2014年11月16日「あなたがたは知らないのですか」Tコリント3:16〜31

序−自分はどういう者か。気高い自己認識を持つ者は、それに相応しくなって行きますが、肉と欲に流されるなら、そのようになります。確かに元の自分は肉と欲に支配されていたけれども、今はイエス様に救われています。私たちはどういう者だという自己認識が必要なのでしょうか。

T−あなたがたは神の神殿です−16〜17
 私たちが、クリスチャンになり、御言葉を学んでいるにもかかわらず、相変わらず、肉の思いに囚われ、コリントの人々のように妬みや争いの中にあるとしたら、残念なことです。それで、建物の比喩を続けながら、とても神秘的な特別な比喩を用いて教えるこの箇所が、私たちの目を覚まさせてくれます。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられる」というのです。16節。
 「神殿、宮」と言う時、二つのギリシャ語があります。ヒエロンは建物と境内を含む宮全体のことであり、ナオスは神殿の聖域、至聖所を示しています。ここで使われているのは、ナオスの方です。至聖所、神様のおられる所、つまり神様の臨在に目を向けさせているのです。ですから、私たちは、教会に来る度に、神様に会うことを意識します。賛美して御言葉を聞くなら、神様の臨在におおわれます。十字架の付いた会堂を見ても、イエス様のことを思うのです。心疲れて帰る時、赤い十字架を遠くから見るだけでも、癒しや平安を覚えるのです。
 「神の御霊が宿っている」と、妬みや争いの中にいるコリントの聖徒たちにも、御霊が内住していることを強調しています。そんな彼ら自身が、至聖所、神様のおられる「神の神殿」だというのです。とんでもない凄いことです。でも、妬みや争いの中にいた彼らは、そんなことを露ほども思っていませんでした。ですから、パウロは、「あなたがたは、〜を知らないのですか」と、語気を強めて言っています。あなたがた自身がどんなに素晴らしい存在なのか知らないのですか、と叫んでいます。
 私たちが、「私は神の宮であり、御霊が内住している者だ」という存在感を持ち、その素晴らしさを発揮して行くなら、それが私たち一人一人の生活に大きな影響を与えることでしょう。「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」とも言われています。Tペテロ2:9。私たちは、自分自身をどうとらえて、どう見ているのでしょうか。謙遜するのはよいのですが、ことさら自分を卑下し、否定的にとらえ、人の嘲りや蔑みに心沈むということはないでしょうか。御言葉は、私たちに対しても、「あなたがたは神の宮であり、御霊があなたがたに宿っていることを知らないのですか」それとも忘れてしまったのですか、と言っています。みなさん、どうですか。
 自分がそういう存在であることを知らないかまったく忘れているなら、どうなる危険があるでしょうか。17節。自分の肉の思いで妬みや争い、噂話をするなら、教会を混乱させるだけでなく、至聖所を汚すことになるというのです。「こわす」も「滅ぼす」も、ともに「汚す、壊す」という意味のプセローが使われています。ですから、肉の思いで、妬み、争い、噂話をするなら、教会を破壊し、自分という聖霊の宮を「けがす、損なう」ということになるよ、と言っているのです。神様の罰のように見えますが、自分が自分を破壊することになるということです。
 よく考えてみてください。肉の思いでいっぱいになり妬み争うなら、神の宮、聖霊の住まいをけがし、傷つけ、損じることになるのです。結果、自分を、けがし、傷つけ、破壊することになります。自分が気に入らないからと、怒り、あざけり、噂話をし、争います。そんなことをして、いいのですか。自分で自分を傷つけ、自分で自分を破壊し、自分で自分を貶めて、いいのですか。そうしていることを知らないのですか。私たちは、もうそんな愚かな、悲惨なことはやめたいのです。

