2018年7月15日「まだ悟らないのですか」マルコ8:11〜21

序−有名な神学者フランシス・シェーファーは、現代人は「理性から逃走」していると言っています。現代は宇宙や科学についてますます知るようになりましたが、人間自身についてはますます分からなくなっています。「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい」のです。詩篇49:20。今日の箇所から、考えてみましょう。

T−しるしは与えられません−11〜13
 異邦人の地デカポリスからユダヤ人の地域に戻ると、パリサイ人たちがやって来て、イエス様に議論をしかけ、天からのしるしを求めました。11節。それは、イエス様をテストしたということです。「天からのしるし」とは、神様から来た証拠としての奇跡です。荒野でサタンの試みを受けられた時も、「神の子なら、石をパンにかえろ。神殿の頂から飛び降りてみろ」とか言って来たのと同じです。マタイ4:3〜6。
 イエス様は、これを聞いて、悲痛な気持ちで嘆かれました。12節。イエス様は、公生涯を始めた時から「神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語って来ました。マルコ1:15。そして、多くの病人を癒し、悪霊を追い出して、神の国が近づいたことを証ししました。しかし、どれほど癒しや悪霊押し出しをしながら福音を伝えても、彼らは聞きませんでした。彼らの心が始めから耳は閉じられていたからです。イエス様の心はどんなに痛かったことでしょう。
 パリサイ人は、奇跡は行われないとイエス様が言われた時、「ほら、やっぱりできないんだ。神から来ていないのだ」と馬鹿にしたことでしょう。それでも、イエス様は相手にしません。今までの癒しや悪霊追い出しだって奇跡でしたし、五千人の給食の奇跡も知っているはずです。つまり、奇跡を見たところで、閉じた心は認めなかったのです。マルコ3:22。イエス様は、ヨナのしるし以外には与えられないと言われました。マタイ12:39〜40。ヨナの出来事が、イエス様の十字架を示していたからです。イエス様の十字架こそが、神様の救いの奇跡そのものです。
 イエス様のお答えを見ると、そこにいるパリサイ人に限らないで、「しるしを求める時代、人々」に広げています。現代の人々も、イエス様を信じようとしないで、しるしを求めるのは同じでしょう。そして、イエス様は、そんな頑ななパリサイ人を離れて、別なところへ行かれました。13節。何の理由も付け加えることなく記されていますが、強調される節です。彼らはイエス様を退けたつもりですが、イエス様が離れられたのです。結果、ユダヤは、AD70年に反乱を起こし、ローマ帝国によって滅ぼされ、国を失うことになります。
 人は、福音を聞いても「またいつか聞くことにしよう」と言いながら、悔い改めの機会を失ってしまいます。使徒17:32。神の慈愛が自分たちを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじてしまうならば、救いの機会を自ら閉じてしまうことになります。ローマ2:4。ですから、イエス様は「心の中で深く嘆息」されたのです。
 その時代「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求し」ました。福音を伝えると、「ユダヤ人は躓き、異邦人は愚かだ」と言いました。Tコリント1:22〜24。信仰はどこから来るのでしょうか。人の知識を納得させるならとか自分の考えに合致するからではありません。人の高慢は、救いのメッセ−ジに躓き、御言葉の教えを愚かだと言います。信仰とは、聖霊の導きに素直になって、御言葉に従順になって受け入れられるものです。イエス様の十字架というしるしが与えられています。

