2017年2月5日「主を知ろう」T列王記20:1〜43
序−世には、イエス様を信じている人と信じていない人がいます。しかし、信じている人々の中にも、主の恵みとあわれみの深さを知っている人、切に知ることを願う人がおり、救いは受けたけれども、主をあまり知らず分かろうともしない人もいます。それが、どれほど違うものでしょうか。
T−立ち返るために−1〜21
北イスラエルのアハブ王は、エリヤとバアルの預言者の戦いとかんばつの後の雨を見ても、悔い改めることがありませんでした。主に立ち返る機会であったにもかかわらず、主を知るにいたりませんでした。そこへ、当時強力な勢力を持った北方のアラムの王ベン・ハダデがサマリヤに攻めて来ました。1〜4節。このアハブとベン・ハダデのやり取りを見ると、脅かされて、すべてはアラム王のものだと言っていますが、すべては自分のものだと思っていたことが分かります。
アハブ王は、自分のすべてのものが神様のものだとは告白していません。主を知っている者は、天地万物を創造されたお方が自分の神、主であり、すべては神様から与えられ、委ねられているに過ぎないということをわきまえるようになります。詩篇100:3。主を知っている人は、日々主を喜び、委ねられた物を用いて主の栄光をあらわして生きることを知っている人です。Tコリント6:19〜20。神様は、私たちの存在のすべてを用いて、神の栄光をあらわすことを望んでおられます。これが、信仰の人の世界観です。
実際にすべて奪い取ると言って来ると、アハブは絶体絶命に追い込まれ、家来たちに相談ました。6〜8節。率直に状況を打ち明け、アドバイスを求めました。アハブのような悪い王にも良さがあります。私たちにも、信仰によるアドバイスが必要です。教会が与えられ、兄弟姉妹が与えられていることを感謝します。
アラム王の要求を斥けて戦うことになりますが、勝つ見込みはありません。しかし、謙虚にアドバイスを求めたアハブ王に神様の助けが与えられます。12〜13節。あまりにも恵み深い神様は、こんなアハブにさえ、あわれみをくださり、預言者を遣わしました。それは、再び与えられた悔い改めの機会です。そして、その御言葉を聞いて、アラムと戦ったイスラエルに御言葉の約束通り勝利を与えてくださいました。14〜16,19〜20節。
アラムとの戦いと勝利は、アハブに悔い改めのチャンスを与え、主なる神を知る機会を与えるものでした。アハブが神様を知ろうとしたのでもなく、見つけたわけでもありません。神様があわれんで預言者を送って、救ってくださったのです。アハブを救い出した神様の助けは、アハブの忠誠心や信仰に基づいたものではなく、神様がアハブをあわれんでくださったからです。アハブが主に立ち返る変化を求めて、与えられたものです。
私たちも、神様の方であわれんでイエス様を送ってくださり、私たちを救ってくださいました。私たちに何かの資格があってではなく、ただただ神様の愛とあわれみのゆえです。でも、救われた後、主を慕い求め、主をもっと知ろうとしているでしょうか。ご利益だけ求めるのですか。
U−あわれみ深い神様−22〜41
絶体絶命の中で主のあわれみを受け、勝利を得たにもかかわらず、アハブは立ち返っていません。もう一度立ち返りのチャンス、主に従う機会を与えられました。アラムの王ベン・ハダデは、体制を整えて、軍勢を強化して再びイスラエルを攻めて来ました。23〜27節。2度目の戦いにおいても、主は預言者を遣わしています。28〜29節。最初の戦いでは、富を奪おうとして攻めて来ましたが、今度は主に対する挑戦でした。天地創造のまことの神を山地の神と言っていることに主の裁きが下ります。
この勝利は、主なる神様が唯一のまことの神であることを教えるものでした。一度強敵アラムに勝利したにもかかわらず、まだ偶像礼拝をやめず、主に立ち返らなかったアハブに、預言者を遣わし、勝利させてくださいました。何とあわれみ深い神様でしょうか。大事なことは、恵みに応答することです。チャンスに答えることです。どうしたでしょうか。30〜34節。山の神だと言って主に挑戦したアラムに、主の裁きがくだりました。それなのに、勝利に陶酔して逃がしてしまいました。父の代から敵でした。また攻めて来るのに、解放してしまいました。どう対応してよいか分からない場合は、主の預言者に聞けばよかったのです。
何と言う愚かな対応でしょうか。預言者は、アハブの失敗を悟らせるために、例え話をしています。38〜40節。アハブは、自分がその例え話を演じてしまったことを悟りません。神から与えられた見事な勝利と恵みは、アハブに主がどのような方なのかを知るようにさせるためでした。アハブが主をよく知って、主の御心に従うためのものでした。私たちは、主がどのような方であるか知っているでしょうか。主の御心に従おうとしているでしょうか。
御言葉に聞き従わなかった結果、やがて3度目にアラムが攻めて来て、アハブは敗れて、戦死してしまうことになります。T列王22章。チャンスは、その時捕まえなければなりません。後では遅いのです。
