2018年5月20日「通じる言葉」使徒2:1〜12

序−今月は、教会の設立23周年になります。きょうは、教会暦でペンテコステ聖霊降臨日にあたります。それは、主の復活から50日目に約束の聖霊が降ったからです。初代教会の始まり、誕生日とも言われます。新しく始まる教会の力、新しい働きをするクリスチャンの力とは、どこから来るのでしょうか。今日のペンテコステ聖霊降臨の箇所を通して、学びます。

T−聖霊が臨まれると、力を受けて−1〜3
 復活されたイエス様に会った感激と昇天の栄光に接した弟子たちではあっても、イエス様がいなくなった今、心配と恐れで何もできません。ただし、弟子たちには、「聖霊が臨まれるとき、力を受けて、イエス様の証人になる」という約束が与えられていました。使徒1:8。残された弟子たちは、その約束された聖霊を待たなければなりませんでした。使徒1:4。それで、弟子たちは、エルサレムを離れないで、その約束を待って、集まって、祈っていました。1節。
 この時の弟子たちは、ちょうど私たちが仕事や問題のために、恐れや不安を抱いている時と同じでした。ただ聖霊が望まれる時力を受けるという約束を信じて、祈っていたのです。そして、その時がやって来ました。2〜3節。何か不思議な現象が起こっているように見えますが、聖霊のことをあらわしています。「激しい風が吹いて来るような響き」という風は、その姿は見えませんが、吹いていることは木の葉の揺れや音で分かります。聖霊も姿は見えませんが、その働きを見て聞いて分かります。ヨハネ3:8。聖霊の原語プニューマとは、風や息をも意味しています。風は、思うままに吹いて、その威力もあります。聖霊の活動もそうです。
 そして、「炎のような」という火は、神様の臨在をあらわしています。出エジプト3:2。火は神の御力をあらわし、すべての活動の源です。マラキ3:2。火は、すべてを燃やして、消滅させてしまいます。私たちの罪を燃やし、醜い過去を消し去り、不要なものを燃やしてしまって、私たちを純金のように精錬します。まさに、火はエネルギーの象徴です。聖霊の炎が聖徒たち「一人一人の上に」臨んだと言うのは、聖徒たち一人一人の立場に合わせて聖霊の力が与えられたということです。ここから、弟子たちの驚くべき働きが始まりました。初代教会の奇跡のような姿が、ここから始まりました。
 では、なぜそれと比べて、今日の聖徒たちの信仰生活に力がないのでしょうか。なぜ、必要な時にやる気が出ないのでしょう。どうして、そんなにも苦しくて無気力になるのでしょうか。私たちには、聖霊がおられないのですか。いいえ、イエス様を信じた私たちにも、イエスの御霊が心の内に住んでおられます。ヨハネ14:16〜17。ただ、聖霊が自分にもおられることを知らないからです。御霊の内住を知っていても、御霊に満たされていないからです。エペソ5:18。御霊の満たしを求めて、信仰をもって取り組みましょう。

