2019年6月2日「あなたの心を見張って、見守れ」箴言4:1〜27

序−私たちが気付かないことがあります。私たち神の民が、イエス様を信じて、御言葉を学んでいながら、御言葉に聞いて生きることをしていないということです。御言葉の知恵に聞くならば、どれほど幸いに歩めるかしれないのに、知恵を得ないで迷い、争い、挫折しているのです。ですから、主の呼びかけに聞きましょう。

T−知恵を得よ。悟りを得よ−1〜10
 主の呼びかけは、「子どもらよ。わが子よ」というように、父が息子に訓戒や教訓を語るという形をよくとっています。1,10,20節。そして、その父自身も、神の知恵でもって生きていたその父から教えられた教訓を教えるという形をとっています。1〜4節。教訓の内容は、知恵を得よ、悟りを得よ、知恵を捨てるなと繰り返し、強調しています。5〜10節。箴言には、ソロモン王の名前がつけられていますので、ソロモン王が言っているとしてみましょう。箴言1:1。
 ソロモン王が父ダビデ大王から受けた知恵の教訓を子のレハブアムに伝えているということになります。前にも学んだように、ソロモンは、王になる時、神様に知恵を与えてくれるように願いました。T列王3:9〜12。それは、多くの民を治め、国を建てて行くには、知恵が必要だったからです。ソロモンは、父ダビデを通して、神からの知恵、御言葉の知恵が必要であることをよく分かっていたのです。そして、御言葉通り生きたので、イスラエル王国は、未曾有の繁栄を享受しました。
 父ダビデが神様に拠り頼み、知恵を求めて苦難のすえに国を治め、建てて来たことをよく見ており、自分もそのようにして祝福を受けたので、その子レハブアムには、とにかく御言葉に心に留めて、守って生きよ。知恵を得よ、悟りを得よ。知恵を捨てるな、愛して、守れと繰り返し、強調したのです。5〜7節。そうすれば、栄光を受け、繁栄すると保障しました。10〜12節。主が、私たちに、知恵を得よ、知恵を捨てるなと命じておられます。
 ところが、私たちは、ソロモン王のように1つの国民が自分の肩にのしかかってくるなんてことはないので、自分の人生を自分の知恵で判断して、やって行けると簡単に考えてしまうのです。しかし、一人の人生であっても、難しさ大変さは、変わりはありません。非常な困難に出くわしてはじめて、もう自分の知恵や判断ではやっていけないと神に立ち返るのです。
 もちろん、多くの聖徒たちが、人生の難しさ大変さはよく分かっています。人生の問題に出くわし、悩み、葛藤しています。ならば、なぜ、悩み、不安を持っているのに、神様に拠り頼まないのですか。救われているのに、主の知恵を求めないのですか。
 いや、御言葉を大切に思って、参考にしていると言うでしょう。しかし、私たちが、御言葉や聖書的な教えを参考にしているのは、まだ自分の人生の主人が自分であることを意味しています。自分がすべてのことを判断して決定して、人生を生きているからです。ですから、私たちが御言葉を最も重要だと思うなら、神様が自分の人生の主人になり、人生を導いてくれるようにゆだねることです。御言葉に純粋に生きていこうとするのです。これは、揺るがない信仰者の姿です。

U−知恵の道を行け、悪者どもの道に入るな−10〜19
 これまでは、考えとか判断について教えて来ましたが、今度は、行動、生き方について話しています。聞いた教訓をよく守り、人生を歩みなさいというのです。知恵の道を教え、正しい道に導いたと言います。10〜13節。歩みを妨げられない、躓かないというのです。でも、私たちは、人生の問題に出会い、何度も歩みを妨げられ、躓いたことでしょう。仕事や人間関係において、失敗し、痛い経験を何度もします。なぜでしょう。
 続く勧め、教訓を見ましょう。14〜15節。悪者どもの道に入るな、悪人たちの道を歩むな、それを無視せよ、そこを通るな、それを避けて通れと繰り返し、強調しています。悪者ども、悪人たちと言っても、信仰に生きる者とそうでない者ということです。ソロモンは、父ダビデと自分の人生を通して、神の前に純粋に生きている者たちがどのような人生を生きて、神の前に生きていない者がどのような人生を送ったのか見て来ました。神を恐れる者と恐れない者の結末を見て来ました。16〜19節。私たちは、神の前に純粋に生きているだろうか、神を恐れて人生を生きているだろうか、省みてみましょう。
 このように教えられ、教訓を聞いたのに、その子レハブアムは、神の知恵を聞くことなく、知恵を得ることがありませんでした。レハブアムは、民が労働と税を軽くしてくれるように言って来た時、父ソロモンに仕えた長老たちの「民に仕えて、親切な言葉をかけてやるなら、ずっと王に従うでしょう」という知恵の助言を退けました。代わりに、「わたしは父ソロモンより強い、もっと労働と税を重くして、懲らしてやれ」という側近の若者たちの愚かな助言に従いました。T列王12:6〜12。結果、民は王から離れ、王国は分裂してしまいました。
 レハブアムのようにならないためには、どうすればいいのでしょう。結局、教訓を聞く心、御言葉を聞く心が問題です。御言葉を聞いても、心が伴わなければ、神の知恵にはならないからです。

