2019年8月25日「穏やかな心、激しい思い」箴言14:1〜35

序−「知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす」(1節)と言っています。誰でも家庭の一員であり、幸いな家庭を築くためには、御言葉の知恵を用いなければなりません。そうでないと、自分の家庭をこわすことになります。どのような知恵が教えられているのでしょうか。

T−家庭を建てる働き、勤勉の益−1,4,28,23
 まず、幸いな家庭を建てるためには、どのように働き、どのような心で仕えることがよいのでしょうか。面白い表現に目が留まります。4節。「牛がいなければ飼葉桶はきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる」とは、どういう意味なのでしょうか。牛の世話は、大変です。汚くなることも多いです。牛がいなければ飼葉桶はきれいです。でも、牛がいなければ、多くの農作業はできなくなります。結果、収穫が減ることになります。歯磨きが面倒だから、歯をきれいにしておくために食べないということができるのでしょうか。アモス4:6。
 家庭の仕事は、使っては片付けて、汚してはきれいにしての繰り返しです。掃除したり片付けることが面倒だから、使うな、汚すなという人がいるでしょうか。それでは、生活ができません。生活に潤いがありません。牛がいれば手間がかかり、労苦がありますが、牛を使って収穫を得ることができます。牛がいなければ手間も労苦もありませんが、牛がいる時のような収穫は望めません。どちらがより重要か考える必要があります。農業ばかりでなく、今日の仕事の現場や生活の現場でも同じでしょう。
 牛がいなければ飼葉桶はきれいだが、収穫がない式のことを言っていないでしょうか。そういう例は、家庭生活においても、仕事や学びにおいても、信仰生活においてもあります。あなたにとっては、どんなことですか。私たちは、愚か者をやめて、知恵ある者として働き、知恵をもって家庭を建てていきたいものです。
 28節には、「民の多いことは王の栄え。民がなくなれば君主は滅びる」とあります。王の名誉と素晴らしさは、その民の存在と働きに依存しています。したがって、戦争や飢饉、抑圧や労役によって民が倒れたり、いなくなれば、それは王国の破滅を意味します。結局、民を大切にしない為政者は、自らを滅ぼすことになるのです。仕事が多ければ労苦が多いが、仕事は私たちの生活をささえてくれます。面倒見る人がいれば大変ですが、いてくれることに幸いがあります。いなければ、寂しいです。
 23節には、「すべての勤労には利益がある。おしゃべりは欠損を招くだけだ」とあります。勤労は、労苦があり、大変かもしれません。しかし、おしゃべりばかりしていれば楽しくても、おしゃべりするばかりで働かないために貧しくなります。愚かな者は、余計なことをしゃべって、欠損を招くことになりますが、知恵ある者は、無駄口をたたかず働き、恵みを受けることになります。このようなことは、私たちの生活にすぐに適用できることです。

U−家庭をこわす怒り、激しい思い−16〜17,29〜30
 愚かな者は、家庭を壊します。1節。その大きなものの1つは、怒りです。16〜17節。愚か者は、怒りやすくて自信が強いです。今日多くの妻が怒った夫から暴力を受け、多くの子どもたちが怒る親から虐待を受けて、怒りのために交通事故が起こっています。人間の社会で、人が住んでいる所ならどこにおいても、怒りによって事件や問題が起こっています。重大な問題であるのに、余りにも軽く考え、怒るままにしています。箴言の知恵の警告に耳を傾ければなりません。
 怒りは、その周りの人々の心に痛みと苦い根を残します。怒りは、夫婦の間を引き離し、親子の間に壁を築いてしまいます。兄弟姉妹間に怒りが生じれば、サタンが付け入り、罪を犯させます。エペソ4:26〜27。怒りは、神様との関係も崩れ、信仰生活に大きな打撃をもたらします。私たちは、どんなことで怒っていますか。
 生活が忙しくて、心の余裕がなくなると、些細なことでもイライラして怒りを発するようになります。現代人は、忙しく慌しく生きています。それなのに、不親切な対応に接したり、予期せぬ問題が起こったりすると、我慢できずに怒りを発してしまいます。私たちは、毎日頑張って働き、生きています。それでも、心の余裕を失うほど忙しくて、怒りを発してしまうならば、頑張りがあだとなっています。
 私たちに怒りを生じさせる理由は、計画通りに事が行われない、思うように事が進まない時でもあります。私たちは、人生を生きながら、仕事や子どものことなど色々な計画を立て生きています。家庭や職場において様々な願いを持って働いています。ところが、計画通りにならないとむしゃくしゃして腹が立つようになります。私たちは、どうでしょうか。自分の計画通りにならなかった時、怒りませんでしたか。家族や周りの人が自分の思うように動いてくれなかった場合、怒る人となりましたか。
 また、私たちに怒りが出るようになるのは、自分が正当な待遇を受けていないと感じる時です。人は、みな自分が相応しい扱いを受ける権利があると思っています。自分が望んでいる待遇を受けるはずだと期待しています。ですから、当然と思っている待遇を受けられないとき怒りがわいて来ます。自分の意見が通らない場合、自分の仕事に人が同調をしてくれない時、冷遇された気になって、憤慨します。
 人が怒る時、体に毒素が出て、生理的変調を起こすそうです。30節でも、「激しい思いは骨をむしばむ」と教えています。昔の人も経験上分かっていたのですね。怒りをぶつけられる人も、心が傷ついて、体にも影響を受けます。私たちは、簡単に腹を立てるのですが、自分たちに悪い影響を及ぼしていることを忘れてはなりません。怒ったら後遺症があることを覚えてください。激しい思い、怒ることをどうしたら、よいですか。
 29節で、「怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す」と言っています。怒りが全くないということはないでしょう。しかし、せめて怒りの時間を遅らせることを知っている人が知恵の人だというのです。怒るのは瞬間的な反応です。怒りを出すのを遅らせて、怒る気がなくなります。リンカーンは、自分の指示をないがしろにして戦局を悪化させた将軍に激怒して、手紙を書きました。しかし、書いているうちに冷静さを取り戻して手紙は出さず、今後の戒めに取っておきました。
 ヤコブ1:19では、「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」と言っています。気の短い者は、聞いたことに瞬間的に反応してしまい、愚かさを増すことになります。怒りっぽい、激し易い者と一緒にいると、怒りに巻き込まれる危険があります。箴言22:24〜25。時には、離れることも必要でしょう。7節。短気は損気と言われます。怒るならば、自分は言いたい放題でも、怒りは自分の体に良くないし、人の心を痛め体に害を与えるから、嫌われ疎んじられて自分にも損失となります。
 どんな心が必要ですか。30節で、「穏やかな心は、からだのいのち」と言っています。穏やかな心を持ち続ける人は、血圧も安定し、消化も正常です。穏やかと訳された原語は、癒し、健康、治療の意味です。穏やかな心は、癒し、治療となり、健康にします。私たちは、イエス様の十字架の犠牲によって救われた者です。救いによって愛と癒しを受けたなら、穏やかな心になるはずです。Tペテロ3:4。イエス様を信じる者は、義と認められた者です。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ヤコブ1:20。

