2015年 5月 24日「はじめの愛に」黙示録2:1〜5

序−人生の節目に、歩みを省みることは、大切です。そうでなければ、日々起こって来る様々な出来事に翻弄されながら、月日は過ぎてしまい、過ごし方を省み、これからの歩みを考えることなどないからです。設立記念は、教会の歩みと人生を省み、思いを新たにする良い機会です。

T−思い出し−感謝を
 私たちにその機会を与えてくれるのが、エペソ教会への使信です。2節。エペソ教会に対して、「あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている」と言われています。熱心だったことが評価されています。具体的には、間違った信仰の者を見抜いて、信仰を守ったことも誉められています。エペソは、エーゲ海の中心都市、パウロが最も長く滞在して、教会形成にいそしんだ所です。偶像と経済の中心地で、労苦と忍耐を持って歩んで来た教会でした。そのような教会が、非難され、「どこから落ちたか思い出しなさい」と言われています。4〜5前半。
 いつから福音の感激を失って、肉の思いになってしまったでしょうか。エペソ教会の聖徒たちが、救われた恵みを忘れ、自分たちの努力や成功を重要視し、自分たちの肉の思いを満足させることをもっぱら考えるようになったようです。とうぜん、信仰は形骸化し、信仰の喜びも失われ、様々な問題も起こっていたようです。
 では、何を思い出し、何を覚える必要があるのでしょうか。ただ過去を思い出し、なつかしがることを勧めているのではありません。以前の設立記念の時引用したヨシュア4:20〜24には、記念の石塚を立てるのは、その石塚を見て、神様の救いと守りを覚えておくためでした。エペソ教会の聖徒たちは、アルテミス神殿をはじめとした偶像と欲と罪に満ちていたエペソで、罪のために滅び行くたましいでしたが、そこから救われました。そのイエス様の十字架によって救われた恵みを思い出しなさい、ということです。
 つまり、救いの恵みを思い出し、罪と滅びから救い出されたことを感謝することです。感謝を忘れてしまうことが、信仰生活を形骸化させ、不平不満を生じさせ、肉の思いを増大させ、信仰の歩みから落ちてしまう原因となりました。空しい偶像礼拝、凄まじい金銭中心の渦の中から救い出された、あの感激、感謝を思い出すべきでした。エペソ教会という教会が自分たちに与えられたことの感謝を思い出すのです。兄弟姉妹との信仰の交わりに導かれた感謝を覚えることでした。
 思い出してみましょう。感謝すべきことを。あきる台BCで忘れてはならない感謝は、教会のはじまりのです。あきる台BCとして始まる前の状況は、辛く厳しいものでした。二つの群れは、存続も危ぶまれる状態でした。その二つの伝道教会が合同して新しいあきる台BCとして始められたということは、神様の大きなあわれみでした。申命記5:15。あきる台BCの感謝の原点が、ここにあります。
 そうして、新しいビジョンのもとに教会が形成されて行き、そこに新しい人たちが加えられて来たことも、教会にとって恵みであり、感謝です。加えられた方たちにとっても、霊的に整えられつつあるあきる台BCに加えられたことは恵みです。詩篇103:2。大いに感謝しましょう。そして、あきる台BCのはじまりの方々に感謝したいと思います。その基盤、はじまりがあったからこそ、今のあきる台BCがあるからです。
 私たちの歩み、人生を感謝しましょう。Tテサロニケ5:18。育てられた家庭と親たちに感謝しましょう。傷を覚えることもあるでしょう。でも、私たちは、そこに生まれ、育てられて、今の私たちがいるのですから。今の家庭と家族に感謝しましょう。学校や職場を感謝しましょう。生活の場、学びの場、働く場が与えられていることの感謝を忘れてはなりません。
 そして、何よりも、私たちがイエス様に出会って、救われたことを感謝しましょう。NLS(養育クラス)で信じ直し、信仰が新たにされたことを感謝します。セルグループで御言葉に養われ、交わりに恵まれたことを感謝します。豊かな賛美と御霊の働く礼拝を感謝します。ともにキリストの体とされ、奉仕を担い、互いに仕え合えたことを感謝します。

