2018年3月4日「イエス様の家族とは」マルコ3:31〜35

序−家族とは、私たちにとって最も貴重で重要なものです。健康な家庭がなければ、人生を豊かに過ごすことができません。しかし、反面家族が人の成長と生活の妨げにもなっています。本当に健康な家族関係とは、どんなものなのでしょうか。聖書が言っている家族関係とは、何でしょうか。

T−混乱し、破壊される家族−31〜32
 今度は、イエス様の肉親たちが、直接やって来ました。31〜32節。悪い噂を聞いて、食する間もなく活動していることを聞いて、心配して来たようです。でも、ちょっと変です。イエス様が家の中で人々に御言葉を教えているにもかかわらず、イエス様を外に呼び出しています。これは、イエス様の働きを妨害しています。イエス様の教えを聞こうとする心がありません。イエス様を止めに来たのです。
 自分たちは、中に入りたくなかった。彼らは、イエス様がしていることを不満に思っていた。それで、イエス様がしていたことをすぐに止めさせて、自分たちと一緒にナザレに連れ帰ろうとしたのです。弟たちは、イエス様を理解できず、イエス様を信じていませんでした。ヨハネ7:5。それでも、中傷や困難に直面しているイエス様を連れ戻し、休ませ、守ろうとした血縁の情を持って来たのです。この行動は、倫理や道徳的に見るならば、何の誤ったところのない行動です。しかし、家族の無理解、独り善がり、身勝手でした。
 今日も、家族という美名の下に、無理解、独り善がり、身勝手がまかり通り、家庭が混乱し、家族が悩み、傷付き、苦しんでいます。とりわけ、現代社会の中で、多くの家庭の中で思いやりのない言動と不条理な暴力が日常化し、どれほど家族が苦しめられていることでしょうか。どれほど多くの家庭が破壊されて、破綻しているでしょうか 。多くの家庭において、家族が敵になっているのです。しばしば社会的にも大きな問題になる事件も起こります。家庭が崩れると、社会も崩れやすくなります。家庭や家族について、私たちはどんな経験をして来たでしょうか。
 聖書を見るならば、人の罪を支配しているのは、サタンです。エペソ2:1〜3。人の心にサタンが入って罪を犯させます。サタンは、家庭や家族の安定と平和を望んでいません。家族の間に介入して、お互いに争わせ、憎ませ、喧嘩別れさせながら、後には互いに没落させる。これがサタンの特性であり、得意技です。人々は、それを知らず、互いに分かってくれない、気に入らない、傷つけられたと言い、争い、憎み合うようになります。サタンが私たちに事情を優先させて、私たちの信仰を堕落させます。
 家族の真の交わりと平和のためには、分裂の霊であるサタンの力を防がなければなりません。自分や家族が、本当に健康で幸せな家庭になることを望むなら、家庭に分裂の霊サタンの働きが入らないようにブロックする強力な盾が必要です。サタンの妨害を遮断してくれる防護壁とは何でしょう。それは、イエス様であり、御言葉です。ですから、私たちの家族にイエス様が必要であり、イエス様を中心とすべきです。
 誰もが幸せな家庭を望んでいますが、不幸な家庭も多いです。イエス様中心とならなければ、罪のために家族の分裂や破壊は避けられません。

U−神の家族−32〜34
 家族が探しに来ていることを知らされた時、イエス様は、「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか」と答えられましたか。33節。これって、母親が尋ねて来た時に言う言葉でしょうか。血縁中心の社会では、親不孝者の中の親不孝者です。でも、イエス様が家庭を否定するために言われたことではありません。今家族の無理解、独り善がり、身勝手、神の国を宣べ伝えるイエス様の働きを妨げられています。そこでこの機会に、イエス様は、今そこで御言葉を聞いている人々に、神の国で起こる新しい家族について教えてくださいました。
 イエス様は、今血のつながりの家族を超えて、新しい天の家族の姿を示してくださいました。今、神の国を慕い求め、神の御言葉を慕い求めて、その狭い空間に一団となって集まって耳を傾けている人々を見て、イエス様は、「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです」と言われました。34節。間違いなく、これはイエス様の周りに座っていた人々に衝撃を与えたことでしょう。イエス様は、イエス様に従って来た弟子たち、イエス様から御言葉を聞く者たちが、ご自分の家族であることを強調されました。イエス様が言われたことは、決して血縁の家族を否定したものではありません。イエス様は、十字架にかかられた時にさえ、母マリヤを心配するほどです。ヨハネ19:26〜27。これは、新たに形成される新しい家族の姿を教えておられるのです。
 イエス様を救い主として受け入れることで与えられる、完全で永遠なる新しい家族です。ヨハネ1:12〜13。神に向かって父と呼び、永遠を生きる新しい家族です。ローマ8:15。神の家族になるということは、どんなに大きな祝福でしょうか。肉の家族も、いつかは孤独になるでしょう。しかし、信仰の家族は孤独になることがありません。一緒に泣いて一緒に笑って、天国に向かって行く、キリストの血で築かれた神の家族がいるからです。
 ですから、イエス様中心の家族になれば、実際の家族も、神の家族となります。夫婦は、神が結び合わせたものです。マルコ10:9。結婚式で読まれるエペソ5:22〜25も、イエス様中心の家庭となることが強調されています。夫と妻が、お互いにイエス様がするようにしなければならない、イエス様が愛するようにしなければならないというのです。親子の関係でも、「主にあって」するように言われています。エペソ6:1〜3。実際の家族が神の家族となれば、どれほど恵まれた家族となることでしょうか。イエス様を信じて、イエス様中心の家庭を築きましょう。
 でも、自分の家族に伝道する事は困難だという思いもあるでしょう。しかし、イエ様の家族も、最初はそうでした。ですから、家族から悪い噂や間違った先入観を取り除く愛と誠実な証しの生活が必要です。

