2019年8月18日「知恵を用いて」箴言13:1〜25

序−箴言を学んで知恵生活をする人は、どのように生きるのでしょうか。知恵ある生活の基盤、知恵生活をする人の得る祝福、人に広がる知恵生活の恵みについて学びます。

T−知恵の生活は口と勤勉で−1〜11
 知恵ある者は、もちろん御言葉に聞き従う者です。1節。では、知恵ある者の生活の基礎は、どういうものなのですか。口をよく用いて、勤勉であり、正直であると言えるでしょう。2〜11節。私たちの生活において、簡単のようでありながら、難しいものがあります。それは、自分の口を制して、良い言葉を用いることです。ヤコブ3:8〜10。他人の口ではなく、自分の口なのに、制することができないのです。言葉の影響力は驚くべき力を持っており、一度吐き出したら回収することもできず、永遠の傷を与える可能性があります。Tペテロ3:10。
 今日の3節では、「自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る」と教えています。私たちは、自分の口を見張ることをしているでしょうか。「唇を大きく開く」とは、何も考えず無責任に言葉を吐き出し、悪口雑言、誹謗中傷を言いたい放題ということです。制御できないどころか、唇を開かないではいられないのです。
 ならば、唇を開いて良い言葉を言えばいいのではないですか。ある人が天国の7つの言葉と言っています。「すみません、大丈夫です、よろしいです、 よくできました、素晴らしいです、ありがとうございます、 愛しています」などの良い言葉を勧めています。人を生かす言葉、感謝の言葉、関係を築き上げる言葉、肯定的な言葉は、夢と希望を与えます。教育心理学で「ピグマリオン効果」と呼ばれるものがあります。励ましや賞賛の言葉が子どもの学習能力や知的能力を高めることができるということです。励ましや賞賛の言葉は、失望落胆した人に勇気と希望を与えます。
 また、知恵ある者の生活基盤は、勤勉と富です。勤勉な者の心は満たされると言います。富は結果的なことですが、勤勉であるならば、心が満たされ、平安になります。勤勉にしていれば、やがて富むことにもなるでしょう。神様から委ねられた労働観と主の忠実なしもべとして、主の栄光をあらわそうとして勤勉であることが肝要です。そうしていれば、たとえ世的には貧しいとしても、精神的には富む者となります。7節。
 ですから、使徒パウロも、心が満たされていれば、あらゆる境遇に対処できると告白しています。ピリピ4:12。貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っていますと言っています。Uコリント6:10。イエス様を信じた時から、私たちは神のものであり、自分のものは1つもありません。ただ主に委ねられ賜物を用いて、主の栄光をあらわすだけです。主にあって、すべてをもっているとも言えます。
 勤勉と富に関しては、11節にも目が留まります。「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す」というのです。急に得た財産とは、勤勉なしに得た富、不正に獲得した富ということです。日本でも悪銭身に就かずと言います。不当な手段で得たあぶく銭は、つまらないことで使って残らないのです。勤勉ですから、勉強も同じですね。山勘が当たって試験ができたとしても、手抜きしており、実力はつきません。

U−知恵を用いる人は望みが叶えられる−12〜19
 中盤には、知恵を用いる人の姿が記されています。12〜19節。知恵を用いる人は、望みがかなえられると言っています。12,19節。人生において最も幸いな望みとは、何でしょうか。イエス様の十字架の犠牲を信じることによって与えられる、永遠のいのちです。ローマ6:23。滅びからの解放は、大きな望みです。イエス様が死からよみがえることによって、信じる者たちに生きる望みを与えてくださいました。Tペテロ1:3。もしこの望みがなければ、人は世の富や権力に望みを置くでしょう。この福音を退ける者は滅びに向かい、福音を受ける者はいのちを得ることになります。13節。
 「期待が長びくと心は病む」と言いますが、期待していたことから失望を感じることほど悲痛なことはありません。期待が高ければ高いほど、フラストレーションも大きくなります。私たちの心が病むことのないようにするには、どこに希望を置いているのか、何に期待しているのかを点検しなければなりません。私たちは、イエス様の十字架の犠牲を信じることによって罪赦され、新しい命を与えられました。人は、目の前の問題や患難によって望みを失い、期待は絶たれたと思います。しかし、大きな患難や死の危険の中でも、主なる神に望みを置くことができます。Uコリント1:10。私たちの望みは、イエス様にあります。エペソ1:12。
 信仰とは、望んでいる事を保証し、目に見えないものを確信させるものです。ヘブル11:1。知恵を用いて生きる者は、御言葉に聞き従って生活する者です。13〜18節。私たちは、御言葉を信頼して、望みを抱いて生きる時、その望みがかなえられることを体験しています。主の御力を拠り頼んで、とりなし祈る時、癒しを体験しています。
 ダンテの「神曲」には地獄の門の銘には、「ここに入る者よ、一切の望みを捨てよ」と書いてあります。地獄には、望みはありませんが、天国は望みそのものです。イエス様を信じる者は、天国人になりました。ピリピ3:20。望みは、人生の力です。ですから、望みは、いのちの木だというのです。公民権運動のキング牧師は、「私には夢がある」という有名な演説をしました。その夢が困難な運動を継続させました。私たちは、望みを抱いて生き者です。望みは、人を変え、環境を変えます。望みは、神が与えてくださるものです。望みは、聖霊の力であらわされる神の祝福です。
 望みや夢、ビジョンのために、私たちができることは、小さなことから始めることです。ヨブ8:7。大きな望み、ビジョンであっても、始まりは小さいものです。知恵ある者は、御言葉に聞き従い、御言葉によって洞察し、御言葉によって行動し、御言葉によって人々に仕えます。13〜18節。そうするうちに、望みや夢は現実化して生きます。ですから、「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」ローマ12:12。
 17節では、「悪い使者はわざわいに陥り、忠実な使者は人をいやす」と言っています。信頼を裏切る者が、悪い結果をもたらすということです。何かの交渉をしに行ったのに、裏切る者は、その者自身がわざわいに陥るのです。忠実な使者は、自分に託されたことを忠実に果たし、自分を遣わした人々に利益を与え、人をいやします。クリスチャンは、主に遣わされた者であり、福音を聞いた者に魂の益をもたらし、痛んだ魂をいやします。

