2018年2月18日「人々を変化させて用いられた」マルコ3:13〜19

序−レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐という絵をご存知だと思います。今日の箇所には、その絵に描かれているイエス様の12弟子が登場しています。聖書には、生身の人間が描かれています。弟子たちがどんな人たちで、どんな働きをしたのか、私たちとの関係は何かについて、学びます。

T−主の弟子として召された人々−13〜14,16〜19
 イエス様は、これからの働きのために、12弟子を選ばれました。13〜14節。徹夜の祈りをもって宣教プロジェクトのチームメンバーを選ばれたので、期待できますね。ルカ6:12〜13。実は、私たちもイエス様に選ばれています。ヨハネ15:16。私たちは、自分自身をどんな人だと思っているのでしょうか。弟子たちの中に自分に似ている人はいるでしょうか。弟子たちは、どんな人々だったのでしょうか。16〜19節。見てみましょう。
 まず、シモンは、「岩」の意味を持つペテロという名を付けられましたが、漁師だった彼は、多血質で性急で、不安定な性格の人でした。強そうなことを言う反面、弱気になればイエス様を否定する人でした。船主の子であったヤコブとヨハネに付けられたのは、ボアネルゲ、その意味は「雷の子」です。とにかくすぐに怒って、「雷が落ちて焼けてしまえ」などと口走る人たちでした。ルカ9:54。文字通り落雷のような人たちでした。
 バルトロマイは、ナタナエルのことで、「田舎のナザレ出のイエスなんて」と物事を批判的に決め付ける人でした。ヨハネ1:46。マタイは、取税人レビのことです。マルコ2:14。その仕事のために、人々から嫌われていました。トマスは、合理主義者であったが、疑い深い人の代名詞であるかのように言われます。ヨハネ20:25。熱心党員シモンは、独立運動の武力組織に属していた人でした。会計をしていた優秀なユダは、裏切りました。
 こんな人たちが用いられるのですか。現代コンサルティング会社に人物評価を頼んだら、こんな報告になるだろうという面白い文章を見つけました。「拝啓。ナザレのイエス様。新しい組織の管理職として選んだ12人の男性の履歴書を提出していただき、ありがとうございます。テストやインタビューの結果、候補者のほとんどがあなたの企業の適性に欠けていることが、私たちの専門家の意見です。ペテロは感情的に不安定です。アンデレにはリーダーシップの資質がありません。2人の兄弟ヤコブとヨハネは、個人的な関心を会社の忠誠心の上に置いています。トマスは士気を損なう疑問のある態度を示しています。マタイはブラックリストに載っていると伝えなければなりません。しかし、候補者の1人は大きな可能性を秘めています。彼は鋭いビジネス・マインドを持っています。彼は非常に意欲的で野心的です。私たちは、イスカリオテのユダをお勧めします。敬具。エルサレム・マネジメント・コンサルティング・ファーム」
 いかにもありそうな報告書です。なぜ、このようないわく付きの難のある人々を選んだのでしょうか。イエス様の選びは、かえって、愚かな者、弱い者、取るに足りない者や見下されている者を選ばれたというのです。Tコリント1:26〜28。なぜでしょう。だから、私たちのような者もイエス様に選ばれているのです。ここに、イエス様の弟子選択の御心があります。

U−共にイエス様に任命され、使命を受けたチーム−14〜15
 弟子たちは、ごく普通の人々でした。貴族や学者、社会の指導者層は一人もいませんでした。イエス様の弟子とされるまで、何の人脈も、社会的な背景も、個人的な能力も、自慢できる条件は何もありませんでした。
 コンサルティング会社は、イスカリオテのユダ一人だけ推薦しましたが、実際には、ユダだけがチームから離脱して、悲劇的な生涯に終わってしまいます。自分の弱点にもかかわらず、主の召しを受け、悔い改めてついて行った弟子たちが用いられました。もし自分の弱さを主の十字架の下に置くならば、私たちの弱点は問題にならないと信じましょう。イエス様は、私たちの弱さにもかかわらず、私たちを必要だと呼んでくださいました。
 弟子たちを見ると、とても一緒に働くことができないようなメンバーにもかかわらず、チームで働くようになります。たとえば、取税人マタイと熱心党員シモンなど、社会の中だったら、とても一緒にいることさえできません。ローマ帝国の手先の役割をしたために売国奴として扱われた取税人は、独立運動の熱心党員からは暗殺の対象でした。イエス様の弟子たちの中で、そんなことは起こっていません。彼らは、性格の違いもさることながら、政治的な立場や社会的立場の違いさえも克服したということです。どうしてこれらの違いを克服して一つとなって働けたのでしょうか。
 同じ召しがあったから可能でした。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」という召しを受けた人々でした。マタイ4:19。召しの確信、使命感を持っている人は、人生に対する態度が違います。家庭や地域、学校や会社というコミュニティーに参加していても、取り組む姿勢が違います。イエス様に呼ばれ、用いられているという使命感がある人は、一体感も強く、意欲も強いのです。同じ使命感がある共同体は、一つになることができるのです。教会も同じです。イエス様の弟子のコミュニティーは信仰共同体であり、礼拝共同体です。問題が近づいても、簡単に巻き込まれたり崩れたりしません。
 以前からある人々を選択する基準、IQ知能指数の数値が高ければ、頭がいいと言います。ところが、IQが高くても必ずしも仕事が出来て、成功するとは限りません。その他に、EQ感性指数(心の知能指数、自分と他の人の感情を理解し自分の感情を制御する能力)と、SQ精神指数(スピリチュアル指数、崇高な精神性や成熟した道徳意識)があります。SQは、謙虚で強い使命感や責任感を持ち、人生そのものに深く感謝しているといったような精神的態度として表れます。近年、不透明で変化の激しい現代のリーダーには、SQが高いことがビジネスの成功に必要だと言われています。事実、CEO経営最高責任者には、SQが高い人が多いそうです。
 弟子たちは、このSQ指数が高かったと言えるでしょう。SQは、霊性指数と言ってよいでしょう。私たちこそ、SQを高くすることができます。

