2018年12月23日「闇に光が照った」イザヤ9:1〜7

序−この時期、東京のクリスマスのイルミネーションが、ベスト10とか取りざたされています。多くの人々が見に行くようです。なぜ、それほどにこの時期光を求めるのでしょうか。人は、闇の中で光を求めているからではないでしょうか。社会や人の心に闇があり、そんな闇の中に救い主イエス様が来られたということが、クリスマスの良き知らせです。

T−暗闇の中で−1〜5
 この箇所は、救い主の誕生が預言されているところですが、イエス様のおられない所には、闇があり、暗闇だというのです。1〜2節。当時の人々の心に闇があり、社会に暗闇があったというのです。心理学では、人は何かしら心の闇を持っていると言われます。深くて大きい闇に覆われている人もいれば、心の一部に闇を持っている人がいます。闇が広がる可能性は誰でもあります。なぜ人は深くて大きい心の闇を抱えてしまうのでしょうか。何かきっかけや原因があるのでしょうか。
ゼブルンの地とナフタリの地は、古代イスラエルの最北端に位置し、しばしば北方のアラムやアッシリヤなど外敵の侵入を受け、苦しめられたところです。1節。人の世には、「苦しみ」があります。健康を失う肉体の苦しみ、仕事や家庭でのトラブルや問題という苦しみ、人間関係の苦しみ、環境の苦しみがあります。人生において様々な苦しみに会い、外には戦いがあり、内には恐れがあります。Uコリント7:5。私たちも、例外ではありません。
 異邦人との混血が多かったその地の人々は、ユダの民から「はずかしめを受け」蔑まれました。1節。人から否定される、無視される、評価されないということは、心に痛みをもたらします。私たちは、どんな辱めを受けたでしょうか。その時心に受けた傷がありますか。それが心に残ると、苦い根のように心にはびこります。ヘブル12:15。
 そして、その地の人々は、「重荷のくびき、鞭やしいたげ」を受けました。4節。現代も、人々は、その人生において重荷を負わされています。生活の現場で重いくびきを付けられたようになっている人々もいます。どんな重荷やくびきがありますか。現代社会では、人から暴力や言葉の鞭を受け、いじめや圧迫を受けることも多く、社会問題となっています。職場や学校でのパワハラやいじめを受けることがあったでしょう。そうした重荷のくびきやしいたげのために、心の闇が深くなってしまいます。
 その地では、戦争や侵略が絶えませんでした。5節。現代社会では、職場や学校において戦いがあり、人間関係において争いがあります。競争社会という環境は、本当に大変です。いつも平安がなく、恐れや不安が生じています。そうしたことも心の闇となっていきます。
 ですから、よく見渡してみると、世の中闇が深い所がたくさんあります。人の心に闇の部分があります。そこには、罪があります。憎しみや怒り、争いや敵対心、自己中心や妬みがあるからです。サタンの支配している所です。使徒26:17〜18。罪の縄目から解き放たれ、サタンの支配から解放されなければなりません。闇は光が必要です。

U−光が照った−4〜5
 苦しみのあった所、はずかしめを受けた地、闇の中を歩んでいた民、死の陰の地に住んでいた者たちという表現は、この地の人々の受けるしかなかった悲劇的な歴史を物語っていたのです。しかし、救い主の来られることで、その状況が一変します。1〜2節。その地の人々は「光栄を受けた、大きな光を見た、彼らの上に光が照った」というのです。
 救い主が来られることは、大きな光と言われています。なぜなら、闇の中で苦しんでいた者にとって、救い主の来られることは、まさに光明を見出すことであり、希望の光となるからです。ヨハネによる福音書でも、イエス様は「すべての人を照らすそのまことの光」と言われ、「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」と言っています。ヨハネ1:4,9。私たちを闇から解放してくださるために、光であるイエス様を送ると約束されていたのです。イエス様は、闇の中にいる者にとって希望の光であり、心の闇に光を照らしてくださるお方なのです。
 3節のたった1節の中に、喜び、楽しみということばが4回も繰り返し使われています。農民にとって刈り入れ時ほど喜びの時はないし、兵士にとって勝利して分捕り物を分ける時ほど楽しいことはなかったからです。そのように、苦しみの中にあった者にとって、救い主が来られ、救われることほど楽しい、喜びの時はないからです。
 救い主が来られることで、具体的にどのように変わるのでしょうか。4〜5節。救い主が来られるということは、当時のゼブルンの地とナフタリの地の民にとって、侵略の苦しみから救ってくれる平和が来るということです。平和が来れば、軍服や軍靴などは必要なくなります。何より心の平和がイエス様によって与えられるなら、私たちの環境にも平和がもたらされるでしょう。家庭の平和、職場や学校の平和が必要です。
 その平和の勝利は、「ミデヤンの日になされたように」とありますが、これは、子ども礼拝で学んだギデオンの勝利のことです。たった3百人のギデオンたちが、ただひたすら神様に信頼して、何十万のミデヤン人に勝利する話です。士師記7章。神様が救い主を通してもたらしてくださる救いは、人の能力や努力で行われるものではなく、神様の御力と御心によることだということです。キリスト教の信仰は、人の努力や修行によるのではなく、神様の哀れみと愛によります。
 「重荷のくびきと、肩のむち、しいたげる者の杖を粉々に砕かれる」と約束されています。これはどういう意味でしょうか。イエス様を信じるということは、罪赦され、新しい命を与えられることです。罪と死の苦しみから解放されることです。この救いの恵みは、重荷のくびき、苦しみやしいたげから解放してくれます。ローマ8:2。イエス様が、信じる者のために、しいたげと蔑みを受けてくださり、十字架で代わりに苦しみや死の刑罰を受けてくださったからです。Tペテロ2:24。素直にこのイエス様を救い主として信じてください。
 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」というのは、今日、イエス様に出会い、イエス様を救い主と信じる人にも起こる恵みです。

