2018年5月13日「主に派遣される弟子」マルコ6:7〜13

序−きょうの箇所は、イエス様と同じ働きをするように、弟子たちが遣わされるところです。主が示してくださる信頼が限りなくありがたかったでしょう。遣わされて行くその時の不安、ときめきがいっぱい満たされた現場に、今日私たちが招待されています。

T−私たちも主が遣わされて−7
 イエス様は、すでに彼らを弟子として召し出されました。マルコ1:17〜18。そして、弟子として召し出された目的は、「彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるため」でした。マルコ3:14〜15。ここに、主の弟子の働きが示されています。イエス様と交わり、福音を伝え、人々を助ける働きです。そのために、イエス様は、弟子たちをご自分の身近に置き、彼らを教え、御力と神の国の権威を見せてくださいました。弟子たちを整えてくださいました。
 イエス様お一人がすべてのところを行き巡ることはできません。そこで、弟子を遣わして、弟子たちを通してイエス様の働きをさせるようにします。7節。そのために、イエス様が弟子たちに与えられたのが、汚れた霊を追い出す権威です。魂の動きを妨害する汚れた霊を制御する権限を与えています。イエス様に代わって遣わされるのですから、わくわくもしたでしょうが、弟子たちは不安だったでしょう。ですから、イエス様の権威が与えられました。御言葉にイエス様の御力があらわれます。
 信じた私たちも弟子として呼ばれています。主が私たちを召し出されたことを意識しておられるでしょうか。エペソ4:1。私たちはみな、福音を分かち合い、失われたたましいに届ける責任があります。私たちは、主が自分を召し出された意図に心向けることなく、自分の必要のためにだけ主を利用しているのではないでしょうか。イエス様が弟子たちを世に送られたように私たちも世に遣わされています。それぞれの立場や環境において、イエス様と交わり、福音を伝え、人々を助ける働きをするためです。
 イエス様の弟子であれば、世に遣わされています。私たちの人生の本質が、主から世に「遣わされて」いるということになります。イエス様が弟子たちを遣わされたように、私たちも、イエス様からそれぞれの場所に、それぞれの立場に遣わされている存在です。
 ですから、イエス様が12弟子を訓練し、世に遣わされた意図をしっかり学んで、私たちもそのように生きたいと願います。イエス様は、弟子たちを「ふたりずつ遣わ」されました。70人の弟子たちを遣わされた時も、ふたりずつです。ルカ10:1。二人で一緒にすると、有効な働きが出来、自分たちも守られます。互いに足りない部分を補完し合い、互いに励まし合うことが出来ます。聞く方にも信頼を与えます。この方法は、使徒たちも継承しています。使徒13:2,15:39〜40,19:22。二人は一人よりも優っているのは、一人がもう一人を助け起こすことができるからです。伝道者4:9〜10。
 セルでも、二人の小牧者が互いを助け支えながら、セルに仕えています。二人三人が祈りながら、熱心にすれば、必ず実を刈り取ることになります。夫婦も、ペアを組んで家庭を築くように遣わされたとみなされます。今日の箇所の内容が記録されたマタイ10:1〜4を見ると、弟子たちの名前が二人ずつペアになって記録されています。それは、お互いの違いを理解し、信頼が作られるようにするためでしょう。それも、弟子達の訓練でした。
 私たちも、それぞれの立場や仕事に主から遣わされていることを自覚しましょう。その働きと生活のためには、信仰の友に祈ってもらい、覚えてもらって、励ましと助けを受けることができます。互いに家庭生活や仕事のことを分かち合い、励まされることが必要です。