アハブは最も邪悪な北イスラエルの王でしたが、そのような彼も神の御言葉に従うときには、神の恵みが臨んだことを見ることができました。このような体験を与えた理由は、アハブが引き続き御言葉に従って生きることです。それが神の御心です。なぜ、アハブのような邪悪な者に、繰り返しあわれんで、神様が一方的に預言者を送られ、助けられるのでしょうか。読む私たちが主に立ち返り、私たちに悔い改めの機会を与えるためにです。
今日、私たちも様々な主の取り扱いの中にいます。それが恵みと祝福の回復の機会となるのか、機会を失うのか、それは私たちの気付きと応答にかかっています。私たちが信仰をもって望み、主をもっと知ろうとするかどうかによります。究極的な機会は、救い主イエス様がすべての心のドアをノックされているという機会です。黙示録3:20〜21。心のドアを開いて、イエス様を人生の主として迎え入れ、イエス様と歩む勝利の人生を歩みましょう。光あるうちにイエス様に出会い、信じましょう。ヨハネ12:36。
V−機会のあるうちに−42〜43
私たちが、あまり祈りもしなくて、御言葉に従うこともしないで、自分勝手に生きていたのに、生活や仕事がうまく動いていくでしょう。この場合、私たち自身のせいでよくなっていくと考えるのは、愚かな思い違いです。神様が、私たちをあわれんで、周囲の状況をあまねく守って導いてくださっておられるからです。自分勝手にしている自分が主に立ち返る機会、悔い改める機会をいただいていることを忘れてはなりません。守られてうまく行っているその時に主に立ち返るなら、勝利は私たちに続きます。
預言者の話した例え話は、バテシェバ事件の時ダビデを戒めた預言者ナタンの例え話を思い出させます。ですから、私たちは、神が勝利させてくださったその時に、神の意志を正確に知って、従わなければなりません。勝利に陶酔しないで、その勝利をくださった神様に陶酔する必要があります。そうすれば、継続的な勝利を達成することができます。預言者の警告の言葉を聞いたアハブは、憤慨して、不機嫌になってサマリヤへ帰って行きました。もし、警告を聞いて悔い改めたならば、22章のような悲惨は起こらないでしょう。機会をとらえたことになります。
アハブは主の偉大な力を目の当たりにしながらも、「主であることを知る」ことはありませんでした。これほどまでに悔い改めの機会を与えてくださる神様、どれほどアハブや民を愛してくださったのでしょうか。何とかしてアハブを立ち返らせたい、という主の切なる思いが伝わって来ます。私たちに対しても、主はもっと愛して、もっと悔い改めの機会をくださいます。不機嫌になったり、憤慨したりしないで、素直に悔い改めて、主に立ち返りましょう。
仮に、信じていない人が御言葉に従うならば、それにふさわしい報いがあります。こんなアハブでも、ある程度御言葉に従って用いられました。それによって勝利を得ました。逆に、信仰者であっても、御言葉に従わないなら、応分の刈り取ることになるでしょう。私たちがすべての領域において神様に従うか従わないかで、主を知ろうとするか知ろうとしないかで、その結果は大きく違って来ます。
最後に、13,28節に再び目をとめましょう。「わたしこそ主であることを知ろう」という御言葉から、「主を知ることを」切に求めたいと思います。ホセア6:3。主を知るというと、聖書の知識や信仰の経験を豊かに持っていることを考えることもできます。確かに、信仰生活の中で、聖書の知識と信仰の証しはかかせません。しかし、それよりも重要なことは、現在の主なる神と適切な関係にあるかということです。
ですから、「主を知ろう」と言うのは、主と親密に交わり、日々主と同行することです。パリサイ人は当時聖書をよく知っていた人々ですが、主をよく知っている人々ではありませんでした。東方の博士に教えるだけで、一緒に行って礼拝することはしませんでした。現代でも、聖書の勉強は好きでも、主を知ろうと慕い求めない人々もいます。イエス様の十字架について知っている人は、単に十字架の意味について説明できる人ではなくて、実際に十字架の人生を生きる人です。神の愛を知っている人は、神を愛して、たましいを愛する人です。主を知っている人は、主とともに人生を歩む人です。より価値ある人生は、主を知る者として生きることです。
T列王記
20:1 アラムの王ベン・ハダデは彼の全軍勢を集めた。彼には三十二人の王と、馬と戦車とがあった。彼はサマリヤに上って来て、これを包囲して攻め、
20:2 町に使者たちを遣わし、イスラエルの王アハブに、
20:3 言わせた。「ベン・ハダデはこう言われる。『あなたの銀と金は私のもの。あなたの妻たちや子どもたちの最も美しい者も私のものだ。』」
20:4 イスラエルの王は答えて言った。「王よ。仰せのとおりです。この私、および、私に属するものはすべてあなたのものです。」
