2015年11月29日「あなたはわたしの証人」イザヤ43:1〜13

序−自分は何者なのか、自分とはどんな存在なのか、それを知っていることは大変重要です。ところが、多くの人々が自分のことを分かっていません。健全な自己イメージがないようです。私たちのイメージはどうでしょう。聖書はどう教えているのでしょう。

T−あなたはわたしのもの−1〜4
 まず、1節を見ると、「あなたはわたしのもの」だと神様は言われます。恋する相手をこのように言う場合がありますが、こんなにも神の民を思って呼んでくださるとは、驚きです。神様は、ご自分の民に対して、わたしが「あなたを造り出した」と言われます。どんな状況で言われたのでしょうか。もうすぐ彼らの国は滅んでしまいます。彼らが生きていた地は廃墟となってしまい、彼ら自身は、バビロンへ捕囚となってしまいます。そのような状況で、言われたのです。
 「造り出した。形造った」というのは、何もないところから造り出した、原料から新しいものを形造ったということです。その時のユダの状況を人の目で見れば、すべて終わった、滅んでしまったということです。しかし、神様はご自分の民を何もないところから造り出されたように、再び造り出してくださるというのです。私たちも、イエス様に救われたゆえに神の民とされています。かりに私たちが失敗し挫折したとしても、何もなくなって、何もできなくなったとしても、「わたしがあなたを形造った」と言ってくださるのです。「あなたはわたしのもの」と言ってくださるのです。どんな気持ちになりますか。
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」というのは、こういうことです。Uコリント5:17。イエス様が私の罪と滅びのために十字架にかかられたと信じた私は、こういう存在とされているのです。どんな驚くべきことでしょうか。「わたしがあなたを贖った」というのは、イエス様の十字架によってあらわされています。贖うというのは、代価を払って買い戻すことです。Tコリント6:20。御子イエス様を私のために十字架に渡されるほど私を愛してくださった神様だから、「あなたはわたしのもの」だと言われるのです。どれほどの愛でしょうか。だから、人の目には絶望、終わりだと見える状況でも「恐れるな」と言われたのです。
 神様は、「わたしはあなたの名を呼んだ」と言われます。神様の方で私を救いに選んでくださいました。ヨハネ15:16。絶望の中で、苦しい状況で、神様が私の名を呼んでくださるのです。「あなたはわたしのもの」だと言ってくださるのです。ヤコブ、イスラエルのところに自分を名を入れて読んでみてください。どんなに慰められ、どれほど励まされることでしょうか。
 神の民は、すでに偉大な救いを経験しています。2〜3節。出エジプトのことです。エジプトの奴隷から解放してくださり、紅海を渡らせ、荒野を経て、約束の地に導いてくださいました。荒野の旅を通して、神の民は整えられ、造り変えられ、その信仰が成熟して行きました。神の民の特徴がここにあります。「身代金」というのは、代価を払って救い出すことです。神様は、神の民を救い、新しく造り出すために、エジプトとクシュとセバを犠牲にしたというのです。
 神様は、ご自分の民を特別に愛され、大切にされます。4節。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」これよりもっと尊い言葉がほかにあるでしょうか。このように言われる尊い存在が他にいるでしょうか。その「あなた」とは、イエス様を信じて救われた私たち一人一人です。ユダの民は、国が滅び、自分たちは捕囚とされてしまうような状況でそう言われています。たとえ私たちがどんな状況にあろうと、同じく「あなたは高価で尊い」と言われるのです。
 私たちは、自分のセルフイメージの観点がずれているかもしれません。人は、世の評価、人の目に映る自分をセルフイメージとしています。それでは、低いセルフイメージで自分を叩いてしまうか、肉のプライドで虚勢をはってしまいます。私たちの価値を決めるのは、神様です。私たちの価値は、私のためにイエス様が身代わりに十字架にかかってくださったことにあります。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」が、私たちのセルフイメージの原点です。

U−ご自分の者を呼び出される主−5〜6
 国が滅ぼされ、自分たちもバビロンに捕囚とされる神の民は、今恐れ、絶望しています。しかし、回復の約束を言われます。5〜6節。神様は、神の民に対して、「恐れるな」と言われます。現在の苦難のため、将来の不確実性のために絶望したり、恐れてはならないというのです。なぜ、そう言えるのでしょうか。神の民が、世界各地から帰って来る様子が描かれているからです。三つの帰還が預言されています。一つは、バビロンからの帰還の約束です。ペルシャ王クロスによってバビロン捕囚からの帰還が実現します。人の目には、そんなことが起こるとは、想像もできなかったでしょう。でも、御言葉通り、歴史的な事実として起こることになります。
 次に、ローマ帝国の時代、イスラエルはローマ帝国によって滅ぼされて全世界に散らされてしまいました。それでも、五旬節の時には、ローマ帝国の世界中からエルサレムに来て、福音を聞いて救われ、聖霊を受けることになります。使徒2:1〜11。
 そして、今日も神様の方が、ご自分の民としようとするところに行かれます。そこにイエス様の福音が伝わり、福音を聞いたたましいがイエス様の十字架を信じて救われます。エルサレムには行きません。その彼らのいるところがカナンの地となります。6節で「引き渡せ、引き止めるな」と言うのは、罪の囚われとなっているところから、神様が苦しみの状況から、解放してくださるということを強調しています。これが、福音の力、救いの結果です。イエス様を信じて、救われたならば、その人のいるところが、主が共におられるところとなります。今も、イエス様の御名を呼ぶ者が救われ、罪の鎖から解放され、洗礼を受けることが起きています。ですから、今この地でも、御言葉の約束が成就しているのです。