U−悪いパン種に注意しなさい−14〜15
 イエス様は別な所へ行かれてから、弟子たちに「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい」と言われました。15節。それは、どういうことでしょうか。酵母、イースト菌がパン生地全体を発酵させて膨張させる強い影響力のことを言っています。ここでは、悪い影響力の例えとして使っています。人は、人生をどんな人と一緒にいるのかが重要です。一緒にいる人から影響を受けるからです。良い影響を受けるには、良い人と一緒にいなければなりません。
 パリサイ人のパン種とは、何でしょう。彼らは律法に生きようとしたのですが、彼らの信仰は形式的なものでした。言い伝えを神の言葉に混ぜて、御言葉をないがしろにしていたからです。神の中で休み、礼拝するための安息日を、安息日に何をしてはならないか定め、それをすると安息日違反としました。それで、イエス様の安息日の癒しを批判し、小麦の穂をつんだ弟子たちを咎めたのです。
 パリサイ人の信仰は、外側だけの形式主義であり、偽善でした。マタイ23:25。信仰生活をするのに、最も恐ろしいのが、この形式主義、偽善です。そのような信仰だったら、周りの人々に躓きを与えるでしょう。教会によく通ったとしても、審判の時、主から「わたしはあなたを知らない」と言われてしまうでしょう。天国は、主の御心を行う者が入るのです。マタイ7:21〜23。
 ヘロデのパン種とは、何でしょう。ヘロデとは、バプテスマのヨハネを殺させたあのヘロデ王です。ローマ帝国に取り入って、領主の権力を手に入れて、肉の欲を満足させていました。つまり、ヘロデのパン種とは、権力や物質万能主義と言えるでしょう。信仰生活をして行く時、危険になるのが、肉の欲、お金、名誉心です。人は、それらのものの奴隷になり易いからです。ヘロデのパン種とは、世の富と栄華を享受しようと努力する部類の人々の影響力のことです。
 お金や物質の誘惑に勝つ最高の秘訣があります。すべての所有者は神であることを告白することです。イエス様は、なぜヘロデのパン種に気をつけろと言われたのでしょうか。弟子たちも、パンのことばかり考えており、誰が一番かと争っていたからです。
 「肉の思いは神の思いに反抗する」と言います。ローマ8:7。パリサイ人とヘロデのパン種が、まさに肉の思いです。いくら奇跡を経験しても、パリサイ人とヘロデのパン種のような肉の思いに駆られていたら、信仰が成長できず、世の中の様々なものに心引かれ、神の御心を実現できなくなります。パリサイ人とヘロデのパン種は、私たちを高慢にし、腐らせますが、イエス様の酵母は、私たちを豊かにします。Tコリント5:6〜7。御言葉のパンをいただき、イエス様の酵母の影響を受けて祝福されますように願います。

V−まだ悟らないのですか−16〜21
 今度は、弟子たちの反応を聞いて、イエス様は、嘆かれました。16〜21節。パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさいと言われた弟子たちは、パンを持って来るのを忘れたので言われたのかなと思い、誰々のせいだと議論を始めたというのです。なぜ、弟子たちはそのように理解したのでしょうか。そこで、イエス様は、給食の奇跡で残ったパンの量を聞きました。18〜20節。弟子たちの記憶は確かです。イエス様も、食べ残しを忘れたのを指摘されたのでしょうか。
 弟子たちも、群衆と同じく、給食の奇跡を喜び、楽しんでいただけでした。それを通して救い主としてイエス様に信頼するというところに心が向いていませんでした。心の目と耳が閉じていて、聞こえていなかった、見えていなかったのです。18節。出エジプトを経験した世代も、大きな試練と奇跡を経験していながら、「悟る心と見る目と聞く耳」がありませんでした。申命記29:3〜4。御言葉を無視して、主を試みたからです。エレミヤ5:21。パリサイ人とヘロデのパン種と同じ姿です。つまり、弟子たちでさえも、そのパン種に染まっていたということです。
 イエス様は、呆れてしまいました。17〜18節には、7つの「〜か」繰り返されています。弟子たちは、自分の姿がどんななのか、分かっていません。イエス様の御思いから外れています。彼らの興味が他のところにあったからです。イエス様に付いて来たとは言え、彼らの関心がパンや名誉にあったからです。まだ世のものに心が向いていたからです。今あなた自身の関心はどこにありますか。あなたの心はどこを向いていますか。最近何が目に入って来て、どんなことが耳に残りますか。自分がよく聞いて、見ているものが、自分の心の状態を示していることになります。御言葉を読む時、どんな単語が目に入って来ますか。
 今日の箇所の後半で、「まだ悟らないのですか」と繰り返され、強調されています。17,21節。でも、イエス様は、弟子たちを叱責されているのではありません。この言葉が主の苦しいお心をあらわしているとは言え、絶望しておられるのではありません。希望が込められています。イエス様が「まだ」という言葉の中に、「やがて」分かるようになる、時が来れば悟るようになるという期待感が見てとれます。事実、やがてそうなります。
 イエス様は、私たちに対しても、同じく痛みを覚えながらも、やがては悔い改めて信じるようになる、いつかは信仰で生きるようになると期待してくださいます。御言葉を学び、御言葉に従おうとする者の場合、「やがて」という希望があります。まだ罪や失敗が目立つとしても、やがて成長する、いつかは主の栄光をあらわすようになるという期待があります。私たちが、まだ気づいていないとしても、まだ悟らないとしても、御言葉を聞いて礼拝しているならば、いつかはという恵みを握りたいのです。Tコリント1:21,24。



マルコ8:11 パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。
8:12 イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」
8:13 イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。
8:14 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。
8:15 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」
8:16 そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。
8:17 それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。
8:18 目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」
8:20 「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」
8:21 イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」



詩篇49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

マルコ1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

マタイ12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
12:40 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

Tコリント1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

マタイ23:25 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。

Tコリント5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

申命記29:3 あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。
29:4 しかし、【主】は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。

エレミヤ5:21 さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは、目があっても見えず、耳があっても聞こえない。

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