2015年6月7日「私たちは変えられるのです」Tコリント15:35〜58

序−天国はどのようなのですか。死んだらどうなるのですか。家族や友人を失った者にどんな慰めや勇気が与えられるのですか。死というものをどう考えればいいのですか。そのような質問が、誰の心の中にもあります。考えないようにしているかもしれませんが、私たちは、積極的に考えていいのです。しっかり認識して生きて行くことができるのです。死は終わりではなく、新しい存在の始まりです。

T−蒔かれた種は死にますが−35〜39
 コリント教会にも、こんな質問をする人がいました。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」35〜36節。この質問について、「愚かな人だ」と使徒パウロが言っています。なぜでしょう。信じないで、復活の方法や仕方が理解できないので、復活のメッセージを否定していたからです。でも、そんな質問自体が不条理な質問ではないでしょうか、そんなことを説明できる方法があるのでしょうか。私たちのうちにも、同じ疑問があるかもしれません。
 しかし、「死者は、どのようにしてよみがえるのか」という疑問について、何と自然の一粒の麦になぞらえて説明しています。36〜37節。当時の人々には、もっとも親しみのある例です。蒔かれた種は、種としては土の中で死にます。種が死ななければ、そのままです。蒔いた種自体はなくなりますが、茎や葉が伸びて、多くの実を付けることになります。同じように、肉の体も死ぬのですが、新しいよみがえりの体はそれとはまったく違うということが強調されています。
 もし人が、復活の過程が信じられないからイエス様の復活は信じられないというなら、自然の種が変化する過程を理解できないからと言って、種を蒔いた結果である収穫を信じないというのでしょうか。自然を作り、私たちに救いの命を与えてくださる神様の節理を受け入れます。イエス様のよみがえり、死者の復活は奇跡ではありますが、自然のことを見るならば、そこに起こっていることは、当たり前のことです。
 死んだらどうなるのですか、なくなってしまうのですか、と失望や悲しみを持つかもしれません。しかし、イエス様ご自身のおっしゃった有名なおことばがあります。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネ12:24。素晴らしいメッセージですね。私たちの今の体は死にますが、天国にふさわしい体によみがえるのです。イエス様の復活の力が、私たちを本質的に変えてくださるのです。それが、私たちに与えられたよみがえりの命です。
 よみがえりの命となるためには、肉の自分が死ななければならない、ということになります。古い自分はイエス様と一緒に十字架に死んだのです。古いものは過ぎ去って、新しい命に生きる者なのです。Uコリント5:17。イエス様の十字架の救いを信じた私たちは、罪赦され、天国への命が与えられています。すでに私たちは、新しい命に生きることができるのです。
 古い自分に死んでいますか、救われたにもかかわらず、古い肉の命のまま生きていませんか。古い肉の思いの中で歩んでいませんか。妬みや争いのある、肉に属する人となって、ただの人のように歩んでいていいのでしょうか。Tコリント3:3。私たちは、イエス様の身代わりの十字架の死によって救われているのに、もし古い命のまま、肉の思いのままだとしたら、イエス様の尊い犠牲をどう思うのでしょうか。

