2015年11月15日「主に向かって新しい歌を歌え」イザヤ42:10〜16

序−私たちは、救いの恵みが自分だけに留まらないで、家族や友人、周りの人々にも伝わることを望んでいますが、証しが中々進まない現実に無力さや難しさを感じるかもしれません。しかし、救い主が来られるならどうなるのでしょう。神様の約束をイザヤの預言から学びます。

T−世の人々が神様を賛美−10〜12
 何と、救い主が来られるなら、神様のことを知らなかった人々が、神様を賛美するようになると言っています。10節。海を忙しく航行する人々は、現代で言えば、心のことを考えないで忙しく過ごしている現代人のようです。そのような人々までも、神様を賛美するようになるというのです。島々に住む者とは、福音から最も遠いところにいる人々を言います。福音を聞く機会もなく、神の民に会うこともなかった人々が賛美するということは、そのような人々が神様を信じるようになるということです。ローマ15:9〜11。
 現代の人々の多くも、忙しく生活して、福音を聞く機会がなく、空しさと痛みを覚えながら生きています。肉の欲を満足させることに人生を費やし、罪に翻弄されています。御言葉の約束は、そのような人々もイエス様を信じて、賛美するようになるというのです。
 一体どうしてそのようなことが起こるのでしょうか。救い主が来られるという預言を聞いた人々が、嬉しさのあまり歌い出します。希望のメッセージを伝えずにはおられなくなるからです。自分のことに熱中していた人々も、欲を満たすことを追求していた人々も、空しさや倦み疲れを覚え、死とその後を考える時、救い主の必要性を感じるようになります。そうした人々に、福音が伝わり、神様を信じるようになるからです。
 近くにいた人々も、賛美するようになります。11節。「荒野に住む人々やケダル人」というのは、ユダに近いアラビヤ砂漠に住んでいた人々のことです。むしろ神の民の近くにいたために反発して、信じなかった人々です。「セラに住む者」エドム人の先祖は、イスラエル人の親戚であるために、故意に信じませんでした。ところが、そのような彼らも、救い主を信じて、神様のことを賛美するようになるというのです。
 近くに住んでいた者、親戚関係にある人たちは、神の民の信仰を知らないわけではありません。ユダの人々が信じていた神様のことを少しは知っていたのですが、妬みで否定したか、知っている人々の信仰なので見くびっていたのです。イエス様も当初母や兄弟から理解されず、親戚や故郷の人たちはイエス様を尊敬しませんでした。マルコ3:31,ヨハネ4:44。後には、イエス様を信じるようになりました。使徒1:14。ですから、私たちが家族や親戚、友人や近所の人々への証しに困難を覚えるにも、そんな理由もあるようです。しかし、そういう人々もイエス様を信じるようになるという約束が、ここにあります。「自分が信じるなら、家族も救われる」という約束があるから伝えるのです。使徒16:31。
 神様が遣わしてくださった苦難のしもべが、私たちの罪と滅びの代わりに十字架にかかって死んでくださって、復活された。この福音が伝わるならば、人は神様を賛美するようになります。「新しい歌」とは、救いの歌のことです。罪の囚われと滅びから解放された人々が、新しく生まれ変わって歌うからです。人間にとって最も高尚な美しいことは、神様を賛美することです。ですから、礼拝で賛美するだけで恵まれます。
 福音が伝わって、御霊が働いてくださった時、到底信じることはないような人が信じるようになり、まったく教会に来ないような人がイエス様を賛美するようになります。この世にイエス様の愛よりもっと大きな力はないからです。神様は、私の代わりに御子イエス様を十字架に渡すほどに私を愛してくださったと分かったなら、信じて、伝えるようになります。12節。こうして、到底福音を知ることが出来ないような所にいた人々が、イエス様を信じて、神様を賛美するようになります。

U−神様の慎重な救い−13〜14
 神様が選ばれた人々をどのように救い出すか、二つの姿をみせています。13〜14節。一つは、完全に武装して敵を倒す勇士の姿です。武装した勇士のように、神様がバビロンを倒したり、悪の勢力を滅ぼして、神の民を救うことは難しいことではありません。しかし、そうするならば、選んだ民はどうなりますか。バビロンや罪の勢力とともに滅んでしまいます。時至るまで、その力強い御手で守ってくださいます。
 もう一つは、産婦の姿です。この譬えは重要です。妊婦は、お腹の子どもが育つまで慎重に待たなければなりません。しかし、時が満ちてうめき苦しみながら出産することになります。そのように、神様は、救いに選んでいる人々を決して忘れません。その人を救おうとする計画を妊娠し、時至って救いの御業を産み出されるのです。救いの妊娠中は静かに準備が進んでいますが、いよいよ救われる時にはうめきや苦しみもあるでしょう。
 私たちも、このような神様の御手とご計画によって救われたはずです。救われた後の信仰の成長も、そのようです。私たちの信仰が育って、世で神様を賛美して生きていれば、世の人々がその信仰の素晴らしさと救い主の確かさを見るようになります。ですから、恐れないようにしましょう。自分が信仰の備えがあれば、陣痛を経ながらも、祝福に与ります。これが、神様の出産の働きです。今あなたに困難や苦しみがありますか。それは、何かの産みの苦しみかもしれません。
 苦難を受けることが全部だと思わないでください。苦難は、私たちが妊娠している過程を過ごしているだけです。産みの苦しみを経て、世に出るようになります。たとえば、ヨセフはエジプトに奴隷として売られ、牢獄にも入れられましたが、それがヨセフの人生すべてではありません。その経験を通して、エジプト王の夢を解き、総理大臣となりました。聖徒たちはみな、御言葉の約束を握りながら、産みの苦しみの時を過ごすのです。主と一緒に苦難を受けるなら、耐えて、産み出すことができます。
 新しく信仰を持つ人が生まれるためには、産みの苦しみがあります。ガラテヤ4:19。忍耐する間に、信仰の種が心に蒔かれなければなりません。芽が中々でなくても、条件が整い、時が来れば出て来ます。心に御言葉が供給されれば、信仰で生きる思いが生じて、信仰の覚醒が起こります。

