2014年7月20日「追放の身から」士師記11:1〜28

序−悔い改めて助けを求めるギルアデのために、攻撃するアモン人に対するギルアデの指導者としてエフタという士師が立てられます。この士師はどんな人だったのか、同胞とどのような関わりをしたのか、敵とどのように対応をしたのか、私たちへの適応を求めて学びます。

T−不遇な環境から−1〜3
 まず、この士師は勇士であったと言います。1節。単に戦いに強いというのでなく、信仰の人でした。ただし、彼の生い立ちは悲惨なものでした。母は遊女、それも偶像の神殿付き娼妓だったようです。父ギルアデは、その地名を自分の名とするように、有力者のようでしたが、信仰はなかったということです。そういう生い立ちは、彼を苦しめることになりました。2節。子どもの頃は父の家で育ったのですが、やがて成長すると、他の兄弟たちによって父の家から追い出されるという悲劇が訪れます。しかし、この家で育ったことは悲劇ばかりではありません。形ばかりの信仰とは言え、その中で御言葉を聞き、まことの神様の信仰を受けたのです。不思議というほかはありません。そして、その信仰の人格のゆえに、他の兄弟たちから妬まれ、追い出されたのです。
 これは、神様の恵みということです。教会に友人を導いた人は形ばかりの信仰のままだったが、導かれた友人は信仰に生きる人なって、素晴しい人生を生きたという例もあります。形ばかりの信仰の家だとしても、そこで信仰が継承され、信仰を受け継いだ子や孫の信仰が光り輝くことも多いです。神様の愛とあわれみを信じて、証しに努めなければなりません。
 よくない環境だったとしても、御言葉を聞いて育つなら、神様を恐れることを学び、御言葉の価値観を身に付けて育ちます。以前学んだアビメレクは、父親は有力者だったが、異邦人の母の子であったために正妻の子から蔑まれ、憎んで惨劇を起こしました。エフタと境遇は似ていても、対応は違います。生い立ちがすべて人を決めるのではありません。イエス様を信じることで新しい命を得、生き方が改まり、生い立ちの傷は癒され、変えられます。それが、福音の力、救いの恵みです。Uコリント5:17。
 その信仰は、彼を成長させるだけに留まりません。居たたまれなくなったエフタは、遠い地に逃げて暮らすことになりましたが、仲間も与えられました。3節。トブという地は、イスラエルの東北にあったシリアの地域です。エフタのもとにごろつきが集まって来たというのですが、「ごろつき」と訳されている言葉は、「価値のない者、役に立たない者」という意味です。この人たちは、悪人や暴力を振るような人々ではなく、周りから認められなくて、蔑まれていたような人々が、エフタの噂を聞いて集まって来て、エフタの助けと影響を受けていたのです。
 サウル王から逃げていた時のダビデのようです。Tサムエル22:1〜2。ダビデは逃亡の境遇を嘆いたり、失望するのでなく、信仰でもってしっかり生きて、その彼の助けを求めて人々が集まって来た人々を御言葉で養いました。エフタも、困難を持つ人々を信仰で励まし、御言葉で助けたのです。「取るに足りない者や見下されている者、愚かな者や無に等しい者」である私たちも、イエス様のもとに導かれ、救われ、新たな命を得ました。
 やがて、エフタはギルアデの指導者たちに評価されるようになりました。私たちは、初めから大きいことを委ねられるのではなくて、小さいことに忠実に信仰で仕えることが、その準備となります。御言葉によって小さいことに忠実であることが、大きいことも忠実にできることにつながるからです。ルカ16:10。人は評価を得たいと、中心でよく見える所で活躍したいと考えるのですが、目立たない所でも、信仰で忠実に仕えることが大切です。主の祝福があらわれます。たましいの復興は、自分の家からも、私たちの教会からも始まることができます。

