2019年8月4日「直ぐな人の祝福が広がる」箴言11:1〜31

序−今や大企業や官庁、老舗まで不正やごまかしをし、己の利益のために汲々としている時代です。社会も混乱し、人々の心も荒んで来ています。このような世にあって、私たちは、どのように生きるのでしょうか。神の求められる生き方と祝福を今日の箇所から学びます。

T−直ぐな者は祝福される−1〜8
 神様が喜ばれる人は、どんな人でしょう。1〜8節。へりくだる者、直ぐな人、潔白な人、正しい人であることです。直ぐな人とは、どんな人でしょう。直ぐな人、正しい者は、神を信じて信頼しており、御言葉の基準に聞き従って生きる者を意味しています。1節は、正直、正しいことを量りやおもりに象徴的に例えています。度量衡については、今日メートルとかキログラムなどを国際的に決めて、同じ単位で貿易や仕事ができるようにしています。人が商売をする時に最も重要なことが正しい量りやおもりを使うように、正直さを失わないことが大切だというのです。正直は、他の人が立てる基準ではなく、神の前で自分が立てる目安です。
 そして、正直、誠実さのゆえに、神様が守ってくださり、祝福してくださいます。直ぐな人の誠実はその人を導き、直ぐな人はその正しさによって救い出され、正しい者は苦しみから救い出されます。直ぐな人への神様の守りや祝福が強調されています。
 この社会を引っ張って行く指導者、企業や役所の責任ある役に就く者、人の上に立つ人々、彼らには正しく責任を果たす清廉さが要求されます。しかし、そのような人々が不正やごまかしをし、己の利益のために汲々としているなら、社会は混乱し、人々の心は荒みます。でも、人々は、そのような上に立つ者を批判し、混乱した社会を嘆くだけで、自分はどうか、自分はどのように生きているかを考えません。
 直ぐな人、潔白な人、正しい人でないなら、どのような人になるのですか。自分勝手な者、自分の利益に執着する者になります。他の人を顧みません。神が忌み嫌われる人です。神の祝福や守りを受けることができません。1〜8節。高ぶりが来れば、恥もまた来る。裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。悪者は、その悪事によって倒れる。欺きのはかりは主に忌み嫌われる。箴言は、正しい者と悪者というように、いつも対比しています。どちらでもないというのでなく、どちらかになります。
 神様は、何を求めておられるのでしょうか。社会の指導者や責任ある立場の者が、不正やごまかしをし、己の利益のために汲々としていても、例え周りの人々が、自分勝手な者、自分の利益に執着する者、高ぶる者、よこしまな者だとしても、あなた自身は、主の前にへりくだる者、直ぐな人、潔白な人、正しい人でありなさいと求めておられます。正直に生きていて、損なことはありません。大丈夫です。主が報いてくださいます。守って、祝福してくださいます。直ぐな者となることを願います。

U−共同体に広がる祝福−9〜23
 次に大事なことは、直ぐな人、潔白な人、正しい人として歩む時、神からの祝福は、その人に留まることなく、周りの人々に、その共同体に広がるというのです。9〜14節。人が直ぐな人、潔白な人、正しい人として生きるのは、自分だけの幸い、自分だけの平安、自分だけの利益のためではありません。自分がそのような信仰に生きる時、主の祝福は、周りの人々に広がり、共同体を祝福するようになります。
 反対に、人々の集まりの中で、神を敬わない人は、無駄口をたたいて、うわさ話をするために、人々に争いや反目をもたらします。9節。神を敬うなら、無駄口やうわさ話はできないということです。悪口やそしりは、コミュニティーをだめにしてしまいます。11節。思慮に欠けている者は、人をさげすみ、歩き回って人を中傷する者は、余計なことを言って、人を痛め、苦しめます。13節。そのようなことを言う者は、美しく装っても、金の輪が豚の鼻にあるようだと言っています。23節。ゆめゆめそのような姿となりませんように。
 しかし、正しい者の口は、人を養い、その御言葉の知恵によって人々を救おうとします。10節。真実な人は、無駄口を叩かず、人の尊厳を守ります。12〜13節。コミュニティーというものは、良き指導がないことによって倒れ、多くの助言者によって救いを得るものです。14節。直ぐな人、正しい人が御言葉の知恵によって、コミュニティーに仕えるならば、その指導や助言が用いられ、コミュニティーに神の祝福が広がるようになります。そして、町は、正しい者が栄えると、こおどりし、直ぐな人の祝福によって、高くあげられるというのです。10〜11節。
 ここには、共同体の繁栄の秘訣が教えられています。職場や学校、家庭や地域において、クリスチャンがそこにいて、どういう生き方をしているかが大変重要になってきます。その信仰の生き方が、その生活の現場の祝福につながっているからです。その意識をもって生活していますか。ぜひ、これから意識して、地の塩、世の光として生きる者となりましょう。私たち自身が、直ぐな者、正しい者、へりくだった者として生きるなら、私たち自身が神の祝福を受けるだけでなく、私たちの周りが祝福を受けるというのです。何という約束でしょうか。
 聖書の中に、その例を見ることができます。ユダヤ人の歴史を見ると、神の目に正直な王が立てられる時、国は力を得て繁栄しました。逆に邪悪な王が国を治める時は、国が力を失って、民は苦しみに陥りました。人々を愛される神様は、滅びでなく、祝福を受けるチャンスを与えておられます。ヨナの警告を聞いたニネベが悔い改めると、神様はニネベの滅びを留保されました。ですから、私たちが、正直なクリスチャンとなるならば、神様は、私たちの家庭を祝福して、救ってくださいます。私たちが、正しく信仰に生きるなら、私たちの仕事や学びを祝福して、私たちが住んでいる町や私たちの職場、学校をも祝福してくださいます。
 アブラハムは、ロトの家族のために祈りました。神様は、ロトの家族が住んでいるソドムに十人正しい人見つかれば、滅ぼすまいと答えられました。私たちが、まずその一人となりましょう。教会という信仰共同体こそ、神様の祝福を受けるところです。教会の中に、直ぐな者、正しい者、へりくだった者として生きる信仰者が増えれば増えるほど、教会はリバイバルします。教会の祝福も、私たちの信仰の生き方にかかっているのです。
信じる人が祝福の言葉を言うと、共同体に祝福が臨みます。創世記12:2〜3。私たちがコミュニティーのために祝福の祈りをすれば、神様はそのコミュニティーを祝福してくださいます。

