2014年6月8日「信仰の勇士となって用いられる」士師記7:15〜25

序−弱虫ギデオンが勇士となって、精鋭300人を引き連れて、圧倒的な数の敵と戦い、勝利を収めます。それは、私たちが神様の御手によって、どのように用いられ、どのような人になるかを教えています。

T−共に確信を、勇士となったギデオン−15
 不安と恐れで、憂うつになっていたギデオンは、ミデアンの陣営で夢の解釈を聞いて、感動的な励ましを受け、勝利の確信が与えられました。15節。自分が大麦のパンになぞられていたのを聞いて、小さな献身が大きく用いられることを知りました。確信を与えられたギデオンは、この時から勇士となりました。ヨエル3:10。たった3百人精鋭にとっても、ギデオンにとっても、重要なのは、戦いをする前に信仰が備えられることでした。神様は、戦いを前に、ギデオンに信仰による確信をくださいました。
 私たちにとっても、何か事に取りあたろうとする時、信仰による確信が必要です。信仰の備えがない時、うまく行かなければ、するんじゃなかったと後悔し、問題が起これば、自分にはできないと諦め、先が見えないとすぐに失望してしまいます。小さな従順でも小さな献身でも、確信が与えられれば、進んで行くことができます。夢の話を通して確信を与えてくれることもあるでしょう。御言葉に目が開かれて、人のことばを通して、状況の変化からも確信に導かれます。一番与えられることは、祈りを通してです。祈りを重ねて行く時、確信が与えられます。
 私をイエス様の十字架という尊い犠牲をもって救われた神様が私の味方だ、という確信が必要です。ローマ8:31。今回はしるしを見せてくださいとは、求めていません。ただ信仰によって従って来るギデオンに対して、神様は、敵兵の夢の話を通して、神様がギデオンと一緒に戦われることを確信させてくださいました。これが神様の愛です。パウロも、第二回伝道旅行の行き先変更に悩み祈ったところ、夢に現れたマケドニア人を通して、ヨーロッパ伝道の確信を与えました。使徒16:10。
 大麦のパンが、弱い欠けだらけの役に立たない自画像でしたが、その大麦のパンがミデアン人を倒すギデオンだと敵兵を通して聞きました。どんなに驚き、感謝したことでしょう。ギデオンは、すぐさま主を礼拝しました。手を挙げて感謝し、夜空を仰ぎ見ながら、主を褒め称えたことでしょう。私たちも、こういう励ましと確信を与えられる体験をしたいのです。小さな従順、小さな献身をもって祈り求めていくなら、体験できます。信仰は、頭で理解するだけでなく、心で熱く主を感じなければなりません。そういう祈りや体験が必要です。
 そして、大事なことは、仲間にも夢の話しをし、ギデオンが与えられた励まし、確信を仲間にもシェアーし、「立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった」と、励ましたことです。共に確信することが大切です。パウロの宣教チームも、原文には「共に確信した」と書かれています。使徒16:10。こうして、三百人が、圧倒的な数の敵との戦いに立ち上がって行くことができます。信仰の体験、励ましや確信の分かち合いは大切です。御言葉の働きは、一人から多くの人に広がって行くからです。

U−共に戦い、主のため、主の剣−16〜18 16〜22
 勇士となったギデオンは、兵士たちに戦術について指示しています。16〜18節。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない」と、言っています。別人のようです。主に従う者が、勇士と変えられています。彼らの持つものは、剣や槍という武器の代わりに、角笛と松明、そして空の壺だけです。彼らは防護する武器すら持っていません。ただ、神様を信頼していました。言わば、信仰の武装はしていたということです。これが大事です。
 彼らの武器は「からつぼ」です。空の壺は何の力もありません。壺は、その中に何を入れるかその名前が決まります。梅干を入れれば梅干壺となります。壺の価値は、壺自体を飾りたてることにあるのではなく、その中身何を入れているかによります。私たちは、「福音の光という宝を入れている土の器だ」と言われています。コリント4:6〜7。これが、私たちの価値です。また、この「角笛と松明」は、神様の真理の力のあらわれです。角笛は、御言葉の宣言、メッセージです。Tコリント14:8〜9。福音は、最も強力な霊的武器となり、サタンの攻撃を退けることができます。松明は、世を照らす真理の光、福音の光の象徴です。Uコリント4:4。
 勇士たちは、空の壺と角笛と松明を持って、ミデアンの陣営に着くと、ギデオンの号令に従って、作戦通り行いました。19〜21節。不思議なことに、
兵士たちは、ギデオンの指示に疑問を投げかけたり、文句を言ったりしていません。これは、徹底して神様の御言葉に従順であったということです。ギデオンの従順を見ならった姿です。だから、主に用いられるために残されたのです。
 戦術にかなったことが行われています。真夜中の夜番の交代時をねらっていますが、最も深く兵士たちが寝ている時間です。ギデオンの号令に合わせて一斉に300個の壺を割り、隠しておいた松明を掲げ、一斉に声をあげています。面白いことに、18節と20節を比べると、ギデオンは「主のためだ。ギデオンのためだ」と命令しているのに、300名の勇士たちは「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫んでいます。原文では、「剣」という単語が加えられただけの違いです。しかし、300名の勇士たちのその叫びは、ミデアン人の恐れる心を刺す剣となりました。
 壺の割れる音は、ミデアン人の戦う心を砕いてしまいました。真夜中急に音と叫び、三方からの松明、大勢の軍隊に取り囲まれたと錯覚させ、ミデアン人の陣営はパニック状態になり、幾つかの民族の混成だったゆえに、同士討ちも起こりました。ラクダが驚き、逃げ出したことでしょう。ラクダのいない遊牧民に、力はありません。ギデオンの軍は3隊分かれて、3方向から攻めたので、空いていた一方向から逃げ出しました。
 みな理に適った戦術でしたが、ギデオンがこのような指揮ができるとは驚きです。神様から知恵が与えられたのでしょう。神様は、敵陣に恐れを起こさせ、「同士打ちが起こるようにされた」のです。22節。300人の民は欠けだらけの土の器、ギデオンもひびだらけの大麦のパンに過ぎませんが、神様に聞き従うゆえに勇士となりました。これが、信仰の力です。私たちも勇士となって、人生の問題や仕事や学びに取り組んで行くことができます。ただそれを知らないだけです。イエス様の尊い犠牲によって救ってくださった愛の神様が、どうして人生の戦いにおいて恵みをくださらないことがありましょう。ローマ8:32。私たちに導き、勇士とさせます。