U−聖霊に満たされて、御霊が話させて−4〜
 弟子たちは、何をするために聖霊に満たされたのでしょう。4節。何と、御霊が話させてくださるように、他の国の言葉で話すようになりました。このペンテコステによる他国の言葉とは、福音が通じる言葉ということです。聞いて理解できる言葉です。言葉、言語とは、心と意思を伝えてくれるものです。この時、心が通じたということです。皆さんは、最近周りの人と心が通じていますか。話しが通じていますか。
 五旬節とは、過ぎ越しの祭りから50日目に行う七週の祭りのことで、この時世界中からユダヤ人と改宗者が巡礼のためにエルサレムに来ていました。弟子たちの話し方は、ガリラヤ地方のなまりがあったようです。7節。それでも、世界中から来ていた人々が、それぞれ自分の国の言葉で福音を聞くことができました。8〜10節。人々は、驚きました。6~7節。それぞれの国というリストは、15カ国以上に及びます。
 えっー、じゃ私も外国語が話せるようになるの、と思ったでしょうか。この聖霊降臨の目的は、勉強しなくても外国語が話せることではありません。イエス様の約束は、「聖霊が臨まれるとき、力を受けて、イエス様の証人になる」ということでした。使徒1:8。ですから、福音を伝えるためにこの力を受けたのです。宣教師の現地語の習得も驚異的な進歩をみせてくれます。ということは、私たちも、主の働きのために、信仰によって事を行うのであれば、御霊の力を受けて用いられ、事を行うことができるということです。私たちが、主の弟子としてその場に遣わされているという信仰で臨むのであれば、その働きも御霊の力を受けることができるでしょう。使徒たちの働きはもちろん、初代教会の進展のすべてが、この聖霊によることでした。
 この時に関連していることが後にあらわれます。この数十年後、使徒パウロが世界宣教を行いながらローマに来た時です。その時すでにローマには、教会が立っていました。誰がローマに行って福音を伝えてくれたでしょうか。使徒や弟子たちの誰かが行ったという記録はありません。ただペンテコステの巡礼者のリストの中で、ローマから来ていた者がいて、福音を聞いていました。10節。彼らは、どんな人々だったのでしょうか。5節には、「敬虔な人」であったと記されています。敬虔の原語には、よい物をつかむという意味があります。ペンテコステの時福音をよくつかんで、素直に信じて、ローマに持ち帰って伝えたと考えられています。
 素直に福音を聞いた彼らは、どうなりましたか。使徒2:37〜38。私たちは、どのように聖霊を受けるのですか。福音を聞く私たちは、どうすればいいのですか。イエス様の十字架が私の身代わりだと信じて、悔い改め、洗礼を受けるのです。そうすれば、罪の赦しと聖霊を受けます。イエス様を信じてください。イエス様を信じて洗礼を受けた人は、自分が意識しても意識しなくても、聖霊を受けた人です。
 この他国の言葉とは、意思疎通と共感の言葉です。ペンテコステの出来事は、通じる言葉が語られ、心が通じて福音が伝わったということです。方言が入っていても、たどたどしい話し方だったとしても、通じる言葉共感できる言葉を話しているなら、他国の言葉なのです。私たちは、そういう通じる福音を証しし、心に伝わる言葉を語っているでしょうか。私たちの教会の設立ビジョンに、「この地域の宣教のために、まず私たちの信仰の霊的成長をめざして」ということがあります。私たちが霊的に造り変えられて、御霊に満たされてこそ、証しは通じる言葉となります。

V−通じる言葉、コミュニケーション−
 ペンテコステ聖霊降臨日を迎えて、自分の言語習慣や言語行動をよく省みてみましょう。聖霊降臨の意義が消えていませんか。簡単に非難して、皮肉な言い方をしていませんか。毒を吐いていませんか。何事にも否定的な口調ではありませんか。そのような言語生活も、霊的に造り変えられ、御霊に満たされるようになると、尊重、容認、配慮、慰め、励ましの言語に変わって来ます。反対に、人の感情を傷つける言葉、頑固と否定の言葉は、聖霊の働きを妨げます。
 人の言葉が混乱し、通じなくなったのは、バベルの塔事件以来です。創世記11:7〜9。人々は、通じなくなった言語のために混乱し、傷付いて、ばらばらになりました。今日、職場でコミュニケーション能力が重要視されたり、社会でコミュニケーション障害が取り沙汰されたり、コミュニケーションの大切さが注目されています。私たちのコミュニケーションはどうでしょうか。周りの人と通じる言葉で話していますか。心は通じていますか。人々の間では、同じ言語でも通じていません。職場や学校でも、親子や夫婦の間でも言葉が通じていません。心が通じていません。
 むしろ、人は、言葉を使う必要のないために使っています。悪口に使っています。他人の心を傷つけて怒らせ、落胆させるために使っています。悲しい姿です。私たちがそうしてはいけません。むしろ、聖霊によって人の徳を高める言葉を用いる人になりましょう。ローマ15:2。御言葉で落胆した人を励まし、魂を生かす御言葉を用いてください。繰り返し聖霊に満たされ、力を受けて行くならば、人格が変化し、使う言葉も変わります。
 言葉が通じない人がいますか。聖霊を受けてください。御霊の満たしを求めてください。私たちは、互いに霊的な言葉で一つになる必要があります。ペンテコステの言葉は、特別な目的がありました。福音を伝えるためです。人の言葉が最も大切になるのは、魂の救いのために使う時です。福音を伝える一言で、地獄に行く魂が天国に導かれるならば、どれほど大切なことでしょうか。
 私たちにコミュニケーションの障害があるならば、それは、神様とのコミュニケーションが滞っているからではないでしょうか。聖霊を受けるまでの弟子たちは、イエス様とともにいながら、イエス様と深いところで通じていませんでした。私たちが信じて救われていたとしても、内なる人が新しくされ、聖霊に満たされていなければ、主との意思疎通がないからです。弟子たちは、ペンテコステの日、聖霊の満たしを受けて、変えられ、共に用いられる弟子たちとなりました。私たちも、聖霊に満たされて、力を受けて主の栄光をあらわす働きができるように、聖霊によって私たちの内なる人が強くされますように願います。エペソ3:16。



使徒2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。



使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

使徒1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

使徒1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

ヨハネ3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

ヨハネ14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

使徒2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

エペソ3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

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