2014年8月24日「裏切りと保身の中で一人」士師記15:1〜20

序−士師サムソン一人でペリシテと戦うことになりました。それは、孤独でつらいものでした。私たちが、どのように主に用いられて、人に仕えて行くのかを示してくれています。

T−ジャッカルの火−1〜8
 なぞなぞ騒ぎの果てに、大暴れしてイスラエルに帰ってしまったサムソンが、しばらくして再びペリシテに来ました。1節。サムソンは、妻に会おうとやって来ましたが、彼女の父は当惑します。なぜなら、別な人と結婚させていたからです。結婚を破談にするならするで、サムソンに確かめ、手続きを踏まなければなりません。持参金の二重取りで、サムソンを侮辱した行為でした。イスラエルを支配していたペリシテはイスラエルを馬鹿にしており、父親も娘もサムソンを軽んじての仕打ちでした。
 そして、持参金を返したくないので、代わりに妹をと提案するのです。2節。勿論、サムソンが娘を嫌ったと思ったからと理由付けも忘れてはいません。義父は、頭のいい人のようです。ここで、サムソンが神様の御心、つまり「ペリシテと事を起こす機会を求めておられる」ことを考えないとしたら、三つ選択肢がありました。かっとなって義父に仕返しする、諦めずに再婚した男から妻を奪う、舅の口車に乗って妹と結婚する、ということです。しかし、いずれも選びませんでした。
 ここですることは、怒って義父に報復することではない、ペリシテに報復することだ、これはイスラエル全体が侮辱されているのだ、と考えたのです。そして、サムソンは、イスラエル人に被害を及ぼさないでペリシテを打つ方法を考えてみました。ペリシテ人の畑に火をつけるとすれば、怒ったサムソンが個人的な腹いせにしたことだと思うに違いない、と考えたのです。神様に心を向けた時、神様が彼に知恵を与えてくださいました。
 これまた風変わりな方法です。4〜5節。ジャッカルを捕まえて、二匹を尾でつないで、そこに松明を取り付けて、ペリシテの畑に放しました。尾に火がついているので必死に前へ走り、二匹一緒にすることで、互いに引っ張って遠くまで走ります。それだけ、火が広範囲につけられることになります。立穂から収穫した麦、オリーブまですっかり燃えて、大きな被害となりました。兵站を奪うということになりました。
 日本の戦いの歴史にも、同じようなことがあります。源平の戦いの時、木曽義仲が倶利伽羅峠で火牛の計によって平氏の大軍を破りました。これは、古代中国の故事を参考にしたようですが、サムソンは、神様に導かれてすることができました。一人でする必要があるからです。誰か手伝わせたら、イスラエルが攻撃を受けます。私たちが神様に用いられる時、自分には力がない、自分は使い道のない者だと思う必要はありません。神様が用いて、必要な知恵も与えて、大きな結果をもたらしてくださいます。神様に徹底的に拠り頼み、主の御手で導かれることが必要です。
 ペリシテは、この被害に怒り、その怒りをサムソン個人に向けないで、その元を作ったのは義父とその娘だと二人を殺してしまいました。6節。これが、サムソンの怒りを引き起こしました。7〜8節。家族を殺されたためという大義名分があります。「ペリシテと事を起こす機会」は自然であることが必要だからです。こうして、イスラエル人を巻き込むことなく、サムソン一人で、「ペリシテと事を起こす機会」と作って行きました。

U−民の裏切り、一人で戦うサムソン−9〜17
 ペリシテ人も考えました。イスラエル人を圧迫して、彼らにサムソンを捕まえさせようとしたのです。とてもずるい、効果的な方法です。自分たちがサムソンと戦うのは簡単でないので、イスラエル人同士戦わせようと考えたのです。サムソンが怒ってイスラエル人を殺せば、サムソンはイスラエルの敵となり、イスラエル人がサムソンを捕まえてくれれば、なおさらよしということです。
 あたかもイスラエルを攻めるかのようにユダ部族の所に進軍して来ました。9〜10節。ユダの人々は、なぜペリシテが自分たちを攻めて来るのか分からず、理由を問いただしました。サムソンを捕まえに来たと理由を言いますが、ユダ部族がサムソンを捕まえなければ、お前たちを攻撃するぞという脅しです。ペリシテに対するユダの怒れに付け入る汚いやり方です。サタンがクリスチャンを攻撃する方法の一つが、身近な人々同士争わせ、裏切らせ、憎ませることです。ちょっと気に入らないからと家族、友人、教会の人々と争ったり、憎んだりして、混乱するのは、サタンの思う壺です。その手に乗っては決してなりません。
 サムソンを捕まえに、ユダの人々三千人がサムソンの所にやって来ました。11節。我々はペリシテに支配されているのに、なぜ騒動を起こして我々を苦しめるにか、と文句を言っています。ペリシテからイスラエルを救うために命がけで行動しているサムソンを理解せず、自分たちは戦いたくない、自分たちは助かりたい、という身勝手な姿、サムソンだけ犠牲にしようとする裏切り、保身の姿です。私たちも、そのような人々の中に置かれ、人々の身勝手な言動の中で一人、自分の責任を果たさなければならない時があります。とても苦しくつらいものです。
 サムソンはどうしたでしょう。当然怒って、彼らを蹴散らしたのでしょうか。いいえ、自分を縛って、ペリシテに引き渡せと言います。12〜13節。同胞を殺したくないから、自分を攻撃しようとするなとだけ言っています。
「イスラエルのためにしているのに、なぜ私を売り渡すのか、ひどいではないか」などと、文句や弁明の一つも言っていません。私たちだったら、声を大にして文句を言うか、せめて弁明をしないではいられません。乱暴ではちゃめちゃなサムソンですが、サムライのようです。
 なぜ、サムソンは、自分を捕まえようとするユダの人々と戦おうとしないのでしょうか。同胞が敵対してはならないと考えているからです。それは、ペリシテの策略に陥ることだからです。サタンの狙い目だからです。主の働きをしている自分をペリシテに売り渡すこと自体、背信行為です。にもかかわらず、自分が遣わされているのはイスラエルを助けるためで、同胞と戦うためではないという軸があるからです。周りの人々がどうだったとしても、私たち自身は、肉の感情で反応するのでなくて、信仰の軸で反応すべきです。それが、主が望まれることです。Tペテロ2:23。
 現代の言い方で言えば、サムソンは良い教会観を持っていたということです。人は、肉の思いで教会を観て、人々を見がちです。でも、神様が与えてくださった教会は、私たちが思うよりはるかに重要です。神様の救いと導きの核心となるのが教会だからです。
 サムソンは同胞によって敵に引き渡されました。裏切りと保身の同胞の中で一人、怒ることもなく、彼らの弱さと罪を受け止めて、縛られるサムソンの姿がとても印象的です。それは、イエス様の裁判の光景を思い出させます。イエス様は、人々に裏切られて訴えられましたが、一言の弁明も言うことなく十字架を受けられました。マタイ27:13~14,23~24。彼らの救いのためにです。人々の裏切りと保身の中で一人十字架に苦しまれる時、彼らの執り成しを祈るイエス様を思い出します。ルカ23:34。自分の姿に気付かされた人々は、後に悔い改め、救いを受けました。使徒2:37〜38。
 サムソンが縛られて連れて来られたのを見たペリシテ人は、一斉にサムソンを殺そうと群がって来ました。14〜16節。しかし、力を得たサムソンは、ろばのあご骨で、多くのペリシテ人を倒しました。何の武器もない時に素手でライオンを倒した経験が生かされました。