V−身近に置き、福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を−14
 14〜15節に、弟子たちが呼ばれた目的が記されています。一つの働きは、「彼らを遣わして福音を宣べさせるため」でした。救いの恵みを自分一人独占して楽しむのでなく、周りの人々に伝え、祝福された人生を共有するようになります。イエス様が私のために十字架にかかり、罪の赦しと天国への命を与えてくださいました。伝道とは単純に福音だけ伝えることではありません。人々に仕えて愛を実践することが含まれています。イエス様は、誰を呼んで伝道に任命したいと願っておられるか知っていますか。私たちです。私たちあきる台BCは、イエス様と一緒に、失われた魂を救うためにイエス様によって建てられたイエス様の弟子、イエス様のチームです。
 もう一つの働き、「悪霊を追い出す権威を持たせる」というのは、ピンと来ないかもしれません。世の様々な文化は、人間性を破壊しています。汚れた霊がその人自身と周りの人々の心を傷つけさせ、互いに罪を犯させ、自己満足のために相手を犠牲にさせています。私たち自身と子供たちが今どのような文化と精神を受けているかを深く省みることが必要です。私たちには、イエス様の名によって敵を支配する権威を与えられています。悪の力が私たちを攻撃する時、私たちの力では勝てません。しかし、イエス様の御名で打ち勝つことができます。Tヨハネ4:4、ルカ10:17。
 でも、このような弱さや難のある弟子たちがそのような働きができるのでしょうか。イエス様は、このような働きのために、どうされたのでしょうか。14節の「身近に置き」に注目しましょう。これは、訓練して用いるという意味です。弟子たちを召された目的は、一緒におらせて、訓練を受けさせるためです。まず、イエス様の考えと意識、生活を知らずして、どのようにイエス様を伝えることができるのでしょうか。弟子が師匠と一緒にいるのは、師に倣って行くことのためです。イエス様と一緒にいるということは、主の御言葉を学び、意識を分かち合うことを意味します。 
 イエス様の訓練を受けて、弟子たちはどう変わったのでしょうか。シモンは、ペテロ(岩)のあだ名通り、初代教会の礎石となりました。雷の子とあだ名されたヨハネの感情は、愛の使徒へと変えられました。ヨハネの福音書や手紙にはどれほど愛が記されていることでしょうか。
 どうすれば、私たちもイエス様の身近に置かれることになりますか。御言葉を日々読んで、黙想して、実践してみることです。皆さんは、主と一緒にいる時間をどのように持っていますか。その少ない主との時間が、多くの世の時間と事柄を祝福して浄化してくれます。イエス様の3年余りの公生涯において、最も時間と労力をかけられたのは、弟子たちの訓練、弟子養育です。ですから、私たちの教会も、イエス様の弟子養成を見習って、御言葉による養育を行っているのです。これは、イエス様の遺言とも言うべきものです。マタイ28:19〜20。
 イエス様は、普通の人々を選ばれました。弱さや難のある人々でした。彼らの愚かさや弱点を使用したのではありません。その平凡さと弱さを変化させて用いられました。私たちも、造り変えられて神様に用いられることができます。私たちにも、愚かさや弱さが存在します。能力が足りません。私たちも、御言葉によって造り変えられて、神の国のための貴重な働き手として用いられることを願います。



マルコ3:13 さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。
3:14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、
3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、
3:19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。




ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

ヨハネ1:46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」

Tコリント1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

マタイ4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

Tヨハネ4:4 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです

マタイ28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

マルコ6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。

マタイ10:1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。



ヨハネ1:46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」

エペソ4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

ヨハネ20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

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