2015年12月20日「誰のためのクリスマス」マタイ2:1〜12

序−金星探査機あきつきのニュースが、また日本中を天体へと向けてくれましたが、聖書には、星の輝きがクリスマスを知らせると記されています。この時期日本中がクリスマスに染まっているようですが、クリスマスとは何なかを知ることこそ、クリスマスではないでしょうか。

T−クリスマスはイエス・キリストの誕生日−
 12月という日本人があれこれ騒ぐ時期にクリスマスがあるということで、騒がれているのかもしれません。クリスマスパーティー、コンサート、セールとクリスマスを冠して騒いでいます。でも、人の心の中には、何か救いを求める思い、聖なるもの、真理を求める思いがあるからではないでしょうか。ぜひ、その中身を知っていただきたいと思います。クリスマスとは、クリストマス、キリスト礼拝という意味になります。すなわち救い主を礼拝するというのが、クリスマスなのです。
 誕生された救い主を礼拝するのがクリスマスです。1〜2節には、「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と記されています。神の御子イエス・キリストが世に来られたことは、歴史的事実だということです。イエス様の誕生、クリスマスをもって、西暦が定められています。紀元前BCとは、キリスト以前であり、ADとは、主(イエス・キリスト)の紀元という意味です。西暦2015年とは、救い主が世に来られて2015年という意味になります。
 救い主の誕生された場所は、「ユダヤのベツレヘム」と記されています。1節。ベツレヘムとは、エルサレムの南方にある静かな町で、その名前の意味は、パンの家です。肥沃な田園地帯なのでしょう。「わたしはいのちのパンです」と言われたイエス様にふさわしい町の名ですね。ヨハネ6:35。この町は、旧約聖書にしばしば登場しますが、最も有名なのは、ダビデ王の故郷だということです。ルカ2:11。そして、そのダビデの子孫として、この町に救い主が生まれることも、預言されていました。ミカ5:2。
 その預言が6節に記されています。きらびやかな王宮のある都にではなく、小さな町で生まれたというところに、イエス様らしい誕生地を思わせてくれます。イエス様の教え、そのお姿は、謙遜そのものでした。人類の救い主となられるために、神様の御子であられるのに、十字架にかかられるほどに低くなられました。ピリピ2:6〜8。
 今日、ベツレヘムに聖誕生教会が建てられていますが、その入り口は非常に低くて、身を低くくしなけければ入れないほどで、「謙虚のドア」と呼ばれています。茶室のにじり口を連想させてくれます。そして、栄光の神の御子の生まれた場所は、家畜小屋です。ルカ2:7。とにかく、私たちの救い主が低い姿をとられて来られたということを象徴しています。幼子のイエス・キリストを礼拝する人が心くだかれて、己を低くするというのは、クリスマスにふさわしい姿だということです。日ごろ高慢と肉のプライドで一杯になっている現代人が、神様の愛に触れて、謙虚な心を取り戻すことも、クリスマスの姿ではないでしょうか。

U−救い主を拝みに来た異邦人−
 その低い姿をとってお生まれになったイエス・キリストを礼拝するために来たのは、神の民と言われたユダヤの人々ではなく、遠い外国の人でした。1〜2節。聖書をよく知っていたユダヤの民ではなくて、遠くにいた異邦人が神様に用いられて、エルサレムに救い主の誕生を知らせることになりました。この人たちの姿に目を留めましょう。
 「東方の博士たち」とはどういう人たちでしょうか。知恵や先見の明を持ち、天文学と結び付けて、人々の相談にのり、教えていた人たちでした。現代ならば、真理を探究する天文学者ということになります。真理を探究する高潔な善良な人々でした。なぜ、聖書を知っている神の民ではなくて、このような異邦人だったのか。彼らの特徴は、何よりも真理を求め、人としての生き方を探していたことです。それで、彼らに救い主の誕生、クリスマスが知らされたのです。謙虚に真理の追究し、確かな生き方を求めているなら、皆さんも東方の博士です。
 東方とは、アッシリヤやバビロンの地と思われます。それは、イスラエル、ユダの人々がかつて捕囚にされた地です。そこには聖書の教え、信仰が色濃く残っていたことでしょう。その地方に住んでいる神の民から、救い主の希望を聞いていたのです。イザヤ9:1〜2,6〜7。今日でも、聖書を読んだことの無い人でも、救い主イエス様について知っています。周りのクリスチャンから聞いた人々もいるでしょう。特別な光を伴って、救い主が赤ちゃんとして来られるということを聞いていて、真理を探究し、確かな生き方を求めていた東方の博士たちは、反応したのでしょう。
 2,9節を見ると、何か特別な奇跡があったのかもしれませんが、実際の特別な天文現象があったとも理解できます。天文学者ケプラーの土星と木星の会合説が有名です。クリスマスを信仰の世界の美しい物語、科学とは合わないと片付けることはできません。ある宇宙飛行士は、宇宙から地球を見て、そこに神様の創造と救いを悟ったそうです。ニュートンは、宇宙の背後に偉大な創造者がいると友人に語っています。
 イエス様が来られた時、ユダヤの人々ばかりでなく、世界が救い主を待ち望んでいました。その典型的な例が、真理を探究し、確かな生き方を求める東方の博士たちでした。東方にある日本の本来の良さは、謙虚を旨とし、真理を求め、真摯に生きようとする姿にあるのではないでしょうか。混乱と空しさが漂う現代の日本でクリスマスを祝う人々の中には、生きる確かさと真理を求める心があるのではないでしょうか。クリスマスは、そういう人々のものです。そのような心にイエス様が臨んでくださいます。

