2018年4月15日「イエス様に出会って」マルコ5:1〜20

序−都会病という言葉があります。都会特有の生活条件によって起こる健康障害のことです。確かに、近年内外の研究機関が、都市生活者の方が脳へのストレスが大きく、都会部の方が精神疾患にかかる率が高いと報告しています。今日の箇所に登場する人の姿から学びましょう。

T−汚れた霊に囚われた人、病んでいた心−1〜5
 イエス様が、嵐の後湖の向こう岸ゲラサ人の地に来られて、汚れた霊につかれた人に出会いました。1節。このゲラサ人の地とは、ガリラヤ湖の東側にある地域で、デカポリスと呼ばれたとても裕福な地域でした。軍事的、商業的要衝地であり、ローマ軍の退役軍人のために建設された駐屯地で、商業貿易も盛んでした。谷が多く水が豊かで、農業も発達していました。人口も多く、文化施設、産業の発達した都市でした。ユダヤ人の地とはまったく違う異邦人の土地でした。
 現代社会の都会に住む人々に、精神疾患者が多く起こっていますが、この汚れた霊につかれた人の姿は、まさに精神疾患のようです。都会では、ストレスや不安で、精神疾患に苦しむ人が増えています。この人も、都会での夢を果たせず、挫折して苦しんで、精神疾患になったのかもしれません。この人が住んでいた場所は、墓場です。3節。彼は、人々の間で傷付いて、失敗を味わって、人々に適応できず、誰もいないところに行きたいと墓場に行き着いたようです。
 ですから、この人の特徴は、傷付いて孤独であったということです。3〜4節。鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかったというのは、自分自身を制御できなかったということです。現代社会は、神を失い、理性を失って、状況判断の感覚を失った人々が生きています。普段は静かな人でも、突然怒りが爆発することがあります。抑圧されたものが噴出するからです。この人は、昼夜叫んでいました。5節。誰でも時々叫びたい時があります。私たちの中の抑圧されたものが爆発するのです。
 さらに悲惨なのは、自分のからだを傷つけていたということです。5節。彼は自分自身を否定し、自分自身を自虐しました。話が通じなかったり、思うようにならないと、拳で壁を打ったり、胸を打つ人もいます。誰しも、悪口や否定的なことを言えば、自分を虐待したことになります。この自己虐待が深刻な人は、愛を受けられずに成長した人が多いそうです。自分の体も愛していないので、自分の体を傷つける場合もあるというのです。
 ゲラサ人の地方の話だけでなく、現代社会が、このような人々を作っています。人々は、自分は自由だと思っているようですが、実際は罪の奴隷であって、サタンに支配され、酒、ギャンブル、放蕩、ゲーム、金銭の奴隷になって生きていく現代版ゲラサ人です。この人のように、自分という存在が何なのかさえ分からずに生きています。人が人らしく生きることができないということがどれだけ悲惨でしょうか。

U−イエス様に出会って−6〜9
 イエス様は、「向こう岸に渡ろう」と言って、湖の東側に来たのは、この人の叫びを聞いたからではないでしょうか。マルコ4:35。湖を渡る時、嵐に出会いましたが、向こう岸に着いたら、嵐のような人生の中にいた人に出会いました。イエス様の関心は、汚れた霊に捕らえられたたましいにあります。ルカ8:29。イエス様は、彼を神のかたちに造られた高価で尊い存在と見ていました。この人も、イエス様を見かけると、彼の方から駆け寄って行きました。6節。彼も、たましいの癒しと解放を求めていたのですが、汚れた霊が妨げていたのです。
 ですから、この人の言うことも、この人自身の反応なのか、汚れた霊の反応なのか明確に区別されていません。7節。ただ、このような状態になっていても、イエス様に出会えるし、イエス様の救いと癒しを受けることができるということです。イエス様が名前を聞くと、汚れた霊が「レギオン」と答えます。9節。これは、6千人規模のローマ軍団の名前です。こんな名前からも、彼の汚れた霊に捕らわれて生きて来た過去が嵐のような人生だっただけは明らかです。彼自身の努力で乗り越えることはできなかったし、他の人が助けてくれることもありませんでした。
 傷付き、苦しく叫んでも、そこから抜け出せなかったのですが、イエス様に出会い、救われました。イエス様は、この人から汚れた霊を追い出してくださいました。8節。神は人を神のかたちにしてくださって、主と一緒に同行して生きることを望んでおられます。ところが悪霊につかれた人は、まるで獣のように生きていました。しかし、今汚れた霊から自由にされて、人間らしい姿で生きるようにしていただきました。このような悪の力に苦しみ、人間性が破壊され、獣のように生きていた人が、イエス様によってその悲惨な生活から解放されました。
 どうか、私たちも、このイエス様の力を体験できますように願います。サタンの捕らわれ人、罪の奴隷から解放されて、主との関係を回復させていただけますように祈ります。イエス様の方から来てくださいますが、私たちの方からもイエス様の御前に出るのです。黙示録3:20。この人に起こったような奇跡は、今日も起こります。私たちの中にも起こります。あなたは、今希望がある人生を生きていますか。何かに捕らえられて、自分が自分でなくなっていませんか。救い主イエス様に出会ってください。
 この汚れた霊に捕らわれた人は、イエス様と出会って、精神疾患と汚れた霊から解放されました。現代社会で精神疾患を患って生きているたましいにもイエス様は来てくださいます。イエス様と人格的に出会い、救い主として受け入れると、精神疾患から解放され、癒されるようになります。なぜなら、そのためにイエス様は世に来られたからです。私たちの罪と痛み、病を負って十字架にかかってくださったからです。ローマ5:8。
 イエス様が世を愛されて十字架を負われたその理由が、「私、自分」のためだと確信されなければなりません。この救いの原理の確信がなければ、私たちは、いつでも精神疾患にかかる危険性があります。