V−神の熱心−6〜7
 では、イエス様はどのようなお方として来られたのでしょうか。6〜7節。イエス様を赤ちゃんとして世に送ると約束してくださいました。救い主の誕生です。これこそ、良き知らせ、福音です。その約束の通り、イエス様は、2千年前にユダヤのベツレヘムで救い主としてお生まれになりました。ルカ2:11。イザヤ書の預言が伝えている救い主の名前は、イエス様が世に来られた働きを説明しています。イエス様が世に来られた意味が、その名に含まれているのです。6節。
 まず、「不思議な助言者」です。英訳聖書では、wonderful counselorとなっています。救い主は、私たちの素晴らしい相談者となります。人が難しい問題をかかえると、不安と恐れに陥ったり、右往左往して騒いだりするものです。しかし、イエス様を信じる者は、祈って神様に相談できます。詩篇119:24。私たちには、すごいカウンセラーがついています。
 次に、「力ある神」です。イエス様を信じて救われるということは、全能の神が付いているということです。聖書の神は、全能の神と呼ばれる本当に力ある神です。私たちは弱くても、全能の神が味方です。恐れることはありません。イエス様を信じる私たちの人生にも、力ある業や奇跡が起こります。確かに、私たちの兄弟姉妹にその家族にも、神様の力ある業や奇跡と呼ぶべき出来事が起こりました。
 「永遠の父」は、永遠に存在し、永遠に生きておられる神様が、信じる者の父となってくださるということです。イエス様に救われた者は、神の子どもとされる、まさに特権を得ます。ヨハネ1:12。親は子どもがどうであっても親として愛するように、神様が愛してくださいます。神の子どもとされ、父よと呼びかけて何でも祈ることができる関係にされたなんて、何と素晴らしいことでしょうか。
 そして、「平和の君」です。イエス様を信じるようになると、福音によってまず自分自身が変わります。自分の家族が変わります。そして、社会が変わります。私を取り巻く人間関係が変わります。平和がもたらされます。
 今日のまとめは、7節の「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」です。「熱心」と訳された言葉は、情熱や熱心、妬みという意味があります。なぜ、神様は嫉妬するまで愛されるのですか。ご自分の御子イエス様を世に送るほどに人を愛されたのに、人が他に心を寄せたりすれば、どうですか。妬むほどに愛されるのです。ゼカリヤ1:14。イエス様が世に生まれた、これがクリスマスの神の熱心、パッションです。熱心なしにどうして神の御子が十字架にかかられるでしょうか。
 この神の愛の情熱はあなたに向かっています。あなたを愛して、イエス様を世に送ってくださり、ついには十字架にまで渡して下さった、あなたを救われた神様の熱心を今日感じてください。この情熱を受け入れるならば、救いの恵みを受け、あなたの人生に光が照ります。コロサイ1:27。私たちも情熱をもって働き、情熱を持って学び、情熱をもって生きましょう。



イザヤ9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
9:3 あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。
9:4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。
9:5 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。



Uコリント7:5 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。
7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。

使徒26:17 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
26:18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。

ヨハネ1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

ヨハネ1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

ローマ8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

ルカ2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

詩篇119:24 まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

ゼカリヤ1:14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。

コロサイ1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。


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