2018年9月30日「逆転の恵み」マルコ10:28〜31

序−現代社会では、社会の様々なことが崩壊しつつあり、家庭の崩壊の時代とも言われています。どんな家庭も、様々な問題や痛みを抱えています。それに対して、聖書は、あきらめないこと、逆転の恵みがあることを教えています。

T−イエス様に従うことを優先−
 永遠のいのちを得るためには、何をしなければなりませんかと尋ねて来た金持ちの青年が、イエス様から財産を貧しい人に与えて付いて来なさいと言われて、悲しみながら立ち去りました。17〜27節。それを見ていたペテロが、「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました」と、言い始めました。28節。マタイ19:27では、「私たちは何がいただけるでしょうか」と言っています。自分たちは、親や兄弟と別れて、財産と仕事をあきらめて、イエス様に付いて来たので、当然何か大きな補償や対価があるはずだと思ったのです。マルコ1:18〜20,2:24。
 「捨てて」と言うと、イメージが悪いですが、「去る、離れる」という意味の言葉が使われています。すべてのものは、神の栄光のために与えられたものです。ところが、堕落した人間は、それらが目的になってしまったのです。財産が生きる目的になり、家族や畑に囚われて罪が生じて、イエス様から離れてしまうのです。ですから、29〜30節も、家族や畑を捨ててではなく、家族や畑を離れてイエス様を優先するという優先順位を言っているのです。家族や仕事も大事ですが、そのために信仰をなくしてしまえば、元も子もないということです。財産のために永遠のいのちを失うようになるのです。家族を大切にするように言っています。家族を顧みない人は、信仰を捨てている不信者よりも悪いと言うのです。Tテモテ5:8は、主を先に愛することが、本当の意味で家族を愛するようになるからです
 イエス様の弟子とはどういう人かと言えば、何よりもイエス様を愛し、イエス様に従うことを優先する人です。イエス様の救い、福音があまりにも素晴らしいので、それまで中心であったものを置いて、心を奪われていたものを捨てて、イエス様に付いて行くのです。ルカ14:26で、「家族や自分のいのちを憎む」の「憎む」という言葉も、「捨てて」と同じ言葉が使われています。憎むの反対は、愛するということです。他のことよりイエス様を優先して愛しなさいというのです。イエス様より優先しているものがありませんか。
 このマルコの福音書が記された時代は、迫害の時代でした。クリチャンたちが、その信仰のゆえに家から追い出されたり、家族を残して出て行かなければならないことがありました。迫害されて職場から追放されたり、地位や財産を失うこともありました。ここには、そういう大変な状況が反映されています。この時代の聖徒たちは、その信仰のゆえに家族と別れて、財産と仕事をあきらめざるを得ないことが多かったのです。ですから、信仰第一、イエス様に従うことを優先するなら、大きな祝福、報いがあると教えているのです。

U−今の報償と後の栄光−
 金持ちの青年と比べて、「何もかも捨てて」とペテロがいうのは、独りよがりのプライドが入っています。ちょっと考えれば、愚かな質問なのですが、イエス様は、ペテロをたしなめることなく、驚くべき祝福の約束をくださいました。29〜30節。まず、祝福と共に迫害も受けるというのです。「神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言われています。使徒14:22。イエス様を信じた者は、イエス様の苦難をともにするのです。ローマ8:17。イエス様に従う道に苦難があることを甘受しなければならないというのです。
 ですから、家庭のことで、問題や試練も受けるというのです。信じているのに、なぜ、どうしてと思わないでください。なぜならば、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受ける」からです。Uテモテ3:12。試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しまないでください。主の栄光が現れる時、喜びおどる者となるからです。Tペテロ4:12〜13。初代教会の聖徒たちは、イエス様に従うゆえに職場から追放されたり、家族から疎外されました。それでも、信仰から離れることはしませんでした。イエス様を信じて生きようとするなら、迫害や試練にも会うと言うのです。それでも、祝福がなくなるわけではありません。
 どのような補償や報酬が与えられると言われましたか。「その百倍を受ける」と言うくらい、大きな恵みや報酬を受けるということです。確かに、社会的にはいろいろ失うこともあるので、家庭のことで苦難や試練に会うので、失敗した人生のように思われますが、後にはむしろ新しい関係の中で価値ある人生になるということです。素晴らしいですね。ここに信仰による逆転の恵みがあります。
 永遠のいのちを受けると約束されました。永遠のいのちとは、天国でのいのちと祝福を享受するという意味です。後の時代、主の栄光の座に座る時が必ず来ると約束されました。その時が来れば、イエス様に従って来た弟子たちに栄光の権威が与えられるようになるというのです。マタイ19:28。イエス様を信じた後迫害や試練に会うとしても、信仰を守り通したならば、永遠のいのちを受けるのです。
 聖書は、逆転の書です。信仰の生活には、逆転が起こると強調しています。ですから、聖徒たちは、逆転の主人公になれます。その秘訣は、もちろんイエス様を信じることです。主なる神様は、私たちのためにイエス様を世に送られました。ヨハネ3:16。そして、私たちの罪と滅びの身代わりにイエス様を十字架に渡されました。そして、復活されたイエス様を信じました。私たちは、罪赦され、永遠のいのちを与えられ、神の子どもとしての権利や祝福を味わうようになりました。私たちは、世のすべてでも取り換えることのできない救いを受けました。イエス様を信じるだけで与えられる、神様からの一方的なプレゼントです。エペソ2:4〜5。
 イエス様を信じ、イエス様に従う人生を歩み出したなら、イエス様を一番にするのです。そうしたら、何か失おうが、迫害や試練に会うが、決してあきらめないことです。大きな祝福を受けると約束されているのですから。他のことで信仰から離れることのないようにしてください。他の何かが信仰を停滞させ、信仰から離れさせていませんか。

