2018年12月16日「心を尽くしてイエス様を愛する」マルコ12:28〜34

序−あなたの人生で最も大切だと考えていることは何ですかと質問されたら、何と答えますか。人はそれぞれ重要だと思うことに時間と物と精神を注ぐでしょう。しかし、問題は、それが本当に重要ではなかった場合、人生を浪費してしまったことになるでしょう。

T−どれが一番たいせつですか−28
 一人の律法学者が、イエス様に「律法の中の中で、どれが一番大切か」と質問して来ました。28節。この律法学者はイエス様とサドカイ人の復活論争を聞いていて、イエス様の聖書の引用が優れていたことを認め、日ごろ気になっていたことを尋ねたようです。律法学者という人々は、聖書を熱心に読んで、研究し、暗唱までしました。人々に律法を教え、律法によって訴訟を裁いていました。その教え方は、子どもたちに律法を暗記させ、民が律法の知識を持つことを願いました。申命記6:6〜7。
 彼らは、とりわけ命令について研究し、聖書の中から614の律法を見つけ出しました。248の勧めの命令と365の禁止の命令に区別しました。そして、最も重要なものはどれか、一言でまとめられないものかと考え、悩みました。彼らは、その律法によって生活しようとし、人生の様々なことを決めるのに、律法に従おうとしていました。ですから、律法の中でどれが一番大切かを知りたがっていたのです。
 現代社会において、人は何によって人生を歩み、何によって生活の判断をしているのでしょうか。訓戒や道徳というものが機能しているでしょうか。何も寄るべき規準はない、定まった判断材料もないとしたら、どうなるのでしょう。混乱し、目茶苦茶になりかねません。昨今社会で取り沙汰される事件や問題も、人々に生きて行く規準がないからです。道徳的規準がなくて生きているのです。聖書も、律法に従わなければ、「民はほしいままにふるまう」と言っています。箴言29:18。私たちにとって、立つべき基盤は神の言葉である聖書です。
 人生において最も大切なことは何でしょう。人にとってこのことがなぜ重要かと言うと、自分が一番大切だと考えることに、人生の時間と労力と費用をかけるからです。もし、それが重要でないとしたら、人生を無駄にしてしまうことにならないでしょうか。肝心なのは、私たちが、本当に御言葉によって生きているのかということです。

