2019年8月11日「御言葉によって変えられる人」箴言12:1〜28

序−世の教育は人の本性は変わらないままで、知識や技術を向上させるものですが、神様の教育は、本性を変えるものです。イエス様を信じる者が御言葉によって変わるようにしてくださいました。御言葉を聞いて恵みを受けることがどれほど重要なことか、御言葉を聞くことができないことがどんな状態になるか教えています。

T−御言葉が人を変える−1〜12
 1節の「訓戒を愛する人は知識を愛する」ということは、神の御言葉を愛する者は、神を正しく知るということです。主を知ることができれば、心と思いを変えられ、その生き方も変えられるようになります。戒めの言葉も恵みとして喜んで聞き、正しい人に変えられます。しかし、戒めの言葉を嫌い、拒んで、御言葉を素直に聞くことがなければ、愚か者になってしまいます。
 自分にアドバイスしてくれる言葉を受け入れる人は、賢くて人格的に整えられ、神の恵みと祝福を受ける人になることができます。2〜3節。どんな中でもその信仰の根本は揺らぐことがありません。御言葉を愛しますか。イエス様は、「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します」と言われました。ヨハネ14:21。イエス様を信じて救われた者は、神にかたどり造り出された新しい人となりました。エペソ4:23〜24。ですから、御言葉によって造り変えられ、霊的に成熟した者と変えられて行くのです。
 ところが、御言葉に聞き従わずに、自分の肉の思いに従う者は、しっかり歩むことができず、罪に陥り、罰を受けるようになります。2〜3節。私たちの人生を誤って生きると、洪水に押されていくのと同じようになります。世的な価値を追求して生きていれば、命を失ってしまう人になりかねません。神の訓戒を愛しますか?御言葉を聞き従いながら、私たちの内に変化が起こるようにしなければなりません。聖書的な価値観を追求する人が神様に認められて、神の祝福を味わう人になると言います。7〜11節。御言葉によって変えられると、霊的に成熟した人格の所有者となります。その思慮深さによってほめられ、謙遜で、勤勉な者となります。自分の家畜のいのちに気を配る者となるという具体的な例は、私たちの心を和ませます。10節。
 御言葉によって変えられた者の注目すべき具体例があります。4節。「しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ」は、心に納めておきたいものです。「冠」とは、その人の位を現すしるしです。 つまり、しっかりした妻が、愛の力と御言葉の恵みによって夫に栄誉をもたらします。 彼女は、人生のあらゆる困難において夫に最高の助けを与え、冠ですから、霊的に成長し、魅力的な女性になっています。
 箴言を見ると、しっかりした妻と悪い妻の例がいくつも記されています。知恵のある女は自分の家庭を建て上げ、愚かな女はこれを壊してしまいます。箴言14:1。箴言21:9, 19のような例は、どれほど争い好きな女と一緒にいることが大変か教えています。争い好きな妻のいさかいは、したたり続ける雨漏りのようだと言っています。箴言19:13, 27:15。
 夫も、妻が信頼して従うことができる人である必要があります。つまり、夫も妻も、イエス様を信じる信仰によって新しい人となり、御言葉によって変えられ、霊的に成長するなら、その家庭は祝されるということです。誰もはじめからしっかりした妻、素晴らしい夫であるわけではありません。救われた人は、御言葉で生きる人であり、御言葉によって変えられる人です。幸いな家庭を築こうと願うなら、御言葉によって変えられる妻、夫となることが必要です。
 しっかりした妻は、言い争い好きではありません。夫の徳を立てるような言葉で、言葉しなやかに話す女性です。それで幸せな家庭をつくるようになります。しっかりした女性は、夫に対して謙遜であり、高慢になりません。たとえ夫よりも知的であったとしても、夫より能力があったとしても、夫が自分の頭(かしら)であることをわきまえて、夫の前では謙虚に仕え、夫を支えます。そうして、夫の冠となります。

