2019年6月30日「知恵と愚かさ」箴言6:1〜35

序−去年小学校、今年中学校で道徳が教科化され、道徳教育が重要視されるようになりました。箴言は聖書の中の道徳と言えるでしょう。しかし、神の知恵がその中にあります。新約の光、イエス様の福音をもって見ないと、ただの道徳訓になってしまいます。御言葉から神の知恵をいただき、愚か者にならないで生きる者となりたく願います。

T−保証人から抜けよ−1〜5
 まず、保証人の危険について教えています。1〜5節。契約社会である現代のようです。保証人とは、債務者が債務を履行しない場合に、その債務を代わって履行する人のことです。今日の箇所は、その保証から解放されなさいと言っています。聖書は、イエス様の犠牲によって救われている人々が、人々を愛し、人々に仕えることを勧め、時には犠牲になることも肯定しています。ヨハネ15:13,出エジプト22:25。お金を貸してはならない、保証人になってはならないと定めているわけではありません。神の知恵をもって対処するのか、愚か者として対処するのかということです。
 2節を見ると、保証人自身の言葉の責任が問われています。親戚や友人ではなく、隣人や他国人を相手に、安請け合いをしたようです。騙されたというのではなく、自分がよく考えもしないで受けてしまったのです。愚かな判断です。この箇所の意味は、よく考えない性急な保証を禁じていることです。実際に債務履行の責任を負う覚悟ができていないのに、性急な保証をしてはならないということです。保証人になるということは、責任を負うことになるので、慎重な対応が必要だということを教えています。詐欺や騙しが横行している現代に、私たちは慎重な対応が必要です。
 では、保証人になるなら、どういうことが必要なのですか。実際に債務保証ができる経済的能力があって、責任を負うことができるなら受けるということです。能力がないのに、保証を引き受けてはなりません。それに、経済的能力だけでなく、精神的な能力も必要です。精神的にも、十分に責任を負えるなら引き受けることができます。その人と一緒に苦難を共にできる、債務の肩代わりで財産を失う覚悟ができているなら、保証人に立つことができます。
 単に愛と同情だけで保証を引き受けることはできません。保証は、気持ちだけでできるわけではありません。経済的能力があったからと言って、気持ちや犠牲的な愛がなければ、引き受けません。精神的能力と経済的能力が共にあるならば、保証人を引き受けることができます。債務者が借金を返済することができなければ、保証人が肩代わりして、保証人に返済能力がなければ、その家族に多大な犠牲を強いることになります。箴言17:18。その危険まで考えないのは、思慮に欠けている者となります。
 では、保証人になってしまってから、自分に債務履行の経済的能力がないことに気付き、責任を負って犠牲を払う覚悟がないと分かったならば、どうするのでしょうか。自分が危険な状況にいることを自覚したなら、あらゆる方法を用いて、その危険なわなから逃れる手立てをしなさいというのです。現代の制度でも難しいのですが、方法はあるそうです。
 私たちも、現代社会にあって、様々な契約や法律的なことがらに巻き込まれたりすることがあるでしょう。できるならば、はじめの段階で、事情を把握し、よく注意して知恵をもって対処することです。巻き込まれてしまった後に気付いたなら、事情や制度を調べ、あらゆる方法を用いて、困難に取り組むことです。私たちは、知恵をもって、このような問題に対処しなければなりません。向こう見ずなことをしなくても、私たちには、自分にできることで人々を助けることがあります。

U−蟻から知恵を得よ−6〜11
 次に、怠惰に対する戒めです。「なまけ者よ」と呼びかけています。6節。怠け者と訳されたアツェルは、箴言だけに14箇所も使われています。ここでは、怠け者に対して、「蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」と言っています。夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集めるところから学べと言います。働くべき時に、状況を把握して働くというところに強調があります。来るべき困難を予測して準備することが、蟻の知恵です。
 イエス様がしるしを求めるパリサイ人やサドカイ人に対して、天気の変化を見分けることができても、時代の変化を見分けることができないと批判されています。マタイ16:1〜4。イエス様が来たるべき救い主であることを見分けることができませんでした。現代は、変化の時代です。危険や事件に対処する知恵を得なければなりません。「またいつか聞くことにしよう」と言って、福音を聞く機会を失わないようにと願います。使徒17:32。福音を聞いたならば、機会を逸することなく、信じる決心をしてください。
 アリとキリギリスの童話を思い浮かべたでしょうか。寒い冬には仕事をできないから、冬になって食料が取れなくて餓死しないように、夏のうちに働きます。自分の生存方法をよく知っていて、対処しています。イエス様が愚かな金持ちの例えを話されました。ルカ12:15〜21。富をたくさん蓄えた愚かな金持ちに対して、今夜死んだらその蓄えは誰のものになるのかと言われました。富が永遠の命をもたらしてくれません。永遠の命をいただくには、イエス様を信じることです。蟻が活動できる時が夏に限られていたように、人が信仰生活をすることができる期間は限られています。
 怠け者の特徴がもう1つ記されています。9〜11節。この人は、寝てばかりいるというのです。怠惰は、肉体的だけでなく、精神的でもあります。このような生活は、健康的ではありません。働かなければ、やがて貧しくなります。寝ないで働けと言っているのではありません。働くためには、からだの健康よりも、精神的な健康が必要だということです。
 イエス様のタラントの教えは、自分に与えられた仕事に誠実に対処したかが判断の尺度です。マタイ25:14〜30。預けられた賜物を用いないしもべは、なまけ者と呼ばれました。仕事を通して、人々は、神が自分に与えられた才能と賜物を用いて働き、仕事を通して神に感謝し、生きがいを探します。私に与えられた機会、私に与えられた能力、私が置かれた生活の現場が、神が私に預けられたものです。誰も責めないでください。誰かを妬んだり恨むこともしないでください。私に与えられた条件と現場の中でどのように主に忠実であるか、どのように最善を尽くかに成功がかかっているのです。
 蟻には首領もつかさも支配者もいないのに、黙々と働いています。7節。誰かにさせられているのでもなく、強制されてもいません。人は、会社に働かされている、生活のために仕方なく働かなければならないと思いながら、働いています。しかし、聖書の労働観は、世界を管理する神様の働きを担っているというのです。神が支配し、いのちを育てられる神の仕事に、人間が召されたのです。人の罪が神との交わりを損なわせ、世を管理する力を人間から奪いましたが、イエス様を信じて救われたなら、労働も労苦と虚無の支配から解放され、神の管理の働きに回復されました。
 ただ、神との交わりが薄れ、召命感があいまいになると、すぐに元に押し流されます。ですから、日々のデボーションと主日の礼拝をもって、御言葉に養われ、主との交わりを持ち、それが神の民の労働を生かすようになります。仕事や勉強に神様からの召命感を覚えているでしょうか。