V−知恵と健康−20〜27
 三度目の呼びかけに心の耳を傾けましょう。20〜27節。ここで強調されていることは、心です。御言葉を「あなたの心のうちに保て」と言っています。21節。「あなたの心を見守れ」と命じています。23節。力の限り、心を見張り、心を見守ることを強く求めています。なぜ、それほどに心を見張って、見守らなければならないのですか。24節。心が偽りを言い、曲がったことを言うからです。
 心を治めることがないと、欲求不満やストレス、失望落胆、不安や心配、怒りや憎しみ、嫉妬、憂鬱などが心に深く広がります。心は、すべての思考や行動を決定します。イエス様は、心から出るものが人を汚すと教えてくださいました。マタイ15:18〜19。口から出る悪い考えやののしりなどは、心から出て来るからです。
 心の中に癒されていない傷や苦い根があるなら、心を抑圧したり、否定的な思いを持たせて、心を曲げるのです。ヘブル12:15。何かが、癒されていない心の傷や心の奥の苦い根に触れると、怒りを爆発させ、悪口雑言が口から出て来るのです。心に暗い影の部分があるという言い方もします。心の中の影は、その影を他の人に投影します。相手のせいにしたり、否定的なことを言います。そして、偽りを言う口、曲がったことを言う唇となります。
 相手のせいにして、自分の心の傷や苦い根を相手に投影するのは、自分自身を欺く行為であり、自分の心の傷や苦い根を認めていない場合は、防御的な行動を取ることになります。結局、人のせいにして、相手に自分の怒りをぶつけるのは、本当の自分との出会いを邪魔しています。私たちは、どうして主をほめたたえる同じ舌をもって、神にかたどって造られた人を罵るのでしょうか。賛美とのろいが同じ口から出て来るなんて、悲惨ではないですか。ヤコブ3:9〜10。
 私たちの心の傷や影を知らないままだったり、癒されないで解決されないままだったりすると、その影が他の人に投影され、心の傷の痛みや根の苦さを人にぶつけることになります。ですから、力の限り、見張って、自分の心を見守ってみましょう。癒されていない傷や苦い根が残っていませんか。人のせいにすることがありませんか。人を赦さない、人を憎み、怒り続けていないでしょうか。ののしりや悪口が口から出ていませんか。曲がった言葉、否定的な言葉を言っていませんか。
 お前が悪いと人を非難する時、自分を善良な人の部類に入れています。これは、本当の自分の認識ではありません。自分の心が健康でないのに、信仰の経験や知識ばかり増えると、パリサイ人のように人を非難し、心の傷を与えるようになります。23節、「あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」と言っています。自分の心の中に抑圧された暗い影と会うのです。人のせい、投影をするのでなくて、自分の心の傷や苦い根と向き合うのです。なぜ怒りをぶつけるのかな、なぜ赦せないのかな、自分はどうなのかな、自分も批判される者、責められるべき者ではないか。こんな私のためにイエス様が十字架にかかってくださったではないか。ローマ5:8。こうして、自分の中に命の泉が湧いて来ます。
 22節。知恵を見出す者、イエス様の福音を見出す者は、心が癒され、健康になります。健やかというヘブル語マルファーは、癒す、治療するというラファーから来ています。ですから、神の御言葉、神の知恵は、私たちのたましいとからだを治療し、薬となります。「全身」というのは、心身共に、私たちのたましいも健康にいうことです。人が言葉を言う時、そのまま言うのではなく、感情を載せて言います。人を怒り罵るなら、人の心を傷付け、心を病気にします。私たちの心が健康なら、その心から良い物が出て来ます。ルカ6:45。隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにするのです。ローマ15:2。自分の心をイエス様に向け、御言葉の光で道を照らし、道をそれないように進みます。25〜27節。力の限り、見張って、自分の心を見守りながら歩む一人ひとりとなるように願います。23節。




箴言4:1 子どもらよ。父の訓戒に聞き従い、悟りを得るように心がけよ。
4:2 私は良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私のおしえを捨ててはならない。
4:3 私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、
4:4 父は私を教えて言った。「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。
4:5 知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。
4:6 知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。
4:7 知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。
4:8 それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。
4:9 それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」
4:10 わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。
4:11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。
4:12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。
4:13 訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。
4:14 悪者どもの道に入るな。悪人たちの道を歩むな。
4:15 それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。
4:16 彼らは悪を行わなければ、眠ることができず、人をつまずかせなければ、眠りが得られない。
4:17 彼らは不義のパンを食べ、暴虐の酒を飲むからだ。
4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。
4:19 悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。
4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
4:21 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
4:24 偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。
4:25 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
4:26 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。
4:27 右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。



マタイ15:18 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
15:19 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。

ヘブル12:15 そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、

ヤコブ3:9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

ローマ5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ローマ15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

ルカ6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。

戻る