2015年10月18日「恐れるな、主があなたを守るから」イザヤ41:1〜13

序−苦難の中で絶望したり、誰かのせいだと憎んだりしてもっと酷くなる人がいます。どん底にありながらも、再び起き上がり、以前よりも力ある姿になる人もいます。神の民の歴史を見る時、そのようなことを教えてくれます。ユダ王国は滅んで、バビロンに捕囚にされるけれども、解放されてエルサレムに帰って来るという預言が与えられました。

T−歴史を支配される神様−1〜7
 41章で知らせてくださった偉大な神は、どういう神であるか教えている預言です。1節。「島々」とは、全世界の人々のことです。諸国の民に呼びかけて、天地の創造主である偉大な神様が、歴史の支配者であることを知らせています。2〜3節。「東から起こすひとりの人」とは、ペルシャ帝国のクロス王のことです。ユダがバビロンによって滅ぼされ、捕囚になるけれども、ペルシャ帝国がそのバビロンを滅ぼし、クロス王が神の民をエルサレムに帰還させるという歴史の動きを教えています。クロス王が、ユダの民を故国に帰還させ、エルサレムを再建の許可を与えるようになります。エズラ1:1〜3。バビロンに奪われた宝物も返すようにクロス王が命令を出してくれます。エズラ1:7〜8。
 いったいどうしてユダの民の子孫でもないペルシャ王がそのようにしてくれるのでしょうか。神様がクロス王を用いてそのようにさせてくださったからです。4節。「だれが、これを成し遂げたのか。わたしがそれだ。」という宣言が心に響いて来ます。神様がクロス王を用いられたのです。それでは、神の民でもないクロス王を通して神様が見せてくださったのは、何でしょうか。表面だけ見れば、国々の栄枯盛衰の歴史が流れて行くように見えますが、聖書の視点で見れば、人々を救おうとされる神様の救いの歴史が見えて来ます。神様が歴史を支配されておられるのです。
 神様は、神様を知らない人々を用いても、神のご計画をなされるのです。初代教会の時代のことを例に考えてみましょう。地中海世界が、パックスローマと言われる時代であったために、福音が世界に伝わるのに有益となりました。ローマ帝国の支配のもとで、福音が広がって行きました。他の時代や地域では到底困難なことでした。
 ですから、私たちのために、神様は世の人々を用いられます。職場の人々、地域の人々、友人たち等を私たちのために用いられます。そのために、私たちは、人々との関係を大切にし、人々をよくしていくことが必要です。すでに助けていただいたでしょうし、これからその人々を自分のために神様が用いられるからです。また、誰が私たちのために神様に用いられるか分かりません。そのように人々に接しましょう。
 ユダの民がバビロンから帰還して、エルサレム神殿を再建するということは、再び神様のあわれみと恵みの福音が光り始めたことです。ところが、人々はこれを喜ばず、恐れて、むしろ偶像崇拝をするようになるというのです。5〜7節。島々、すなわち人々は、神様のところに来ないで、むしろ偶像を作り、倒れないようにするというのです。実際に、ユダの民がエルサレムを再建する時、周りの民族は恐れて、それを妨害しようとします。エスラ4:4〜6,ネヘミヤ4:7〜8。
 どうしてそうするのでしょうか。人は、神様に訳も分からないで敵するのは、神の干渉を受けたくないという肉の性質があるからです。反対に、自分に都合のよい偶像を作るのです。人々は、聖書の神様、真の神様がどれほど素晴らしいお方であるか分からないで、ただ恐れるからです。神の民クリスチャンが、神様の素晴らしさを証しする他ありません。
 混乱の時代、人々は偶像に向かいます。不安の時代になれば、占い、偶像の類が横行します。民族紛争や内乱が数多く起こりますが、それらにも偶像礼拝が関係しています。現代日本も混乱不安の時代になっていますから、危険な教えに捕らえられ、偶像で人々を縛るようになっています。歴史を司られる神様、主権者であられる神様を知ることなしには、本当の平和はありません。イエス様による救いを知って、たましいの平和を知っている私たちクリスチャンこそ、平和を作る者であることを自覚して、祈り、福音を証しすることが大切です。マタイ5:9,コロサイ1:20。