V−よこしまな者、主の憎むもの−12〜35
 そして、よこしまな者や不法の者に気をつけなければなりません。12〜15節。よこしまな者や不法の者とは、曲がったことを言って歩き回る者で、何の益もない無価値な妨害屋を指します。いわゆるトラブルメーカーです。悪意をもって目くばせをし、悪事が人の目につかないように足で合図をし、人を指差してあざけり、ののしるのです。トラブルメーカーは、いつも悪を計り、争いをまき散らすのです。
 もちろん、そのような者になってはならないし、そのような妨害や悪事に巻き込まれないように気をつけなければならないということです。うわさ話に乗らないようにし、ののしられてもののしり返さないことを教えられていることを思い出します。Tテモテ5:13。ですから、力の限り、見張って、自分の心を見守ります。箴言4:23。
 よこしまな者や不法の者の具体的なしわざが、身体の各部分と関連させて表現されています。17〜18節。主の忌み嫌うものです。高慢な目、偽りを言う舌、悪事を計画する心、悪へ走る足等々です。善悪を教えられないで、心に知恵の言葉がなければ、容易によこしまな者や不法の者のまやかしや曲がった言葉に引き込まれ、トラブルに巻き込まれます。悪意と悪口を捨てて、御言葉によって成長しましょう。Tペテロ2:1。
 最後には、不品行の危険が指摘されています。24〜35節。世の中でこのことが最も危険であり、道徳がなければ、乱れてしまうものだからです。現代社会の混乱と破綻が、そのことを物語っています。この危険な不品行に巻き込まれないようにするためには、心に御言葉を蓄えて、しっかり御言葉に従うことが必要です。自分の肉の知恵に従うのではなく、神の知恵に聞きます。20〜23節。心に結び、首の回りに結びつけよというのは、いつも心に御言葉が響き、覚えていなさいということです。そうするならば、よこしまな者や不法の者が横行する世にあって、私たちは主によって守られます。詩篇121:5〜8。




箴言6:1 わが子よ。もし、あなたが隣人のために保証人となり、他国人のために誓約をし、
6:2 あなたの口のことばによって、あなた自身がわなにかかり、あなたの口のことばによって、捕らえられたなら、
6:3 わが子よ、そのときにはすぐこうして、自分を救い出すがよい。あなたは隣人の手に陥ったのだから、行って、伏して隣人にしつこくせがむがよい。
6:4 あなたの目を眠らせず、あなたのまぶたをまどろませず、
6:5 かもしかが狩人の手からのがれるように、鳥が鳥を取る者の手からのがれるように自分を救い出せ。
6:6 なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
6:8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。
6:9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。
6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
6:11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。
6:12 よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、
6:13 目くばせをし、足で合図し、指でさし、
6:14 そのねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らす。
6:15 それゆえ、災害は突然やって来て、彼はたちまち滅ぼされ、いやされることはない。
6:16 【主】の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
6:17 高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、
6:18 邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、
6:19 まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。
6:20 わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。
6:21 それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。
6:22 これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。
6:23 命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。
6:24 これはあなたを悪い女から守り、見知らぬ女のなめらかな舌から守る。
6:25 彼女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕らえられるな。
6:26 遊女はひとかたまりのパンで買えるが、人妻は尊いいのちをあさるからだ。
6:27 人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けないだろうか。
6:28 また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか。
6:29 隣の人の妻と姦通する者は、これと同じこと、その女に触れた者はだれでも罰を免れない。
6:30 盗人が飢え、自分の飢えを満たすために盗んだとしたら、人々はその者をさげすまないであろうか。
6:31 もし、つかまえられたなら、彼は七倍を償い、自分の家の財産をことごとく与えなければならない。
6:32 女と姦通する者は思慮に欠けている。これを行う者は自分自身を滅ぼす。
6:33 彼は傷と恥辱とを受けて、そのそしりを消し去ることができない。
6:34 嫉妬が、その夫を激しく憤らせて、夫が復讐するとき、彼を容赦しないからだ。
6:35 彼はどんな償い物も受けつけず、多くの贈り物をしても、彼は和らがない。



箴言17:18 思慮に欠けている者はすぐ誓約をして、隣人の前で保証人となる。

マタイ25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。

Tテモテ5:13 そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。

箴言4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

Tペテロ2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

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