U−ただ主にだけ拠り頼んで−8〜9、11〜12
 どのように遣わされているのでしょうか。8〜9節。驚くべきことに、イエス様は、主の働きを担う者に、何も持って行くなと言われました。食料やお金、着替えも持って行かないで、ただ杖だけ持って行くように言われました。その理由は、何でしょう。これは、ただ御言葉だけを持って行きなさいということです。御言葉を伝える者は、御言葉さえ携えて行くなら、必ず信じる者が起こるようにしてくださるからです。それを信じることができないで、あまりにも多くのものを用意して行くなら、むしろ伝える福音が弱くなるからです。伝える者が確信を持って伝えるのでなければ、道は開かれないからです。
 本当に驚くべきことは、人生において御言葉を信じて生きる者が、他の何かに頼ることをせず、ただ御言葉だけ拠り頼んで行く時、祈りの答えがあらわれるようになります。イエス様は、あれもこれも持つなと言われましたが、イエス様がくださった精神は、必要のない物を多く持つなということです。今日多くの人々が、必要のない多くのものを抱えて生きています。もっと多くのものが必要だと思いこみ、それを得るために、心身をすり減らしています。多くのものがないからと不安感を持っています。考えてみてください。本当にそれらが必要なのですか。それらがないと生活できないのです。私たちは、どうでしょうか。
 主の弟子とはどんな人ですか。神様が責任を負ってくださることを信じて、単純に頼る人です。ですから、主の弟子は、所有物に執着していないのです。ピリピ4:11〜12。あれこれ心配しないで、神様が与えられてくださるものだけを信じて出て行きなさいということです。私たちは、自分が神様からそこに遣わされたと信じるなら、ただ神様を拠り頼んで働き、学び、生きて行きます。そうすれば、神様が責任を負ってくださることを経験するようになります。これが主の弟子です。あなたはどうですか。
 私たちは、イエス様を信じる者です。イエス様の何を信じていますか。十字架と復活を信じていても、本当に主の御言葉を信じていますか。弟子たちは、イエス様の言葉を言われたとおり信じて、出て行きました。そんなこと無理だと思えば、出て行くことはできません。弟子たちは、こういうことを経験しています。ルカ5:4〜6。夜通し漁をしたが一匹も取れなかったのに、イエス様が「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。弟子たちは、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と言って、そのとおりにすると多くの魚がとれました。私たちにも、こういう信仰が必要です。
 不安なことがありますか。問題を抱えていますか。御言葉通り信じて従ってみましょう。あなたはイエス様の弟子ですか。御言葉のまま信じて生きてみましょう。弟子とは、御言葉どおり生きる者のことです。

V−霊的権威を与えて−12〜13
 イエス様は、弟子たちに権威を与えて、主の働きをさせました。12〜13節。弟子たちは、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒しました。イエス様は、弟子たちに使命を与えるだけでなく、そのための力も与えてくださいました。遣わされている私たちも、賜物と権能を与えられています。Tコリント12:11。人々が罪を悔い改めて、福音を信じて、救われることが神様の御心です。そのために、伝える必要がありました。なぜなら、信仰は、聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての御言葉によるからです。ローマ10:17。私たちは、御言葉を聞いて福音を信じました。福音が私たちの人生を変えました。今御言葉によって生きています。ですから、どうしてもその福音を証人として伝えないではいられないのです。
 そして、弟子たちは、悪霊を追い出す権威を与えられました。当時多くの悪霊が主の働きを妨害し、主の前に騒ぎを起こしました。弟子たちの前で、イエス様は悪霊を追い出して、模範を示しました。御国の福音を伝える働きは霊的戦いです。私たちの格闘は、血肉に対するものではなく、悪霊に対するものです。人や問題の背後にサタンが暗躍しているのですから、私たちは、イエス様の御名によって、信仰の確信をもって、取り組まなければなりません。エペソ6:12〜13。
 さらに、弟子たちは、病人を癒す働きを委ねられました。イエス様は、病人のために祈り、病気を治す働きをしてきました。それを見て来た弟子たちは、病人のために祈り、癒しの働きをしました。ヤコブ5:14〜15。私たちも、御言葉と祈りでもって、人々を癒すことができます。イエス様の御力があらわれるからです。弟子たちの働きは、今日も教会と主の弟子である私たちが担わなければならない働きです。
 もちろん、私たちに元からそんな力や権能があるわけではありません。しかし、イエス様が私たちを召し出して、弟子として遣わされたのですから、権能と力を注がないで、やってみなさいとは言われません。権能と力を与えたのだから、信仰をもってやりなさいと言われるのです。今、あなたはどんなことをするように、そこに遣わされていますか。
 主の聖徒である皆さん。忘れないでください。私たちの使命は、この世でうまく生きることではありません。イエス様の弟子として使命を果たすために存在しているということを。私たちは、イエス様の弟子です。弟子はイエス様に似た者になるように造り変えられ、成長します。そして、イエス様と同じ働きを担う者として、世に遣わされています。何と言う素晴らしい存在でしょうか。何と素晴らしい働きでしょうか。



マルコ6:7 また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。
6:8 また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。
6:9 くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」
6:10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。
6:11 もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
6:12 こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、
6:13 悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした。



マルコ1:17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
1:18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った

マルコ3:14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

ルカ5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。

伝道者4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

マタイ10:1 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

マタイ4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。

Tコリント12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

ローマ10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。


エペソ6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

ヤコブ5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

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