2015年8月16日「しかし黙って答えなかった」イザヤ36:11〜22

序−戦国時代、多くの戦いの勝敗は、実際の戦いの前にほとんど決していました。戦いで決まったのではなく、その前に行われていた調略によって勝敗の帰趨はほぼ決定していたのです。きょうの箇所は、アッシリヤによる調略が行われている場面です。霊的調略に会っている私たちは、ここからしっかり学びます。

T−民を動揺させることをねらう−11〜12
 大軍を率いていたアッシリア王は、早く戦いを切り上げて帰らなければならない事情をかかえていたようです。ですから、側近ラブシャケを遣わして、降伏交渉をさせることにしました。ラブシャケは、これまでユダをひどくあざけることで、やる気を失わせ、信仰心をなえさせて、降参させようとして来ました。なぜ、その時代の外交語であるアラム語でなく、わざわざユダの言葉を使っていたのでしょう。11節。ユダの高官たちは、どうしてユダのことばで話さないでくださいと頼んだのでしょう。
 そう頼まれると、ラブシャケは、むしろ大きくユダの言葉であざけりました。12節。わざと民に聞かせるためにユダの言葉で話していたのです。ユダの高官たちは民に聞かれることを心配しました。民を動揺させないためです。籠城戦では、水も食料も尽きてしまえば、悲惨な最期となります。民がそれを聞けば、恐れ、落胆するでしょう。恐れや落胆、絶望が民の間に広がれば、ユダは早く降伏へ向かうようになるはずです。ユダの高官たちも、それを恐れたわけです。動揺した民が降伏しろと騒げば、そうせざるを得なくなるからです。
 人が、不安や恐れを抱き、失望落胆するなら、自分だけで止まりません。騒いでそれを他の人にも広げ、動揺を広げさせてしまうのです。何のせいだ、誰かのせいだと騒ぎ始めます。これが、背後で動いているサタンのねらいです。私たちもそうなる時があるでしょう。私たちは、イエス様に救われた者です。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得ます」イザヤ30:15。罪の思いで聞き、誰彼をつかまえて騒ぐのでなく、動揺する心を神様に知っていただき、平安と力を得ましょう。信仰の友にとりなしの祈りをしてもらうことで、平安といやしを受けるようになります。

U−王と民の離反を画策する−13〜20
 民に向けられたラブシャケの口上は、調略です。13〜14節。その目的は、ヒゼキヤ王に対する民の信頼を失わせることです。ヒゼキヤ王は、ダビデ王以降最も信仰的な王様でした。U列王18:3〜5。彼は、ユダを御言葉によって治めて、ここまで持ちこたえて来ました。アッシリアからすれば、この信仰の王を倒すことができれば、簡単に降伏させることができると考えたのです。サタンの私たちに対する調略も同じです。
 それには、民を動揺させ、肉の思いに誘い、ヒゼキヤ王への信頼をなくさせることでした。ですから、ラブシャケは、集中的にヒゼキヤを非難し、繰り返しヒゼキヤの言うことを聞くなと言います。14節では、ヒゼキヤにはアッシリアから救い出す力がないと非難します。言っていることは確かです。ヒゼキヤには何の力もありません。それで、神様だけに拠り頼むのです。ヒゼキヤはあてにならない、ヒゼキヤにだまされるな、と吹き込みます。これがサタンのやり方です。サタンはこのようにして私たちを攻撃します。私たちの弱点を突き、動揺させ、騒がせます。指導者を誹謗させ、不信を抱かせます。そして、一緒に倒れるようにさせるのです。
 ヒゼキヤが、神様に拠り頼めと言っているのを聞くなと言います。15節。ヒゼキヤ自身に力がなくても、民が望みを捨てない理由は主が救い出してくれることを信じているからです。主に信頼するなとは、まさにサタンが言わせている言葉に他なりません。サタンが一番恐れるのは、聖徒たちが命をかけて主を信頼することです。そこで、サタンは聖徒たちに人の計算をさせ、世の方法に拠り頼ませ、神様から引き離そうとするのです。サタンの調略に会っていませんか。何があっても、主に信頼しましょう。
 ですから、ヒゼキヤの使命はここにあります。神の民が肉の思いになって神様から離れようとする時、霊的指導者は、「主は生きておられる。私たちは信仰で勝利することができる」と言いながら、強力に信仰で引っ張って行かなければなりません。聞く民も、心動かされて神に立ち返るようになります。信仰も不信仰も、伝染力があります。私たちが揺り動かされないで神様に拠り頼んで行くなら、周りの人も揺り動かされないで付いて来ます。サタンは、これを知っているために、ヒゼキヤを信頼させないようにしようとしているのです。私たちが家庭や社会で確信をもって信仰に立って行く時、周りの人々を導くことになります。
 そして、ヒゼキヤの言うことを聞かないで、アッシリアに拠り頼めと誘います。16〜17節。ここに、サタンの魂胆があります。アッシリアに降伏するなら、もう戦争はないし、食べたいものを食べて平安に過ごせるぞ、と誘惑します。ただし、主への信仰を捨てろというのです。これが霊的戦いです。サタンは、イエス様に対して、自分を拝むなら、この世の栄華をすべてあげようと誘惑しました。イエス様は、「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」と御言葉を引用して、サタンを退けました。マタイ4:8〜10。世の誘惑を受けている私たちも、そうします。
 私たちは、どんな状況だとしても、絶対に自暴自棄になってはなりません。私たちには、家庭、職場、学校でも、霊的戦いがあります。仕事や家庭の問題、人間関係の悩みがあります。霊的戦いの勝敗の鍵は、信仰にあります。霊的戦いであるならば、戦うのは神様であって、私たちではないということを忘れてなりません。私たちが信仰で出て行けば、神様が介入してくださいます。
 ラブシャケは、ヒゼキヤにそそのかされるな、主なる神はお前たちを救うことはできないと、すでに滅んでしまった偶像を拝む国々を列挙しています。18〜20節。他の国々はすべて滅ぼされたのか、降参するしかないのかと騙されてはなりません。偶像だから滅びますが、創造主なる神が私たちの味方なら、誰も敵対できません。ローマ8:31。
 「ヒゼキヤにごまかされるな、言うことを聞くな、そそのかされないようにせよ」と、繰り返し主張しています。ラブシャケの調略のねらいは、ヒゼキヤ王から民を離反させること、王と民を仲たがいさせることでした。戦国時代、調略によって武将たちを領主から離反させ、内部分裂を起こさせたならば、勝敗は戦う前に決していました。私たちを取り巻く人間関係もそうです。あの人がこう言った、あんなことをしたと騒ぎ、噂話をするなら、サタンの調略に乗っています。「内輪もめしたら、国は荒れすたれ、家はつぶれます」ルカ11:17。霊的調略に騙されないようにしましょう。