U−呼び戻され、用いられるエフタ−4〜11
 逃亡の地から故郷へ帰ることができる機会が訪れます。それも、ギルアデのかしらとなってくれというのです。4~6節。アモン人が攻めて来たので、ギルアデを助けてくれというのです。ギルアデは、エフタを憎み、さげすんで追い出したところですが、そのギルアデが危急存亡の時でした。アモン人が、ギルアデからイスラエルの人々を追い出して、自分たちの土地にしようとしたのです。
 この危機の時、ギルアデには、アモン人の手から民を救う指導者がいませんでした。信仰で立っている人がいなかったからです。平時の時はそれなりに見えた人も、偶像礼拝者には危機を託せる人がいなかったのです。その中には、エフタを追い出した兄弟もいます。そこで、エフタの評判を聞きつけて、トブの地にやって来ました。はなはだ都合のいい、勝手な態度です。以前エフタをさげすみ、彼を追い出した故郷です。エフタは、長老たちの要請をことば通りには受け取れませんでした。
 でも、エフタは、恨みや文句を言うことなく、真意を確かめる問をします。7節。エフタを利用した後はまたもや追放するかもしれません。恨みがましいことを言っているのではなく、確かめているのです。エフタには野望はありません。トブの地で仲間と平安な日々を過ごせています。ただ、これが神様からの召しであるか否かを確かめるためでした。
 私たちの世の働きも同じです。そこに神様からの召し、導きを感じられるかということが大事です。どんなに名誉や権力があっても、神様の召しが感じられなかったら、危ないのです。逆に、どんなに好ましくないようでも、神様の導きを覚えるならば、進んで行かなければなりません。ヨナの例が、それです。エフタの質問に対する長老たちの答えは、こうです。8節。長老たちは、過去のことを思って、あえて長々と論ずることをせず、今大事なことは、エフタがギルアデを導いて、アモンと戦ってくれることだけだと言っているのです。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来た」という長老たちの一言に、邪念はありません。
 肉の思いでないやり取りは、とても清々しいものがあります。長老たちの思いはただアモン人の手からギルアデが救われることです。それに対するエフタの答えも、すっきりしています。9節。これは、長老たちの招聘を神様からの召しと確信したということです。本当に神様の召しによるならば、アモン人に勝利させてくださるという確信です。
 エフタの素晴しさだけでなく、長老たちにも目を留めなければなりません。自分たちの対面とか権威を捨てて、今自分たちに何が必要か、神様が備えてくださったものは何かに心を向けています。神様が用意してくださったエフタを招請したのです。悔い改めて祈ることがなければ、エフタのことは心に浮かばなかったでしょう。こうして、一同は、神様を証人として、エフタを自分たちのかしらとしました。10〜11節。かつてギルアデから追放され、悲惨な思いで逃げ出したエフタ、今ギルアデのかしらとなって戻ることができました。どんな思いが去来したでしょう。神様のなさることは不思議です。今ギルアデは、神様のもとに一つとなりました。ヨハネ17:21〜23。