V−家庭を建てる信仰−2,26〜27
 知恵ある者は、主を恐れる者です。2節。主を恐れる家庭は、幸いな家庭となり、恵みを受けて建てられます。主を恐れる信仰に伴う利点は、神への畏敬の中で生きる私たちを導いて、守ってくれることです。26〜27節。主を恐れること、主に対する畏敬の念は、平安な思いと穏やかな心を与えてくれます。そこには、主に対する強力な信頼があるからです。この主を恐れるという信仰の原理は、次の世代に継承され、心の避難所となります。27節。イエス様を信じた者には、罪の赦しと天国への命という祝福が約束されているので、勇気と平安を得ることができます。ローマ6:22〜23。
 この信仰の原理は、私たちを穏やかな心にして、常に上より流れる喜びとなります。それは「いのちの泉」であり、魂に恒久的な楽しさと満足をもたらしてくれます。純粋で新鮮な喜びを供給してくれます。
 主を恐れないと、何を恐れるようになるのでしょうか。人を恐れるようになります。人に対する恐れは、人からの拒否と批判を避けることに没頭させます。人を恐れると、人の目を気にして、人の評価に囚われます。人を恐れることから解放されるためには、恐れるべきお方、主を恐れるようにします。ルカ12:4〜5。人を恐れると、問題や苦難の中で自分を守るために汲々としますが、主を恐れる者は、すべてをご支配されておられる神様を信頼するので、問題や苦難の中でも、平安と穏やかな心を持つことができます。
 家庭を建てる信仰は、主を恐れる信仰です。主を恐れるならば、謙遜になります。互いを尊重し、大切にします。怒る心、自分勝手な心を主に取り扱っていただけます。主を恐れるならば、患難の多い人生において、不安や恐れから守られて、家庭を建てるようになります。箴言14:30。



箴言14:1 知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす。
14:2 まっすぐに歩む者は、【主】を恐れ、曲がって歩む者は、主をさげすむ。
14:3 愚か者の口には誇りの若枝がある。知恵のある者のくちびるは身を守る。
14:4 牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。
14:5 真実な証人はまやかしを言わない。偽りの証人はまやかしを吹聴する。
14:6 あざける者は知恵を捜しても得られない。しかし悟りのある者はたやすく知識を得る。
14:7 愚かな者の前を離れ去れ。知識のことばはそこにはない。
14:8 利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。
14:9 罪過のためのいけにえは愚か者をあざけり、正しい者の間には恩恵がある。
14:10 心がその人自身の苦しみを知っている。その喜びにもほかの者はあずからない。
14:11 悪者の家は滅ぼされ、正しい者の天幕は栄える。
14:12 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
14:13 笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。
14:14 心の堕落している者は自分の道に甘んじる。善良な人は彼から離れる。
14:15 わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる。
14:16 知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。
14:17 短気な者は愚かなことをする。悪をたくらむ者は憎まれる。
14:18 わきまえのない者は愚かさを受け継ぎ、利口な者は知識の冠をかぶる。
14:19 悪人はよい人の前で、悪者は正しい人の門のところで身をかがめる。
14:20 貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、富む者を愛する人は多い。
14:21 自分の隣人をさげすむ人は罪人。貧しい者をあわれむ人は幸いだ。
14:22 悪をたくらむ者は迷い出るではないか。善を計る者には恵みとまことがある。
14:23 すべての勤労には利益がある。おしゃべりは欠損を招くだけだ。
14:24 知恵のある者の冠はその知恵。愚かな者のかぶり物はその愚かさ。
14:25 誠実な証人は人のいのちを救い出す。欺く者はまやかしを吹聴する。
14:26 力強い信頼は【主】を恐れることにあり、子たちの避け所となる。
14:27 【主】を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。
14:28 民の多いことは王の栄え。民がなくなれば君主は滅びる。
14:29 怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。
14:30 穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。
14:31 寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。
14:32 悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。
14:33 知恵は悟りのある者の心にいこう。愚かな者の間でもそれは知られている。
14:34 正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。
14:35 思慮深いしもべは王の好意を受け、恥知らずの者は王の激しい怒りに会う。



エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。

ヤコブ1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

Tペテロ3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

ローマ6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

ルカ12:4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。


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