2019年4月28日「主を恐れることは知恵の初め」箴言1:1〜9

序−私たちは、何を基準に生きているのでしょうか。イエス様を信じた者は、新しく生まれた者であり、新しく造られた者だと言われています。Tペテロ1:3,Uコリント5:17。新しい人になることは、神様の生ける御言葉に聞き従って生きることです。箴言は、実際的教訓に満ちており、私たちの生活に祝福を与え、人生で出会う問題から救ってくれます。

T−箴言とは−1〜6
 箴言を開くと、「ソロモンの箴言」とあります。1節。なぜ、箴言にソロモン王の名が冠せられたのでしょうか。ソロモンの知恵のエピソードから引用しましょう。T列王3:5〜9。ソロモンがイスラエルの王となった時、偉大な大王父ダビデの後を継ぐのは大きな不安と重圧がありました。夢にあらわれた神様が、あなたが願うものを与えると言われた時、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と願いました。それがなければ、「誰が民を裁くことができるでしょうか」と分かっていたからです。私たちは、仕事や子育てにおいて、このような必要を覚え、神様に願ったでしょうか。
 その願いは、まさに神様の御心にかなったものであり、神様は彼に「知恵の心と判断する心」を与えてくださいました。T列王3:10〜12。そして、ソロモン王は、イスラエルの歴史の最盛期を築き、多くの箴言と詩篇も作りました。T列王4:32。人は、どのように生きればよいか、どう判断したらよいか分からないのに、自分の目に正しいことを行って生きています。士師記21:25。それが、罪のゆえに、悪いことに傾き、世に悪が増大することになります。創世記6:5。私たちは、謙虚に「知恵の心と判断する心」を与えてくださいと願わざるを得ません。
 人は、人生を歩むのに何が必要だと考えているのでしょうか。お金ですか。地位ですか。健康ですか。能力ですか。ソロモンは、「知恵の心と判断する心」を求めました。それは、非常に豊かな知恵であり、砂浜のような広い心のようでした。T列王4:29。私たちも、問題多き人生を生きて行くために、仕事や学び、家庭生活や人間関係のために、知恵の心と判断する心を必要としています。だから箴言が与えられています。2〜3節。
 私たちは、箴言の知恵を通して神様に会うことになります。そうすると、人はどのように変えられますか。4〜5節。若い者とは、未熟ですが、成長する可能性があります。すなわち、人は生き方によっては、わきまえのない者にもなれるし、知恵のある者、悟りのある者にもなれるということです。ですから、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」と言われているのです。伝道12:1。ソロモンも、若い日に王となったから、神様に「知恵の心と判断する心」を与えてくださいと願いました。
 たとえ、わきまえの無い者であったとしても、信仰によって箴言を学び分別が与えられます。しかし、自分には知識や経験があると高ぶっているならば、信仰の成長や霊的造り変えがなければ、わきまえの無い者のままです。謙遜に、神様の御心を求め、御言葉を学んで、聞き従うことが必要です。知恵のある者、悟りのある者は、ますます、御言葉の理解を深め、導きを得ることができます。
 箴言の中心の言葉は、知恵です。この知恵が、私たちの生活に祝福と恵みを与えてくださいます。仕事や学びに助けを与えてくれます。私たちが人生の旅路で出会う様々な問題から救い出して、導いてくれます。ですから、知恵は、金や銀よりも価値あるものだと言うのです。箴言3:14。