20:5 使者たちは再び戻って来て言った。「ベン・ハダデはこう言われる。『私は先に、あなたに人を遣わし、あなたの銀と金、および、あなたの妻たちや子どもたちを私に与えよ、と言った。
20:6 あすの今ごろ、私の家来たちを遣わす。彼らは、あなたの家とあなたの家来たちの家とを捜し、たとい、あなたが最も大事にしているものでも、彼らは手に入れて奪い取るだろう。』」
20:7 そこで、イスラエルの王は国のすべての長老たちを呼び寄せて言った。「あの男が、こんなにひどいことを要求しているのを知ってほしい。彼は人を遣わして、私の妻たちや子どもたち、および、私の銀や金を求めたが、私はそれを断りきれなかった。」
20:8 すると長老たちや民はみな、彼に言った。「聞かないでください。承諾しないでください。」
20:9 そこで、彼はベン・ハダデの使者たちに言った。「王に言ってくれ。『初めに、あなたが、このしもべに言ってよこされたことはすべて、そのようにするが、このたびのことはできません。』」使者たちは帰って行って、このことを報告した。
20:10 するとベン・ハダデは、彼のところに人をやって言わせた。「サマリヤのちりが私に従うすべての民の手を満たすほどでもあったら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
20:11 そこでイスラエルの王は答えて言った。「彼にこう伝えてくれ。『武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない。』」
20:12 ベン・ハダデは、このことばを聞いたとき、王たちと仮小屋で酒を飲んでいたが、家来たちに、「配置につけ」と命じたので、彼らは、この町に向かう配置についた。
20:13 ちょうどそのころ、ひとりの預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「【主】はこう仰せられる。『あなたはこのおびただしい大軍をみな見たか。見よ。わたしは、きょう、これをあなたの手に引き渡す。あなたは、わたしこそ【主】であることを知ろう。』」
20:14 アハブが、「それはだれによってでしょうか」と尋ねると、その預言者は言った。「【主】はこう仰せられる。『諸国の首長に属する若い者たちによって。』」アハブが、「だれが戦いをしかけるのでしょうか」と尋ねると、「あなただ」と答えた。
20:15 彼が諸国の首長に属する若い者たちを調べてみると、二百三十二人いた。そのほか、民の全部、すなわちイスラエル人全部を調べたところ、七千人いた。
20:16 彼らは真昼ごろ出陣した。そのとき、ベン・ハダデは味方の三十二人の王たちと仮小屋で酒を飲んで酔っていた。
20:17 諸国の首長に属する若い者たちが最初に出て行った。ベン・ハダデが人を遣わしてみると、「人々がサマリヤから出て来ている」との報告を受けた。
20:18 それで彼は言った。「和平のために出て来ても、生けどりにし、戦うために出て来ても、生けどりにせよ。」
20:19 町から出て来たのは、諸国の首長に属する若い者たちと、これに続く軍勢であった。
20:20 彼らはおのおのその相手を打ったので、アラムは逃げ、イスラエル人は追った。アラムの王ベン・ハダデは馬に乗り、騎兵たちといっしょに、のがれた。
20:21 イスラエルの王は出て来て、馬と戦車を分捕り、アラムを打って大損害を与えた。
20:22 その後、あの預言者がイスラエルの王に近寄って来て言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをわきまえ知りなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るから。」
20:23 そのころ、アラムの王の家来たちは王に言った。「彼らの神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかしながら、私たちが平地で彼らと戦うなら、私たちのほうがきっと彼らより強いでしょう。
20:24 こういうようにしてください。王たちをそれぞれ、その地位から退かせ、彼らの代わりに総督を任命し、
20:25 あなたは失っただけの軍勢と馬と戦車とをそれだけ補充してください。彼らと平地で戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。」彼は彼らの言うことを聞き入れて、そのようにした。
20:26 翌年、ベン・ハダデはアラムを召集し、イスラエルと戦うために、アフェクに上って来た。
20:27 一方イスラエル人も召集され、糧食を受けて出て行き、彼らを迎えた。イスラエル人は彼らと向かい合って陣を敷いた。彼らは二つの群れのやぎのようであったが、アラムはその地に満ちていた。
