2014年9月7日「罪に陥る弱さに気付かない」士師記16:1〜17

序−サムソンとデリラの話は、オペラとして有名です。オペラの中では沈滞する同胞をサムソンが信仰的に励ますのですが、サムソンは士師となった後、霊的な指導をすることなく、しばしば異邦の女性と付き合い、結局それが罠となって行きます。サムソンのそのような行動や罪を見ながら、信仰者がどう揺れ動いて行くのかを学んで行きます。

T−霊的活躍の後の堕落−1〜3
 士師としての働きは、御言葉をもって民を霊的に励まし、導くことですが、罪の行動をしています。スキャンダルの始まりです。1〜2節。ガザは、ペリシテの町で最も南に位置する町です。エジプトとメソポタミヤを結ぶ交通の要衝で、遊女がたくさんいたようです。サムソンは士師の働きをしないで、どうしてこのようなところに来たのでしょう。
 神の民が神様の御手に捉えられて、用いられる時には、霊的力が注がれ、神様の栄光をあらわすことになります。ところが、偉大な瞬間が終わった後、その人が元の自分に戻って行くならば、平凡な人、いや罪や誤りの多い人になります。罪の誘惑も感じる人にもなります。人は、活躍して大きな働きをした後、自分の活躍に肉の自信が増し、感情は興奮し、人間的な欲が大きくなるようです。罪の誘惑にも陥り易くなります。
 サムソンも、ペリシテ人千人を倒した後、異性に対する欲が強い乱暴者に戻ってしまいました。ペリシテに勝利したにもかかわらず、士師として民を御言葉で養い、霊的に指導することをしなかったか、そうしようとしたけれどもできなかったようです。サムソンのすべきことは、それでも御言葉を注ぎ込み続けることです。宣教と養育の働きを続けて行くならば、次第に御言葉に反応する人々が出て来たはずです。その人たちが、イスラエル復興の火種になったことでしょう。
 そうすれば、サムソン自身も誘惑に陥ることもなく、罪に陥ることもなかったでしょう。ところが、そうしなかったために、彼自信も自分の力を信じて、自分にこの力があれば、いつだってペリシテは倒せると考えるようになりました。誰も助けは必要ない、自分一人でできると考えました。こうして、サムソンには、同労者がなく、祈りの支援者もいませんでした。
 そして、彼は自分に他の部分があることを考えませんでした。それは、肉の欲に倒され、放蕩しようとする欲求でした。私たち自身の弱さは何でしょう。神の民は、罪に陥る弱さのために、信仰的な関係が必要なのです。信仰的な家族、信仰的な兄弟姉妹との関係が必要です。御言葉によってつながっていれば、サタンが付入ることはできません。ところが、サムソンは、イスラエルの霊的沈滞のために一人で事にあっていたために、自分自身も肉の欲の試みに燃やされてしまいました。それで、遠くのガザまで来て放蕩していたのです。遠くならばという肉の知恵でしょうか。
 結局、サムソンの間違いは、自分に弱さがあることを考えなかったことです。私たちは、肉の思いで言動に及びます。自分の過ちに気付かない者です。聖い思いになるかと思えば、憎しみや欲に燃やされるのです。賛美をする口から罵りや悪口が吐き出されます。ヤコブ3:10。どうすれば、このような罪と滅びの道から救われるのでしょうか。だから、イエス様が十字架に身代わりにかかってくださいました。ローマ7:24〜25。

U−神様の慈愛とあわれみ−
 サムソンは、ペリシテ人が町を囲んで、サムソンを捕まえようとしていることに気付きませんでした。2節。ガザなら人々に知られまいと考えたのですが、知られてしまいました。神様はこのようなサムソンをあわれんでくださり、眠っていたサムソンを起こして、行動させたようです。ヨブ33:15〜18。夢で教えられたか、ペリシテ人の声を聞かせたか、悟らせてくださいました。そして、再びサムソンに力を与えてくださいました。
 サムソンは、町の門のとびらと門柱をかんぬきごと引き抜いて、ユダのヘブロンにある山まで運んで行ったというのです。3節。途轍もない力です。なぜこんなことをしたのでしょう。昔の城塞都市にとって、門のとびらは町を守るために重要でした。敵が攻めて来ても、城門がしっかり閉じられていれば大丈夫ですが、これがなければ、無防備同然です。
 これは、サムソンらしい大げさな示威行為です。俺を閉じ込めることなどできないぞ、ということです。ガザの人々は、サムソンの力にとても勝てないということを知りました。ペリシテ人には、サムソンが怪物のように見えたことでしょう。この勝利は、神様のサムソンに対する愛とあわれみによるものでした。ガザに行って放蕩し、罪に陥りましたが、捕まらないようにしてくださいました。罪の誘惑に倒れるほかなかったサムソンをあわれんでくださったのです。
 これが神の民に対する神様の愛とあわれみです。私たちが罪に陥り、誘惑に陥る時、すぐに私たちに失望され、捨てたりされません。私たちがイエス様の十字架の犠牲による救いを信じて以来、私たちが罪に陥り易い者であることを神様はご存知です。立ち返りを呼びかけてくださいます。救ってくださった者を見放さず、救い続けられるお方が、主なる神様です。ヨハネ10:28〜29,ピリピ1:6。聖徒の堅忍の教理と言います。私たちが悔い改めるならば、神様は私たちの罪を聖めてくださいます。
 罪や過ちの危機から助け出されたならば、そこには神様の愛とあわれみとともに、警告もあることを私たちは悟らなければなりません。肉の思いに陥った状態から救われたのですから、神の前に立ち返らなければなりません。「助け出してくださり感謝します。もうこのような状況から離れます」というように。