V−神様の民の目的−7〜13
 では、この約束が現実のものとして起こるには、何が必要となるのでしょうか。このような素晴らしい神様の救いの恵みに浴し、尊い存在とされている私たちは、どう恵みと愛に応えたらいいのでしょうか。神様は、何を求められておられるのでしょうか。私たちは、どう生きなければならないのでしょうか。なぜ、私たちは救われたのでしょうか。
 7節。「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造」したと強調しています。私たちの存在が大変なものだということです。ウエストミンスター小教理問答題1問でも、「私たちの生きる主な目的は、神様の栄光をあらわすことだ」と教えています。こう言われると、ご利益信仰の価値観の中で生きて来た者には、自分がなくなってしまうのでは、自分の望みは持てないの、などと心配し、躓きます。しかし、単純に肉の欲を満足させることが私たちを幸いにするわけでもありません。私たちが、肉と欲の赴くまま生きるのではなく、神様の栄光をあらわすために生きるなら、私たちを愛する神様は私たちを幸いにしてくださいます。
 人の罪の性質は、自分の肉と欲を満足させようとするので、偶像に心が囚われてしまいます。8〜9節。罪に支配されて、肉と心の望むまま生きてしまう危険は、私たちにもあります。エペソ2:1〜3。肉と欲に囚われ、心の偶像を作ってしまうのは、自分が何者であるかを知らないからです。多くの人が、一体自分が何者で、何のために生きるのか分からずに生きています。人が世を熱心に生きる理由は、自分を探すための過程だということができます。神様を知れば、自分自身が何者かを知ることができます。人は神様に似せて造られた存在だからです。創世記1:26。
 神様は、こう言われました。10〜11節。聖書の神が本当の神様であり、イエス様だけが救い主です。神様は、イエス様の福音によって救われた私たちが、神様の栄光をあらわし、生きておられるまことの神様をあらわすことを願われました。使徒1:8。私たちがどういう立場や環境であろうと、私たちの人生と生き様を通して主なる神様をあらわして行くのです。これが、私たちの生きる目的であり、私たちの存在する理由であり、私たちが人生の中でできる最高に生きる尊いことです。
 私たちが生きておられる神様を、救い主イエス様を証しするために、御言葉を与え、救い、信仰で生きるようにされています。12〜13節。当然世とは生き方が違って来ます。違う生き方が素晴らしければ、世は聖徒たちの信じている救い主イエス様に心を向けるようになり、聖徒の生き方が確かであれば、聖書の神様を求めるようになります。
 神様の民は、自分の力で生きているのではありません。ただ信仰で生きるのです。その結果神様の栄光をあらわすものとなります。信仰で生きることを恐れたり、躊躇したりしないでください。私たちの救いのために御子を十字架に渡された神様が、恵みと祝福をもって守り、導いてくださいます。ローマ8:32。世で輝くようにしてくださいます。ピリピ2:16。私たちの証しを通して、神様を知らない人々が神様の愛を受け入れるようになるのが、神様の御心です。私たちを通して一人でも多くの人が神様の愛を感じることができる、救いに導かれるように願い、祈ります。


イザヤ43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしが、あなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。
43:6 わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。
43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
43:8 目があっても盲目の民、耳があっても聞こえない者たちを連れ出せ。
43:9 すべての国々をつどわせ、諸国の民を集めよ。彼らのうちのだれが、このことを告げ、先の事をわれわれに聞かせることができようか。彼らの証人を出して証言させ、それを聞く者に『ほんとうだ』と言わせよ。
43:10 あなたがたはわたしの証人、──【主】の御告げ──わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。
43:11 わたし、このわたしが、【主】であって、わたしのほかに救い主はいない。
43:12 このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたがたのうちに、異なる神はなかった。だから、あなたがたはわたしの証人。──【主】の御告げ──わたしは神だ。
43:13 これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行えば、だれがそれを戻しえよう。」



Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

Tコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

ピリピ2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

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