2015年12月27日「わたしに帰れ。あなたを贖ったから」イザヤ44:9〜28

序−今日の主題は、偶像です。偶像って何でしょうか。木や石で作ったものだけではありません。人は、知らずに心の中に偶像を作り、偶像に囚われ、悲惨を経験しています。偶像から解放されて、人格的な神様を信じて生きていくために、聖書から学びましょう。

T−なぜ偶像を作って、拝むのか−9〜17
 人は神様に造られたものですから、何かを信じたいという本能があります。しかし、真実な神様でなくて、偶像を作って、それに願うのです。9〜11節。偶像を作る人は、人々が願うことをすでに斟酌して、偶像を作ります。人々は、とても空しくて何かに切実に願いたい、何かを信じて拝みたいという人々の思いに応えて、その対象として偶像を作るのです。「見ることもできず、知ることもできない」偽りの偶像に拠り頼むのはなぜでしょう。人々が生きる世が、不確実性と偶然に覆われているためです。人が真実な神様を知らない間は、正しい希望を持つことはできないのです。そのために、不安と困難をもって生きるよりは、何か拝んで、より頼もうとするのです。
 ここでは、特に「偶像を作る」ことにフォーカスがあてられています。木や金属で作られて、安置されているものだけが偶像ではありません。個人の生活や私たちの社会の中に無形の偶像があります。たとえば、お金やキャリアへの魅力が増大して行くと、家族や健康や何かよりも、経済的に豊かな生活と地位を追求して行きます。現代社会が追求するのは、欲の文化です。聖書は、むさぼりが偶像礼拝と言っています。コロサイ3:5。何かを欲しがり、それに人生を決める価値を見出し、それに対する崇拝と服従に変わって行きます。
 偶像と言っても、安置されている像やタレントと思い浮かべるでしょうが、人々の心の中で偶像が作られています。エゼキエル14:3。人に認められること、キャリア、物質的豊かさ、人、健康さえも、それ自体は良いものなのに、それが神のようにされます。それによって人生の意義、安心、安全、達成感が得られると考えるからです。金銭がその代表的な例ですが、どんなものでも偶像になり得ます。金銭がそれ以上の存在になることは、聖書で学んで知っています。それは、人生を台無しにするほどの強引さと影響力を持つ偶像神となり、人の心を砕きます。それは、金銭だけのことではありません。すべてが偶像になりうるという根本的な真実に気付いていないのです。十戒では、偶像とは世にあるすべてのものだと言っています。出エジプト20:4〜5。人生においてどんなものでも、神様の代替物としての偶像、偽りの神になりうるのです。
 どんなに空しいことかを知ってもらうために、偶像がどう作られるか記されています。12〜14節。細工する者が色々な道具を用いて、良い材料を用いて作っていると言います。疲れて、のどが渇くただの人が作っていると言っています。偶像を作る者たちは、同じ木で暖を取って、暖まったと喜び、残りで偶像を作って拝み、「私の神だから、私を救ってくれ」と祈ります。15〜17節。そのように、日常的に自分が楽しむものでも、それを神様よりも重要だとし、自分の心と思いを注いで願い、神様からしか得られないものをそこから得ようとするすべてのものが偶像となります。自分の情熱、エネルギー、経済をためらいなく注ぎ込ませるものです。成功、賞賛、面子、容姿、地位、何でも偶像になりえます。共依存と呼ばれる人との関係も、それが偶像になります。
 木は人を救うことはできません。人のすべての問題を解決できる方は、ただ人を造られた神様だけです。偶像は、耳に痛いことを言いません。肉と欲の思いにとって大変都合がいいのです。人の罪について何も言いません。ただ、わがままな勝手気侭な願いを聞いてくれるように思っています。真実な神様は、御言葉を通して語り、罪の姿を指摘し、確かな歩みを教え、導いてくださいます。それが、罪の性質には気に入りません。肉の思いには不都合なのです。バビロン捕囚など認めたくないのです。
 神の民にとって、肉と心の望むままに生きている偶像の民の方がよく見えたようです。エペソ2:3。それで、彼らも偶像に心が移ってしまいました。今日も、クリスチャンが世の人々のように心の中に偶像を作っています。心が神様から離れ、空しくなる危険があります。神様に似せて造られた人は、本来真の神様を礼拝する時、最も純粋で最も美しい姿となります。