V−共に勝利を、一つとなって用いられる−23〜25 
 敗走する敵を追撃する際、ギデオンは、先に解散させた民を呼び戻して、ミデアン軍を追撃させました。23節。彼らは、始めに一緒に戦おうと集まって来たが、恐れのために帰った民です。3節。彼らは見捨てられた、彼らが役に立たなかった存在だということではありません。ただその時は神様に信頼して従って行く信仰の備えがなかっただけです。敗走する敵を追うことは彼らも十分できます。ここにおいて、一旦は離脱して意気消沈していた彼らも、励ましと慰めを受けました。
 さらには、先の召集リストにはなかったエフライム族にも出動を命じています。24節。ヨルダン川の渡し場近くにいる彼らは、そこで敗残兵を捕らえることができるからです。彼らの自尊心をも回復させています。こうして、戦勝という栄誉を、始めの戦いにいなかった人々も共に受けるようにさせています。ギデオンは、素晴しい指導者となっています。
 ギデオンと300人の勝利は、少数精鋭が教えられているのではありません。それは大軍に勝つための戦略でした。確かに、途中で帰された民は、信仰が不足していました。それでも、後に用いられるようになりました。全イスラエルが一つとなってミデアン人と戦いました。先に戦った者も後に参加した者も、一つとなって共に戦いました。25節。民は、これまで自分たちを苦しめて来た敵の王たちを捕らえ、倒すことができました。これによって、自分たちの土地と尊厳を回復することができました。
 私たちも、共に救われたいのです。共に信仰回復の恵みに欲したいのです。ともに教会活性化に従事したいのです。自分だけの勝利、自分だけの救い、自分だけの霊的成長に満足することは、イエス様が望まれることではありません。先に働き、労苦が人より多いことは、恵みとして受け止め、共に救われ、共に恵まれ、共に主の御業を成し遂げたいのです。家庭でも、職場でも、学校でも、そして教会でも、このようにして行くことが、神様の私たちに望まれることです。エペソ4:13,16。
 なぜ、イエス様を信じるたちが信仰の勇士になれないのでしょうか。御言葉によって自我が砕かれていないからです。神様の御前に、自分が本当に欠けだらけの土の器だと認めていないからです。神様の御力が注がれるには、従いたくないという自我と肉のプライドが死ななければなりません。神様の御前に正直になるなら、ひびだらけの土の器を使ってくださる神様の御声を聞くようになります。悔い改めて、救い主イエス様を信じて、自我という壺を割り、賛美と感謝の歓声をあげるなら、神様の御力のあらわれる新しい人生が始まります。Uコリント5:17。共に救いの確信と主に用いられる確信を与えられて、信仰の人生を歩みましょう。



士師
7:15 ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。【主】はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。」
7:16 そして、彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。
7:17 それから、彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。
7:18 私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、『【主】のためだ。ギデオンのためだ』と言わなければならない。」
7:19 ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。
7:20 三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「【主】の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、
7:21 それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。
7:22 三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、【主】は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。
7:23 イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。
7:24 ついで、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送って言った。「降りて来て、ミデヤン人を攻めなさい。ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りなさい。」そこでエフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。

7:25 また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃した。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行った。



使徒16:9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

Uコリント4:6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

ヨエル3:10 あなたがたの鋤を剣に、あなたがたのかまを槍に、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

エペソ4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

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