V−新しい家族−
 今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受けるとは、どういう意味でしょう。二つの意味があるようです。1つは、家庭の問題や家族との葛藤に苦しみ、悩む聖徒が、信仰を守り通して、イエス様に従い続けた結果、家族が救われて、新しい神の家族となるということです。罪はどこから始まりましたか。アダムとエバの夫婦間であり、アベルとカインの兄弟間に起こりました。アブラハム、イサク、ヤコブの家庭にも、それぞれ罪の故の問題や試練が起こっていました。ですから、家族が信仰によって、罪赦され、罪の縄目から開放されることが大切です。
 現代の家庭にも、罪の問題が蔓延り、家族を苦しめています。罪のゆえにサタンに付け入られて、家族を痛め、苦しめても気づきません。自分のことばかり考え、自分を主張し、自分に従わせようとします。反対に、痛め付けられ、傷付く方でも、怒りや憎しみという罪に囚われます。害を与える方も、害を受ける方も、罪に囚われ、ますます家庭が混乱し、家族が痛みます。
 ですから、イエス様を信じて、救われることが恵みと祝福になります。それこそ、家庭の問題や試練の中でも、それゆえに信仰に進み、主により頼んだ結果、家族が癒され、回復され、救われて新しい信仰の家族となって行くというのは、まさに逆転の恵み、祝福です。家庭に問題や試練がありますか。家族間に葛藤や争いがありますか。あっても、諦めないでください。逆転の恵みがあります。イエス様の十字架には、その力があるのです。イエス様を信じてください。使徒16:31。
 もう1つは、信仰の家族に入れられるということです。初代教会の聖徒たちは、迫害の中でも、信仰のコミュニティーに入れられ、信仰の家族の一員とされました。聖徒たちの交わりをギリシャ語で、コイノニアと言います。教会は、神の家族です。そもそも、人を創造された神様は、どんな神様ですか。三位一体の神でありながら、唯一の神お一人であるということです。三位の神は、共同体におられたということです。その神が人を創造されたのですから、家族、共同体を創造されることで、幸せを享受するようにされました。したがって、家族、共同体を離れては、幸いはありません。
 人は、堕落以来、自分を崇拝するようになり、徹底的に自己中心となり、共同体を破壊させています。現代社会はますますそうです。救いは、堕落以前の姿、神のかたちを回復させることです。創世記1:27。神に似せて造られたものは何ですか?コミュニティー、共同体の性質です。人を愛し、人に仕えるコイノニアです。教会は、もう1つの家族です。肉の家族、血縁的な家族ではない、信仰の家族です。私たちは、回復された家族です。イエス様の犠牲的な愛で1つとされた新しい家族、共同体です。イエス様は、弟子たちを指して、「わたしの家族」と言われました。マルコ3:31〜35。



マルコ10:28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
10:30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
10:31 しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」



マタイ19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

ルカ14:26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。

Tペテロ4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

エペソ2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

Tテモテ5:8 もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。

Uテモテ3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

使徒16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

マルコ3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
3:35 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

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