2018年3月25日「成長させてくださる神」マルコ4:26〜34

序−友人の子どもと久しぶりに会うと、小さかった子が大きく立派になっているのに驚くことがあります。成長することの素晴らしさ確かさを覚えるものです。私たちの信仰生活もそうです。それが、どれほど確かなものか、どれほど成長するものであるか、2つの例えを持って教えています。

T−成長の過程は見えないが、必ず成長する−26〜28
 まず、種が成長する確かさに例えています。26〜28節。種とは、無限の可能性を持った生命です。小さな種の中に、独自の葉も茎も根もあります。自分の固有のDNAも持っています。種は、地に植えられた後は、芽が出て育って、花が咲き、実を結ぶようになります。その過程は人の目には見えないのですが、確実に成長しています。成長するのは、人の力によるのではなく、完全に土地と雨と空気を主管しておられる神に委ねられています。
 イエス様は、この神秘的な種の成長を、神の国に例えました。教会の歩みも、信仰生活も、私たちの仕事や働きにも、この例えが適用されます。この例えのポイントは、種の成長と収穫は必ずあるという真理です。信仰の歩みにおいて、その過程が分からず、結果がすぐに表示されなくても、成長しており、その結果は必ずあるということです。種は自然に成長します。神様が、そのように成長させてくださるからです。Tコリント3:7。
 私たちがイエス様を信じて救われたなら、新しい人として生まれ、成長が開始されています。Tペテロ2:2。私たちを成長させてくださるのは神様です。成長させてくださる神様を信じているならば、自分の人生を悲観的に見ることができません。自分の力の範囲や限界以上は、神様に任せてください。私たちがすべきことは、恐れてはならないということです。出エジプト14:13。子供の教育の原則も同じです。子供が育って成長することは、神様にかかっています。親の勝手に育ててはならないし、自分の力でできると思ってはなりません。神の種が実る子供の可能性を眺める信仰が必要です。
 では、農民の手間は必要ないのでしょうか。いいえ、畑を耕作し、そこに良い種を選んで蒔き、雑草を取ったり、時には肥料も与え、水くれもしながら育てなければなりません。この例えは、農民がそのような努力をしなくてもいいという意味で言われたのではありません。神の国では、神様が植えて神様が育てておられるということを強調しています。
 私たちの様々な努力を通して神様が働かれます。作物の種を蒔き、水を与えること、熱心に祈って子を育てることは私達に任せられたことです。でも、成熟させてくださるのは神様です。神の国のことが成されていくのは私たちのすることはありません。それでも、神様は私たちの努力を通して、ことを行われるのです。教会が成長して育っていくのも、神がなされることです。しかし、神の教会を成長させてくださるという信仰に聖徒たちが従うならば、その献身を通して神様は歴史を導かれるのです
 こうして、神様が成長させてくださいますが、いざ、収穫する喜びは、農民のものです。29節。これが、神の国の祝福です。農民は、必ず種まきの結果があることを知っています。農民は、種が育つ過程と実を結ぶ過程を見ることはできませんが、種蒔きの結果である実りを収穫することになります。このように、私たちが信仰で行うすべてのことについても、神様は結果を必ずもたらしてくださいます。私たちは祝福と報いを期待するなら、祈りの答えが遅くても、仕事の結果が早く表れないとしても、がっかりしたり、落胆せず待ちましょう。
 現代は非常に難しい時代です。厳しい時代であるほど、神様の前に正直な心を持って生きることが重要です。挫折と絶望することばかり起こるとしても、神様を信頼する心を絶対に失ってはなりません。そうすれば、神の恵みと祝福を必ず体験することができます。歴史の主人は神様、生命の主人も神様です。神様の恵みは私たちの功労で来るのではなく、眠って起きたら、種は芽を出して育っているということを覚えておいてください。

