小さいことを忠実に−25〜
 イスラエルを救い出すために召されたギデオンがまず行うことは、大々的に兵士たちを集めて、戦争をすることではありませんでした。そのような大きなことに比べれば、あまりにも小さなことでした。25〜26節。神様がギデオンにまずさせたことは、自分の父の家にある偶像を壊させることでした。ギデオンを召された神様は、なぜ自分の家の偶像を壊すことをまずさせたのでしょうか。そもそもイスラエルの民を神様から離し、神様の恵みに麻痺するようにさせたのは、偶像礼拝だったからです。イスラエルを悲惨にしていたのは、遠くの敵ではなく、自分たちの中にあった偶像でした。何が私たちにとって、偶像でしょうか。心の中心に何があるのか、何に拠り頼んでいるのか、それが自分の偶像です。
 なぜ、とりわけ「二番目の雄牛」なのでしょう。一番目の雄牛はバアルにささげたのでしょうから、傷のない雄牛を主にささげさせるためでしょう。神様がギデオンにさせたことは、バアルの祭壇とアシェラ像を切り倒すことであり、もう一つは神様を正しく礼拝することを再開しなさいということでした。これがまずもって必要なことでした。ギデオンの家の宗教改革というべきことでした。自分の心にある偶像を捨てて、真実な礼拝をささげ、主を賛美することが、まずもって私たちにも必要です。
 注目すべきは、昼間にこのこのことを行ったのではなくて、「夜それを行った」ということです。27節。なぜ、夜の間にしたのでしょう。「父の家の者や町の人々を恐れた」からです。ギデオンは、とても小心者だったので、昼間に親戚や家族の者が見ている前で偶像を倒すことはできなかったのです。町の人々の批判や攻撃が強いと考えたのでしょう。
 改革は、最も近いところから、小さいことから始めます。何か事を始めようとする時、「大きく考えて、小さく始めよう」と言われます。ヨブ記8:7。このギデオンの姿が教えていることは、小さい献身、小さい従順で行えば、神様がそれを用いてくださるということです。ギデオンは、今の私たちと何か違う点があるでしょうか。いいえ、私たちと少しも変わりません。私たちはみな、自分の人生が変わって、仕事や働きで自分が用いられることを求めます。ところが、いざそのための行動を求められると、ためらい、他の誰かがやってくれるだろうと期待します。「私にはできない」「私を立てるはずはない」と思い、自分は関係ないと思うのです。
 でも、ギデオンを見て分かることは、私たちのように平凡で、欠けがあり弱くても、小さな従順で召しに応えれば、主に用いられるということです。きょうの箇所でギデオンがしたことは何でしょう。本当に小さな従順でした。隠れて、誰にも見られない夜のうちに偶像を壊すことであり、神様を正しく礼拝することでした。多くの人が「私は祈りもできないし、御言葉もよく分からない」と言って、しり込みします。でも、本当に何もできないのでしょうか。主はギデオンに、「あなたのその力で」できることをしなさいと言われました。小さな献身と小さな従順を通して、神様は驚くべきことを成し遂げられます。職場でも家庭でも、用いられます。
 主は、初めから、私たちに大きなことを願っておられません。本当に小さなこと、私たちはそれさえつかめばいいのです。私たちの小さな従順を用いてくださる主に、「私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。あなたの道に私を生かしてください」と祈りましょう。詩篇119:35〜37。



士師
6:14 すると、【主】は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
6:15 ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」
6:16 【主】はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」
6:17 すると、ギデオンは言った。「お願いです。私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。
6:18 どうか、私が贈り物を持って来て、あなたのところに戻り、御前にそれを供えるまで、ここを離れないでください。」それで、主は、「あなたが戻って来るまで待とう」と仰せられた。
6:19 ギデオンはうちに入り、一匹のやぎの子を料理し、一エパの粉で種を入れないパンを作り、その肉をかごに入れ、また吸い物をなべに入れ、樫の木の下にいる方のところに持って来て、供えた。
6:20 すると、神の使いはギデオンに言った。「肉と種を入れないパンを取って、この岩の上に置き、その吸い物を注げ。」それで彼はそのようにした。
6:21 すると【主】の使いは、その手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種を入れないパンに触れた。すると、たちまち火が岩から燃え上がって、肉と種を入れないパンを焼き尽くしてしまった。【主】の使いは去って見えなくなった。
6:22 これで、この方が【主】の使いであったことがわかった。それで、ギデオンは言った。「ああ、神、主よ。私は面と向かって【主】の使いを見てしまいました。」
6:23 すると、【主】はギデオンに仰せられた。「安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。」
6:24 そこで、ギデオンはそこに【主】のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロムと名づけた。これは今日まで、アビエゼル人のオフラに残っている。
6:25 その夜、【主】はギデオンに仰せられた。「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を取りこわし、そのそばのアシェラ像を切り倒せ。
6:26 そのとりでの頂上に、あなたの神、【主】のために石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のいけにえをささげよ。」
6:27 そこで、ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、【主】が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行った。



Uコリント13:4 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。

ヨブ8:7 あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

詩篇119:35 私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。
119:36 私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。
119:37 むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。

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