20:28 ときに、ひとりの神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「【主】はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ【主】であることを知るであろう。』」
20:29 両軍は互いに向かい合って、七日間、陣を敷いていた。七日目になって、戦いを交えたが、イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した。
20:30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その二万七千人の残った者の上に城壁がくずれ落ちた。ベン・ハダデは逃げて町に入り、奥の間に入った。
20:31 家来たちは彼に言った。「イスラエルの家の王たちはあわれみ深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に荒布をまとい、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」
20:32 こうして彼らは腰に荒布を巻き、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。「あなたのしもべ、ベン・ハダデが、『どうか私のいのちを助けてください』と申しています。」するとアハブは言った。「彼はまだ生きているのか。彼は私の兄弟だ。」
20:33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダデはあなたの兄弟です」と言った。王は言った。「行って、彼を連れて来なさい。」ベン・ハダデが彼のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。
20:34 ベン・ハダデは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んであなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。
20:35 預言者のともがらのひとりが、【主】の命令によって、自分の仲間に、「私を打ってくれ」と言った。しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。
20:36 それで彼はその人に言った。「あなたは【主】の御声に聞き従わなかったので、あなたが私のもとから出て行くなら、すぐ獅子があなたを殺す。」その人が彼のそばから出て行くと、獅子がその人を見つけて殺した。
20:37 ついで、彼はもうひとりの人に会ったので、「私を打ってくれ」と頼んだ。すると、その人は彼を打って傷を負わせた。
20:38 それから、その預言者は行って道ばたで王を待っていた。彼は目の上にほうたいをして、だれかわからないようにしていた。
20:39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人がひとりの者を連れてやって来て、こう言いました。『この者を見張れ。もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにあなたのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。』
20:40 ところが、しもべが何やかやしているうちに、その者はいなくなってしまいました。」すると、イスラエルの王が彼に言った。「あなたはそのとおりにさばかれる。あなた自身が決めたとおりに。」
20:41 彼は急いで、ほうたいを目から取り除いた。そのとき、イスラエルの王は、彼が預言者のひとりであることを見た。
20:42 彼は王に言った。「【主】はこう仰せられる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」
20:43 イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。
Tコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
詩篇100:3 知れ。【主】こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
ヨハネ12:36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。
ホセア6:3 私たちは、知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。
ローマ1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。
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