V−新しい目で世を見て、新しく生きるようになる−15〜16
 人々が生きておられる真の神様を知るようになったら、どんなことが起こりますか。世の中を完全に新しい目で見るようになります。15節。「山や丘」というのは、世で大きく目立つもののことです。以前には、様々なものが華麗で美しく見えたのですが、神様を知ってみると、魅力もないことが分かるようになります。聖書の神様を知らない時には、世の権力や財力、知識や業績がすべてと思っていましたが、信仰を持った後は、それらが人生のすべてではないことが分かるようになります。
 神様が私たちの人生を栄光あるものにしてくださいます。世で本当に美しいものは、ただ信仰で生きる姿です。どこで何をしようとも、神様のくださるもので満足します。ピリピ4:11。貧しくても富んでいても、信仰によってあらゆる境遇に対処して生きます。神様を知る知識でもって、世のものを有効に使います。しかし、信仰がないならば、それで振り回されます。
 信仰をもって世を見始めるならば、価値観が変わります。以前すべての力を傾けて追求していたことが、そんな価値のあるものでないと見えて来ます。私たちは新しくなって、世を生きるようになります。何でもかんでも世のものを手にしようとじたばたするのでなく、信仰の目で見て、一つずつ信仰で取り組んで行くのです。これが、私たちが世に生きる姿です。
 自分を造ってくれた神様を知らない人は、人生の意味がまったく分かりません。16節。「目の見えない者」とは、神様を分からない人のことです。生きることは生きても、何のために生きるのか、仕事はしても、結婚して子どもを育てても、何のためにそうしなければならないのか分からないのです。そのために、人がしているようにする他ありません。自分の欲やプライドを満足させることに汲々としたり、偶像や占いに心を寄せたり、時代の流れに流されます。自分の中には、基準や価値観がありません。
 神様は、そんな人々を「彼らの知らない道」に導いてくださいます。神様は、しばしばこのような「目の見えない者」人々の心に葛藤を起こさせます。世の流れに流されながらも、これでいいのだろうか、これは違うのではないか、というように葛藤が生じて来るのです。そんな時に、教会に誘われれば、見えない力に引かれるように、教会に来るようになります。御言葉に触れ、福音を聞き、目のうろこが取れるようになります。自分の過去がどれほど救いに無関心でいたか、間違った考えで罪の中に生きていたかを悟るようになります。
 「彼らの知らない通り道」は、どこを通っているか分からないが、主に手を引かれて行くので、大丈夫です。新しい世界に導かれます。これが神様の導く御手です。イザヤ41:10,13。「やみを光に、でこぼこの地を平らにする」とは、これまで労苦していた者を祝福して、先が見えないでさまよっていた者を平安に導いてくださるということです。イエス様を信じて、御言葉に従って生きることは、何と幸いなことでしょう。私たちは、神様の救いを感謝して、心から主を賛美します。そして、再び暗闇でさまようことのないように、御言葉の約束を握って歩みます。使徒26:17〜18。




イザヤ42:10 【主】に向かって新しい歌を歌え、その栄誉を地の果てから。海に下る者、そこを渡るすべての者、島々とそこに住む者よ。
42:11 荒野とその町々、ケダル人の住む村々よ。声をあげよ。セラに住む者は喜び歌え。山々の頂から声高らかに叫べ。
42:12 【主】に栄光を帰し、島々にその栄誉を告げ知らせよ。
42:13 【主】は勇士のようにいで立ち、戦士のように激しく奮い立ち、ときの声をあげて叫び、敵に向かって威力を現す。
42:14 わたしは久しく黙っていた。静かに自分を押さえていた。今は、子を産む女のようにうめき、激しい息づかいであえぐ。
42:15 わたしは山や丘を荒らし、そのすべての青草を枯らし、川をかわいた地とし、沢をからす。
42:16 わたしは目の見えない者に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない。



ローマ15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」
15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」
15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」

使徒16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

ガラテヤ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。

ピリピ4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

イザヤ41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
41:13 あなたの神、【主】であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。

使徒26:17 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
26:18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』


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