V−神のみこころを行う人すべて−35
 34節の理由として、「神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と言われました。35節。原文では、35節の文頭には、「ガル、なぜならば」という接続語が記されています。そこで御言葉を聞いて人々が「神のみこころを行う人」だから、「わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」と言っているのです。そこに集まっている人々は、イエス様の御言葉を聞いて、行うために集まっていました。御言葉を聞くと、信仰が生じます。御言葉を心の中に刻むと、考えと思いを変えてくれます。それで、神のみこころに従うようになります。これが神の家族です。
 神のみこころとは何でしょう。ヨハネ6:40。神のみこころは、御父なる神が送られたひとり子イエス様を私たちが信じて、罪赦され永遠の命に至ることです。そして、神の子とされて神の家族に加えられることです。そのために、イエス様が十字架にかかってくださいました。具体的な神のみこころは、イエス様の人格と行為の中に現われています。一言で言えば、神の愛と隣人愛と言うことができます。神のみこころを行う人は、常に御言葉を黙想し、神の御心に思いを向け、その御言葉に従うようになります。 神のみこころを行う人は、神のみこころに自分の意志や感情や行動を合わせて行くことができる者です。神ご自身が恵みと御力を注いでくれなければ神のみこころを行うことができない、ということを知っています。
 35節には、神のみこころを行う人は「誰でも」と言われています。「誰でも」イエス様の家族に参加することができるのです。「誰でも」という言葉には、ユダヤ人や異邦人を問わず、奴隷も自由人も、老若男女、社会的な地位、貧富や、人種や、学識の違いに関係なくすべての人が可能だという意味が込められています。肉の家族は、血縁関係と血のつながりが強調されますが、神の家族も、イエス様の尊い血潮で救われ、神の家族とされています。
 家族とは、必ず家族一緒に食事をすることが大切だ、必要だと言われます。それと同じように、神の家族は、共に御言葉を食べるのです。同じ場所で礼拝し、同じ説教を通じて、同じ聖霊の導きの中で御言葉に養われる神の家族です。家族がばらばらに食べていたら、家族でなくなり、下宿人のようになります。霊的な家族もそうです。一緒に礼拝し、一緒に御言葉を分かち合い、一緒に祈り、一緒に奉仕して、神の家族としての恵みを受けて、神の家族となります。教会は、まさに神の家族です。
 イエス様を信じることができなかった家族も、後には変わりました。イエス様の弟たちは、十字架と復活を経験した後には、イエス様を信じるようになりました。使徒1:14。母マリアとイエス様の兄弟たちも、使徒たちと一緒に祈っています。その結果、後に、兄弟の一人ヤコブは、初代教会の精神的指導者となりました。使徒15:13,21:18。また、ヤコブ書を記して、従順の生活を強調しました。従順な信仰が大切だと知っていたからです。
 ですから、信仰をもって望むなら、私たちの家族もイエス様の家族になることができます。イエス様を信じて救われた神の家族になるよりも大きな恵みと祝福はありません。イエス様は、今礼拝をささげている私たちに対しても、「わたしの母、わたしの兄弟姉妹、わたしの家族です」と言ってくださいます。大きな感動を覚えて、神のみこころを行う人となり、神の家族を築きたいです。



マルコ3:31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
3:35 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」



ヨハネ19:26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。
19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお
与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ローマ8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

使徒1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

ヨハネ6:40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。

マルコ10:9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。

エペソ5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。


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