U−小さな種だけれども、大きく成長する−31〜32
 二つ目の例えは、有名な「からし種の例え」です。31〜32節。このからしは、昔は調味料や薬、ハーブとして使われた植物です。現代はからしの原料としては使われているものとは違うようです。その種は非常に小さく、点のような大きさなのですが、成長すると2,3mにもなり、鳥が巣を作るほどだというのです。この例えのポイントは、初めはからし種のような小さな取るに足りないようなものであっても、その結果は、想像することができない大きなものとなることを示しています。
 イエス様は、小さなからし種一粒として世に来られました。ナザレで大工の息子として育ったので、誰も分かってくれませんでした。しかし、イエス様には無限の力は、からし種一粒のようでした。からし種が成長して、その木に多くの鳥が来て楽しむかのように、多くの人々が救われて、安らぎと栄光をいただくことができました。マタイ11:28。イエス様は、多くの人々を罪から救ってくださいました。
 教会も、イエス様が立てられたからし種のようなものです。その種が育って、鳥がその陰に寄り添うように、教会は、人々が集まって来て、たましいの安らぎを得て、楽しむことができるところです。木で休んだ鳥が新しい力を得て再び飛ぶように、聖徒たちが教会で新しい力を得て、世に戻って行くところです。
 また、私たち一人一人がからし種のような小さな存在です。しかし、無限の可能性を秘めたからし種だということを忘れてはなりません。いくらでも、多くの人々に希望と勇気を与えることができる可能性があります。日本では、大抵の聖徒たちが、その家族の中で初めて救われた者です。聖徒たちはその家族に蒔かれた一粒のからし種です。私たちの家も、私たち一人が小さなからし種とされて、家庭に信仰が育ち始めます。初めは非難もされ、誤解されても、やがて家庭が福音化されて、神の国が成し遂げられるようになります。
 直径が1mm、重さが1mg程度のからし種は、よく見ないと、目に見えない小さな種です。このような小さなからし種が何の夢を持つことができますか。今は小さくても将来的には大きな木になる夢を持っています。今や社会全体が小さくなっているようです。経済も小さくなり、事業も行政も小さくなっています。私たちの生活も小さくなり、気持ちも小さくなります。しかし、からし種が小さいとしても、大きく育つ夢があります。今こそ、私たちは、このからし種の成長法則に沿って始めることができます。

V−種を蒔かなければ−26,31
 この2つの例えにおいて、重要な点を忘れてはなりません。どちらも、「種を蒔く」ということが必要です。26,31節。種は植えられるために存在します。蒔かれていない種は、何の結果も期待できません。いくら小さくて取るに足りないものであっても、種は蒔くのです。この例えで、種は御言葉です。神の国のモデルである教会は、御言葉が蒔かれれば成長します。御言葉を蒔くことは、福音を伝えることであり、御言葉で養われることです。御言葉が伝わらなければ、教会は成長することができません。
 私たち自身の中にも、やはり御言葉が蒔かれなければ、成長できません。礼拝や学び、黙想や分かち合いを通して、自分に御言葉を蒔くことが必要です。そして、私達も時間と賜物と物質を蒔きます。伝道者11:4。自分の賜物と持っているものをうまく用いなさいという意味です。良い機会だけ待っているわけには行きません。とにかく、神を頼って熱心に使用するのです。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ガラテヤ6:7〜9。
 種まきにも、犠牲や労苦が伴います。時には、泣きながら種を蒔く時があるでしょう。でも、涙とともに種を蒔けば、収穫の喜びに与ることができます。詩篇126:5〜6。私たちが蒔く時、取るに足りないわずかなものだとしても蒔くのです。分からないうちに成長して行きます。大きく進展して、実を刈り取ることになります。人々は、すぐに認められることだけしようとして、失望したり、落胆したり、途中で放棄したりします。しかし、種を蒔くことが主の認定を受けることを忘れないでください。
 私たちは、御言葉の種を蒔き、福音の種を蒔き、証しの種を蒔きます。仕える働きの種を蒔き、愛の種を蒔きます。仕事の種を蒔き、学びの種を蒔きます。どのように蒔くのでしょうか。信仰で蒔きます。ミレーは農民の子として生まれましたが、パリに行って都会的な絵を描いて出世しようとしました。売れそうな絵ばかり書いていた時、ある青年の批評を聞いてショックを受けて、街を離れて農業をしながら描き始めました。そこで最初に描いた作品が、「種をまく人」でした。これがミレーの種まきでした。その後、落穂拾い、晩鐘などを制作することになります。
 大切なのは、成長させてくださる神様です。私たちのすることは、種を蒔くことです。その見えない成長を確信することです。私たちの小さな種を大きく成長させてくださる主を信頼することです。神様が成長させ、完成させてくださることを信じましょう。ピリピ1:6。



マルコ4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
4:33 イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。
4:34 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。




申命記15:10 必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、【主】は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。

Tコリント3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

伝道者11:4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
11:5 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

ガラテヤ6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

詩篇126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

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