V−知恵を用いて生きれば、人に及ぶ−20〜25
 最後の部分は、知恵を用いて生きれば、人に及ぶことが記されています。20〜25節。20節に、「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける」とあります。肯定的な考えをする人と交わる者は、肯定的に生きる人となりますが、否定的な考え方をする人と交わる者は、否定的に生きる人となります。信仰のある人と付き合えば、信仰が生じ、肉の思いで生きる者と付き合えば、罪に生きる者となります。誰と付き合うか、どんな人と交わるかで、人生が決まります。Tコリント15:33。
 22節では、「善良な人は子孫にゆずりの地を残す」とあります。知恵を用いる人は、必ずしも財産を残すというのではありません。元々ゆずりの地とは、神様から与えられたカナンでの相続地のことです。ですから、神様から与えられたものということです。私たちが残せるゆずりの地は、御言葉の知恵で生きることであり、救い主イエス様を信じる信仰です。私たちにできることは、子孫に信仰の遺産を渡すことです。
 23節の「貧しい者の開拓地に、多くの食糧がある」とは、どういうことでしょうか。貧しい者の開拓地です。労苦して開墾したということです。怠惰な者は、土地が少ないと言い訳として働かない結果、収穫も少ない。しかし、貧しい者は、小さな土地しか持っていないけれども、開拓地を労苦して開墾したので、収穫は多かったのです。持っているものが少なければ、多くの技術と手間をかけるので、良い結果が出るのです。私たちは、仕事や働きにおいて、「窮者土地を耕す」ことが必要です。
 24節には、もっとひっかかります。「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」は、何を教えているのでしょうか。体罰教育を勧めているのでしょうか。後半の「愛する者はつとめてこれを懲らしめる」に力点があります。「むちを控える」とは、必要な懲らしめをしないならば、子どもをだめにするから、かえって子を憎んでいるのと同じだというのです。
 私たちも、「ご指導ご鞭撻のほどよろしく」などと言うのではありませんか。でも鞭を打ってとは願いません。励ましを願って言います。愛しているから懲らしめ、叱るのですから、鞭打つなどするはずもありません。子どもたちは、愛で育てなければなりません。子どもが、多くの親から傷を受けて育ちます。そして、子が親となり、その傷をその子に転移させます。子に傷を与えてはなりません。子どもを御言葉によって訓練し、神の使命を果たして行く者として育てなければなりません。子どもが御言葉で成長すれば、自ら信仰に立って行くのですが、子どもが神に従うまでは親のモデルが必要です。御言葉通り生きようとする親の姿を見ることが必要です。Tコリント11:1。



箴言13:1 知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。
13:2 人はその口の実によって良いものを食べ、裏切り者は暴虐を食べる。
13:3 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。
13:4 なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる。
13:5 正しい者は偽りのことばを憎む。悪者は悪臭を放ちながら恥ずべきふるまいをする。
13:6 正義は潔白な生き方を保ち、悪は罪人を滅ぼす。
13:7 富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。貧しいように見せかけ、多くの財産を持つ者がいる。
13:8 富はその人のいのちの身代金である。しかし貧しい者は叱責を聞かない。
13:9 正しい者の光は輝き、悪者のともしびは消える。
13:10 高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。
13:11 急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。
13:12 期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。
13:13 みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。
13:14 知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。
13:15 良い思慮は好意を生む。裏切り者の行いは荒い。
13:16 すべて利口な者は知識によって行動し、愚かな者は自分の愚かさを言い広める。
13:17 悪い使者はわざわいに陥り、忠実な使者は人をいやす。
13:18 貧乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。しかし叱責を大事にする者はほめられる。
13:19 望みがかなえられるのはここちよい。愚かな者は悪から離れることを忌みきらう。
13:20 知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。
13:21 わざわいは罪人を追いかけ、幸いは正しい者に報いる。
13:22 善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。
13:23 貧しい者の開拓地に、多くの食糧がある。公義がないところで、財産は滅ぼし尽くされる。
13:24 むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。
13:25 正しい者は食べてその食欲を満たし、悪者は腹をすかせる。



Tペテロ3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

ピリピ4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

Uコリント6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

ローマ6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

エペソ1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。

Uコリント1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

ヨブ8:7 あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

ローマ12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

Tコリント15:33 思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。

箴言3:12 父がかわいがる子をしかるように、【主】は愛する者をしかる。

Tコリント11:1 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。

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