2018年2月25日「誤解や中傷の中で」マルコ3:20〜30

序−様々な人々を癒し、多くの人々に御言葉を教え、大勢の人々がイエス様のところに集まって来ました。そして、弟子たちを任命し、今やイエス様の働きは、順調に展開し、軌道に乗ったかのようです。しかし、イエス様が誤解され、中傷を浴びせられました。私たちも、誤解され、中傷を受けることがあるでしょう。イエス様から対処を学びます。

T−誤解され、おかしいと言われても−20〜21
 イエス様は、集まって来た人々を癒し、御言葉を教えて、精力的に働いていました。「食事する暇もなかった」というほどです。人々がイエス様を慕い求めて来ていました。ところが、親族たちから予想外の扱いを受けました。イエス様を連れ戻しに来たというのです。大工をやめて、あちこち巡り歩いて、騒動を起こしているらしい、弟子という変わった人々を連れているらしい、とても理解できなかった。そこに、「気が狂ったのだ」と言ううわさを聞いたので、もう放っては置けないと、やって来たのです。
 でも、変ですね。遠くから人々が噂を聞いて、イエス様を慕って大勢来ていました。イエス様の良い噂も聞いているはずです。なぜ、否定的な噂ばかり聞いていたのでしょうか。否定的にイエス様を見ていたからです。長男なのに大工をやめて、家を出た。自分たちと同じに暮らしをしていない。お偉いさん方の反発を受けている。一つ一つ気に入らないのです。えてして、郷里の者、親戚の者は、その人を知っているがゆえに、軽んじてしまうようです。
 皆さんは、周りの人々や親しい人から、おかしいと言われたことがありますか。家族や親族から否定的な評価を受けたことがありますか。良かれと思ってやっていることが、悪く受け取られ、誤解されることがありましたか。家族から、職場の人から、近所の人からそのように言われ、受け取られることもあるでしょう。そんな時、余計に辛く悲しい、悔しい思いもするでしょう。マルコ6:3〜4。
 人は、自分たちと違う生き方や価値観を持っている人を疎ましく思うものです。知っている者ならば、なおさらです。身近な人や親しい人からの無理解や誤解はそういうことから生じて来ます。Tペテロ4:4。自分たちと同じようにしないと、変だなと思い、次第に悪口を言うようになります。それが、人の罪の性質だからです。
 最も辛いことは、側にいる人が自分を理解してくれず、身近な人が自分を誤解している場合でしょう。それでも、がっかりして良いことを放棄してはなりません。イエス様は、「預言者が尊敬されないのは、郷里や親族の間」だからと受け止め、「博学があなたの気を狂わせている」と総督から言われたパウロも、「私は、まじめな真理のことばを話しています」と冷静に応えて、その働きを継続しています。マルコ6:4,使徒26:25〜26。
 私たちは、慰めを受けて望みを持つことができます。イエス様を非難し、反対した親族が、後にはイエス様を信じ、イエス様を伝える人が出て来ます。彼らが変化するまで、イエス様は黙々と自分の立場を守り、自分のすべきことをしました。身近な人から責められても、がっかりしたり、悩んだりしないでください。黙々と信仰に生き、主に頼り祈ることです。ダビデが徹底して神様だけに頼る人になれたのは、彼を悩ませ迫害していたサウルがいたからです。

