2019年6月23日「あなたの井戸から水を飲め」箴言5:1〜23

序−箴言の教えていることは、一貫して、神を恐れて、御言葉の知恵に聞き従うことです。今朝の神の知恵は、夫婦の関係を通して、誘惑の危険について警告し、誘惑に陥らないようにするにはどうするのかについて私たちに教えています。

T−誘惑の危険−1〜6
 まず、他国の女の誘惑に対して警告しています。3節。「他国の女」とは、イスラエルの言う異邦の女ということで、他の訳では、「見知らぬ女」となっています。夫を誘惑する女のことを言っていますが、一般に人を誘惑する者をあらわしています。誘惑する者と言えば、サタンです。マルコ1:13,Tコリント7:5。サタンは、騙しの天才です。ですから、見知らぬ女は、言葉巧みに誘惑し、騙します。3節。その言葉は、蜂蜜のように甘く、油のようになめらかなのです。みんなもしていることだ、あなたも欲しがっているだろう、うまく行くよと、もっともらしい言葉で誘惑するのです。欲があると、誘惑されて、罪を犯します。ヤコブ1:14〜15。私たちは、どんな誘惑を受けているのでしょうか。
 その誘惑は、騙しと言われるように、見知らぬ女の誘惑は、誘惑に陥った者を破滅に導きます。4〜5節。誘惑は、人を神から離れさせ、罪を犯させます。誘惑するその見知らぬ女自身が、いのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないことを知りません。6節。誘惑は、そうしたらどうなるか深く考えさせません。真理が何であるか考えないようにさせます。サタンは、「いのちの道」すなわち、イエス様による救いを見つけないようにさせます。私たちも命の道をしっかり考えないで、自分本位になってしまう時、誘惑に陥るようになります。
 なぜ、誘惑に陥るのでしょうか。1〜2節。神から私に与えられた知恵に心を留め、英知に耳を傾けよと言っていますが、神の知恵に心を留め、御言葉の英知に耳を傾けていなければ、分別がなくなります。分別がなくなると、真実か偽りか分からなくなります。誘惑に陥り、騙されるようになります。私たちが神の知恵を心に留めず、御言葉に聞き従っていないと、分別がなくなって、なめらかな言葉に誘惑され、騙されます。自分の意志は強いと思っても、霊的には弱いのです。サタンに誘惑されて、祈らなくなってしまいます。マルコ14:38。
 分別というと、一般には自分の知恵や能力でするものですが、ここで言う分別とは、神の知恵に心を留め、御言葉に耳を傾けることから出て来るものです。御言葉の知恵を身につけましょう。御言葉によって霊的分別を守ることができます。イエス様も、御言葉でもってサタンの誘惑を退けられました。ルカ4:4,8,12。
 人は、サタンの誘惑によって神から離れ、罪を犯すようになってしまいましたが、イエス様が私たちの罪と滅びの身代わりに十字架にかかり、復活されることによって、信じる者に罪の赦しと天国への命を与えてくださいました。ですから、イエス様のものとなった私たちには、サタンが手練手管を用いて誘惑して来ます。イエス様が公生涯をはじめられる時、まず悪魔の試みを受けられたのは、そのためです。ルカ4:2。

U−誘惑を避ける方法−7〜14
 見知らぬ女の誘惑に陥らない方法は、何でしょう。7〜8節。見知らぬ女からの誘惑を避けることです。彼女から遠ざかり、彼女に近づかないことです。そうです。「不品行を避けなさい」と命じられています。Tコリント6:18。誘惑されても大丈夫などと不遜な愚かな思いは捨てて、誘惑するものから離れて、遠ざかり、誘惑を受けるのを避けなさいというのです。聖書は、「悪から離れることは悟りである」と言っています。ヨブ28:28。「悪から遠ざかっていなさい」と命じています。Tペテロ3:11。私たちは、誘惑に対して、どうしているでしょうか。
 争いを誘惑する者は、言いがかりを付けて、論争をしかけて、争いへ引っ張り込もうとします。聖書は何と言っていますか。「愚かな議論、論争などを避けなさい」と命じています。テトス3:9。やっぱり、避けることが一番です。解決や理解し合うことを目的としておらず、論争や議論で罪へ誘おうとしているのですから、とにかく避けることです。私たちは、聖書の勧めや命令を忘れて、失敗したことが多いのではないでしょうか。
 また、世の中では、無駄話や下品な話に引き込もうとして、俗悪な話をする人々が多いです。学校や職場、地域でもそのような場面に出くわすでしょう。聖書はどう言っていますか。「俗悪なむだ話を避けなさい」と言っています。Uテモテ2:16〜17。避けないままでいると、それによってますます不敬虔になり、彼らの俗悪なむだ話は癌のように広がるからです。うわさ話も同じです。人は、うわさ話を好み、別に悪いことではないだろうと思い、気もせずに加わってしまいます。しかし、誘惑する者は、うわさ話で他人を罪に陥れ、正しい人をむなしい理由で不利にさせます。イザヤ29:21。うわさ話をする者は、話してはいけないことまで話してしまいます。Tテモテ5:13。私たちにも、そのような体験がないでしょうか。
 そして、誘惑に陥ったら、どうなるか考えてみることです。9〜10,14節。見知らぬ女の誘惑に陥って罪を犯す者は、人々の中で尊厳を失い、受けるべき名誉を他人に渡してしまうはめになるというのです。そのため嘆いて、後悔することになるでしょう。11〜14節。ここには、誘惑に陥った者が破滅して、嘆いて後悔している様子が記されています。そういうことを考えてみれば、誘惑の危険さを認識し、誘惑に陥らないように気をつけるようになるでしょう。

