2018年11月11日「主に喜ばれる子どもの教育」コロサイ3:20〜21

序−人々は、子どもの教育に大きな関心を持っています。子育て、子どもの教育というと、どのように躾けるか、どのように育てるかと考えます。しかし、子どもの最大の教科書は、親そのものです。聖書を見ると、どうすれば、子どもをよく育てる親になれるかを教えています。

T−まず、親自身が神に従う者に−20
 赤ちゃんが生まれて育って行くのを見ると、神様の大きな祝福だなと思います。その家庭に喜びを与えてくれます。しかし、同時に一人の人間を育てて行くのは大変なことであり、どう育てるかはとても重要なことです。おろそかにできません。神様は、私たちに子どもを贈り物として与えてくださいました。ですから、親は責任をもって育てなければなりません。
 そのために、まず必要なことは、子どもを育てる親が親になることです。つまり、親となる訓練と学びを必要とすることです。世の中を見渡してみてください。いったい人を養い世話する仕事で、例えば教師や看護師など、学びや訓練を経ることのない仕事があるでしょうか。ところが、親だけは、子どもの人格形成に大きな影響を及ぼし、その人生に大きく寄与するのに、何の訓練も学びもなく、資格試験もありません。それでは、問題が起こるも当たり前ですし、子育てが大変になるのも当然でしょう。
 ですから、子育て、子どもの教育の前に親が先に訓練と学びを必要とすることに気付かされます。神様は、私たちが先に訓練と養いを受けることを望んでおられます。20節を見てください。この御言葉を親が読むとき、子どもが親に従うようにさせるには、その前に親が神様に従うことを学ばなければならないと気付かされることになります。子どもが育って行く時、学び、訓練を受けるのは親なのです。
 私たちが神様に従って、神様から学んで、神様に癒してもらって、神様に導いてもらわないで、どうして子どもを育て、従うように言えるのでしょうか。どうして進むべき道を示してあげられるのでしょうか。神様に従わないで都合のいいご利益信仰をしていて、どうして親に従うようにと子どもに言えるのでしょうか。勝手気ままに親に要求する子どもになるでしょう。天地万物を造られた神様に真摯に従って生きて行くのを見せなければなりません。その姿から子どもは学ぶのです。
 私たちが恥ずかしい信仰をしていれば、それが伝わります。私たちが神様を都合の良い時だけ求めていれば、子どもも必要な時だけ親を求めて後は背を向けるようになります。私たちが神様に対して恩知らずにしていれば、子どもも恩知らずになってしまいます。ですから、言うことを聞かない子どもを恨んだり、諦めたりするのでなく、親自身が御言葉から学び、神様に育ててもらうことが必要です。神様に従うことで慰めと導きを受けることが必要です。神様は、それを喜ばれます。
 のどが渇いた時ボタンを押して飲み物を求めるように、必要な時だけ神様に登場してもらうご利益信仰であってはなりません。私たちは、謙虚になって真実に神様に従い、御言葉に聞き従う生活をして行くのです。そのように神様の御前に生きる親を見て育った子どもたちが、親と神様に従う人生を歩むようになります。