V−誰のためのクリスマス?−
 東方の博士たち、天文学や知恵に優れていたと言っても、聖書の知識はありませんでした。星の現象を見て、救い主を拝みたいと思っても、どこへ行けばよいか、分かりません。とりあえず、エルサレムの王宮に来て、尋ねました。1節。エルサレムの人々でなく、異邦人に知らされたわけが分かります。エルサレムの人々が救い主を求めていなかったです。東方の博士たちから救い主のことを聞いて、驚きまどいました。3〜4節。
 とりわけ、当時のユダヤの王であったヘロデ王は、恐れ惑いました。ヘロデ王はエドム人系の人であり、パレスティナの内乱の際にローマ人のために業績をあげて、ユダヤの王となりました。彼は政治的手腕に優れていたものの、その性格は猜疑心が強く、野蛮で歪んでいたそうです。自分の王座を危うくする人々を除いていました。そのような彼は、東方の博士たちから、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」と尋ねられたので、恐れ惑ったのです。彼にとって権力が偶像であり、すべてでした。権力維持のためには、何でもした人でした。
 このヘロデ的な人の姿は、真理の探究や確かな生き方の求めるということはありません。今までの自分の得た地位、名誉、富、思想、生活習慣が大事であり、救い主を認めることによって、否定されるのではないかと恐れるのです。確かに、心の王座に自分が座り続けようとするならば、それを脅かされるものを拒むものです。都合の良い願いを聞いてくれるだけならいいが、自分の人生の主としては拒むのです。
 もっと始末の悪いのは、祭司長、学者たちです。4〜7節。ユダヤ人の中で指導的立場にある、最も神の民らしい人々でした。聖書の知識はばっちりですから、救い主の誕生のことをヘロデ王に教えてあげました。しかし、彼らは、求めていませんでした。その知識が自分の生活を変え、人生を導くことはなく、知識で終わっていました。自分たちの儀式、自分たちの生活で忙し過ぎて、肝心の救い主の誕生に何の注意も払いませんでした。
 今日イエス・キリストのことクリスマスのことについて、幼稚園もデパートも会社も知っています。しかし、パーティーやセールをやるのに忙しく、プレゼントをもらって楽しむだけで、救い主については無関心です。人生が変わり、生き方を変える救いのチャンスなのに、もったいない、残念です。でも、もし聖書福音を知っているクリスチャンも、自分のことで忙しくして、救い主が自分のために来られたということに喜びと感謝がないならば、そこに本当のクリスマスはありません。
 一方、救い主のことを教えてもらった東方の博士たちは、幼子を探し当て、礼拝し、贈り物をささげました。9〜11節。黄金は王への贈り物であり、乳香は犠牲をささげる祭司のために、没薬は死者に塗るためのものです。それは、十字架にかかって人々を救ってくださるイエス・キリストを暗示しています。博士たちは、救い主についてわずかしか知りません。しかし、彼らには救い主を求めるひたむきな心がありました。自分の宝物をささげても惜しくない熱意がありました。イエス様に神の愛と救いを見出し、イエス様を自分の救い主と礼拝する者、クリスマスはそういう人々のためでした。私たちも、博士たちのような救いに対するひたむきな熱心と求める思いをもってクリスマスを迎えたいと願います。ピリピ3:13〜14。



マタイ2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。



ヨハネ6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

ミカ5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ピリピ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

ルカ2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

ピリピ3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

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