2014年8月17日「卑近な事を用いられる神様」士師記14:1〜20

序−サムソンは有名な士師ですが、これまでの士師とは違います。たった一人、型破りで無鉄砲な行動をするのですが、結局士師の働きをして行くことになります。すべて神様の摂理の中にあることでした。

T−敵と関わるサムソン、事を起こす機会のために−1〜4
 長いペリシテの支配の結果、イスラエルにはペリシテと戦おうとする思いすらありませんでした。そこで怪力で有名な士師サムソンが登場します。どんな活動を始めたのでしょうか。1~2節。何と敵のペリシテ人と交わりを持っています。なぜ、イスラエルの民と交わり、仕える働きをしないで、ペリシテ人を尋ねているのでしょうか。そして、ペリシテ人と結婚しようとしているのでしょうか。
 神様に仕える人として信仰の両親に育てられているのに、どうしてこのような行動をするのでしょうか。おそらく、サムソンが、人々にイスラエルの復興とペリシテとの戦いを呼びかけてみたけれども、完全に沈滞した民には、好まれるどころかむしろ煩わしがられ、相手にされなかったようです。このようなことを私たちも経験するでしょう。自分の熱心と現実のギャップに心くじける時があります。信仰で進んで行けばと出てみたけれども、うまく行かず、がっかりすることもあります。
 それで、サムソンは、イスラエル人がそうならば、自分一人でペリシテ人の所へ行こうと、一人でペリシテの町を訪れました。サムソンの無鉄砲さ愚かさが目立つところです。これまでの士師とまったく違い、一人で用いられ、その無鉄砲さも用いられるという特徴があります。
 サムソンは、ティムナという町に行き、そこでペリシテ人の娘と知り合いました。両親は、イスラエルの敵との結婚に反対します。3節。どうしてペリシテ人と関わるのか、ナジル人として育てたのにどうなっているのか、とマノア夫妻は悩んだことでしょう。しかし、このようなことを通して、「主はペリシテ人と事を起こす機会」とされたのです。4節。「主によること」でした。異邦人でも、偶像崇拝をすることなく、同じ信仰を持てばよかったわけです。
 サムソンが、何か知恵や徳を持って考えて行動したということは記されていません。サムソンが、彼なりに考えてペリシテとの関係に飛び込みながら、結果的にペリシテとの戦いの機会に導かれて行ったことになります。ペリシテと関わり、その娘を娶るなんて、神の民、ナジル人としては、相応しくない、と彼の愚かさが指摘されます。しかし、風変わりな行動を神様が用いられることで、ペリシテ人と関わる機会となりました。
 主は、私たちの卑近な問題やちょっとした事件を通して宣教の機会とさせておられます。ピリピ1:12。ですから、私たちは、ちょっとした事件や問題にも、信仰で受け止め、取り組みたいのです。ちょっとした関係も卑近な事も大事にしたいのです。主の摂理の中にあるかもしれません。

