2015年8月30日「主に祈ったので」イザヤ37:21〜38

序−本当に熱心に信仰生活をしているにもかかわらず、患難に出会うなら、どうして神様はこのようなことを私にと、不満や疑いが生じ、神様から心が離れるかもしれません。アッシリヤ大軍に攻められたヒゼキヤは、最後まで神様に祈り続けました。その結果は、どうなったのでしょうか。

T−ヒゼキヤの祈りに応えてくださった神様−21〜23
 ヒゼキヤ王は、アッシリヤからあざけりと侮辱を受け、降伏を迫られていました。ヒゼキヤは、必死になって神様に祈りました。心のうちを申し上げました。すると、主が応えてくださいました。21節。主なる神様は、ヒゼキヤが、アッシリヤの王セナケリブについて主に祈ったことを聞いてくださいました。すでに、ヒゼキヤがこの問題について祈ることを神様は待っておられたということです。
 神様は、私たちが患難について自分でその問題を解こうとあれこれしている間も、その問題を持って御前に来ることを待っておられるのです。「なぜ、その問題をもってわたしのところに来ないのか」ということです。よくない兆しがある時、一人でうめいているのは、よくありません。そうしている間に、問題はどんどん大きくなってしまいます。私たちは、苦難や問題をどうしていますか。イエス様は何と言われましたか。マタイ11:28。「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」とは、イエス様の御前に来て、祈ることではないでしょうか。ヒゼキヤのように自分の状態を申し上げることではないでしょうか。イザヤ37:15〜20。
 ヒゼキヤが神様に祈ったので、神様は応えてくださったのです。「主に祈ったので」ということがキーワードです。21節。他の訳では、「祈ったゆえに」とか「なぜなら祈ったので」とか「彼の祈りに応えて」などとなっています。私たちは、このようなインパクトのある祈りができることを知っているでしょうか。祈って応えられても、「自分の祈りに応えて、神様が働いてくださった」ということを認識していないのではないでしょうか。
 まず、神様の応答は、散々にヒゼキヤと主をあざけって来たアッシリヤの王を「処女であるシオンの娘」を用いてあざけっています。22節。「あなた」とはアッシリヤ王のことで、「シオンの娘」とは残っているユダの民のことです。その表現は、神様が大切に守って来たということを表しています。神様の御言葉に従順に生きようとするヒゼキヤ王やその民は、神様にとってかわいい娘のような存在だというのです。神様の前には、私たちもそのように愛されている者です。詩17:7〜8。あざけられても侮辱されても黙っていた王と民に代わって、このように神様はアッシリヤ王をあざけってくださったのです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」ローマ12:19。

U−私が出入りするのもいきり立つのも知っている神様−23〜29
 そもそも、ヒゼキヤ王やユダの民へのあざけりは、主に対するものだった、と言われます。23節。なぜならば、神様に拠り頼むことをあざけり、神様から引き離そうとしていたからです。イエス様を信じて、御言葉のままに生きようとしている者や教会をあざけり、敵対する人々は、実は神様をあざけっていると言わざるをえません。
 アッシリヤは、とても激しく乱暴な国です。24〜25節。戦車を率いて山々を乗り越え、進軍を阻む木々を切り倒し、エジプトの川さえ干上がらせた、と豪語していました。つまり、アッシリヤの軍隊が征服できない所はないということです。何でも自分の力でできる、何でも自分がやったことだと高慢になるアッシリヤ的な人々は、今も多くいます。いや、現代人の多くが、人は何でもできる、人は何でも知っている、世界を支配しているのだと思っています。造られて命を与えられた者の尊大な姿です。
 でも、本当でしょうか。26〜27節。アッシリヤ王セナケリブは、神様を忘れていたために、豪語していたのです。この天地を造られ、世を治めておられる神を忘れているところに、人の世の悲劇があります。造られた者、命与えられた存在である人が、あたかも神にもなったかのように振舞うので、国に戦争が起き、自然が破壊され、人間関係に争いが生じているのです。創世記2:7,6:5。人が神に造られて、生かされている存在だと知ったら、高慢ではいられません。神様の御前に立ち返るようになります。
 人はどんな存在なのでしょう。28節。私たちは、「すわるのも、出て行くのも、入るのも、いきりたつのも、」神様に知られている存在です。私たちは、日常の行動や感情のすべてが神様に知られているのです。いきりたつのもですよ。人を造られ、命を与えた神様は、人がどのように生きるのか、見守っておられ、期待しておられるのです。子どもを産み育てる親が、子どもを見守り、愛し、期待するように、それ以上に神様は、私たちを愛し、守り、導き、用いようとされておられるのです。
 いいえ、それだけではありません。罪の結果滅びに向かっている人々をあわれみ、愛してくださった神様は何をしてくださいましたか。神様は、人の罪を赦し、その滅びから救うために、御子イエス・キリストを十字架の死に渡されました。イエス様の十字架の死をもって、私たちの罪と滅びの身代わりとしてくださったのです。Tペテロ2:24〜25。「あなたは聞かなかったのか」と言われていますが、この救いの福音を聞いて知ったならば、神様の御前に立ち返り、イエス様の救いを信じるほかありません。
 この主の御言葉を聞いているのは、ヒゼキヤ王です。つまり、神様はヒゼキヤ王の思い、見方を変えようとされています。アッシリヤの強大さと暴虐を見せつけられ、恐れと不安を覚え、心くじけそうになっているヒゼキヤ王を励ますために、アッシリヤ王が創造主の神様を忘れている愚かな人にすぎないことを教えておられるのです。「鼻で息をする人間」を恐れてはなりません。イザヤ2:22。アッシリヤ王的な人々と関わり、攻撃を受け、痛みを受ける私たちも、このことを覚えましょう。どんなに私たちを痛める者が強くても、私たちには神様が付いておられます。ローマ8:31。
 神に拠り頼むユダの民とヒゼキヤ王をあざけり、高ぶるアッシリヤは、神様の裁きを受けることになります。29節。狂ったようなアッシリヤの脅威の中で、神に拠り頼む者は、守られることを教えています。