U−子どもを怒らせない、気落ちさせないため−21
 具体的には、子どもに対してどうすべきかと言っていますか。21節。子どもを怒らせないって、子どものご機嫌を取れというのかと誤解されるかもしれません。そうではありません。「怒らせる」という原語は、刺激する、扇動する、興奮させるという意味の言葉です。例えば、親が権威を振りかざすことで子どもを興奮させたり、激しい言葉で刺激したりすることです。子どもは心に傷を受け、憤慨するようになります。
 怒らせないというのは、「気落ちさせないため」というのです。わがままで怒るというのではなく、気落ちして憤慨するということです。なぜ、子どもが怒って、気落ちするのですか。皆さんは、どんな時、落胆し、憤慨するでしょうか。頼りにしている人から拒否されたり、否定されたりすると落胆するでしょう。ですから、子どもが親から拒否されたり、否定されたりするのが一番挫折するし、劣等感を覚えるのです。子どもに必要なのは、賞賛と励ましです。
 親から他の人と比べられる時、子どもは自尊心が傷つき落胆します。子どもの一番嫌いな言葉は、「誰々はできているのに、あなたはどうしてできないの?」言われることです。人は皆違います。才能も賜物も性格も違います。生まれも育ちも環境も違います。ビジョンも夢も希望も違います。それなのに、1つだけ取り上げて比較されれば、子どもは憤慨し、落胆します。人と比べて言うのは、逆効果です。
 親から無視されることで、子どもは怒ります。親の思い通りにならない、言うことを聞かないからと子どもを無視したら、子どもは悲しみ、怒ります。子どもがどんなに言うことを聞かなくても、神様から与えられたものです。大切にして、人格を認めてあげてください。たとえ足りない点や問題があったとしても、親が理解し、愛してくれることで補うことができます。イエス様は、「子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる」ようにと言われました。マタイ18:5。
 親から関心を持たれないならば、子どもは気落ちしてしまいます。愛とは、関心を持つということです。子どもたちに関心を持って、一緒にいる時間を大切にしなければなりません。だからと言って、過度の干渉は害となるでしょう。適切な懸命な関心は、子どもにとって必要です。関心を与えることは、物を与えるよりはるかに重要だからです。親が自分を気にかけてくれることを知って、子どもの心は安定し、豊かになります。
 親の身勝手、偽善は、子どもを憤慨させます。子どもにそうなるように望むならば、親がまず行動してみてください。子どもに勉強しろというなら、親なりの立場で必要な勉強をしている姿を見せてあげることです。正しく生きて愛する人となることを願うなら、不十分でも真摯に生きる姿と愛する夫婦の姿を見せることです。言葉だけで躾けようとしても、生活を共にする子どもには、偽善にしか見えません。
 子どもの心に怒りを引き起こす原因の1つは、親の一貫性のない言動です。前に言ったことと違うことを言い、昨日していたのと今日は違う親の姿に、聞く耳を持たなくなります。夫婦で違うことを言っているのも、子どもにストレスを与え、憤慨させます。親が気分のいい時はよくしてくれて、気分が悪い時にはむやみに怒ることも、子どもの心を不安定にします。子どもの心の病気の原因になると言われます。親が明確な土台に立って生きていることが、子どもの心の安定と平安につながります。

V−主の御言葉によって育てる−エペソ6:4
 ですから、親が明確な土台に立って、育てることが必要です。親の基準とはどういうことですか。エペソ6:4では、「子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」と教えられています。もちろん、ここでも、私たちがまず主の御言葉によって養育される時、子どもたちもそうされるということを覚えなければなりません。親が自分の基準で判断して子どもに要求する時、必ずしも正しいとなるわけではありません。子どもを怒らせ、気落ちさせることもあります。親がどんなに良かれと思っても、子どもの心に痛みとなることもあります。
 ですから、親が自分の基準ではなく、主の教育と訓戒によって、育てなければなりません。教育は予防であり、訓戒は治療と言われます。子どもたちは、主の御言葉によって教育されなければなりません。世の教えは時代の流行や変化がありますが、御言葉は変わることがない時代を超えた真理です。Tペテロ1:25。教えることをせず、訓戒だけ与える親がいます。それは、教えて注意するのではなく、過ちを責めることになります。そうなると、子どもたちは、従うのではなく、反抗するようになります。
 なぜ子どもたちが怒り、気落ちするのでしょうか。親が教えることをしないで、責め、叱ることだけをするからです。神の御言葉で養育して、子どもを理解するなら、子どもは怒ることもなく、気落ちすることもありません。親が子どものために教えるとしても、その教育の向きと動機が問題です。世の富や地位だけを得させようしても、神の祝福を得られないでしょう。親が利己的な教育をするからです。
 神様が人生の主であることを教え、生活の主管者である神様に従うことを教えなければなりません。この世の風潮や価値観に流されるのでなく、むしろ神のみこころは何か、何が良いことで、神に受け入れられるかが基準となっていますか。ローマ12:1~2。親がまず神様の御言葉に従って生きる姿を見せて生きて行く時、従順の子どもに変わります。実際、多くの親が原則や目的なしに子育てをしています。子育ても方向を失うと、混乱し、苦しいものになってしまうでしょう。
 神様は、私たちを愛し、救い主イエス様をくださったお方です。神様は、子どもの養育に混乱し疲れた親たちが、子育てのための知恵を求めるならば与えられると約束しています。ヤコブ1:5。ですから、私たちは、子どもの養育のために涙をもって主に叫び祈らなければなりません。子育ては大変ですが、どんなものよりも素晴らしい仕事です。傷ついた、倦み疲れた親たちも主が癒してくださり、子育てを助けてくださいます。ローマ8:32。



コロサイ3:20 子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。
3:21 父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。



マタイ18:5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。

エペソ6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

Tペテロ1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。

ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

ヤコブ1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

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