U−神への愛と隣人への愛−29〜31
 イエス様は、この質問に何と答えられたのでしょう。29〜30節。一番大切なのは、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、唯一の神を愛することだと言われました。イエス様は、申命記6:4〜5を引用されて、答えられました。この箇所をイスラエルの民は、朝夕暗唱していました。このような箇所は、「イスラエルよ。聞け(シェマ)」ということから、「シェマ」と呼ばれていました。
 ここで、「神はただひとりだ」と言われているのは、神の民が約束の地カナンに入る時で、その地の偶像に仕える危険があったからです。見えない神より、見える偶像に、触れることのできる偶像に心惑わされ易いからです。神は唯一の神です。天地を創造された、生きておられる神です。この聖書で知らされている神が、私たちを救ってくださる神です。
 ですから、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、愛しなさいと命じられています。「尽くして」を繰り返しているのは、すべてを尽くして神を愛さなければならないということです。律法というと、冷たい法律文書というイメージを持つかもしれませんが、すべてを尽くして神を熱く愛することが強調されています。神様は、律法を与える時から、神の民と熱い愛の関係を望まれたのです。しかし、実際には、彼らは神を愛するという言葉はそらんじていたとしても、神様との関係のない、冷たい条文研究に陥り、形式的な信仰になってしまいました。
 神様の方では、はじめから人を熱く愛してくださり、愛し尽くしてくださり、ついには御子イエス様を送ってくださいました。私たちの救いのために十字架に渡されるほど、愛し尽くしてくださいました。それなのに、恵みや祝福ばかり求め、感謝を忘れて、神様を尽くしてほど愛していない自分が恥ずかしいです。ご利益信仰から、神を愛する信仰へ、すべてを尽くして神を愛し、神様に従う人生に転換したいのです。
 心をどこに置くかで人生の方向が決まります。心をお金に置けば、お金を追求するようになります。神様に心を置けば、神を愛するようになります。私たちは心をどこに置いているでしょうか。神を愛する時、必ず神の民は神様を礼拝しました。創世記12:7。神への愛は、礼拝にあらわれます。私たちも、神を愛して礼拝し、神を賛美するのです。イギリスからアメリカに渡った清教徒たちは、自分たちの家よりも、まず礼拝堂を建てたそうです。神様はそのような彼らの信仰を祝福してくださり、新大陸での生活を守ってくださいました。私と私の家は主を礼拝し、主に仕えるものとなりたく願います。ヨシュア24:15。
 イエス様は、続けてもう1つ大切な命令を教えてくださいました。31節。これは、レビ記19:18からの引用です。律法学者は、どれが一番大切かと聞いたのに、イエス様は第2の命令まで言われました。なぜでしょう。確かにすべてを尽くして神を愛することが律法で最も重要なのですが、神の愛は、隣人愛にあらわれるからです。隣人愛は、神への愛の結果として明らかになります。当時の律法学者やパリサイ人、祭司長やサドカイ人は、自分たちは神を愛していると思っていましたが、そうではありませんでした。私たちは、どうでしょう。
 あなたの隣人は、あなたにとってどんな対象ですか。たとえば周りの人々は、あなたにとってどんな対象ですか。社会では、隣人は、競争相手であったり、妬みの対象であったり、いじめの対象であったり、不満や怒りの対象であったりします。しかし、聖書の言う隣人とは、愛の対象であり、交わりの対象です。
 「では、私の隣人とは、だれのことですか」という質問も出るでしょう。今日の箇所の並行記事には、この律法学者が、まったく同じ質問をしています。ルカ10:29。それに対して、イエス様は有名な「親切なサマリヤ人」と言われる例え話をされました。ルカ10:30〜37。この例え話では、あわれみをかけてやった人が隣人になったと教えてくださいました。まさに、隣人への愛は、あわれみをかけるということにあらわれました。そして、イエス様は、誰が自分の隣人かというより、自分が誰かの隣人になることを教えられました。私たちも、自分が誰かの隣人になることを考え、動きたいと思います。
 聖書の言う隣人を愛する愛の特徴とは、何でしょうか。「あなた自身のように愛する」ということです。31節, レビ記19:18。たいていの人は、誰でも自分の体を愛して、大切に思っています。体調を気にかけ、何らかの健康法をするでしょう。ですから、自分の体のように隣人を愛しなさいと言われれば、明快に分かります。自分の体のように気にかけ、配慮するようにということになります。
 でも、隣人愛の問題は、一方通行ではやっていけないということです。一方的ではそんなに続きません。イエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」とお命じになられました。ヨハネ13:34。イエス様の愛は、私たちのために十字架に死なれるほどの犠牲を伴う愛です。私たちに何の資格も求めない無条件の愛であり、一方的なあわれみと恵みに基づく愛です。私たちは、このイエス様の愛によって、隣人を愛していくことができるのです。愛された者も、やがて愛するようになります。こうして、互いに愛するようになるのです。

V−神の国から遠くはないが−32〜34
 律法に複雑に絡め捕らわれていた律法学者でしたが、イエス様の答えを聞いて大きな恵みを受けて、そのとおりですと同意して、賢い返事をしました。32〜33節。信仰生活とは、唯一の神を信じることです。信仰生活とは、神を愛し、人を愛することです。複雑に絡んでいたのが、すっかり解けて、明快になりました。
 ところが、イエス様は、この律法学者に対して何と言っておられますか。34節。評価しているようで、はっきりしない反応なのです。「神の国から遠くない」というのは、神の国から遠いのか、近いのか、どっちなのですか。遠くはないけれども、神の国には入っていないのです。いくら近くはなっても、外は外です。重要なのは、神の国に入っているか、いないかということです。彼は、「それでは、どうすれば神の国に入ることができるのですか」と尋ねなければなりません。しかし、その後何も質問しませんでした。
 彼には、1つ足りないものがありました。それは、イエス様を愛することです。なぜなら、すべてを尽くして神を愛して、自分のからだのように隣人を愛することこそ、イエス様を愛する道だからです。神を愛し、隣人を愛することは、救い主イエス様を信じて愛することから出て来ます。イエス様こそ、すべての人の隣人となられたお方です。イエス様は私たちに対して、「あなたはわたしを愛しますか」と尋ねておられます。ヨハネ21:15〜17。何と答えられますか。Tペテロ1:8。



マルコ12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。事な命令は、ほかにありません。」
12:32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。
12:33 また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
12:34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。



箴言29:18 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。

申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。
6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。
6:6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

ヨシュア24:15 もしも【主】に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、【主】に仕える。」

レビ記19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。

ルカ10:29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

ルカ10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
10:37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

Tペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

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