V−保証された慰め−8〜14
 それでは、患難の時、時代の混乱期において、神の民、クリスチャンをどうされるのでしょうか。8〜9節。「わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ」とは、何と栄えある呼び名でしょうか。そういう身分であることが強調されています。
 「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」とは、神様の選びの中で、救いに導かれているということです。イエス様の十字架を信じて救われたということは、歴史の支配者であられる神様が、救いに選んでくださったということです。エペソ1:4。ですから、どんな状況になろうと、患難に会おうと、「あなたを捨てない」と約束されるのです。これを選びの教理と言いますが、教理は知識ではなく、私たちが信仰に生きる保証です。
 何と「わたしの友」と神様がおっしゃってくださるのです。イエスは私たちをご自分の友人、弟子と呼ばれます。イエス様によって救われたということは、神様に愛された者となったということです。ヨハネ3:16。さらに「アブラハムのすえ」とは、神様がアブラハムとその子孫までその神となってくださると契約してくださったからです。創世記17:7。ユダの民がどうでろうと、神様が信仰の父アブラハムと結んでくださった契約のゆえに、たとえ国が滅亡して捕囚の地にあっても、神様は彼らの神様であってくださるということです。私たちも、イエス様を信じて救われたゆえに、私たちがどのような状態にあろうとも、決して捨てられることはありません。神の子どもとしての特権を得ているからです。ヨハネ1:12。
 私たちが問題を抱えている時には、そんな特別な存在として自分自身を忘れているでしょう。 しかし、そんな時こそ神が愛し守る特別な存在であると覚えておくことは大切であり、心が健康になります。ですから、私たちは、イエス様に救われたためにこのような者とされている自尊心をよく悟って信仰に生きることが、世の人々への証しとなります。私たちが本当に神様に愛されている者として生きるなら、世の人々に対してそれがあらわれます。顔の表情にあらわれ、誠実な態度にあらわれて来ます。
 神の民は、捕囚という悲惨な状況になるならば、神様が自分を本当に愛してくれるのか信じられなくなるでしょう。アイデンティテーがとても低くなり、ただ恐れと空しさに陥り、希望を抱くことができなくなってしまうでしょう。ですから、何度も言ってもらう必要があります。10節。この節は、クリスチャンが最も好む御言葉の一つです。確かに世の価値観で見れば不安や恐れが生じて来るでしょう。しかし、信仰の目で見れば、恐れる理由はありません。主はいつも、私たち自身が望む方法ではないかもしれないが、最良ではないかもしれないけれども、主自身の時間と方法で助けてくださいます。義の右の手とは神様の御力の象徴です。13節。イエス様に救いによって罪赦され義とされているので、守られるのです。御手をもって私たちを助け起こし、導いてくださるのです。
 神に選ばれた私たちは未来を恐れる必要はありません。ヨハネ10:28。「恐れるな。わたしはあなたを守る。」と言われるので、私たちは失望やパニックで陥る必要はありません!詩篇121:5〜7。神はすべての状況において、あなたに力を与えることを約束しています。ピリピ4:13。あなたは今どんな危機に直面していますか。経済や健康の不安ですか。仕事の圧迫ですか。人間関係の悩みですか。神は「わたしはあなたを助け、守る。」と言われます。私たちは、偉大な通路とつながります。ローマ8:35〜39。どんなものも、イエス様にある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
 私たちは、あらゆる恐れに囚われます。現在ばかりか、過去に起こったことも恐れ、人が何をするか何を考えているかを恐れ、今後のことも恐れます。しかし、多くの恐れは本当に恐れなのでしょうか。恐れる必要のないものを恐れているのです。ですから、神様は私たちが恐れないで生きるように望み、「恐れるな。たじろくな。」と命じられました。
 私たちは、今日激動の時代に生きています。恐れや不安はそれだけ多くなるでしょう。しかし、神の民は恐れることはありません。絶望的になる時、人は自分一人トラブルの中にいると思っています。主が「恐れるな」と命じられる理由は、「わたしはあなたとともにいる」からです。弟子たちはイエス様が一緒だというだけで安心しました。ヨハネ6:18〜21。
 人を恐れていますか。しかし、神様はこう言われます。11〜12節。主の命令通り人を恐れないならば、私たちに対していきりたつ者はみな、恥を見るようになり、私たちと言い争いをする者も戦う者たちも、いなくなってしまいます。所詮神に造られた人です。人を恐れるのでなく、神を恐れるべきです。マタイ12:4〜5。私は弱くても、神様が味方です。ローマ8:31。
 神の民には、苦難が終わりではありません。とうてい再起できないと思われても滅びません。再び回復し、立ち上がるようになります。私たちの信仰は、苦難で終わりではありません。神様が私を守ってくださるというのは、いつもということです。詩篇121:5〜7。苦しみの中を行く時も、先が見えない中を進む時も、人生どこにおいてもどんな時でも、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言う主の言葉を聞きましょう。イザヤ41:10。



イザヤ41:1 島々よ。わたしの前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ。近寄って、今、語れ。われわれは、こぞって、さばきの座に近づこう。
41:2 だれが、ひとりの者を東から起こし、彼の行く先々で勝利を収めさせるのか。彼の前に国々を渡し、王たちを踏みにじらせ、その剣で彼らをちりのようにし、その弓でわらのように吹き払う。
41:3 彼は彼らを追い、まだ歩いて行ったことのない道を安全に通って行く。
41:4 だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。わたし、【主】こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。
41:5 島々は見て恐れた。地の果ては震えながら近づいて来た。
41:6 彼らは互いに助け合い、その兄弟に「強くあれ」と言う。
41:7 鋳物師は金細工人を力づけ、金槌で打つ者は、鉄床をたたく者に、はんだづけについて「それで良い」と言い、釘で打ちつけて動かないようにする。
41:8 しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。
41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
41:11 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。
41:12 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。
41:13 あなたの神、【主】であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。



マタイ5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

Tペテロ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

創世記17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

ローマ8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ヨハネ10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

ローマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

詩篇121:5 【主】は、あなたを守る方。【主】は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

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