U−悔い改めて−肉の思いを
 しかし、エペソ教会は、感謝を忘れたことで、叱責を受けるような状態になっていました。神様を知っていても、イエス様を信じてはいても、その恵みを覚えず、感謝もしない時、その思いはむなしくなります。罪と肉の思いに振り回されることになります。ローマ1:21。感謝どころか、その状態を当たり前と感じ、自分の肉の思い通りにならないと、不満や憤慨さえ生じるようになるのです。彼らは、パウロたちの宣教によって救いに導かれた感謝を忘れ、救われた恵みを忘れて、肉の思い中心になって、後を継いだ牧者であるテモテを苦しめたようです。悔い改めることをしないならば、祝福はなくなり、教会がなくなってしまうと警告されています。5節。
 私たちが感謝を忘れると、すべてのことを当然のことと思い、不平不満ばかり覚えるようになります。その思いは空しくなります。ローマ1:21。救われた恵みを忘れていませんか。あきる台BCに加えられていることはたまたまでしょうか。家庭や職場があるのは当たり前ですか。自分の思うようにならないことで、不満を抱き、呟いてばかりいないでしょうか。
 肉の思いは、悔い改めなど好みません。しかし、感謝を覚え、恵みを思い出すなら、悔い改めも生じて来ます。ああ、救われた恵みを忘れ、文句ばかり言っていたな、辛くあたっていたな、人のせいにしていたなと悔い改めるようになります。反省でもなく、失敗したと悔いるのでもありません。感謝や恵みを思い出すと、肉の思いで歩んでいたことも悔い改めるのです。Uコリント7:9。神のみこころに添った悔い改めは、救いにいたる悔い改めを生じさせます。教会のことや家庭や仕事のことで、私たちは悔い改めます。恵みを覚え、感謝を思い出すなら、そうなります。
 思い出してください。私たちは、イエス様が私の身代わりとなって十字架にかかってくださったという福音を聞いて、こんな罪人の自分が神様のあわれみを受けることができると知って、悔い改めて、救われたはずです。使徒2:37〜38。イエス様が十字架で流された血は、私たちの醜い罪をきよめてくださいます。それを知っている私たちが、感謝を覚え、恵みを思い出すだけで、罪の思いや肉の行動を悔い改めずにいられるでしょうか。
 私たちが謙遜に悔い改める時、神様が新しく驚くべきことを始めてくださいます。教会が悔い改める時、神様は以前にはありえなかったほどに恵みを注いでくださいます。

V−初めの行いをしなさい−はじめの愛を
 ですから、感謝し、悔い改めたなら、「初めの行いをしなさい」と命じています。5節。「初めの行いをする」とは、回復するということです。よく健康を回復すると言いますが、健康な教会を立てることです。子どもがそうであるように、教会も霊的健康であれば、育ちます。ただ教会の成長数の増加だけ見がちですが、必ずしもそうではありません。教会の霊的健康に焦点を合わせるべきです。成長は、結果であり、神様に委ねなければなりません。
 あきる台BCがはじまる時、みな純粋な感謝と大きな恵みを覚えて、熱心に歩み出しました。あきる台BCに導かれて、新たな教会生活が始まった時、新鮮な喜びと感謝を感じていました。喜びをもって奉仕し始めました。結婚した時、互いに相手をいたわり、配慮する初々しい思いがあったはずです。仕事に付いた時、勤勉に誠実に働き始めたことでしょう。その初めの行いを回復するのです。初めの思いに立ち帰るのです。
 過去の感謝を覚え、過去のあやまちを悔い改めてから、私たちが健康な信仰を回復するためにすべきことは何でしょう。イエス様が「初めの行い」と呼ばれたことは、何でしょう。4節では、「初めの愛」と言われています。つまり、初めの行いとは、恵みの福音です。福音とは、イエス様の十字架による救いです。これがすべてのことの出発点であり、あきる台BCの始まりの出発点です。そのために御言葉による霊的造り変えをビジョンとして歩み出し、歩み続けて来ました。
 福音には力があります。人を救い、造り変える力があります。ローマ1:16~17。私たちは、福音があらゆるものに優先することを知らなければなりません。福音は、私たちの基本であり、最優先事項にならなければなりません。恵みによる救いの福音は、教会の、私たちの全生活の「初めの愛」の基盤であり、動機となります。もし、福音が私たちの教会において中心でなりならば、もはやキリストの体なる教会とはなりえません。
 ガラテヤ5:4では、福音を歪曲した人々が、「キリストから離れ、恵みから落ちてしまった」と言われています。イエス様による救いの恵みの福音は、罪のうちに死んでいた者にいのちをもたらすだけでなく、福音の恵みが消えかかっている者にも、新たないのちを与えてくれます。福音は、伝道の時だけでなく、弟子訓練による神様からの贈り物でもあります。神様は、私たちを一方的に愛してくださり、救いに選び、福音によって召してくださいました。Uテサロニケ2:13。
 ですから、私たちは、主の愛を知り、自分もイエス様を愛して従い、人を愛して仕えて行こうという「初めの愛」に立ち帰りたいのです。神様の愛に応え、人々を愛して、イエス様を愛して行きます。Tヨハネ4:10〜11。



黙示録
2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。
2:2 「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。
2:4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。



申命記5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。

Tテサロニケ5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

詩篇103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

ローマ1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

Uコリント7:9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あな

たがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。
7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

ガラテヤ5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

Uテサロニケ2:13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
2:14 ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。

Tヨハネ4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

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