2014年5月18日「小さな従順に応えてくださる主」士師記6:28-40

序−主は小さな従順を用いてくださることを学びましたが、それでも、不安や疑いが生じるでしょう。従って大丈夫か、その結果はと心配します。ですから、弱い信仰を用いられる神様は、その従順の結果を見せてくださり、不安や恐れを抱いて来る者に確信を与えてくださいます。

T−小さな従順の結果−28〜32
 ギデオンは、父の家の偶像を取り除き、信仰回復の礼拝をささげました。文化や武力が自分たちを上回る周りの部族の影響で、イスラエルに偶像が入り込んでいました。偶像を熱心に信じたのではなく、付き合いで置いていたとしても、次第に偶像に縛られて行きます。世に生きる私たちも、偶像だけでなく、酒や煙草、遊興やマネーゲームなど、世の習慣の影響を受けます。それらに手を出すと、次第に縛られるようになります。
 ギデオンの小さな従順の結果はどうでしょう。弱いギデオンが人々を恐れて夜に実行したにもかかわらず、朝誰の仕業かが発覚してしまいます。28〜30。偶像信仰の特徴は、たたりを恐れることです。宗教なんてと馬鹿にしている現代人も、様々な祟りを恐れています。バアルの祟りを恐れた町の者たちが騒ぎ出し、誰の仕業か調べ上げ、ギデオンを殺せと、彼の父に詰め寄りました。
 私たちが御言葉通りに生きて行くならば、神様の召しに従って行くならば、事はうまく行くだろう、いや行くはずだと思います。ですから、うまく行かないと、不安や恐れが増大します。恐れながら従ったギデオンの心境も、そうなったことでしょう。「従うんじゃなかった。頑張ったのに、失敗した。どうしょう」と、恐れるようになります。
 しかし、驚くべきことが起こります。31節。ギデオンの父ヨアシュは、ギデオンの過激な行動で最も被害を受けた人です。ギデオンの行動は、父を怒らせ、困らせることです。ところが、父ヨアシュは、町の人々の間違いを責め始めたのです。真の神を礼拝すべき神の民が、なぜバアルのために論争するのか、とたしなめます。偶像が神であるならば自分で争えばいい、どうして我々が争うのか、と彼らの愚かさ指摘しました。知らずに偶像に縛られていた人々の目を覚ます指摘となりました。
 驚くべき変化です。一番驚いたのは、ギデオンでしょう。ギデオンの行動によって、父の心に健全な信仰が戻って来たのです。ギデオンが偶像を取り除き、信仰回復の礼拝をささげたことで、父は迷信から抜け出せました。何という恵みでしょう。これが、神様がギデオンの小さな従順、小さな献身に応えてくださったことです。家族一人の小さな信仰の従順が、まず家族の中に影響し、広がって行きます。私たちは反対する人たちの声にすぐにくじけたり、不利な状況に簡単に不安に陥ったりしてはなりません。不安になったり、恐れたりする時には、神様に祈ったり、御言葉に聞いたりすることがまず必要です。
 ここで、回心した父が言うことで、町の人々は引き下がるほかありませんでした。ギデオンが言ったならば、論争になり、暴動になったことでしょう。ギデオンの小さな従順に神様が応えて、守ってくださったのです。32節。こうして、ギデオンの評判と民の信仰改革が、ギデオンのあだ名とともに、イスラエル中に広がって行くことになります。神の民が偶像から解放されて、信仰が復興されて行くという大きな恵みが与えられました。

U−恵みの後に起こった危機−33〜35 
 信仰改革、信仰覚醒の恵みが広がって行った結果は、どうでしょう。33節。なんと、大きな危機が起こりました。ミデヤン人たちが連合して、攻め込んで来たというのです。せっかく、ギデオンの小さな従順、小さな献身が人々に影響するという恵みが起こり始めたのに、その喜びと希望をかき消すかのような事件です。私たちは、恵みの後の危機に弱い者です。弱いギデオンにとっては、なおさらでしょう。せっかくイスラエルに信仰回復恵みが始まったばかりなのに、どうしてこんなことが起こるのか…。
 私たちの信仰生活の中にも起こることです。信仰でもって仕事や問題に取り組み、順調に進み、恵みを感じていた時、大きな事件が起こったり、自分の働きを責める者があらわれたりするのです。神様の召しに従って歩むことで信仰の喜びや恵みを味わったのに、反対や不安が生じて意気消沈することもあります。私たちは、一人では弱い者です。反対や問題が生じるなら、なおのこと共に集まり礼拝し、祈りをささげなければなりません。
 ギデオンの弱さを知っておられる神様は、二つのことを備えてくださいました。34~35節。ギデオンを主の霊でおおい、民を招集させることでした。主の霊に満たされていることは、神の民にとってとても大切なことです。私たちの内に御霊なる神がおられ、御霊で心が満たされることが、私たちが恐れや不安に陥る時に、大きな励まし、力となります。私たちの環境が変えられるよりも、まず私たちの心が御霊で満たされることが必要です。それは、弱くても主に用いられるためです。
 そして、神様はギデオンに角笛を吹き鳴らさせました。神の御言葉を聞いて集まって来たということです。集まって来たのは、彼の属する氏族、つまり親戚たちです。この人たちは、ギデオンが偶像を倒した時、彼を殺せと騒いでいた人たちです。こうして、父ばかりか、親戚や町の人々が変わりました。ギデオンにとって、どんなに励ましとなったことでしょう。小さな献身に神様が応えてくださったという影響力です。
 そして、ガリラヤ地方の諸部族も、戦いをするために続々と集まって来ました。彼の小さな従順の影響は、こんなにも大きく広がって行きます。ヨブ8:7。確かにイスラエルの民は、信仰が停滞していたけれども、信仰がなくなってしまったかのようでしたが、彼らの中には、信仰の火が残っていました。ギデオンの小さな従順が、それを燃えさせました。
 改革が言われる時、変えられなければならないのは構造か人かという点が議論になりますが、まず人が変えらえなければなりません。まず人が変わることが世の中を変える原動力になるというのが、イエス様の示された方法です。3年間の公生涯の間、イエス様が集中されたこと、その働きの大部分は、弟子たちを養い、育てることでした。イエス様の方法は、人を救って、御言葉で育て、造り変え、その福音が世界を変えることでした。
 人が変えられなければという時、誰から変えられるべきかということが問題です。世の中で一番変え易いのは、自分自身です。まず、イエス様に救われ、召された人が変えられ、用いられて行くことが神様の御旨です。救われた人の変化によって、周りの人々が変えられて行くからです。まず、私たちがイエス様に救われて、御言葉で造り変えられることです。そして、小さな従順で踏み出して行くならば、神様がそれに応えてくださり、人々に影響力を与え、人々を変え、助ける人々を加えてくださいます。