U−栄光の体、御霊に属する体で−40〜50
 もう一つの質問、「どのようなからだでよみがえるのか」ということについて、栄光の体、御霊に属する体によみがえらせてくださると教えています。40〜44節。「朽ちないものによみがえらされ」というのは、不滅の体、新しいからだということです。それに栄光の姿でよみがえらされます。確かに、私たちの地上の姿は、朽ちるもので蒔かれ、卑しいもので蒔かれたからだですが、栄光のからだ、まったく違ったからだによみがえるのです。神様は、この世においては、地上の生活に合わせて体を装備してくださいました。しかし、天国においては、天国に合わせて設計され、復活において完璧となるのです。ああそうなのかと頷きます。
 まったく違うからだになるなんて科学的におかしい、と否定するかもしれません。実験では、人が劇物の塩酸と水酸化ナトリウムを中和させて食塩を作りますが、神が朽ちる体から新しいからだを作るのを信じるのは難しいのでしょうか。
 天国に行って戻って来た者がいるのでなければ、どんな体でよみがえるのか分かりません。しかし、初穂であるイエス様のよみがえりがあります。以前の人としての体と本質的には同じようですが、まったく違う新しい栄光の体をもってよみがえられました。地上の体のイメージも持ち、天国のイメージも担っています。よみがえられたイエス様は、弟子たちに現れ、弟子たちと一緒に歩まれました。肉と骨をもって(ルカ24:39)、魚を食べ(ルカ24:42〜43)、朝食を作られました(ヨハネ21:9〜13)。しかし、ドアを通り抜けられ(ヨハネ20:19,26)、現れたり消えたりし(ルカ24:31)、ついには天に昇られました(使徒1:9)。
 ですから、私たちもイエス様に似た者とされます。Tヨハネ3:2。主は、御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださいます。ピリピ3:20〜21。何と感謝なことでしょうか。人は、整形や薬などアンチエイジングに多大の費用を注いでいます。人の老化のプロセスを少し遅らせることはできても、止めることはできません。世に生まれていることは、朽ちるもので蒔かれていることです。でも、朽ちないものによみがえるのです。新しい霊のからだによみがえります。老化も、病気とか傷とかを気にすることはありません。
 ですから、救われた私たちは、新しい命が与えられているのだということを覚え、しっかり新しい命に生きることことが大切です。肉の思いで生きるのではなく、御霊の原理で生きるのです。ローマ8:5。そうするだけでも、霊的健康が与えられ、私たちのこの肉体も強められ、よく保たれるでしょう。「血肉のからだは神の国を相続できません」ということは、御霊の体において、神の国を継ぐことができるということです。ですから、ますます、肉の思いで肉に従う者はなく、御霊の思いで御霊に従う者になりますようにと願います。

V−変えられるのです−51〜58
 最後の部分は、復活のクライマックスです。51〜52節。「聞きなさい」注意を喚起しています。からだのよみがえりとは、「変えられる」ことです。Tテサロニケ4:13〜14では、すでに召された者について、新しい体でのよみがえりの恵みが確かなのだから、悲しんだり、希望を失ってはならないと励ましています。「眠ることになるのではなく変えられる」ということが繰り返し強調されています。イエス様のからだのよみがえりによって、信じた私たちも「変えられる」のです。コリント3:18。イエス様を信じて救われた時から、新しい命をいただき、変えられることが始まっています。
 ここに勝利があります。54節。何に勝利するのでしょうか。死に勝利するのです。イエス様の復活は、人の最大の恐れである死を征服しました。もう一度、福音に戻りましょう。人類は、罪のために死に、滅ぶ者となりました。創世記2:17,3:19。私たちは、罪に支配され、咎のために死んでいたような者でした。エペソ2:1〜5。イエス様は、私の罪のために、私の身代わりとなって十字架に苦しみ、死なれました。罪の結果が滅びであるので、罪が赦されるなら、滅びから解放されるのです。すなわち、永遠の命が与えられるのです。ローマ6:23。
 このような栄光の勝利を与えられたことを確信するなら、私たちは何を考え、何をしなければならないでしょうか。58節。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励む」ことです。生き方が変わらないわけには行きません。罪の罠に陥らないように、福音に堅く立って、信仰生活をします。人生の嵐の中でも、福音の約束に錨を下して、動かされないことです。主とともに歩み、御言葉に従い、御言葉に導かれたことに励みます。私たちは本当に罪の誘惑に弱い者です。問題や人の言動にあまりにも揺さぶられます。肉の思いで行動してしまいます。それは、新しい命に生きているとは言えません。恵みに生きている姿ではありません。
 肉の思いに揺さぶられますが、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励み」ましょう。私たちが、素晴らしい救いに応えて、よみがえりの命の確信に立って、しっかり生きるなら、「私たちの労苦がむだでない」ことが分かります。主にあってして来た仕事の労苦、信仰生活でして来た労苦が無駄でなかったことを知るようになります。
 こんなに素晴らしい救いに与り、罪赦され、よみがえりの命をいただいている、何という恵みでしょうか。今している様々な労苦は無駄ではないのです。天国に続くことだからです。死は終わりではありません。イエス様が再び来られ、私たちをよみがえらされ、変えられます。イエス様の十字架を信じて救われたことで、すでに新しい命を受けています。福音の望みに堅く立って、揺さぶられることなく、御言葉に生きましょう。コロサイ1:23。♯「今こそキリストに応えて」歩みましょう。



Tコリント
15:35 ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
15:36 愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
15:37 あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
15:38 しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。
15:39 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。
15:40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
15:41 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。



ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

ピリピ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

Tヨハネ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

ローマ8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

Tテサロニケ4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです

Uコリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

コロサイ1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。

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