2014年6月22日「最後まで堅実に」士師記8:22〜35

序−ギデオンは神様に従いミデアン軍に勝利した信仰の英雄でした。しかし、戦いの後、彼の信仰と考えが変わって行きます。それが、イスラエルに罪と痛みを導き、復興の火を消すことになります。戦いが済んだ後、落ち着いた時が、危ないのです。私たちの信仰の生涯を考えましょう。

T−ギデオンの信仰、権力欲はなかったが−22〜23
 神様に用いられて、ミデアン戦争に勝利した後のギデオンがどうなったのでしょうか。活躍して有名になったギデオンに誘惑が訪れます。22節。また外敵に苦しめられたくない民は、自分たちをミデアン軍から解放してくれたギデオンに、自分たちの王様になってくださいと頼みました。しかし、これは、恐ろしい誘惑でした。権力欲は、人の陥りやすい大きな誘惑です。主の弟子たちが陥ったように、人は自分が上に、自分が先にという思いに囚われています。マタイ20:20〜28。小さな役でも役名が付けば、権力の味を味わいます。私たちの人生においても、問題や戦いが終わった後、事がうまく行った後、誘惑を受けやすいのです。
 しかし、ギデオンの使命は、民をミデアン人の圧制から救い出すことでした。神様がギデオンに王となるようにとは、一度たりとも言われませんでした。元よりイスラエルの王は神様なのです。神の民が御言葉に全面的に聞き従っていれば大丈夫なのですが、実際には全面的に神様に信頼していないために、外敵に責められました。そのために、ギデオンは、民の招請をきっぱりと断りました。23節。
 戦いの後、民は不安になりました。「主の剣」と叫んで、勝利したはずなのに、戦いが済んでしまえば、神様に信頼することがなくなり、不安のためにギデオンに王となって、守ってくれるように求めました。民は、戦いが済んで瞬く間に、神以外のものに拠り頼もうとする誘惑に陥ってしまったのです。事が済んだ、問題を乗り越えた、という時の私たちも、この誘惑に陥りやすいのです。人の肉の思いは、苦しい時の神頼みはしても、うまく行って、問題もない時の神頼みはしない、様以外のものに心を移し易いのです。
 それに対して、ギデオンは、「主があなたがたを治められます」と答えました。不安だとしでも、主に信頼しなければならない、神様以外のものを握ってはならない、と言うことです。その時、ギデオンが王となるべきだという雰囲気に満ちていました。しかし、ギデオンは、王推戴の招聘を受けませんでした。神様が私の王だ、神様が私の人生の主だという信仰からです。私たちは、イエス様が自分の王となっているでしょうか。Tコリント4:8。私たちも、恵みを忘れて高慢になると、王のようになり易いのです。

U−ギデオンが捨てられなかったこと、名誉欲はあった−24〜27 
 ギデオンは、王となるようにという民の要請を固辞した謙遜な人でした。しかし、ギデオンが捨てられなかったことがありました。名誉欲という欲心でした。これがイスラエルに大きな弊害を残すことになります。24〜27節。民は、ミデアン軍を倒して、追い出すことで、急に金持ちになりました。大勢のミデアン兵が、多くの財宝を残して行ったからです。移動する遊牧民は、ラクダや自分の体に財産を付けていたのです。日本でも、古墳から遊牧民の影響だという金属製の耳飾が出土しています。民は、ギデオンのお陰で、多くの富を手に入れました。これも、神様から心離れる原因になりました。
 ギデオンは、王の招請を断る代わりに、民の戦利品から金の耳輪の供出を求めました。小さくて使わないものだから、民もイヤリングを差し出しました。小さな金の耳輪と言っても、1700シェケル、20kgを越える重さの金が集まりました。問題は、それを何に使ったかということです。それを集めて一つのエポデを作りました。エポデとは、祭司長が神様の前で儀式を行う時着た、肩から付けた長い布のことです。エプロンのようなものです。
 なぜ、金でエポデを作り、彼の住む町に置いておいたのでしょう。戦いの勝利の記念とする、ギデオンの名誉欲をあらわれです。確かに、ギデオンは、王になる野心はありませんでしたが、指導者としてもは栄誉が欲しかったのです。そのために、祭司長のように、エポデをもって神様の御言葉を聞きたかったのです。そんなこと必要ないのではと思われるでしょう。ギデオンは、戦いの前に神様から御旨を聞き、導きを受けました。勇気と知恵を与えられました。そもそも、エポデは祭司長が身に付けて、祭儀をする時に効果あり、エポデそのものはただのエプロンです。
 聞こうと思えば、いつでも神様の御心を聞けたはずです。御言葉を読めば、もっとはっきり知ることができます。どうも、彼の中では、エポデが偶像のようになっていたようです。神様に用いられ、活躍した時があまりにも素晴しかったのですが、戦いが終わった後は、戦いの時のように神様の御言葉を聞くことなく、神様の力を体験する機会もなくなりました。戦いが済んで、また平凡な生活普通の人に戻ったのが、耐えられなかったようです。
 ギデオンが神様の栄光を失わないようにするなら、神様の御言葉を慕い求めていけば、それで良かったのです。金のエポデなど必要ありません。預言者エリヤは、450人のバアルの預言者に勝利した後、イゼベル女王が自分を殺そうとしていると聞いた時、荒野に逃げ出ししました。自分は頑張ったという思いのためです。ついには疲れきって、絶望し、再び神様に立ち返って行ったなら、神様の御声を聞くようになりました。T列王19:1〜9。
 ギデオンには、政治的な欲心はありませんでしたが、指導者として名誉欲という欲心に引かれていたのです。エポデを使うなら、本物の祭司に儀式をしてもらい、祭司を通して教えてもらわなければなりません。そうすれば、引き続きイスラエルの指導者となれたでしょう。おそらく、戦いの後は、戦いの指導者としては神様の御声を聞くことがなかったからでしょう。だから、金のエポデを使ってでも、となったのです。
 結果は、大失敗です。民は金のエポデを偶像視してしまいました。出エジプト32:2〜4。27節の言葉は、この布を偶像としてしまったという意味です。民はそれに触れてお願いごとをしたりしたのでしょう。これが、落とし穴となりました。人の罪の本性は、偶像崇拝が強いのです。私たちがイエス様を主として、御言葉に純粋に聞き従うことがないと、何か別なものを偶像視しやすいのです。何かを偶像化していませんか。
 ギデオンが戦いの後、自分の名誉を求めないで、純粋に御言葉を求め、目立たなくても民に仕えることをしていったなら、イスラエルの信仰の復興は継続していたことでしょう。終わりを美しくしなければなりません。負の遺産となることを残してはなりません。どんなに活躍しても、主だけが高められれば、いいのです。用が済めば、元に戻ってもいいのです。ヨハネ3:30。ギデオンには、その思いが必要でした。年老いて島流しにされたヨハネも、ローマの獄中にいたパウロも、何も活動もできないそこで、ただ信仰の遺産を伝えようとしました。ピリピ1:13〜14,黙示録1:9。