U−誹謗中傷されても−22〜27
 また、イエス様は、律法学者から、「悪霊につかれている、悪霊の親分によって悪霊を追い出している」と誹謗中傷を受けました。22,30節。言わば、彼らは社会の指導者、権力者だからです。こちらの方がもっときびしいです。ベルゼブルとは、悪霊のかしらのことです。マタイ10:25。彼らは、イエス様が悪霊につかれた人々から悪霊を追い出し、癒しているのを見て、悪霊の力をかりてやっていると考えたのです。
 パリサイ人や律法学者たちは、その当時のユダヤ人社会では、宗教的な指導者たちであり、精神的な指導者でした。なぜ彼らは、悪意に満ちた侮辱的な酷評をしたのでしょうか。絶対だった自分たちの既得権が揺れはじめ、民の耳目がイエス様に注がれたことですごい妬みにかられたからです。民がイエス様を慕い、殺到するのをみて、我慢がならなかったのです。ですから、何としてもイエス様の人気を低下させようと、悪意に満ちた批判を浴びせたのです。
 社会的な地位と分別を持っていた律法学者やパリサイ人が、このようにイエス様に対して妬みにかられ、こんな酷い中傷を浴びせるのを通して、私たちの心も透けて見えて来ます。人がほめられるのを見て嫉妬して面白くない思いになり、他の人が良くなる姿を見て喜ぶことができず、妬んで非難することは、どれほど愚かなことでしょうか。
 社会の中で、人からクレームを付けられ、批判され、ありもしないことで中傷されるとしたら、私たちは恐れ、不安になるでしょう。会社や地域の中で、悪く言われることもあるでしょう。上司から指摘や注意を超えて、必要以上に攻撃されることもあるでしょう。良かれと思ってしていることで近所から咎められることもあるでしょう。「宗教やってるんですか。そんな非科学的な」などと揶揄される時もあるでしょう。本当に辛く、悲しくなります。どう受け止めたらいいのでしょうか
 イエス様の場合、悪霊につかれていたのは、イエス様ではなく、律法学者たち自身に入っていたということです。彼らは、妬みからイエス様を悪く言いたい、悪い評判をたてたいという思いでいっぱいでした。そういう心にサタンは付け入り、働きます。人が私たちに対して悪い動機で悪く言っているのだとしたら、恐れたり、悩んだりする必要はありません。イエス様は、「食いしんぼうの大酒飲み、罪人の仲間だ」と悪く言われた時、「知恵の正しいことは、その行いが証明します」と言われました。マタイ11:19。
 大事なことは、人から責められたら、改めるべき所は改めて、自分はだめだと落ち込まないことです。根拠のあることならば、謙虚に受け止めて改めればいいことです。多くは自分勝手な思いで言っていることであり、悪意から言っていることもあります。そんなことで自分を責めてはなりません。自分はダメなんだとしないで、誰かに話しましょう。
 結局、人はサタンに使われ、罪の思いによって、人を悪く言い、責めます。ですから、イエス様による救いが必要です。悔い改めて、イエス様を救い主と信じることで、罪赦され、サタンの囚われ人から解放されます。イエス様は、イエス様を悪霊つきだと悪く言う彼らをそばに呼んで、たとえを持って話してくださいました。23〜27節。悪霊が悪霊を追い出すなんてことはありえないと、落ち着いて考えれば分かることです。
 悔い改めと神への立ち返りを導いてくださる聖霊の働きを無視してしまうなら、救いに至ることができません。29節。すべての罪は、悔い改めさえすれば、赦されます。しかし、イエス様の恵みを拒絶する者は、罪という病気を治癒することができる唯一の治療法を拒絶するので、罪赦されることがないということです。ご自分を罠にはめようとする律法学者に対しても、愛を持って諭してくださるイエス様の姿を心に留めましょう。

V−私たちのために−27〜30, Tペテロ2:19〜24
 私たちを誹謗中傷する人々の心は、この律法学者のように妬みからなのか、弱さや失敗に付け入ろうするのか、不満や怒りをぶつけたいのか、サタンに使われて私たちを非難し、悪く言うのです。恐れや不安を感じるでしょう。人に悪く言われるだけで嫌な思いになります。また、親族のように身近な人が理解してくれず、誤解されたりすることもあります。辛く悲しくなります。どうして悪く言うのか、自分の何が悪いのかと悩んだりします。どうしたら、いいでしょうか。
 イエス様は、律法学者を諭しながら、神の国の本質を教えておられます。27節。この強い人とは、サタンのことです。サタンという悪の勢力が、人々の罪と世の中を支配しています。エペソ2:1〜3。このような悪の支配から抜け出すためには、強い者を縛り上げるもっと強い者の力が必要です。イエス様は、サタンを踏みつける者として世に来られました。創世記3:15。ですから、人々を支配していた悪の勢力を縛って彼らの武装を解除し、人々をその支配から解放し、自由にしてくださいました。ローマ8:2。
 ですから、安心してください。イエス様に救われているなら、イエス様が私たちの味方なのです。ローマ8:31。サタンは告白者と呼ばれています。黙示録12:10。サタンが人々を使って、イエス様の弟子を訴えさせ、悪く言わせるのです。イエス様の尊い犠牲で救われた者を否定し、悪く言う者はだれですか。どんな誹謗中傷も、イエス様にある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ8:39。どんなに励まされることでしょうか。
 人から誤解されて悪く言われたり、謂れのないことで否定されたり、不当な苦しみを受けるなら、怒って反発し、文句を言い争いたくなるかもしれません。イエス様はどうされましたか。Tペテロ2:23〜24。ののしり返さず、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。私たちもそうするのです。私たちのために十字架にかかられたイエス様は、人々からの批判や中傷、誤解や攻撃も私たちのために受けてくださいました。私たちのために心の痛みを味わわれました。イエス様の十字架を思う時、無理解や中傷で痛んだ私たちの心も癒され、平安が訪れます。





マルコ3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。
3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。
3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
3:25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。
3:26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
3:27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。
3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている」と言っていたからである。




マルコ6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

Tペテロ4:4 彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。

マタイ5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

使徒26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。
26:25 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。

マタイ11:19 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行いが証明します。」

ローマ8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

黙示録12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。

Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

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