V−弱さに付け入れられるサムソン−4〜17
 しかし、また繰り返すことになります。また別のペリシテの女性が好きになりました。4節。サンサーンス作曲のオペラでは、デリラがあまりに美し過ぎて、その魅力にサムソンが参ってしまうことになります。美しさのゆえに警告も忘れ、サムソンは誤りを繰り返してしまいました。人は、同じ罪を犯してしまう習性があります。私たちは、罪について偶発的なもののように考えがちですが、違います。罪というものは、罪の道を作り、罪の習性を作るものなのです。一度罪を犯せば、道ができて簡単にそこまで進んでしまうのです。その道を破壊して、健康な道を作らなければ、新しい習慣を作らなければ、罪から逃れることはできません。
 サムソンの場合、イスラエルの中で御言葉による士師の働きをすることが新しい道であり、新しい習慣を作ることになりますが、しませんでした。繰り返し女性のところへ行くことになった理由を考えなければなりません。自分の肉の思いのまま行動していました。力だけいただいて、神様に聞き従うことをしない高慢のゆえでした。私たちの他山の石としましょう。
 ペリシテの領主たちは、デリラに、サムソンの力の元はどこにあるのか、自分たちがサムソンをどうしたら倒せるか、それを知ることができたら、五人の領主が一人銀千百枚をあげよう、と約束しました。4〜5節。デリラはお金に弱いのです。魅力を用いて執拗に聞き出します。
 サタンも私たちを倒そうとする時、私たちの弱点を探し出し、そこを集中的に攻撃して来ます。ですから、私たちは自分の最も弱い部分をよく把握しておかなければなりません。ペリシテ人の方がサムソンの弱さを把握していましたが、サムソンは無防備でした。デリラは力がなくなる秘密をサムソンから聞き出そうとしますが、サムソンはすぐには教えることなく、偽の方法を教えます。6〜9節。こんなことを三度も繰り返しています。力の秘密を教えられないが、好きなデリラの相手もしたいのです。デリラも大金がかかっているので、諦めません。デリラが毎日毎日しきりにせがむので、サムソンは苦しくなりました。16節。オペラの題材になるくらい二人の間で「愛していないの、愛しているよ、愛しているならなぜ嘘をつくの、愛しているけど教えられない」という感じでやり取りされました。
 こんな繰り返しは愚かに見えるでしょうが、罪に陥っている時は自分の愚かさに気付かないものです。他の人と信仰的な交わりがなく、一人でいるためです。神様から離れていたからです。はたしてサムソンの力の根源はどこにあったのでしょう。髪の毛?いいえ、神様に聞き従う聖い情熱にありました。もうサムソンから神様の力は離れていました。このようなふざけたやり取りを続けるうちに、こんなことをしていてはいけない、と悔い改めて、その場から離れるべきでした。
 ところが、デリラから離れることはできませんでした。罪を放棄することができませんでした。愛する女から責められるから苦しかっただけでなく、神様に立ち返えらなかったことが苦しかったはずです。苦しい時は、神様に叫ばなければなりません。しかし、彼は叫びませんでした。罪の囚われ人となっていたからです。17節。ついに秘密を教えてしまいました。これは、神様に対する背信です。
 サムソンは、自分の力が長い髪にあると思っていましたが、力は神様がくださるものです。サムソンは自分の力を過信して、神様の御言葉を無視してしまったのです。私たちが自分の肉の思いや力を過信して、御言葉の力を放棄したならば、いつか倒れてしまいます。サムソンやデリラの愚かさは、私たちも持っているものです。イエス様からいただく力をもって謙遜に仕え、奮闘しましょう。祝福を受けて、用いられます。コロサイ1:11,29。



士師
16:1 サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところに入った。
16:2 このとき、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。
16:3 しかしサムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびらと、二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。
16:4 その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。
16:5 すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」
16:6 そこで、デリラはサムソンに言った。「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」
16:7 サムソンは彼女に言った。「もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」
16:8 そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。
16:9 彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。
16:10 デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。」
16:11 すると、サムソンは彼女に言った。「もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」
16:12 そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。
16:13 デリラはまた、サムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」
16:14 彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。
16:15 そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、どうして、あなたは『おまえを愛する』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませんでした。」
16:16 こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。
16:17 それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」



ヤコブ3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

ローマ7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

ヨハネ10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

コロサイ1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、
1:29 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

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