V−戦前の交渉、信仰による武装−12〜28
 士師エフタは、アモン人と戦う前に、アモリ人の王に使者を遣わし、交渉をしています。12節。エフタは、どんな権利があってギルアデを奪おうとするのかとアモン人を責めています。このエフタの詰問に対して、アモン人の王は、あたかも自分たちが正義であるかのように主張します。13節。昔イスラエルがエジプトから出てこの地を通った時、我々の国からギルアデを奪ったのだから、今ギルアデを我々に返せと言うのです。
 しかし、それは見せかけです。エフタはイスラエルの歴史に精通していた人でした。子細に王の主張に反駁しています。15〜22節。カデシュに来た時、エドムとモアブにその国を通らせてくれと頼んだが、拒絶されたので、遠回りをしてヨルダン川の東側ギルアデの地に着いた。そして、モーセがギルアデの地の王シホンに、その地を通らせてくれと頼むと、拒否するどころか、軍をもってイスラエルをせめて来たので戦い、「主が、イスラエルの手に渡された」ということです。民数記21:21〜24。
 イスラエルは、エモリ人の王シホンと戦ったのであり、アモン人とは戦っていなかった。アモン人の土地も奪っていなかったのです。それ以前にエモリ人がアモン人から奪っていたのかもしれません。それなら、モーセの時代にその要求を主張すべきだし、300年後の今では何の権利もないのではないかと反論しています。26節。エフタは、アモリ人の王のデタラメを明らかにしました。彼らには大義名分がないということです。そして、最後に神様のさばきに委ねています。27節。
 なぜ、このようなやり取りをしているのでしょう。これを聞いてアモン人が退くのでしょうか。これは、イスラエルの民に聞かせているのです。先祖たちが神様の御言葉に聞き従って、信仰で行動して、勝利して、この地に住むことになった歴史を思い出させました。民は、神様の御心に従っていなかったために、このような状態になりました。今アモン人と戦うのに、信仰に立って、神様に拠り頼んで戦わなければなりません。
 エフタを通して、不遇な環境からでも信仰によって変わることができ、憎しみや悲観から解放され、望みをもって生き、人々に仕えることができることを学びました。私たちも、信仰でそのように生きたいのです。



士師
11:1 さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。
11:2 ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の子だから、私たちの父の家を受け継いではいけない。」
11:3 そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。
11:4 それからしばらくたって、アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきた。
11:5 アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れて来ようと出かけて行き、
11:6 エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアモン人と戦いましょう。」
11:7 エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみに会ったからといって、今なぜ私のところにやって来るのですか。」
11:8 すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」
11:9 エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、【主】が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」
11:10 ギルアデの長老たちはエフタに言った。「【主】が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」
11:11 エフタがギルアデの長老たちといっしょに行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで【主】の前に告げた。
11:12 それから、エフタはアモン人の王に使者たちを送って、言った。「あなたは私と、どういうかかわりがあって、私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするのか。」
11:13 すると、アモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の国を取ったからだ。だから、今、これらの地を穏やかに返してくれ。」
11:14 そこで、エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、
11:15 彼に、エフタはこう言うと言わせた。「イスラエルはモアブの地も、アモン人の地も取らなかった。
11:16 イスラエルは、エジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで行き、それからカデシュに来た。
11:17 そこで、イスラエルはエドムの王に使者たちを送って、言った。『どうぞ、あなたの国を通らせてください。』ところが、エドムの王は聞き入れなかった。イスラエルはモアブの王にも使者たちを送ったが、彼も好まなかった。それでイスラエルはカデシュにとどまった。
11:18 それから、彼らは荒野を行き、エドムの地とモアブの地を回って、モアブの地の東に来て、アルノン川の向こう側に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの領土だったから。
11:19 そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、エモリ人の王シホンに使者たちを送って、彼に言った。『どうぞ、あなたの国を通らせて、私の目的地に行かせてください。』
11:20 シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、シホンは民をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。
11:21 しかし、イスラエルの神、【主】が、シホンとそのすべての民をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打った。こうしてイスラエルはその地方に住んでいたエモリ人の全地を占領した。
11:22 こうして彼らは、アルノン川からヤボク川までと、荒野からヨルダン川までのエモリ人の全領土を占領した。
11:23 今、イスラエルの神、【主】は、ご自分の民イスラエルの前からエモリ人を追い払われた。それをあなたは占領しようとしている。
11:24 あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、【主】が、私たちの前から追い払ってくださる土地をみな占領するのだ。
11:25 今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているのか。バラクは、イスラエルと争ったことがあるのか。彼らと戦ったことがあるのか。
11:26 イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村落、アロエルとそれに属する村落、アルノン川の川岸のすべての町々に、三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その期間中に、それを取り戻さなかったのか。
11:27 私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である【主】が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」
11:28 アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。



Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

Tサムエル22:1ほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。
22:2 また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。

Tコリント1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

ルカ16:10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。

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