V−祝福は自分にかえって来る−24〜31
 人への祝福は自分にかえって来ることが教えられています。24〜26節。人々を助ける者は、かえって豊かになり、人に、施しても富む者となるというのです。世の中の認識とまったく逆です。反対に、惜しんでも、かえって乏しくなる者がいるというのです。お金と才能と時間を人のために使うのを惜しむ人は、乏しくなるというのです。常識的な計算には合いません。救済は、弱い者や困っている者を助ける働きですが、お金を施すだけではありません。心と言葉を与えて、たましいを救うことが最も重要な救済です。イエス様を信じて、生まれ変わった人、直ぐな人は、人を助け、人に仕えることを喜びとします。人を助け、人に仕えることで、神様の祝福を受けます。
 他の人に喜びと祝福を与えるならば、与える人が豊かになり、他の人々の必要性を満たしてあげれば、自分も満たされるというのです。一般的な常識とは反対の論理です。救済して助け、仕える人が祝福される思想を具体的な例で説明しています。26節。飢饉で収穫が少ない時、商人たちが高値になるのを待って穀物を売り惜しみました。現代資本主義社会での悪しき現象でもあります。そんな資本主義が終焉に向かっていると言われます。しかし、売り惜しんで人々を苦しめる者はのろわれ、穀物を儲けなしに売る者は、祝福を受けたのです。私たちが、人々を助け、仕え、施すことを願うなら、神様が、そのような機会と状況も備えてくださいます。
 自分の富に拠り頼む者は倒れますが、主に頼る者には、必要が満たされます。28節。自分の富に拠り頼む者は、なぜ倒れるのでしょうか。神様のもの、神様が与えてくださったものを自分のものとするからです。人が自然を管理し、自分の賜物を管理して、よく用いなければならないのは、本当の所有者である神様から管理を委ねられているに過ぎないからです。創世記1:26〜28, Tペテロ4:10。イエス様は、なぜ聖徒たちに人に与えるように言われたのでしょうか。マタイ5:42。物質の所有者である神様が、分けて与えるように命令したからです。イエス様は、天の御国の計算を教えながら、与えるように言われました。ルカ6:38。
 この世には、悩み、悲しみ、貧困、病気、患難、悲惨があります。救い主として世に来られたイエス様は、この暗やみの中で、絶望の中にいる者たちに光となってくださいました。イエス様は、十字架に犠牲となられて、貧困と絶望と苦しみの中にいる人々に生きる道を開いてくださった救い主です。イエス様は、世を照らす光、世の希望です。ヨハネ1:14。この救い主イエス・キリストを伝えることが、最も確かな最も素晴らしい助けであり、救済です。救いの恵みを受けた私たちから、救いの祝福が広がります。



箴言11:1 欺きのはかりは【主】に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。
11:2 高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。
11:3 直ぐな人の誠実は、その人を導き、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。
11:4 財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。
11:5 潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。
11:6 直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。
11:7 悪者が死ぬとき、その期待は消えうせ、邪悪な者たちの望みもまた消えうせる。
11:8 正しい者は苦しみから救い出され、彼に代わって悪者がそれに陥る。
11:9 神を敬わない者はその口によって隣人を滅ぼそうとするが、正しい者は知識によって彼らを救おうとする。
11:10 町は、正しい者が栄えると、こおどりし、悪者が滅びると、喜びの声をあげる。
11:11 直ぐな人の祝福によって、町は高くあげられ、悪者の口によって、滅ぼされる。
11:12 隣人をさげすむ者は思慮に欠けている。しかし英知のある者は沈黙を守る。
11:13 歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。しかし真実な心の人は事を秘める。
11:14 指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。
11:15 他国人の保証人となる者は苦しみを受け、保証をきらう者は安全だ。
11:16 優しい女は誉れをつかみ、横暴な者は富をつかむ。
11:17 真実な者は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に煩いをもたらす。
11:18 悪者は偽りの報酬を得るが、義を蒔く者は確かな賃金を得る。
11:19 このように、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。
11:20 心の曲がった者は【主】に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。
11:21 確かに悪人は罰を免れない。しかし正しい者のすえは救いを得る。
11:22 美しいが、たしなみのない女は、金の輪が豚の鼻にあるようだ。
11:23 正しい者の願い、ただ良いこと。悪者の望み、激しい怒り。
11:24 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。
11:25 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。
11:26 穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。
11:27 熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。
11:28 自分の富に拠り頼む者は倒れる。しかし正しい者は若葉のように芽を出す。
11:29 自分の家族を煩わせる者は風を相続し、愚か者は心に知恵のある者のしもべとなる。
11:30 正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。
11:31 もし正しい者がこの世で報いを受けるなら、悪者や罪人は、なおさら、その報いを受けよう。





Tペテロ4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

創世記12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

申命記15:11 貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」

使徒20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。

ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。

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