U−ライオンと蜂蜜、ペリシテと戦う準備−5〜9 
 そして、次には戦う備えが必要となります。これまた風変わりな体験をすることになります。5〜6節。ティムナに行った時、ぶどう園で一頭の若いライオンに出くわしました。ところが、その時「主の霊が激しく彼の上に下って」来ました。サムソンは、恐れがなくなり、力がみなぎって来て、素手でライオンを引き裂いてしまいました。
 一人でペリシテと戦わなければならないサムソンは、ペリシテの中に一人で入って行くのは、恐れを感じずにはいられなかったでしょう。そこで、神様は、サムソンが素手でライオンを裂いて倒してしまうという体験を通して備えさせてくださったのです。この体験を通して神様が自分と一緒にいてくださるということを知りました。神様の力によって事をなすことができることを教えられました。大きな困難に直面しても恐れることがないように、ふいに危険に出会う経験、何も武器を持っていないで戦う経験をしました。ダビデも、ペリシテと戦う前にライオンと戦った経験をしました。Uサムエル23:5。ペリシテを恐れずに戦う備えがされました。
 私たちが信仰のことをするとき、助けてくれる人がいない、むしろ非難を受けながらしなければならない時があります。自分の力でできるだろうかとはなはだ不安で、周りも理解してくれない場合があります。イエス様がガリラヤで宣教活動を始められた時、親族も故郷の人々も理解してくれず、狂っているかのように受け取りました。マルコ3:21。私たち自身も、悪口を言われながら、損になるのにする必要があるのか、という思いが生じるでしょう。しかし、そんな時神様は私自分しか知らない体験を通して、自分がしていることは神様の御心であって、神様が共にいてくださるのだということを悟らせてくださいます。
 しばらく経ってからティムナに行く時、サムソンはライオンの死体が気になって、見に行きました。8節。それは、死体がどうなっているかに興味があったのではなく、自分が最初に不思議な力ある体験したことを思い出したいということだったのでしょう。その渇いたライオンの死体の中に蜜蜂の巣が作られていました。そして、蜂蜜がたくさんあったので、いっぱい食べて、父母へのお土産にもしました。9節, 箴言25:16。美味しい蜂蜜といえども、死体からと言えず、黙っていました。サムソンらしい、はちゃめちゃぶりです。
 でも、蜂蜜は、「乳と蜜の流れる地」といわれたカナンの主要産物です。蜂蜜は、栄養満点、殺菌作用があり、急速に力を付ける食べ物です。昔この地方でこれほどの食べ物は他にありません。こうして、ペリシテを倒す力を蓄えることになりました。そんな所に蜂蜜があって、サムソンが見つけるように備えられていた。みなつながっています。一つ一つがペリシテとの戦いに備えられています。詩篇31:19。
 私たちも、このような獅子と蜜の体験をします。私たちに大きな力を与えくださり、大きな祝福を受けるようにしてくださいます。主が私たちを用いようとされる時、必要な物資や費用、知恵や体力、協力者も備えてくださいます。身近な出来事を通して、一つ一つ備えてくださいます。

V−サムソンの謎々、戦いへのきっかけ−10〜20
 戦いのきっかけは、ペリシテ人との結婚式で起こります。そこで行われたナゾナゾがいよいよ「ペリシテ人と事を起こす機会」となります。12節。宴会の場を盛り上げようと、ある謎々を出し、賭けを出しました。若者が集まっていたその場には自然のことでした。客の人数と賭けの品数が同じなのは、彼らの着ていた服を脱がせて恥をかかせ、怒って争いになれば、ペリシテ人を打つ機会になると考えたようです。
 サムソンの出した謎々は難しく、誰も解けませんでした。14節。分かるはずがありません。サムソン個人の不思議な体験から出した謎々です。サムソンでなければ、解けるはずはありません。賭け事は良くないことですが、主は、このような謎々という卑近な戯れ事を用いて、「ペリシテ人と事を起こす機会」としようとされました。
 サムソンの愚かさは、秘密を言ってしまうことです。ペリシテ人は三日経っても謎々を解くことができません。15節。そこでサムソンの妻を脅かして、種明かしを聞こうとします。ここにペリシテ人の本性も現れています。たかが謎々なのに、答えを聞き出さないと、家に火を付けて、家族を殺すと脅すのです。後に、事実しました。
 ペリシテと戦おうと計画して、難しい謎々を出したのに、結局妻にせがまれて教えてしまいます。17節。このようなことを見ると、二人の間に本当の愛情がなかったようです。ペリシテ人が後ろで糸を引いているとも知らず、教えてしまいました。そして、結局彼の浅はかな計画は、自分の愚かさのゆえに失敗します。18節。でも、神様が備えさせ、導かれることは、失敗に終わりません。Uコリント4:9〜10。失敗しますが、挫折することはありません。神様の計画は進んで行くことになります。19節。
 サムソンを用いられる神様の導きは変わりません。失敗を用いられます。サムソンは、賭けの支払いをしなければならず、賭けに負けた悔しさと怒りもあります。その時、神様の力が彼に注がれて強くなったので、彼はペリシテ人から晴れ着を奪うことで、彼ら自身に支払わせました。このことは、いざこざの中で起こったので、ペリシテ人はサムソンが自分たちと戦い、倒そうとしているとは気付きませんでした。これも、神様の備えです。
 ペリシテとの戦いは、そう簡単ではありません。徐々に進めなければなりません。こうして、日常的な卑近な出来事を通して、ペリシテとの戦いの備えが進められて行きます。サムソンの無鉄砲さも用いられ、愚かさゆえの失敗も用いられました。私たちも、イエス様を信じて、御霊を受けて、神様に用いられる者となっています。でも、私たちはどんな人でしょう。Tコリント1:27〜28。「愚かな者、取るに足りない者」です。私たちもまた、自分の思いで行い、愚かな行動をし、失敗する者です。でも、神様の導きは変わらない、こんな私を神様は用いてくださると確信し、引き続き御言葉に聞き従って、信仰の歩みと働きをしたいのです。
 サムソンという士師は、実に士師らしくない、表面的には無鉄砲で愚かで、罪も犯し、失敗もする人でした。私たちも同じです。でも、神様はそんな私たちの無鉄砲さ、愚かさ、失敗をも用いて事を行われます。この慈愛と忍耐に富む神様に喜んで従い、用いられたいのです。ピリピ1:12。