U−変えられた態度や言葉−13〜22
 ですから、御言葉によって変えられた人の特徴は、その態度、特に言葉にあらわれます。13〜22節。人は言語的な存在です。人の言葉は、その人格のあらわれです。人の言葉は、まさにその人となりをあらわしています。
 言葉には、人を生かす言葉もあれば、人を殺す言葉もあります。18節。人の心を刺す言葉もあれば、人の心を癒す言葉もあります。人が御言葉によって変えられ、霊的に成長すれば、その人の心が変わり、出て来る言葉も変わります。ルカ6:45。アダムがエバを喜んで言った時の言葉「私の骨からの骨〜」は、人を生かす言葉でしたが、罪に堕ちてからは、「あなたが置かれたこの女が〜」と言い訳をするように変わります。関係を壊す言葉となりました。夫婦間の言葉も気をつけたいものです。
 人が変えられなければ、すぐに怒りを吐き出します。16節。「愚か者は自分の怒りをすぐ現す」も、心に納めておきたいことです。怒りは、自分の存在価値を維持しようとする意志です。とりわけ人から拒否されたり、自分が無価値な存在として扱われたりする時に怒ります。相手にその意志がなくても、心が傷ついたと思うと、怒ります。怒りは、相手の意図ではなく、自分の直感がより強く作用します。自分の価値が認められていないと思う時、怒るのではなく、神様が自分をどのように創造したかを考える必要があります。詩篇8:4。
 怒りは、自分の考えが正しいと固執する時に生じます。15節。知恵ある者は、怒らずに忠告を聞き入れます。他の人が自分を侮辱したとしても、興奮したり、怒ったりするのではなく、落ち着いて対処します。16節。相手の存在と行動を現実的に認めて、神に委ねます。怒りをなくすことは難しいならば、怒りを遅くし、自分の心を治めようとしましょう。それだけでも、怒りを現すことが減ります。箴言16:32, エペソ4:26〜27。
 怒りはあの人の性格だからと言われることがあります。しかし、性格は、行動の繰り返しによって形成された感情の特性だと言われます。基本的には先天的な気質の影響もあるでしょうが、生きて行く環境によって繰り返し行動したことによってその人の特性が形成されます。御言葉によって変えられる人は、心が変わります。心が変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わります。
 愚かな者と知恵のある者の違いは、「他の人の言葉を聞き入れるか否か」にかかっています。15節。自分の考えだけが正しいとするなら、賢いように見えても、実は愚か者です。愚かな人は自分の思い通りにならない場合腹を立てますが、知恵ある者は、自分を振り返ります。人に攻撃的にされる状況の中でも、心に納めます。16節。私たちの関心は、自分の思いや利益ではなく、神の御心はどこにあるか、主に喜ばれることは何かにあるはずです。私たちは、どうでしょうか。
 箴言は、真実の言葉と偽りの言葉の簡単な見分け方を教えてくれます。17〜19節。いくら良い言葉であっても、誰かの感情を傷つけ、侮辱と感じさせるなら、その言葉の効用はないと言っても過言ではないでしょう。真実な言葉とは、その反対に、人の徳を高める言葉、人を喜ばせ励ます言葉、人を癒す言葉、その人の心に届く言葉です。ローマ15:2, Tテサロニケ5:11。そのような言葉を用いたいと願います。
 真実に生きる人は主に喜ばれます。22節。私たちは、自分の言葉や行動に責任を持とうとしていますか。あるいは、言い訳をし、人のせいにしているでしょうか。真実な言動は、すべての人間関係の基礎となります。なぜなら、誠実さと信頼は一緒に付いて行くからです。Uコリント13:8。

V−変えられて幸いに生きる−23〜28
 誰が幸せを作ることができますか。何が幸せをもたらすことができますか。御言葉に変えられた人です。24〜28節。まず、御言葉に変えられた人は、勤勉に生きて、幸いを受けます。24節。勤勉な人の手は、その人を治めさせます。怠惰な者は、機会を失い、祝福を受けることができません。が、勤勉な人は、多くの神の祝福を受け、人からも尊ばれます。27節。
 人生には困難や問題があり、思うようにならないことも多いです。困難や問題で不安を覚えると、心が沈みます。しかし、御言葉によって変えられた人は、御言葉で癒され、励まされ、喜びを与えられます。25節。御言葉によって変えられた人は、自分のことばかりでなく、人についても洞察力を与えられ、人を助け、励ますことができるようになります。26節。
 神様は、私たちに命の道を与えてくださいました。28節。イエス様が私たちに代わって十字架にかかられ、血を流してくださったことにより、私たちは罪赦され、永遠の命、新しい命を与えられました。新しい命に生きる人に幸いがあります。私たちが、御言葉によって変えられて行くなら、ますます豊かな命の道を歩む者とされます。その道は、神様の祝福が用意されているという意味です。私たちは、生涯神様の御言葉に聞き従って生きる道をイエス様と共に歩きながら、神様の祝福を受ける幸いな人となることを願います。ローマ6:4。



箴言12:1 訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者はまぬけ者だ。
12:2 善人は【主】から恵みをいただき、悪をたくらむ者は罰を受ける。
12:3 人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。
12:4 しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。
12:5 正しい人の計画することは公正で、悪者の指導には欺きがある。
12:6 悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。
12:7 悪者はくつがえされて、いなくなる。しかし正しい者の家は立ち続ける。
12:8 人はその思慮深さによってほめられ、心のねじけた者はさげすまれる。
12:9 身分の低い人で職を持っている者は、高ぶっている人で食に乏しい者にまさる。
12:10 正しい者は、自分の家畜のいのちに気を配る。悪者のあわれみは、残忍である。
12:11 自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。
12:12 悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す。
12:13 悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。
12:14 人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。
12:15 愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。
12:16 愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。
12:17 真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。
12:18 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。
12:19 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。
12:20 悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。
12:21 正しい者は何の災害にも会わない。悪者はわざわいで満たされる。
12:22 偽りのくちびるは【主】に忌みきらわれる。真実を行う者は主に喜ばれる。
12:23 利口な者は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。
12:24 勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する。
12:25 心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。
12:26 正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる。
12:27 無精者は獲物を捕らえない。しかし勤勉な人は多くの尊い人を捕らえる。
12:28 正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。



ヨハネ14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。

箴言14:1 知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす。

箴言21:9 争い好きな女と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住むほうがよい。
21:19 争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。

箴言19:13 愚かな息子は父のわざわい。妻のいさかいは、したたり続ける雨漏り。

箴言27:15 長雨の日にしたたり続ける雨漏りは、争い好きな女に似ている。

詩篇8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

箴言16:32 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。

ローマ15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

Tテサロニケ5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

箴言14:27 【主】を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。

エペソ4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

ローマ6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

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