U−主を恐れることは知恵の初め−7
 ところが、箴言というと、「ああ、ことわざや格言のようなものね」と、ことわざや格言と同じものと考える人がいます。そうすると、参考にしてもしなくてもいいものになります。自分が中心に判断するということになります。しかし、イエス様を信じて救われた者は、新しく造られた者として、自分中心でなくて、神様の御心と知恵を求めて生きるようになります。ローマ12:2。イエス様の十字架を通して私を愛して救ってくださった主なる神様に聞き従う者となります。それで、箴言が与えられています。
 何事でも根本、源が大切です。ですから、箴言の知恵の根源は何だと言っていますか。「主を恐れることは、知識の初めである」と言っています。7節。「主を恐れることは、知恵の初め」と言っています。詩篇111:10。ここに、人間性の回復の鍵があり、道徳の鍵があります。人間の根源は何ですか。誰ですか。天地万物を創造された神様が、人をかたち造り、生きる者としてくださいました。自分とは何か、人とは何かを知るためには、自分を造り、救ってくださった神様を知ることが根源です。
 神を恐れるということは、神を知って、御心に従うということです。人間性の回復は、神を知り、神を恐れることです。今日環境問題が大きなテーマとなっていますが、人を造られた神様は、人に自然を治める管理を委ねられました。創世記1:28。しかし、それを忘れた人間は、自然破壊をやめず、結局自分たちを苦しめるようになりました。神様が造られた、澄んだ空と青い海すべての管理を委ねられた、正しく管理しないと罰せられるという神を恐れる知恵が環境問題には必要です。
 神を恐れることが知恵の始まりだということは、頭の中に神を恐れることが入っていて、それによって考え、行動するということです。人の頭の中にどれだけ情報や知識が入っていようと、神に対する態度と姿勢が大切だということです。世の中を見ても、品性が整えられないで、他のものばかり頭に詰め込まれている人がどれほど多いことでしょうか。神を恐れることがなくて知識だけ入れば、高慢極まりない人になるでしょう。神を恐れることがなくて感情だけで生きる人は、問題や困難の中で、悲観論者にならざるを得ないでしょう。
 自分の考えや行動の元、根源は何ですか。自分の頭を動かす基盤に何が入っていますか。私たちの頭が石頭になる前に、神を恐れる柔らかい頭となりますように願います。神を恐れ、聞き従うことは、人が生きて行く基本中の基本です。先に信仰の品性が整っていなければ、どんなに経験や知識、能力を身に着けても、正しく機能することはありません。

V−父の教訓、母の教え−8〜9
 箴言の知恵で、最初に登場するのが、これです。8〜9節。「父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」ということです。父の訓戒と母の教えとは、何でしょう。世の中では、親が子どもに色々教えて、しつけようとしますが、なぜ、うまく行かないのでしょうか。
 箴言の基本は、「神を恐れることが知恵の初め」でした。父の訓戒と母の教えとは、もちろん信仰から来るものであり、御言葉の適用です。親の勝手な考えを教えるのではなく、肉の思いや感情で躾けることでもありません。神の民ではあっても、そのようにしたなら、罪が入り、子どもの心に傷を与えることになります。箴言は、わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるからです。4節。信仰と御言葉を伝えられなければ、たとえ知識や能力を得たとしても、わきまえや思慮のない者になりかねません。
 なぜ、「父の訓戒に聞き従いと母の教えを捨ててはならない」ということが、最初に取り上げられているのでしょうか。神の民の家庭では、御言葉が親から子へ、子から孫へ伝えられていたものです。ですから、父の訓戒に聞き従い、と母の教えを捨てないことが、まず必要だったのです。
 ユダヤ人は昔から聖書を子どもたちに読み聞かせ、暗唱させ、御言葉の知恵を身につけさせました。聖書の民であるユダヤ人は、世界の経済や学問において活躍しています。ユダヤ人は世界の0.2%なのに、ノーベル賞は22%受賞しています。かつて故郷を離れ、他国に同化してもまた逃げなくてはならないという過酷な状況を経験して来た彼らは、多言語や知識や技能を身につけました。そして、国を追われて、環境が激変しても、その知恵と知識によって生きて行くことができました。
 信仰による父の訓戒と母の教え、すなわち御言葉の適用によって、神の民は、どんな時代でもどんな状況の中でも生きて来ました。どれほど父の訓戒と母の教えが重要だったことでしょうか。それは、大切な美しい宝のようです。8節。日本でも昔は、人生の生き方や人としての品性について教えられて来ました。それがなくなった現代では、衣食足りても礼節を知らず、禽獣に等しいという有様になっています。人間性の回復には、救い主イエス様を信じる信仰、神を恐れる知恵と知識が必要です。
 「父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」という時、当然親が聖書の訓戒と教えを学んで、御言葉に生きていることがその前提となります。厳しい環境の中では、御言葉に聞き従って生活しなければ、神の民として生きて行くことができませんでした。子や孫や友人に信仰を伝えたい、幸いに生きてほしいと願うなら、私たちが本気になって御言葉に聞き従って、御言葉の適用に生きて行かなければなりません。
 8節は、聖書を学ぶ者たちに「わが子」とよびかけています。学ぶ者が、子どもの教育をする前に御言葉を学び、適用に生きる姿を見せてあげなさいということです。親が敬虔であれば、子どもも敬虔で生きて行くようになるからです。主を恐れることが知恵の初めです。この基本を取り戻して、生きる者となることを願います。詩篇111:10。



箴言1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1:2 これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、
1:3 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、
1:4 わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
1:5 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。
1:6 これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。
1:7 【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
1:8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。
1:9 それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。




T列王3:5 その夜、ギブオンで【主】は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。
3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。


Tコリント1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

詩篇111:10 【主】を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

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