V−神の民の反応−21
 あんなにあざけりを受けたら、普通なら出て行って、立ち向かい、反論するのではないでしょうか。大概、反発し、言い返すのではないでしょうか。このような巧妙な調略に対して、ユダの民はどう反応したのでしょうか。21節。ヒゼキヤ王は、これは霊的な戦いだと分かっています。このあざけりの口上はサタンがさせていることを知っていました。ですから、言い争わないように民に伝えていました。さすが、信仰で生きて、信仰で国を治めていた王様です。
 サタンとの戦いは、血肉に対するものではありません。エペソ6:11〜12。サタンとの戦いは、人の力では勝つことができません。人と論争して、もっと言葉をうまく言えばと後悔する必要はありません。信仰の人ヒゼキヤ王は、霊的戦いは、神様が戦ってくだされば勝てるということを知っていました。ですから、神様に祈る他に道はありません。マルコ9:20。私たちも、自分で祈り、とりなしの祈りをしてもらうことです。
 悪い人との戦いは、私たちが言葉を言えば言うほど言葉尻をとらえられ、罠に陥ることになります。本当に聞いて来るならきちんと答えればいいのですが、あざけり、言葉で攻撃して来るなら、取り合わないことです。「しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった」という神の民の姿が印象的です。このような場面、へたをすると、王が悪い、我々をこんな目に会うのはヒゼキヤのせいだ、と騒ぎ、混乱の内に滅ぼされてしまうところです。しかし、王も民も同じ信仰で一致して、仲間割れすることなく、同じ判断を見せています。これが、御言葉の勧めている教会の姿です。Tコリント1:10。サタンに欺かれないようにしましょう。Uコリント2:10〜11。
 私たちも霊的戦いの中にあります。家庭や職場での問題、人間関係にも、サタンが働いています。人があざけっていても、サタンがさせていると受け止め、その人を恨まないでください。サタンの調略に乗らないようにしましょう。忘れないでください。あなたがどんなに優れていても、議論して勝とうとするのでなく、代わりに、黙って、神を信頼します!静かに黙って!祈りをもって対します。
 確かに、彼らの受けた衝撃、痛みは大きいものです。22節。しかし、私たちは起こって来る問題や人のあざけりに苦しめられ、途方にくれても、窮することはありません。Uコリント4:8。私たちすべてのために、ご自分の御子イエス様をさえ死に渡された方が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。ローマ8:31〜32。



イザヤ
36:11 エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、われわれにユダのことばで話さないでください。」
36:12 すると、ラブ・シャケは言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはおまえたちといっしょに、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」
36:13 こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、言った。「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。
36:14 王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを救い出すことはできない。
36:15 ヒゼキヤが、【主】は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに【主】を信頼させようとするが、そうはさせない。
36:16 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。
36:17 その後、私が来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行こう。そこは穀物とぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地である。
36:18 おまえたちは、ヒゼキヤが、【主】がわれわれを救い出してくださると言っているのに、そそのかされないようにせよ。国々の神々が、だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。
36:19 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。
36:20 これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。【主】がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」
36:21 しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。
36:22 ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフは、自分たちの衣を裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。



イザヤ30:15 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

U列王18:3 彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。
18:4 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
18:5 彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

マタイ4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

ルカ11:17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。

エペソ6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

Tコリント1:10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

Uコリント2:10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
2:11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

Uコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

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