V−弱い者に確信を与えてくださる神様−36〜40 
 ここで問題は、集まって来た大勢の民をギデオンが率いて戦わなければならないということです。弱いギデオンに、とてもそんな勇気はありません。彼は農民であり、戦いの経験もなく、指導力もありません。勝利する自信はまったくありません。ギデオンは困りました。恐れと不安でいっぱいになったギデオンは、神様に祈り、懇願するしかありませんでした。
 ギデオンは、また神様にしるしを見せてくださいと頼みます。36〜40節。弱いギデオンは、確かに自分を召されたのは神様だというしるしを見て、小さな従順で恐れながら小さな事をしただけでした。ミデアン人からイスラエルを救い出せると御言葉をいただいても、いざ敵の大軍勢を前に、不可能だ、私にはできないと恐れ、またまたしるしを求めたのです。
 ここで、二度も三度もしるしを求めたギデオンは、神様を試みる不信仰な者ではないか、と見えるかもしれません。しかし、神様を試みるというのは、はじめから不信仰な場合です。弱いギデオンは、戦う前に確信がほしかった、神様が一緒だという励ましが必要だったのです。私たちも、御言葉に聞き従って生きたい、信仰で仕事や問題に取り組みたいけれども、弱くて、足りなくて、自信がない、不安でならないという場合があります。そんな時、正直に弱さや不安を告白して、神様が一緒だというしるしを見せて確信を与えて下さい、と祈ることは良いのです。
 ギデオンは、二度のしるしを通して、神様が共にいてくださることを確信しました。私たちも、様々なことを通して、神様が共にいて守ってくださると確信できることがあります。予想外の状況の変化、思いがけない人の助け、問題自体の変化などいろいろあります。それが、私たちにとってしるしと言えるでしょう。神様は、疑い深い、信仰の弱い私たちたちに対しても、忍耐をもって取り扱ってくださいます。なぜなら、イエス様の身代わりの十字架という尊い犠牲でもって救った私たちを、最後まで忍耐をもって導いてくださるのが、神様だからです。マラキ3:6, ヘブル13:8。
 私たちは、足りない者ですけれども、たくさん用いてください、と祈りたいと思います。Uテモテ2:20〜21。私たちが何の器であるかより、尊く用いられる器になることの方が重要です。弱くても、足りなくても、私たちのうちに御霊が望むなら、力を与えられます。私たちが弱さを委ねる時、イエス様が働かれます。Uコリント12:9〜10。弱いこと、不安になることは、恥ずかしいことではありません。神様がその小さい従順、小さい献身に応えて、守り、導いて、用いてくださいます。Uコリント12:9〜10。



士師
6:28 町の人々が翌朝早く起きて見ると、バアルの祭壇は取りこわされ、そのそばにあったアシェラ像は切り倒され、新しく築かれた祭壇の上には、第二の雄牛がささげられていた。
6:29 そこで、彼らは互いに言った。「だれがこういうことをしたのだろう。」それから、彼らは調べて、尋ね回り、「ヨアシュの子ギデオンがこれをしたのだ」と言った。
6:30 ついで、町の人々はヨアシュに言った。「あなたの息子を引っ張り出して殺しなさい。あれはバアルの祭壇を取りこわし、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」
6:31 すると、ヨアシュは自分に向かって立っているすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争っているのか。それとも、彼を救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺されてしまう。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取りこわされたのだから、自分で争えばよいのだ。」
6:32 こうして、その日、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。自分の祭壇が取りこわされたのだから「バアルは自分で争えばよい」という意味である。
6:33 ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな連合して、ヨルダン川を渡り、イズレエルの谷に陣を敷いた。
6:34 【主】の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。
6:35 ギデオンはマナセの全域に使者を遣わした。それで彼らもまた呼び集められ、彼に従った。彼はまた、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリに使者を遣わしたので、彼らは合流して上って来た。
6:36 ギデオンは神に申し上げた。「もしあなたが仰せられたように、私の手でイスラエルを救おうとされるなら、
6:37 今、私は打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置きます。もしその羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいていたら、あなたがおことばのとおりに私の手でイスラエルを救われることが、私にわかります。」
6:38 すると、そのようになった。ギデオンが翌日、朝早く、その羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞ると、鉢いっぱいになるほど水が出た。
6:39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一回言わせてください。どうぞ、この羊の毛でもう一回だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りるようにしてください。」
6:40 それで、神はその夜、そのようにされた。すなわち、その羊の毛の上だけがかわいていて、土全体には露が降りていた。



ヨブ8:7 あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

マラキ3:6 【主】であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。

ヘブル13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

Uテモテ2:20 大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
2:21 ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。

Uコリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

Uコリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

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