V−私たちの思いと願いを越えて働かれる神様−30〜38
 そして、ヒゼキヤの祈りに対する応答が告げられています。まずは、食料の確保とユダの社会の回復です。30〜32節。アッシリヤの大軍に囲まれて、籠城していたエルサレムは、飢えのために死にそうになっていました。すでに食べるものも、蒔く種さえも残っていなかったでしょう。エルサレム以外の人々も散り散りばらばらです。それでも、アッシリヤによる破壊と蹂躙から回復すると教えてくださいました。これが、ヒゼキヤの祈りに対して与えられた神様の応えです。神様の約束は、あっという間に回復というような奇跡ではなくて、とても具体的な実際的な約束です。
 籠城していたユダの民は、自分たちが持っているものがすべてだと思っていましたが、神様はその先を用意しておられたのです。私たちはしばしば目の前のことでしか判断できず、悲観したり、絶望したりします。しかし、神様に拠り頼むという信仰は、自分の算段や見方だけを信じるのではなく、あわれみ深い力ある神様を信じて、祈ることです。ヘブル11:1。
 ヒゼキヤの祈りの応えとして与えられた神様の約束の特徴は、主なる神様は実際に働かれる神様だということです。31〜35節。「主の熱心がこれをする」と言い、「主がこの町を守り、救う」と言われます。何と単純で生き生きとした応えでしょうか。神様が自分のために働いてくださる方だと知っているでしょうか。確信していれば、どれほど平安を与えられることでしょうか。私たちを守るお方は、まどろむこともなく、眠ることもない、と詩篇も賛美しています。詩篇121:3〜4。
 「彼はこの町に侵入しない。攻めることもない。彼は引き返し、この町には入らない」という約束は、その晩に実現しました。36節。翌朝起きて見ると、アッシリヤの大軍は引き上げており、多くの兵士が倒れていたのでした。同士討ちか疫病か、何があったにせよ、神が働かれたのです。驚くべき勝利です。主の民に必要なことは、どんなことがあっても、うろたえたり、恐れたりしないで、信じて終わりまで耐えることです。どんなに状況が絶望的であろうと、落胆しないで、主に拠り頼み続ける者が、自分のために戦われる神様を知ることができます。自分のために働かれる神様の御業を見ることができます。
 最後に本国へ引き上げた後のアッシリヤ王セナケリブの最期について記されています。プロローグです。37〜38節。偶像の宮にいる時、息子たちによってあっけなく殺されてしまいます。これを見る時、困難や問題を神様の目で見ることがどれほど重要であるかが分かります。しばしば信仰者が、困難に陥り、絶望的な状況の中で、神様から心が離れることは残念なことです。祈っても聞かれないと思ってしまうのも悲しいことです。御言葉に従って信仰に生きたヒゼキヤは、患難と絶望の状況でも、祈りました。心のままを祈り、知っていただきました。「祈ったので」最後まで耐えることが出来ました。「彼が祈ったので」神様が応えてくださいました。それは、彼の願いと思いをはるかに越えた勝利でした。エペソ3:20〜21。イエス様を信じて救われた私たちも、祈ったならば、主が応えてくださいます。信仰の祈りの答えは、可能性の想像ではなくて、必然性の確信なのです。



イザヤ 37:21 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、【主】は、こう仰せられます。あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。
37:22 【主】が彼について語られたことばは次のとおりである。処女であるシオンの娘はあなたをさげすみ、あなたをあざける。エルサレムの娘は、あなたのうしろで、頭を振る。
37:23 あなたはだれをそしり、ののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる方に対してだ。
37:24 あなたはしもべたちを使って、主をそしって言った。『多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深く上って行った。そのそびえる杉の木と、美しいもみの木を切り倒し、私はその果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。
37:25 私は井戸を掘って水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた』と。
37:26 あなたは聞かなかったのか。昔から、それをわたしがなし、大昔から、それをわたしが計画し、今、それを果たしたことを。それであなたは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。
37:27 その住民は力うせ、おののいて、恥を見、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。
37:28 あなたがすわるのも、出て行くのも、入るのも、わたしは知っている。あなたがわたしに向かっていきりたつのも。
37:29 あなたがわたしに向かっていきりたち、あなたの高ぶりが、わたしの耳に届いたので、あなたの鼻には鉤輪を、あなたの口にはくつわをはめ、あなたを、もと来た道に引き戻そう。
37:30 あなたへのしるしは次のとおりである。ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、二年目も、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。
37:31 ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。
37:32 エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれをする。
37:33 それゆえ、アッシリヤの王について、【主】はこう仰せられる。この町に侵入しないまた、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。
37:34 彼はもと来た道から引き返し、この町には入らない。──【主】の御告げ──
37:35 わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」
37:36 【主】の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。
37:37 アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。
37:38 彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。



詩17:7 あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。
17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。

マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

ヤコブ5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

ローマ12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

Uコリント5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

イザヤ2:22 鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。

ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

詩篇121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。

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