V−ギデオンの私生活、名誉欲がもたらしたもの−29〜35
 ギデオンが名誉欲のために金のエポデを作って、相当に霊性が暗くなってしまいました。そうして、後年のギデオンは、大変醜く、汚いものとなりました。大勢の妻を持ち、多くの息子を得ました。これが、後に惨劇を生じることになります。29〜30節。
 人間的な栄光を求めるようになると、政略結婚が生じて来ます。有名になったギデオンの権勢にあずかろうと、多くの有力者たちが婚姻関係を結ぼうと誘い、ギデオンもそれによって栄誉を受けようと、大勢の妻を持つようになってしまいました。もう、神様に用いられた時のギデオンにあった神様の恵みは離れてしまいました。
 ギデオンは、ミデアン戦争が終わった後、欲心のために、神様の恵みが彼から離れてしまい、心を整えることができなくて、残念な晩年となりました。そうして、彼の死後は、まったく信仰の復興は消えてしまいました。33〜35節。戦いの指導者となったギデオンは、神様が生きて働かれることを民に見せてあげましたが、戦いの後も御言葉に信頼して生きるということを見せることができませんでした。ギデオン自身は、長寿を全うしましたが、彼の死後、彼の労苦は無に帰することになります。民は助け出してくださった神様を忘れ、彼の功績が子孫に反映することはありませんでした。私たちは、自分が人生において良い終わりを迎えるだけでなく、子孫と次の世代のことを考えて、信仰の生涯を送らなければなりません。
 私たちは、滅ぶべき魂であったのに、イエス様の十字架のゆえに滅びより救われ、罪赦され、天国へ続く命を与えられました。どんなに大きな恵みでしょうか。困難や病いから助け出され、家庭や職場、学校で祝福も受けました。その後、私たちはどんな生活をしているでしょうか。王のようになって、欲心に囚われて、神様から心が離れていないでしょうか。あわれみのゆえに救われ、助けていただいたなら、その救いの恵みに応え、霊的に造り変えられ、神の栄光あらわす人生としなければなりません。
 ギデオンは、戦いのときのような活躍と栄誉を継続したいと願い、欲心のために神様の恵みから離れてしまいました。働きが終わったら、活躍しなくてもいいのです。イスラエルを悲惨から救ったのですから、「老兵は死なず、ただ去り行くのみ」という思いでよかったのです。御言葉に聞き従い、神様の栄光をあらわしていくという信仰を残せれば、それでいいのです。それだけでも特権です。その信仰が子孫と次の世代の心に生きれば、それが人生の輝きとなり、崇高で偉大な生涯となります。ヘブル11:13。



士師
8:22 そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」
8:23 しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。【主】があなたがたを治められます。」
8:24 ついで、ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに一つ、お願いしたい。ひとりひとり、自分の分捕り物の耳輪を私に下さい。」──殺された者たちはイシュマエル人であったので、金の耳輪をつけていたからである──
8:25 すると、彼らは「差し上げますとも」と答えて、一枚の上着を広げ、ひとりひとりその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。
8:26 ギデオンが願った金の耳輪の目方は金で一千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、垂れ飾りや、ミデヤンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首の回りに掛けていた首飾りなどもあった。
8:27 ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。
8:28 こうしてミデヤン人はイスラエル人によって屈服させられ、二度とその頭を上げなかった。この国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。
8:29 ヨアシュの子エルバアルは帰って自分の家に住んだ。
8:30 ギデオンには彼から生まれた息子が七十人いた。彼には大ぜいの妻がいたからである。
8:31 シェケムにいたそばめもまた、彼にひとりの男の子を産んだ。そこで彼はアビメレクという名をつけた。
8:32 やがて、ヨアシュの子ギデオンは長寿を全うして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。
8:33 ギデオンが死ぬとすぐ、イスラエル人は再びバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。
8:34 イスラエル人は、周囲のすべての敵から自分たちを救い出した彼らの神、【主】を心に留めなかった。
8:35 彼らは、エルバアルすなわちギデオンがイスラエルに尽くした善意のすべてにふさわしい真実を、彼の家族に尽くさなかった。



マタイ20:21 イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
20:24 このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。

Tコリント4:8 あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。

黙示録1:9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

ヘブル11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

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