V−燃え尽きるサムソン、神の御前に祈る−18〜20
 しかし、勝利の後にサムソンに危機が訪れました。18節。どんなに力が強いと言っても、大勢の敵を一人で倒した後、あまりの疲労のために倒れそうになりました。精根が尽き果て、のどが渇いて死にそうになりました。「バーンナウト、燃え尽き症候群」の状態です。そのままでは、ペリシテにやられます。苦悩の中で祈りました。ここまで神様が救ってくださったと賛美しました。神の御前に出ることを忘れる人々は、祈りを持って御前に出るようにさせられます。一人で頑張る人、一生懸命やって来た人は、休もうとせず、弱い自分を受け入れられないものです。
 この時、他の人であれば、遠くで見ているだけのイスラエルの民を恨み、ののしったことでしょう。どうして助けてくれないのか、私一人頑張っているのに、自分たちだけ助かれればいいのか、などと言いながら。そして、自暴自棄になってペリシテ陣営に飛び込んでしまうでしょう。しかし、サムソンは、人を見ないで、神様に叫びました。主に拠り頼み続けました。Tペテロ2:23。神様に叫んで、祈り、助けられました。18〜19節。
 サムソンは、一人で戦わなければならないために、「燃え尽きる」ことが問題です。私たちは、疲れ果てる時、燃え尽きていることをもっと叫ばなければなりません。私たちの霊的消耗は、喜びが失われ、人々の言動が気になり、怒りや失望が増加することにあらわれます。その時、私たちは主の御前に立ち返り、霊的力を満たしてくださいと祈るのです。神様はその祈りを聞いて、生きるようにしてくださいます。私たちは疲れ果てて、燃え尽きてしまうときがあります。一人でしなければならないのであれば、なおさらそうなります。「主よ、私は燃え尽きています、疲れ果てて、倒れそうです」と神様に叫びましょう。詩篇23:1〜3。



士師
15:1 しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは一匹の子やぎを持って自分の妻をたずね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は、入らせなかった。
15:2 彼女の父は言った。「私は、あなたがほんとうにあの娘をきらったものと思って、あれをあなたの客のひとりにやりました。あれの妹のほうが、あれよりもきれいではありませんか。どうぞ、あれの代わりに妹をあなたのものとしてください。」
15:3 すると、サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」
15:4 それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にそれぞれ一つのたいまつを取りつけ、
15:5 そのたいまつに火をつけ、そのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放して、たばねて積んである麦から、立穂、オリーブ畑に至るまでを燃やした。
15:6 それで、ペリシテ人は言った。「だれがこういうことをしたのか。」また言った。「あのティムナ人の婿サムソンだ。あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」それで、ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。
15:7 すると、サムソンは彼らに言った。「あなたがたがこういうことをするなら、私は必ずあなたがたに復讐する。そのあとで、私は手を引こう。」
15:8 そして、サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。
15:9 ペリシテ人が上って行って、ユダに対して陣を敷き、レヒを攻めたとき、
15:10 ユダの人々は言った。「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」
15:11 そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、
サムソンに言った。「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。あなたはどうしてこんなことをしてくれたのか。」すると、サムソンは彼らに言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」
15:12 彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」
15:13 すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。
15:14 サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、【主】の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。
15:15 サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。
15:16 そして、サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」
15:17 こう言い終わったとき、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。
15:18 そのとき、彼はひどく渇きを覚え、【主】に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」
15:19 すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。
15:20 こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間、イスラエルをさばいた。



詩篇56:10 神にあって、私はみことばをほめたたえます。【主】にあって、私はみことばをほめたたえます。
56:11 私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。
56:12 神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。
56:13 あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

マタイ27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
27:14 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。

ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

詩篇23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

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