V−癒され、新しい人となって生かされる−10〜20
 この人は、イエス様に会ってどのように変化したのでしょうか。まず、裸で墓の間を走り回っていた人が、今は服を着ています。15節。救いと癒しを受け、新しい人としての服を着ました。エペソ4:23〜24。そして、正気に返って、精神疾患が癒され、回復しました。失っていた自分の存在の回復、失われていた神の子としての回復です。また、イエス様の足もとにすわっていました。ルカ8:35。つまり、イエス様と一緒に生きる人生が始まったということです。ここに真の幸福と平安があります。もはや墓場の孤独ではなく、世に夢中でもなく、永遠にイエス様と生きることを決心したのです。イエス様に出会い、イエス様が自分の新しい人生の主人公になった姿です。
 イエス様に出会って、救われて、癒された者は、新しく造り変えられた者です。古い人は過ぎ去って、新しい人になりました。Uコリント5:17。そして、残りの人生をイエス・キリストを証しする生活を送るようになりました。19〜20節。イエス様のお供をしたいとイエス様に願いましたが、イエス様は、「あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」と言われました。彼は、家族どころか、デカポリスの地方全体に証ししました。これが、証しの原点です。
 なぜ、イエス様は、そう命じられたのでしょう。汚れた霊が、豚に乗り移った後、多くの豚を死なせることでこの地の人々の反発を引き起こし、イエス様をこの地方から追い出すようにしたからです。11〜17節。近所の人の反応は恐れでした。15節。彼らには、一人の命よりも豚の方が大事でした。養豚業が繁栄できればいいのです。都会の価値観のあらわれです。「この地方から離れてくれ」という彼らの反応は、汚れた霊の反応とも似ていて、汚れた霊が豚の群れから彼らに入ったのかと疑わしいほどです。
 汚れた霊に捕らわれて悲惨な生活をしていた人が、イエス様に出会い、救われ、癒された変化は、とても大きいものです。人のどのような努力と制度でも制御することができないとあきらめた人であっても、イエス様と出会う時、その人生は変わります。新しい人になるという言葉は、人格が変わっていくということです。コロサイ3:10。行為が変わるのではなく、まず思考や感情、意志が変わっていくということです。新しい人の変わって行くべき目標は、イエス・キリストの人格です。あなたの人格は、イエス・キリストの人格に変化しつつあるでしょうか。
 この人を癒し、回復させたイエス様は、この体験を持って家に帰れと言われました。19節。世の中には、精神疾患にかかっている者が多いです。私たちも、その対象から除外されたものではありません。社会復帰した彼の周りにも、精神疾患にかかっている者がいたし、彼の証しと回復された生活は、人を助けることになったでしょう。変化した人は、そうして人を助けることに用いられます。神の愛が含まれているからです。私たちは、主の愛によって変化し、人々の所に行きます。精神疾患の中で苦しみ、イエス様に癒されたことの証人となります。ですから、セルグループや礼拝生活が重要となります。私たちは、救いとは何か、人生の価値が何であるかを知っています。イエス様は、痛みを受けた人と助ける人が、一体となる主の共同体を造られました。それが、主の教会です。ルカ22:32。



マルコ5:1 こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。
5:3 この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。
5:5 それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
5:6 彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、
5:7 大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
5:8 それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。
5:11 ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12 彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
5:13 イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
5:14 豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。
5:15 そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。
5:17 すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。
5:18 それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。
5:19 しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
5:20 そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。



黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

ローマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

エペソ4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

ルカ8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。

Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

コロサイ3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

ルカ22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

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