V−誘惑に陥らない積極的方法−15〜23
 遠ざけ、近づくなというのに比べて、15〜17節には、誘惑に陥らない積極的方法が命じられています。「水ため」とは「湧き出た水が溜まっている所」のことです。雨の後の水溜りのことではありません。井戸、泉と同じです。井戸、泉、湧き水、オアシスというものは、乾燥地域にあっては、非常に重要な生活の基盤であり、命に直結するものです。井戸や泉がなければ、喉の渇きを解決することはできません。水を飲まなければ、生きていけません。
 そのように、自分が持っているもの、自分の手にあるものを大切にすること、重要であると分かってよく用いることが、誘惑に陥らない積極的な方法です。持っているもので満足し、足りる心が大きな益をもたらします。Tテモテ6:6。自分のものを大切にすれば、誘惑されることはありません。妬みは、自分にないものを欲しがり、人が持っているものをうらやむことです。誘惑に陥る危険があります。自分が与えられているものを感謝し、満足するなら、妬むことはなく、誘惑に陥りません。
 見知らぬ女のつながりから言えば、異性の誘惑に陥らないためには、自分の妻を井戸や泉と思う、すなわち自分の命にかかわるものとして大切にするということです。夫にとって、妻は喜びの湧き出る泉であり、幸いの源泉です。それくらいに自分の妻を大切に考え、大事にしなさい。そうすれば、見知らぬ女の誘惑に陥らないと教えています。夫婦仲に満足するのは、相手が完全だからではありません。相手を満足させてくれるような完全な人はいません。人は誰でも、罪だらけです。しかし、その中心にイエス様がいる場合は可能です。
 夫が主の前に自分自身を省みるならば、妻も主の前で自分自身を振り返るでしょう。21節。夫婦が主の前に謙遜にひざまずいて祈るとき、主が夫婦の過ちを悔い改めさせ、お互いを愛することができる力を回復させてくださいます。人の力でできることではありません。聖霊の力で可能になります。夫婦は、互いの弱さを補完するために、助け手として創造されたことを忘れてはなりません。エペソ5:24〜25を見てください。イエス様が夫と妻の中心であり、妻は教会がキリストに従うように夫に従い、夫はキリストが教会のためにご自身をささげられたように妻を愛するのです。
 現代社会の危機は、家庭の危機が元だと診断することができます。「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンは、ローマ帝国が滅亡した主な原因として、家庭の崩壊を指摘しました。帝国の繁栄が人々の自分勝手と放縦を招き、家庭が破壊されて、帝国は崩壊へ向かったのです。サタンは、社会を崩壊させる前に家庭を破壊させます。幸せを享受すべき家庭が破壊されると、いくら人間が最高の科学技術と文明を享受しても満足することはありません。妻と夫のことを考えてみてください。夫婦は、相手が自分に何をくれるのか期待する前に、相手が自分の願い通りになっていないことを不満に思う前に、相手のためにどのように仕えることが最善なのかを考えるのです。
 夫婦なら、お互いに祝福されるべきであり、互いに自分によって相手が祝福を受ける必要があります。18節。若い時の愛を思い出し、互いに感謝し、互いを慕い求めるようにしなさいというのです。19節。人を愛する愛には、必ず責任という意志が必要です。人には、神様が与えてくださった愛の感情があります。人がどんな環境で生きようとも、幸せを感じることができるのは、この愛の感情が充足される時です。しかし、人からの愛の感情を享受しようとすれば、必ず大きな責任を伴います。大きな犠牲を払う愛を取り交わすことができなければなりません。エペソ5:24〜25。



箴言5:1 わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。
5:2 これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。
5:3 他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。
5:4 しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。
5:5 その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。
5:6 その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。
5:7 子どもらよ。今、私に聞け。私の言うことばから離れるな。
5:8 あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。
5:9 そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。
5:10 そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。
5:11 そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。
5:12 そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。
5:13 私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。
5:14 私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった」と。
5:15 あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。
5:16 あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。
5:17 それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。
5:18 あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。
5:19 愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。
5:20 わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。
5:21 人の道は【主】の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。
5:22 悪者は自分の咎に捕らえられ、自分の罪のなわにつながれる。
5:23 彼は懲らしめがないために死に、その愚かさが大きいためにあやまちを犯す。


ヤコブ1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

マルコ14:38 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

Tコリント6:18 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。

ヨブ28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」

Tペテロ3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

テトス3:9 しかし、愚かな議論、系図、口論、律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。

Uテモテ2:16 俗悪なむだ話を避けなさい。人々はそれによってますます不敬虔に深入りし、
2:17 彼らの話は癌のように広がるのです。

イザヤ29:21 彼らは、うわさ話で他人を罪に陥れ、城門でさばきをする者のあげあしを取り、正しい人を、むなしい理由でくつがえす。

Tテモテ5:13 そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。

Tテモテ6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

エペソ5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。

エペソ5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

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