U−世の知者世の知恵は空しい−18〜21a
 哲学の盛んだったコリントで、人々は知恵を誇っていました。しかし、実態は、自分が自分を汚し、自分が自分を破壊する愚かなことをしていたのです。ですから、そんな知恵は、自分を欺いていることになります。18節。もし、自分が知者だと考え、得意がっているなら、その人は愚かになれ、と戒めています。そういう人は、何も知らなかった、自分が無知であったことを告白しなさい、と言っています。
 妬みや争いの元となったこのような世の知恵は、自分は知者だ、あの人より知恵や能力があるなどという思いです。確かに世の標準から見て、知者であり、能力のある人かもしれません。しかし、肉の思いで人をさげすみ、あざけり、妬み、怒り、悪口を言い、噂話をし、争うなら、それは愚か者だ、知者でない、痴者だというのです。私たちは、こうして神様の臨在の前に出るならば、私は「神の御前では愚かだ」ということをわきまえざるをえません。19節。自分は知者だという自慢、自己神格化は、「悪賢い知恵」になります。悪賢いたくらみは打ちこわされ、何の効果ももたらさないことを知るようになります。ヨブ5:13。
 主は、「知者の論議を無益だ」と言われます。20節。私たちも、しばしば世の論理ではこうすべきだ、自分は正しいと議論します。自分を誇る人たちが集まれば、騒がしく、騒動も起こります。21節a。主の御前に立てば、自分の「思い計ることがいかにむなしいか」知らされます。詩篇94:11。自分の論理は正しいとしても、それが信仰的なのか、自分は福音に立って言っているのか考えてみなければなりません。私たちは、それが世の論理に合わないこと、不足していることであっても、福音に根ざすこと、主に喜ばれることを選びたいのです。
 人は知恵を求めて生きます。まことの知恵は、どこから来るのでしょうか。神様から来ます。ヤコブ1:5。神様に心が開かれている人が神様の知恵をいただくことができます。電気製品を使うのに、他の製品のコードをつないでも、作動しないように、いくら人が知恵や力を持っていたとしても、神様につながっていなければ、よりよく用いられることができません。コードをつながないまま電気製品を使おうとする間抜けな姿となります。本当に真実な心で神様に心が開かれていることが必要です。

V−すべてはあなたがたはのもの−21b〜23
 そのような世の知恵が、どこに現れたかというと、派閥争いでした。4節。人は、誰か偉い人や権力者にすりより、派閥に入ることで益を受けようとします。他愛無い例は、有名人や偉い人を自分は知っている、ということです。そういう人と知り合いだ、関係があると誇りたがります。コリントの人たちが、勝手にパウロ党だ、アポロ党だと作り、そこに属していると威張り、争っていました。
 しかし、この箇所の終わりで、そんなこと誇る必要はないと言っています。22節。彼らが、私はパウロに属する、ケパに属すると言っていましたが、あなた方がパウロのものではなく、パウロこそあなた方のものだというです。最初に来て福音を伝えたパウロも、その後に来たアポロや他の人たちもあなた方に仕える者です。だから、みなあなた方のものですよ。彼らの教えも業績もみなコリント教会のものなのだから、あなた方のものなのです。それを知らないのですか、と言っているのです。
 パウロやアポロが、人々を集めて派閥を作ったのではなく、聖徒たちが自分を主張し、争うために、勝手に名前を使い、自分たちに箔を付けていただけです。これが、人の知恵の姿です。勲章やバッチをいっぱい付けたり、名刺にたくさん肩書きを並べたり、誰々を知っている、何々に属していると言ったり、自分をあらわそうとします。そんなことで誇る必要はないと教えてくれます。あなた自身で素晴らしい存在だというのです。
 あなた方のものは、パウロやアポロだけではありません。「すべては、あなたがたのもの」だというのです。21節。なぜ、そんなことが言えるのでしょう。「あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のもの」だからです。23節。神様は、創造者であり、すべてを司られるお方です。イエス様の十字架は私の罪と滅びの身代わりだ、と信じて救われているなら、御国の相続者となっています。エペソ1:11,14。イエス様の十字架により、滅びる命でなく、天国へ続く命となりました。神様の祝福を受ける者となりました。家庭も職場も宣教の地もすべて私たちのものです。神様の祝福と御力の働くところとなっています。
 御言葉は、私たちに対して、あなたは素晴らしい存在だ、と宣言しています。「あなたがたは聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」。Tコリント6:19〜20。私たちは、この事実について無知なのでしょうか。救いの恵みが、イエス様の十字架の身代わりという「大きな代価を払って買い取られた」ことを忘れているのでしょうか。イエス様の十字架による救いが、自分に生きた力を持たなくなってしまったのでしょうか。素晴らしい存在だと認識しましょう。
 きょう私たち一人一人の心にも、「あなたがたは聖霊の宮であることを知らないのですか」という声が響きました。この真理を私たちが知っており、記憶しており、所有しているなら、妬みや争いなど起こりえません。教会が神の神殿であり、私たちが聖霊の宮であるという驚くべき事実が、再び私たちのうちに生き生きと発見されますように願います。



Tコリント
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
3:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。
3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」
3:20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。
3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。



Tペテロ2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

ヨブ5:12 神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。

詩篇94:11 【主】は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。

ヤコブ1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

箴言28:26 自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。

エペソ1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

Tコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

戻る