士師
14:1 サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘サムソンの無鉄砲さ愚かさが目立つところです。でティムナにいるひとりの女を見た。
14:2 彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」
14:3 すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」
14:4 彼の父と母は、それが【主】によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。
14:5 こうして、サムソンは彼の父母とともに、ティムナに下って行き、ティムナのぶどう畑にやって来た。見よ。一頭の若い獅子がほえたけりながら彼に向かって来た。
14:6 このとき、【主】の霊が激しく彼の上に下って、彼は、まるで子やぎを引き裂くように、それを引き裂いた。彼はその手に何も持っていなかった。サムソンは自分のしたことを父にも母にも言わなかった。
14:7 サムソンは下って行って、その女と話し合った。彼女はサムソンの気に入った。
14:8 しばらくたってから、サムソンは、彼女をめとろうと引き返して来た。そして、あの獅子の死体を見ようと、わき道に入って行くと、見よ、獅子のからだの中に、蜜蜂の群れと蜜があった。
14:9 彼はそれを手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに来て、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を、獅子のからだからかき集めたことは彼らに言わなかった。
14:10 彼の父がその女のところに下って行ったとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。
14:11 人々は、サムソンを見たとき、三十人の客を連れて来た。彼らはサムソンにつき添った。
14:12 サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに、一つのなぞをかけましょう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを解いて、私に明かすことができれば、あなたがたに亜麻布の着物三十着と、晴れ着三十着をあげましょう。
14:13 もし、それを私に明かすことができなければ、あなたがたが亜麻布の着物三十着と晴れ着三十着とを私に下さい。」すると、彼らは言った。「あなたのなぞをかけて、私たちに聞かせてください。」
14:14 そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、そのなぞを明かすことができなかった。
14:15 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「あなたの夫をくどいて、あのなぞを私たちに明かしてください。さもないと、私たちは火であなたとあなたの父の家とを焼き払ってしまう。あなたがたは私たちからはぎ取るために招待したのですか。そうではないでしょう。」
14:16 そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を憎んでばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の民の人々に、なぞをかけて、それを私に解いてくださいません。」すると、サムソンは彼女に言った。「ご覧。私は父にも母にもそれを明かしてはいない。あなたに、明かさなければならないのか。」
14:17 彼女は祝宴の続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はそのなぞを自分の民の人々に明かした。
14:18 町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかったろうに。」
14:19 そのとき、【主】の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家へ帰った。
14:20 それで、サムソンの妻は、彼につき添った客のひとりの妻となった。



ピリピ1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。

Tサムエル17:37 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった【主】は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】があなたとともにおられるように。」

箴言25:16 蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

Tコリント1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

戻る