U−偶像からの解放 人の目を遮る偶像−18〜20
 どうして、偶像を作るような愚かなことをするのでしょうか。目が遮られて、自分の姿を見ることができないためです。18〜20節。偶像を拝み、願いをする者は、霊的盲目だと言われます。偶像を作り拝む者たちが知恵も考えもないということではなくて、愚かな自分の姿が見えなくなっているということです。人の愚かさや弱点はよく見えますが、自分のことは悟ることができません。罪のために、覆いがかかっているのです。Uコリント4:4。
 御言葉は、私たちに自分を省みるようにさせてくれます。神様の臨在の前に出る真実な礼拝は、私たちを感謝と悔い改めに導いてくれます。本来、人は神様によって造られた存在なので、神様のことを求め、自分の罪の姿も気付くようになっています。しかし、偶像崇拝と罪の思いは、真実な神様を分からないようにさせて、自分を妨げる存在と誤解させています。自分の姿を見えなくさせてしまいます。
 本当は人生や命よりも大切なものでないものに心を囚われると、それを偶像にしていることに気付きません。金銭や社会的成功が偶像になっていても、経済的変動や社会的事件が起こってそれらが崩壊した後になってはじめて、いったい自分が何を考えていたのか、なぜこんな危険に気付かなかったかのかと自問するのです。なぜ理性のない行動をするのでしょう。どうして正しいことが見えなくなるのでしょう。人は心の中に偶像を作り、それを神に代えてしまうからです。ローマ1:25。
 ですから、人は、その偶像の囚われから抜け出し、自分の尊厳性を回復しなければなりません。自分自身について考えることから、自分の真実な価値が始まります。自分にとって偶像は何かを見極めることです。偽りの神を持っているかどうかではく、みな持っているのです。目がふさがっているので、隠されているから見ていないだけです。どんなことが自分の心をしめているでしょうか。お金の使い方はどうでしょうか。イエス様は、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」と言われました。マタイ6:21。具体的に日々何のために生きていますか。
 自分にとって真の神様とは何でしょう。答えられない祈り、実現しない希望に対する反応はどうですか。悲しみと失望を覚えるでしょう。それでも、人生が終わったわけではない、それがなくても生きていけると前に進みます。しかし、祈り、努力しても得られないことで怒りと絶望を覚えるなら、それが自分の偶像となっています。

V−救いの約束と賛美−21〜28
 むさぼりが偶像礼拝だと指摘した節の前に、偶像と置き換えるものを教えています。コロサイ3:4。救い主イエス様に立ち返ることです。21〜22節。神様は、「わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったから」と約束されました。約束通り、神の御子が救い主として来てくださいました。偶像があることを認め、悔い改めるだけでなく、何よりもイエス様が自分のために何をしてくださったかを感謝し、喜び、主の前に憩うことです。そうして救い主イエス様を思うと、自分自身は今までよりずっと魅力ある存在になります。心の偶像をイエス様に置き換えることです。
 偶像に囚われてこんな愚かな状態になっていても、神様は顧みてくださいました。神様がユダの民を捕囚にされたのは、滅ぼすためではなくて、生かすためです。当時ユダの民は偶像崇拝の病にかかっていました。霊的重症だったので、それ以上進ませないための捕囚でした。ユダの民を生かすためのことでした。バビロンに捕囚にされている間に、彼らが神様に立ち返り、信仰を回復するなら、神様は彼らをエルサレムに帰還させてくださると約束を伴ったものでした。28節。そんな?クロス王の登場150年も前に名前が預言されているなんてと思うかもしれません。しかし、この預言が本当であることの証拠です。救い主の預言通り、イエス様は世に来られたのではありませんか。私たちも、御言葉を信じて、従って行きたいのです。
 真実な神様を知っていながら、偶像に走ったのですから、滅んでしまうしかありませんでした。しかし、神様は心変わりされず、「わたしのしもべ、わたしに帰れ」と呼びかけてくださる神様なのです。私たちも、肉の欲の中に生き、肉と心の赴くままを行い、罪のために滅ぶしかありませんでした。罪のため死んでいたようでした。しかし、そんな私たちをあわれみ、「わたしに帰れ。あなたを贖ったから」と呼びかけてくださいました。そして、イエス様が私の身代わりに十字架にかかってくださいました。
こんな神様の愛を知ったならば、罪赦された者は、神様を賛美するほかありません。23節。神様への賛美は、たましいの奥からわいて来る感謝と喜びです。年末は、一年間を振り返る時期です。神様の前に静まり、御言葉を読んで黙想し、神様の御声に耳を傾けましょう。イエス様に救われていることを確認しましょう。偶像に囚われないように、すべてのことをイエス様にあって喜びましょう。ピリピ4:4。



イザヤ44:9 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
44:10 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
44:11 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。
44:12 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
44:13 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。
44:14 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。
44:15 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。
44:16 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった』と言う。
44:17 その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う。
44:18 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。
44:19 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか』とさえ言わない。
44:20 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか』とさえ言わない。
44:21 ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。
44:22 わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
44:23 天よ。喜び歌え。【主】がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。【主】がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現されるからだ。
44:24 あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、【主】はこう仰せられる。「わたしは万物を造った【主】だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。
44:25 わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。
44:26 わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。
44:27 淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。
44:28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」



コロサイ3:4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。
3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。

エゼキエル14:3 「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。

出エジプト20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

ローマ1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

創世記1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

エペソ2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

Uコリント4:4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

マタイ6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

ピリピ4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

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